第21話「言える日が来たら」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第21話「言える日が来たら」
【帰還から一年五ヶ月 神崎伊織】
久しぶりの実家の台所は、昔と同じ匂いがした。
「あんた、前より強くなったね」
母が、味噌汁をよそいながら言った。伊織は、箸を止める。
「……そう?」
「うん。背中が、しっかりした。昔は、すぐ折れそうな顔してたのに」
「失礼な」
「でも」母は、お玉を置いて、伊織の顔を覗き込んだ。「無理してる顔、してる」
「してない」
「そう。ならいいけど」
母は、それ以上、何も訊かなかった。ただ、ぽつりと言った。
「帰ってきてくれて、よかった。ほんとに。……でも」
「でも?」
「ううん。なんでもない」
母は、伊織の茶碗に、ご飯を山盛りによそった。
伊織は、黙って、それを平らげた。全部、食べた。味が、胸の奥にしみた。
【その夜 澪の部屋】
「泊まってく?」
澪の誘いに、伊織は、少し迷ってから頷いた。二人は、狭い部屋に布団を並べて、天井を見ていた。
「澪」
「ん」
「前に、朔のこと、あたしたち三人で話したじゃん。日本にいるあいだは、線を引こうって」
「うん」
「あれ、きつくない?」
「きついよ」
澪は、あっさり答えた。
「でも、決めたのは私たちだから」
「……そうだね」
しばらくして、伊織の寝息が聞こえた。澪は、目を閉じた。
夜中。
澪は、隣で身体が跳ねる気配に、目を覚ました。伊織が、布団の上で、肩で息をしていた。冷や汗が、額に光っている。
「……伊織」
「だいじょうぶ。……だいじょうぶ、だから」
声が、震えていた。澪は、何も言わずに、伊織の背中に手を置いた。ゆっくりと、さする。
「……あたし、本当は」
伊織は、そこで言葉を切った。喉の奥で、何かが、つかえていた。
「あたし、本当は」
もう一度、口を開く。でも、続きは、出てこなかった。
「言わなくていいよ」と澪が言った。
伊織は、顔を上げた。暗がりの中で、澪の目が、やさしく笑っていた。
「言わなくても、分かってる。でも、言える日が来たら、聞くから」
伊織は、唇を噛んだ。涙が、一粒だけ、枕に落ちた。
「……うん」
「うん」
「……ありがと」
澪は、伊織の背中をさすり続けた。窓の外では、夜の街が、静かに眠っていた。
【数日後 白川玲奈】
大学の屋上のベンチで、玲奈は缶コーヒーを開けた。雅人が、隣に座っていた。
「玲奈さん」
「ん」
「最近、どこか遠くへ行きそうな顔をしてます」
「……どうして」
「勘です」
雅人は、少しだけ笑って、すぐに真顔になった。
「何を選んでも、玲奈さんが選んだことなら、応援します。ただ、その前に、言わせてください」
「何を」
「好きです」
玲奈の手の中で、缶が、かたんと鳴った。
「……え」
「ずっと、言えなくて。……分からないって言う玲奈さんが、一番、好きなので」
玲奈は、何も言えなかった。分からない、という言葉が、喉まで上がってきて、そこで止まった。
「……分からない」
「はい」
「でも」玲奈は、缶を握りしめた。「嬉しい」
雅人の顔が、ぱっと明るくなった。それから、慌てて咳払いをして、前を向く。
「それで、いいです。今は」
「……そう」
玲奈は、青空を見上げた。日本で、誰かに好きと言われること。その温度が、確かに胸に残っている。
それが、少しだけ、苦しかった。
【同じ夜 七人のグループ】
七人のグループに、短いメッセージが届いた。
『山に来ないか。七人で、一度だけ』
恒一からだった。
『話したいことがある。それだけだ』
画面の向こうで、既読が、一つずつ、増えていった。




