第五話:死の執行と罠
第五話:死の執行と罠
深夜二時。
病院の廊下は、死を待つ者たちの吐息のように重苦しい静寂に包まれていた。
ナースステーションでは、夜勤の看護師たちが慌ただしく動いている。
その中に、雅美の姿はない。
彼女は仮眠室で、根古との情事の余韻に浸りながら、左手の結婚指輪を愛おしそうになぞっていた。
夫との関係には不満はない。けれども刺激もない。そこに現れた根古という男。
一瞬で自分の退屈を満たしてくれる男だと思った。
遊び上手で後腐れのなさそうな男。ふふふ、もう少しだけ甘い蜜を貪って、また貞淑な妻に戻ろう。
明日は夫のためにビーフシチューを作ろう。そう思って、目を閉じた。
その隙を突いて、四人の影が音もなく病室へと滑り込んだ。
結衣、絢香、沙織、真央。
彼女たちの瞳には光がなく、手元のスマホから漏れる青白い光だけが、その無機質な表情を照らし出していた。
ベッドの上で、根古は深い眠りに落ちていた。先ほどの雅美との情事で心地よい疲労感に包まれていた。
足の痛みも、自分を狙う殺意も、微塵も感じていなかった。
彼の枕元には、あの中古スマホが鎮座していた。
その画面には、設定した覚えのない「浴室のタイルの模様」が映し出され、心拍数を確認するかのように、赤く点滅している。
「……始めるよ」
沙織が、他の三人に向けて囁いた。
彼女の手には、ナースステーションから密かに持ち出された、未開封の注射器と薬剤の瓶があった。
夜勤の看護婦の動きを熟知しているスマホが、
どこに何があるか、どのタイミングで監視が途切れるかを、正確に指示していたのだ。
絢香と真央が、根古の身体を上から押さえつける。
結衣は、点滴のチューブにある「ゴム管」を見つめた。
そこへ、沙織が迷いのない手つきで針を突き刺した。これも事前にスマホからレクチャーされていた。
透明な液体が、ゆっくりと、しかし確実に根古の血管へと流れ込んでいく。
致死量の塩化カリウム。それは、心臓を強制的に停止させる、静かな死の使いだった。
「……ん、ぐ……っ」
急激な心臓の圧迫感に、根古が目をカッと見開いた。
目の前には、自分が「玩具」と呼び、踏みにじった四人の女たちの顔があった。どの顔も無表情だった。
助けを求めようとした視線の先、サイドテーブルのスマホがふっと灯った。
画面には、スマホの元の持ち主の女性が最期に見た、あの「奥さんのインスタ写真」が映し出されていた。
そして、その写真が歪み、ドロドロと溶け落ち、画面には、最後の一行がゆっくりと刻まれた。
『オヤスミナサイ、パパ』
「あ……が……」
根古の視界が真っ暗に染まる。
最後に耳に残ったのは、女たちのすすり泣きでも、勝利の笑い声でもなかった。
ただ、遠くで聞こえる「パパー、オフロよー」という、子供の声だった。
幻聴だったのだろうか?
根古の心臓が止まったのを確認すると、
女たちは手際よく、使った道具を雅美の私物カバンや、彼女のデスクの奥へと隠した。
すべては、スマホの指示通りに。
彼女たちの指紋は、スマホが教えてくれた「最も怪しまれない方法」で拭い去られた。
明け方近く、巡回に訪れた雅美が、冷たくなった根古を発見し、絶叫を上げる。
駆けつけた医師が蘇生を試みるが、すべては遅すぎた。
そして、根古の点滴から異常な数値の薬剤が検出されたとき、
すべての疑いの目は、その薬を扱える立場にあり、被害者と不適切な関係にあった「既婚の看護師」──雅美へと向けられた。
病室の窓の外では、朝日が昇り始めていた。
警察に囲まれて病院の玄関から出てくる雅美が、パトカーに乗せられるのを、四人の女たちは遠くから、無表情で見つめていた。
彼女たちのスマホに、新たな通知が届いた。
『アリガトウ。コレデ、アノオンナモ、ワタシタチトオナジ。ナニモカモ、ナクナッタ』




