第四十話 決着
「グオオォォォン!」
血をしぶかせながら、爪を振るう巨大なモンスター、マレブランケ。
目の前で跳ね回る、まるで比べるのも馬鹿らしくなるくらい小粒な生物目掛け、床を削り取る勢いで巨腕を振るう。
しかし、その軌道を知っていたかのように。
その生物は軽く上体を逸らし、後ろに一歩引いただけで避けてしまう。
「おっ、らあぁぁ!」
そして、甲殻類のような殻を纏った細い腕で、空ぶった巨獣の太い腕を殴りつける。
それだけで、手榴弾が間近で爆発した時以上の、集束された破壊のエネルギーが、マレブランケの身体に叩き込まれた。
「ギャォォン!」
城門をこじ開ける丸太の一撃のような爆発力に、マレブランケの腕が、肩の関節を外す勢いで、跳ね上げられる。
もはやマレブランケの両腕は、綜たちが出会った頃の、威風堂々とした鎧武者のような見栄えなど見る影もなく。
腕を覆う外骨格は、所々が破壊され、欠損し。
無事な部分にも、放射状にヒビが入ったひどい有り様だった。
「グウルルルルゥ、オオオッ!!」
腕からの痛みが神経を刺激し、逆上したマレブランケはさらに勢いよく腕を振るう。
「よっ……と! ならぁっ!!」
「ギィィ! ォォ……ォオオオオオン!!」
その大振りな一撃を躱しながら、カウンターの拳撃を当てていく。
それが綜の戦法だった。
いまだ、綜が被弾することは無く。
虎と鼠のような対戦でありながら、優位に立っているのは明らかに鼠の方という。
一見するとおかしな構図が、そこには生まれていた。
このままのペースで行けば、綜が勝利する確率も一見、高くなるようにもみえる。
しかし――
(じり貧のままじゃ、いつ終わるのか……クソ! さっさと頭の一つでも下げてくれりゃ、すっきり眠れるように、こめかみにブチ込んでやれるのに!)
綜の視界は、常にレッドゾーンの危険警報のまま。
マレブランケの一撃一撃は、まるで綜の命を削り取るために放たれた、戦車の砲弾に等しい攻撃だった。
死線でダンスを踊るには予想以上のスタミナと精神力を使う。
実際の所、綜がギリギリで避けているのは。
単に、そういう風にしか避ける余力が無いからだった。
それでも、後退せずに攻撃し続けるのは――
(前に進むしか! 助ける術が無いんだろうがよ!!)
ヴィーの命の蝋燭の火がどれだけ保つのか、それは綜には分からない。
ここで退いてしまった後で、『間に合いませんでした』、なんて結果が出たら、綜は自身の頭をその拳で吹き飛ばしてなお、あの世で土下座をするだろう。
ゆえに退けない、さらに焦燥は募る。
綜もまた、別の意味で追い込まれる立場に居た。
「しまっ――!」
膝がわずかに震え、瞬間的に挙動が遅れた。
それが致命的な隙になると、綜の直感が囁く。
「ぐっう……! ああぁぁぁぁ!」
迫るマレブランケの剛腕から逃れるように、思い切り背筋を逸らせ回避を試みる。
勢いのついた反動で、身体を宙に浮かせ。
なんとか、皮の差一枚で直撃は避けたものの。
叩きつけられる突風と、マレブランケに破壊された床面の、無数の破片が綜を襲った。
「がはぁぁっ!! くぁっ! く……躱したはずなのに、ヤロウ……っ!」
咄嗟に両腕のオーダーでガードしたものの、それでも身体のあちこちに被弾した破片の勢いに押され、事故を起こした航空機のように、滑るように数メートル後方に投げ出される綜。
無様に転がった先で見つけた物。
それは由宇が残した、見慣れたあの水色のスポーツバッグだった。
「これは、由宇の――!」
「グッ、オオォォォォォ!」
地べたに這いつくばったままの綜の姿に、勝機を見出したのか。
もはや余裕を見せることもなく。
確実に息の根を止めるために、四肢を振り上げ迫るマレブランケ。
「っ、追い打ちかよ! だけどこの中に……!」
目の前のスポーツバッグを手繰り寄せ、中に手を突っ込むと。
綜が期待した通りに、底の方でパイナップル状の塊。手榴弾が転がっていた。
