第30話「四つの条件」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第30話「四つの条件」
【帰還から二年三ヶ月 通話】
七つの画面が、並んだ。誰も、軽口を叩かなかった。
『報告するね』
玲奈が、ノートをカメラに向けた。
『戻るための、条件。今までの現象から考えた、仮説。当たってる保証は、ない。一つ目。七人が、同じ場所に集まること』
『山のときの反応か』と朔。
『うん。二つ目。それぞれが、向こうで生きた証を持つこと。これは、物じゃない』
『みんな、見つけたな』と恒一。
『三つ目。全員が、自分の意思で選ぶこと。誰かについていくだけでは、成立しない』
玲奈は、そこで、少しだけ息を吸った。
『四つ目は、一番、自信がない。七人の、最後の配信……かもしれない』
『……配信?』と伊織が眉を寄せる。
『あの夜、私たちは、七人同時に、見られた。だから、呼ばれたのかもしれない。……もし、そうなら、今度は、私たちが、見せる番』
『誰に』と恒一が訊いた。
『分からない。日本の誰かかもしれないし、向こうかもしれない。両方かもしれない』
玲奈は、ノートを閉じた。
『分からないことは、まだ、たくさんある。間違ってるかもしれない。でも、今、言えるのは、これだけ』
【答えの確認】
『……期限は、あるのか』と朔が言った。
『分からない』玲奈は、答えた。『ただ、このまま日本で、普通に隠していられるとは、思えない。永遠には、いられない。……そのくらいの、感覚』
誰も、否定しなかった。
『一人ずつ、答えを聞かせて。無理に、今、決めなくていい。今の気持ちだけで』
『俺は、行く』恒一が、即答した。
『……俺も、行く』朔が、少し遅れて続いた。
『私も。……理由は、まだ、うまく言えないけど』澪が、静かに頷く。
『あたしも。行く』伊織が、短く言った。
『行く。……置いていくものは、多いけど』琴音が、微笑んだ。
『……私も』玲奈は、小さく言った。『行く』
五つの画面が、一つずつ、頷いた。残りは、あと一つ。
『……莉子』
莉子は、画面の中で、膝を抱えていた。
『……ごめん』
『謝らなくていい』と朔が言った。
『私が、決めないと、みんな、行けないんだよね』
誰も、否定しなかった。誰も、肯定もしなかった。画面の向こうの沈黙が、かえって、重かった。
『行きたいの』
莉子の声が、震えた。
『本当に。あの子に、会いたい。約束、守りたい。……でも、怖い』
『……』
『日本が、好きなの。航くんが、好き。お店も、好き。ここに戻ってきて、やっと、息ができるようになったのに』
莉子は、顔を上げた。涙で、目が潤んでいた。
『怖いよ。行きたいのに、怖い。どっちも本当で、どっちも、選べない』
澪が、口を開きかけた。『大丈——』と言いかけて、やめた。画面の隅で、唇を結ぶ。
誰も、「行こう」とは言わなかった。「大丈夫だよ」とも、言わなかった。
『……分かった』
玲奈が、静かに言った。
『答えは、今じゃなくていい』
莉子は、小さく頷いて、通話を切った。画面が、一つ、暗くなった。
残された六人は、しばらく、何も言えなかった。恒一が、拳を握りしめたまま、俯いていた。伊織は、画面から目をそらしていた。誰も、莉子を引き止めなかった。それが、優しさなのかどうか、誰にも分からなかった。
沈黙を破ったのは、恒一だった。
『……準備は、しとくか』
伊織が、顔を上げた。『莉子が、まだ』
『分かってる』
恒一は、それだけ言って、黙った。
『行くと決めるための準備じゃない』と朔が言った。
五つの画面が、朔を見た。
『七人で行けることになった時に、間に合うための準備だ。莉子が決めるまで、誰も、行くとは決めない。……決められない』
『三つ目』と玲奈が、小さく言った。『全員が、自分の意思で選ぶこと』
『だから、準備は、七人分だ』
琴音が、ゆっくり頷いた。澪は、唇を結んだまま、暗くなった一枠を見ていた。
『莉子には、言わないでおこう』と澪が言った。『今言ったら、背中を押すことになるから』
誰も、反対しなかった。
恒一が、頭をかいた。
『じゃあ、一個だけ聞かせろ。……今度は、一番に、何を持っていきたい』
少しの間があった。
『紙』と朔が言った。『どこにいるか、描けるように』
『清潔な布』と澪。『手当ては、布からだから』
『靴』と伊織。『走れないと、守れない』
『書く物』と玲奈。『見たことを、残したい』
『……何も』と琴音が言って、少しだけ笑った。『歌は、持っていけるから』
『火』と恒一。『火があれば、夜は越せる』
六つの答えが、並んだ。並べてみると、ばらばらだった。ばらばらなのが、少しだけ、可笑しかった。
玲奈が、ノートの新しい頁を開いた。六つの答えを、一行ずつ書いた。七行目は、書かずに、空けた。
『ここは、莉子が決めたら、莉子に聞く』
誰も、何も言わなかった。通話は、そのまま、一つずつ、静かに切れた。
【夜 莉子の部屋】
缶詰の箱が、部屋の隅に積まれていた。
莉子は、一つを手に取った。いつか、誰かが、お腹を空かせたときのために。それを、あの子にも、渡したいと思っていた。
スマホが、震えた。航からだった。
『今日、会える?』
莉子は、少しだけ迷ってから、返事を打った。
『うん。会いたい』
【同じ夜 河原】
「話って?」
航は、河原のベンチに座って、缶コーヒーを二本、持っていた。莉子は、その隣に、そっと腰を下ろした。
「航くん」
「うん」
「話したいことが、あるの」
莉子は、膝の上で、手を握りしめた。航は、何も言わずに、莉子の言葉を待っていた。
川面に、月が映っていた。風が、ゆっくりと、草を揺らしていた。




