第20話「日本では、ダメ」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第20話「日本では、ダメ」
【帰還から一年四ヶ月 玲奈の報告】
七つの画面が、通話に並んだ。
『報告します』と玲奈が言った。『ふざけて聞かないで。真面目な話』
玲奈は、ノートを広げて、ひとつずつ読み上げた。
『時間のずれは、紐の両端みたいなものかもしれない。私たちは、何かに繋がれていたから、戻ってこられた。……繋がっていた先は、まだ分からない』
『それで?』と伊織。
『戻るための条件の仮説は、三つ。七人が同じ場所に集まること。それぞれが、向こうで生きた証を持つこと。全員が、自分の意思で選ぶこと』
誰も、声を出さなかった。
『期限は、決めない』玲奈は続けた。『ただ、答えが出たら、全員に伝えて。一人だけ決めても、成立しないと思う』
『……各自、考える時間が要るな』と朔が言った。
『うん』
莉子だけが、画面の端で、俯いていた。
【数日後 小鳥遊莉子】
休日の昼下がり、莉子は航と、河原の公園を歩いていた。
「莉子、今日、あんまり食べなかったね」
「そう?」
「うん。いつもなら、おかわりするのに」
莉子は、笑ってごまかした。航は、少しだけ、足を止めた。
「何か、隠してる?」
莉子は、息を止めた。航の目は、まっすぐだった。心配しているだけの目だった。
「……うん」
「そっか」
「でも、まだ、言えない」
「分かった」
航は、すぐに頷いた。
「待つよ。……いや、違うな。待つって言うと、重いか」
「ううん」莉子は首を振った。「嬉しい。でも、待たなくていいって、言いたくなくて」
「……莉子」
「ごめんね。ちゃんと、考えるから」
航は、莉子の手を、そっと握った。あたたかかった。一瞬だけ、その力が強くなった。待つと言った人の、指だった。莉子は、その手を握り返した。それだけで、胸のどこかが、きしんだ。
こんなにも、日本を好きなのに。
【その夜 神崎伊織】
伊織は、悲鳴を飲み込んで、跳ね起きた。
暗い部屋。汗で張りついたシャツ。呼吸が、浅い。
夢の中で、何かが追いかけてきていた。大きな影。血の匂い。仲間の名前を叫んでいた気がする。
伊織は、枕元のスマホを掴んだ。指が、勝手に、ひとつの名前を押していた。
『……もしもし』
朔の声が、眠そうに答えた。
「……起きてる?」
『ああ』
「……何でもない」
伊織は、膝を抱えた。喉の奥が、熱かった。
「声、聞きたかっただけ」
『そうか』
朔は、それ以上、何も訊かなかった。通話を切らずに、受話器の向こうで、静かに息をしていた。
「……ありがと」
『ああ』
伊織は、小さく目を閉じた。怖かった、という言葉が、喉まで上がってきて、また下りていった。
【数日後 朝倉朔の部屋】
「肉じゃが、作ってきたよ」
澪が、タッパーを提げて玄関に立っていた。朔は、ドアを押さえたまま、少しだけ迷った。
「……上がるか」
「ううん。ここでいい」
澪は、玄関のたたきから、一歩も上がらなかった。
「日本だと、ダメだよね。こういうの」
「……ああ」
「だから、ここまで」
澪は、微笑んだ。ほんの少しだけ、無理のある笑い方だった。それが、彼女なりの線引きだと分かった。自分に言い聞かせるための線でもあることも。
「他の二人とも、話したの。日本にいるあいだは、ちゃんと、線を引こうって」
「……そうか」
「でも、気持ちは、変わらないよ」
澪は、タッパーを差し出した。朔は、両手で受け取った。まだ、温かかった。
「ありがとう」
「うん。……また、ね」
澪が帰ったあと、朔はひとり、台所で肉じゃがを温めなおした。口に運ぶと、味が染みていた。
美咲のことを、ふと思い出した。それから、三人の顔が浮かんだ。
日本では、ダメだ。誰かを傷つけて、誰かを待たせて、結局、全員が苦しくなる。
ずっと、そうだったのかもしれない。
「……向こうなら」
言いかけて、朔は、箸を置いた。台所の窓の外に、夜の街の明かりが、静かに広がっていた。