「ははっ! いいぞ! こいつを喰らえば、デカブツも――おっ?」
勢いよく引っ張り出した手榴弾を掲げ。
咆哮を放つ巨獣の口内へと放り込んでやろうと、綜が勇んで振り向く。
すると……
「なん、だよ! テメッ、なんで口を閉じてんだっ! さっきみたいに吼えろよ!」
おそらく、手榴弾に傷つけられたことを、身に染みて覚えていたのだろう。
綜が手榴弾を掲げるのを目にした途端。
マレブランケは吠えるのを即座に止め、固く口を閉じた。
そして座したままの綜へと、風を切るように腕を振り下ろす。
この距離で爆発させては単なる自爆だ。
確立的にも、質量的にも、マレブランケに傷を負わせるよりは、綜が吹き飛ぶ方が可能性は高いだろう。
「学習するような、知的なナリじゃねぇだろうがよぉ! ――が、っはぁぁ!」
すかさず床を転がり回避する。
それでも振り下ろされた攻撃の余波を喰らい、再び綜の身体が勢いよく宙を舞うと。
その際に手に持っていた手榴弾も、綜の掌から離れて転がってしまう。
「グルゥッ!」
手榴弾が離れたことで安心したのか。
うつ伏せで動かなくなった綜へと、確実なトドメを刺すために。
その大きな口腔を目いっぱい開けると、牙をむき出して迫るマレブランケ。
「ガャァアアアァァァァ!」
「ざけんな、あぁぁっ! が、っはぁ……!」
マレブランケは、目の前に突き出された左手ごと食らいつき、綜の上半身を噛み砕こうとするが、何かがつっかえ、口を閉じることができない。
「ッガ? グ、ガァァ!」
「耳元でうっせぇ……ったく、肘まで装甲があって、なんとか助かったぜ」
左腕を巨大な口に突っ込んだまま。
綜は右掌で上顎から伸びる一際長い牙を、がっしりと掴み込むと、右手腕の肘部分で下顎を押さえていた。
右腕をつっかえ棒の要領で、口が閉じられるのを阻害していたものの。
マレブランケはパワーで潰そうとするつもりなのか、ギシギシと右腕が撓み始める。
「そう……暴れんなって! てめえには……二度と、口を閉じさせねえよ!」
口に突っ込んでいた左腕の手甲部分がスライドし、霊力を勢いよく噴出する。
すると、籠もった低重音を響かせながら。
白銀の光と共に、霊力で出来た装甲を分離、飛散させ、爆裂させる。
【槍の男】が使ったオーダーの霊力爆破――それを、マレブランケの口内で使用した。
「ギュガッア! ギィ、グァオオォォォォン!」
「っ、ぐっはぁ!」
口の中をズタズタにされ、ホール全体に悲痛な叫びを響かせるマレブランケ。
そして自身が起こした霊力の爆風に吹き飛ばされる綜。
身体を捻り、意図的に転がった先にあったものは――
「よし! っと、これで……最後だ!」
後方に落ちていた手榴弾を、転がりざまに掴み取り、ピンを抜く。
半回転すると共に折り曲げた膝に力を籠めると。
そのままの姿勢から、オーバースローの投擲で一気に力を解放した。
濃緑色の手榴弾が矢のような勢いで。
悲鳴を上げていたマレブランケの口を通り過ぎ、喉の奥へと突き刺さった。
「ッグ、……ッハガ! カッハゴッ!」
喉を通る手榴弾を、自身の極太の筋肉で気道を塞ぎ。
手榴弾を呑み込むのを、なんとか防ぐマレブランケ。
このまま吐き出そう。
そう獣の脳が考えた時――鼻の先にソイツが居るのを、見た。
「そいつは、俺の友人からの……異世界の土産だ! しっかりと、味わいな!!」
投擲と同時に、綜は全身のバネを振り絞り、宙へと跳ねていた。
そしてマレブランケの眼前へと躍り出ると。
残された右腕のオーダーに体中の霊力を集束させ。
振り下ろす勢いのままに、直下の目標目掛け――解放した。
「ギィ、ピィィッ!」
マレブランケの鼻面にめり込んだ拳と共に、炸裂する霊力の白銀光。
それは巨獣を地に叩き伏せ、床に縫い付ける、生命を穿つ光の槍となった。
「グギャァァァ……アァァ……ァ……! バガッ!!」
数瞬の後。
手榴弾による内側からの爆発によって、マレブランケの頭部は弾け飛んだ。
