第28話「閉めた門」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第28話「閉めた門」
【帰還から二年二ヶ月 朝倉朔】
「課長、会議の資料、できました」
「ありがとう。確認する」
朔は、後輩から資料を受け取りながら、画面の隅に目をやった。伊織からの一行が、まだ未読のまま残っている。
『あんたも、言いな』
返信は、していなかった。仕事中は、平気な顔をしていられる。部下の前でも、冷静に指示を出せる。それが、一番、楽だった。
夜、帰宅して、玄関の鍵を閉めた。朔は、そのまま、動けなかった。
雨の音が、耳の奥で、また聞こえた。
【週末 山のキャンプ場】
「来ると思った」
焚き火の前で、恒一は、枝で火をつついていた。朔は、無言で隣に腰を下ろす。
しばらく、二人とも、何も話さなかった。ぱち、と火が鳴る。夜の山は、冷えていた。
「……伊織が、言ったんだ」と朔が口を開いた。
「何を」
「怖かった、って」
「そうか」
恒一は、驚かなかった。
「あいつ、やっと言えたか」
「ああ」
「お前は」
朔は、答えなかった。握った拳が、膝の上で、白くなっていた。
「……閉めたんだ」
「ああ」
「あの門を。俺が、閉めろって言った」
恒一は、黙って、火を見ていた。
「閉めなきゃいけなかった。……それだけは、体が覚えてる。何がどうなってたのかは、もう、はっきり思い出せない」
「ああ」
「でも」
朔の声が、掠れた。
「門の向こうで、声が、続いてたんだ。最後まで」
目を閉じると、雨が降っていた。重い音が、門に響いた。そのあとの、あの静けさ。誰も、何も言わなかった。伊織の横顔。澪の赤い目。それから、琴音が、小さく、歌いはじめた。誰かのための、静かな歌だった。
「……怖かった」
朔は、はっきりと、口にした。
「みんなを、失うのが。それ以上に、あのとき、自分が、決めたことが。……怖かった」
火が、ぱちぱちと、音を立てた。
恒一は、何も言わなかった。それから、枝を、静かに火にくべた。
「それは、選んだ人間にしか、言えない言葉だ」
「……」
「俺も、あの場にいた。お前が、閉めろって言ったとき、止めなかった。止められなかった」
恒一は、朔の顔を見た。
「閉めたお前を、責める気はない。……でも、あの声は、俺にも聞こえてた。今でも、夢に出る。お前だけの夢じゃない」
「……」
「だから、半分は、俺のものだ。一人で、背負うな」
「恒一」
「分け合え。そのために、七人で、行ったんだろ」
朔は、答えられなかった。握った拳を、ようやく、ほどいた。掌に、爪の跡が残っていた。恒一は、何も言わずに、朔の背中を、一度だけ、叩いた。
【夜更け】
「もし、戻れたら」
やがて、朔が言った。
「あの門を、もう一度、見に行きたい」
「……ああ」
「謝れるか、分からない。許されるとも、思ってない」
「それでも」
「それでも、置いてきたまま、終わらせたくない」
恒一は、静かに頷いた。
「それが、お前の証だな」
「……そうかもしれない」
朔は、夜空を見上げた。星が、びっしりと、天を埋めていた。
置いてきたものに、会いに行く。その理由が、初めて、はっきりと、胸に形を取った。
【帰り道】
駅へ向かう途中、朔はスマホを取り出した。伊織への、未読の通知を開く。
『あんたも、言いな』
少し迷ってから、返信を打った。
『怖かった。言えたよ』
既読が、ついた。
『知ってる』
『偉い』
朔は、画面を見て、笑おうとした。うまく、いかなかった。言えたからといって、怖さが消えたわけではなかった。夜道の風は、冷たいままだった。




