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RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第1章
29/57

第29話「答えの手前」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第29話「答えの手前」


【帰還から二年三ヶ月 水城澪】


夜の病院の前で、澪は、足を止めていた。


白い建物の窓から、灯りがこぼれている。日勤を終えた看護師たちが、談笑しながら出てきた。澪は、会社の帰りに、よくこの前を通る。


ここでも、誰かを助けられる。指先に灯る淡い熱で、頭痛を和らげたり、熱を下げたり。小さなことなら、できる。


でも、小さなことしか、できなかった。


澪は、目を閉じた。


狭い部屋だった。薄暗いランプの光。ベッドの上で、誰かの手が、冷たくなっていく。


「……ありがとう」


そう言った声が、細くて、途切れていた。澪は、必死に手を握った。どれだけ力を込めても、温度は戻らなかった。


目を開けると、夜の風が、頬を撫でていた。


「……あの人の、家族に」


澪は、小さく呟いた。


「ちゃんと、会いに行きたい」


それが、自分の、答えだった。誰かのためでも、朔のためでもない。自分が、そうしたかった。


【同じ週 黒瀬琴音】


「最終ミックス、これで確定ね」


録音スタジオのスピーカーから、琴音の歌が、静かに終わった。神谷は、ヘッドホンを外して、小さく息を吐く。


「いい出来だ。リリースは、来週」


「ありがとう。……神谷さん」


「ん」


琴音は、少しだけ迷ってから言った。


「私、いつか、遠くへ行くかもしれない」


神谷の手が、止まった。


「……そうか」


「戻って、これないかもしれない」


「そうか」


神谷は、それ以上、訊かなかった。しばらくして、小さく笑った。


「じゃあ、この歌は?」


「ここに、残る」


琴音は、はっきりと答えた。


「この歌は、ここで生まれたから。日本の言葉をつけて、日本で、歌えたから。……ここに、置いていく」


「いいのか」


「うん。でも、もうひとつは、持っていく」


「もうひとつ?」


「向こうの、あの子たちに、届けたい歌」


琴音は、ノートを閉じた。丸みを帯びた文字が、表紙に、ほんの少しだけ、透けて見えた。


神谷は、黙って、頷いた。それから、ぽつりと言った。


「琴音さんの歌は、どこにいても、琴音さんの歌だよ」


琴音は、返事の代わりに、ノートを抱え直した。


【数日後 白川玲奈】


深夜の研究室で、玲奈は、ノートを見つめていた。


『条件1 七人が同じ場所に集まる → 確認済み』


『条件2 それぞれの証 → 物ではない』


『条件3 全員の意思 → 確認中』


そして、もうひとつ。空欄の四行目。


最初の夜を、思い出した。七つの画面。配信。コメント欄に流れた、同じ記号。召喚されたのは、七人が、同時に、同じ場所で、認識されたからかもしれない。


「……呼ばれたときは、見られていた」


玲奈は、ペンを走らせた。


『召喚:七人が同時に見られた夜に起きた(誰が、何が呼んだのかは、不明)→ 帰還:紐を、逆に辿って戻った? → 次:七人が、自分で選ぶ(仮説)』


選ぶ、ということは、誰かに、見せることかもしれない。自分たちの、選択を。


玲奈は、四行目に、書いた。


『条件4 最後の配信(仮)』


書き終えて、息を吐いたとき、雅人が、ドアのところに立っていた。


「玲奈さん」


「……雅人」


「分かったんですか」


「分かった。……でも、分かりたくなかった」


玲奈は、正直に答えた。雅人は、ゆっくり、隣の椅子に座った。


「言える範囲で、聞かせてください」


「……いつか、遠くへ、行くかもしれない」


「はい」


「たぶん、戻って、これない」


雅人は、少しの間、黙っていた。


「……少しだけ、怒っていいですか」


「うん」


「勝手です。分かってて、言ってます。でも、勝手です」


雅人は、息を吐いた。


「待ちません」


「え」


「待ったら、玲奈さんが、選びづらくなるから」


雅人は、まっすぐに、玲奈を見た。


「代わりに、行く日まで、全力で、隣にいさせてください」


玲奈は、何も言えなかった。


「……って、格好つけました」雅人は、視線をそらした。「本当は、怒ってます。寂しいです。行ってほしくないです。……全部、本当です」


「……ごめん」


「謝らないでください。余計に腹が立つので」


雅人は、いつものように、夜食の袋を、机の上に置いた。いつもより、おにぎりが、一つ多かった。玲奈は、一つ手に取った。温かかった。

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