そして空中で拳を叩き込んだ綜の身体は、爆風を受けさらに跳ねる。
ゆっくりと落下するその状態で、綜は周りの景色がスローモーションのように流れるのを感じていた。
「……っ、はぁ……これでやっと、終わった……か」
中空に飛び散る、マレブランケであったものの肉片が視界に入る。
平和な日本では考えもしなかった、差し引きゼロの、命の奪い合いだった。
「…………ひどいもんだな」
なぜ、最後のゲートに門番が居るのか。
その仕組みを――漠然と、綜は理解していた。
圧倒的な存在感を示していた、巨大な生命力のカタマリ――モンスター。
それを奪い、食らい尽くすことができた、力あるモノだけが、この世界では生きることを許されるのだろう。
だがそれは――
「これでも、ヒト……なのかねぇ」
自嘲する様にポツリと呟いた綜の身体が、床へと落ちた。
◆ ◆ ◆
パチリと目蓋を開く。
すっと上体を起こすと、大きく翠色のつぶらな瞳で、キョロキョロと辺りを見回した。
「これはまた、ヒドイ有り様だぞ」
綺麗に敷き詰められていた床石は、所々が大きく陥没し。
粉々に粉砕された破片を、周囲に無造作にまき散らしていた。
きっと凄まじい戦闘がここで起こっていたのだろう。
その情景が目に浮かぶような、凄惨な光景だった。
しかし、それでも自身が眠っていた場所にまでは、被害が一切及んでいない。
これは、意図的に避けたのだろう。
そのことに思い至り、そっと吐息を漏らすヴィー。
「無理しすぎだぞ……あのバカ」
ヴィーはそうぼやくものの、唇が緩むのを抑えられなかった。
全身を漲らせる、補充されたばかりの破格な霊力量が。
ポジティブな結果が出たことを、すでに教えてくれている。
だが、そんなモノは、今のヴィーの喜びに比べれば、所詮オマケに過ぎない。
この身を震わす歓喜は、【彼】が自分のために闘ってくれたのを、知っているからだ。
「よっ、と」
身体は今までの不遇が信じられないくらいに軽く、すこぶる快調だった。
重さをまったく感じさせず、羽毛のようにふわりと浮くと。
首を巡らし、目標を探す。
「……いた!」
ひと際激しい、爆撃痕が残る、瓦礫の欠片の中央。
そこに目的の【彼】が、ボロボロに煤けた総身を、大きな破片の壁にもたれかけさせたまま、眠るように座り込んでいた。
「綜ーっ!」
溢れだす霊力、輝く桃色の燐光を宙に振り撒きながら、宙を駆けていくヴィー。
そのよく通るソプラノの声音に気付いたのか。
【彼】――柳ヶ瀬綜は、よろよろと右腕を掲げると。
乾いた血糊をパラパラと落としながら、唇の端を不器用に吊り上げ、笑った。
「……いよぉ、目覚めの気分はどうだい、お姫様」
「綜! ……っと!」
勢いのまま綜の眼前へと飛び込むと、ぶつかる寸前で急制動をかけ寸前で停止し。
ヴィーは、ゆるやかに自身の胸元で手を組むと。
「起きるのもずいぶんと遅かった――って、オイ!?」
綜の頬へと――キスをした。
「ふふっ、お約束の……眠り姫からの目覚めのキッスだぞ」
「……いや……約束って、はあ……大体なぁ……キスするのは眠り姫じゃねーよ!」
「うん? だったら別に、アタシは綜からでもかまわないんだぞ?」
「へ? あ~まぁ、それはほら……俺、日本人だし、そういう習慣持ってないから、ね」
「ふん、ヘタレが。だから彼女もできなかったんだぞ!」
「やかましいわ!」
際限なく繰り返される、気心の知れた軽口の応酬。
こんなやり取りを再びやり合いたくて、戦い抜いてきたのだと。
今の綜なら、胸を張って答えることができるのだろう。
いつしか言葉も出し尽くし、訪れる静寂と共に、互いの視線が重なり合う。
「……おかえり、ヴィー」
優しく微笑む綜の、ダークブラウンの瞳に映る顔は、これ以上ないくらいの笑顔で――
「ただいまだぞ! 綜っ!」
その温かい温もりへと、歓喜に羽根を震わせ、ヴィーは――飛び込んだ。
◆ ◆ ◆




