第三十八話 逆行転生
「っ、綜! 避けてっ!」
「!」
思いも掛けぬ由宇の返答に硬直する綜は、ヴィーの警告に反応が遅れた。
腹部を、固く冷たい塊が通過する。
「ぐぅっ! ごぉぁぁ!!」
その背から特大の爪を生やしたまま。
綜の身体が地上四メートル強の高さにまで、マレブランケに吊り上げられると、そのまま背後の宙空へと放り投げられる。
高所から石造りの床面へと叩きつけられた綜の身体。
背中をひどく打ち付け。
そのままビクビクと身震いすると、じわりと血だまりの池を作りだしていく。
「いやあぁぁぁ! 綜ーっ!」
喉を振り絞るようなヴィーの叫びが、綜の耳を打つ。
それは遠雷のように鮮烈な音で。
ダメージで意識を手放しそうになっていた綜にとって、気付けのパンチとなった。
「ぐぶっ! が、はっ……ぁぁぁぁ」
意識は取りとめ、もはや震える動きしかできない四肢に力を籠め。
生きる意志を示す瀕死の獣のように、床にガリガリと爪を立てる。
だが、即死はなんとか免れたものの。
失血の具合から見ても、このままではいずれ、柳ヶ瀬綜に【死】が訪れるのも、時間の問題だということは、ヴィーにもすぐに分かった。
「く、まだだぞ綜! こんなところで! こんな結末、認めるワケには……!」
バスケットケースから勢いに任せて飛び出したものの、飛べぬ身体は床に落ち、匍匐前進のように這いずりながら、それでも綜の下へと近づこうと足掻くヴィー。
「グルルル……」
もはや、綜たちに反撃するだけの力が無いということを理解しているのだろう。
離れた位置に落ちた綜に、マレブランケが追い打ちをかけることも無かった。
門番はその背に、最後の解放口を背負っている。
故に所定の位置から離れられないように呪的制約を受けているが、それは逆に 門番を倒さねば、解放口を開ける魔法陣も機能しないということであり。
いわばこのホール自体が、門番の巣のようなものであった。
巣の中の獲物は無力化した――マレブランケはそう確信し、余裕を見せていた。
「はあ……やっぱりアイツにリベンジは無理だったか。まあ……本命の目的は他にあるから別にいいんだけどね、それに今回はキズをつけることはできたし、一矢報いたということで良しとするかな」
吐息と共にそう吐き出す由宇。
その態度は巨獣を前にしても何ら臆するところは無い。
今までの由宇の姿とはかけ離れた、異様な有り様だった。
「……由宇? お前、本当に……何者なの?」
ヴィーの戸惑いを含んだ呟きを聞き、そちらへと振り返る由宇。
二人の視線が交差する。
瞳の奥底に虚無を宿したような、その感覚にヴィーは既視感を感じた。
ヴィーが、その短い活動期間で出会った人々。
その中から、この由宇とデジャブを感じるのは――
「お前……【マガイ】と、同じ」
「へぇ、よく気づいたね、そうさ――」
口の端を吊り上げると、皮肉気な笑みを浮かべる由宇。
「【俺】は東雲由宇じゃない――【柳ヶ瀬、綜】――それが、本当の【俺】の名だ」
ずっと喉の奥に詰まったままで、外に出すことができなかった魚の骨が取れたように。
どこかすッキリとした顔で、そう言い切る東雲由宇――自称、柳ヶ瀬綜。
「っは、なに……言ってんだ、由宇……そりゃぁ……俺の、名前だろ」
今にも途切れそうな意識を必死に繋ぎとめ。
血を吐きながらも苦しげに言葉を紡ぐ綜。
それに応えるように綜の方へと向き直ると。
改めて挨拶を返す、東雲由宇。
「こう言えば分かるか? 真桜とマガイのように、俺は過去のお前であり、かつて【東雲由宇】のパートナーだった男――第四十六期・柳ヶ瀬綜なんだよ」
「っ! まさか……そん、な……お前が、俺?」
マガイがその昔、柳ヶ瀬真桜と呼ばれていたように。
目の前で東雲由宇と名乗る親友も、かつては柳ヶ瀬綜として生きた者だという。
明かされた真実に、それでも信じられないと、血に濡れた身体をギシギシと揺らしながら凝視してくる綜に、ふわりと困ったような苦笑を浮かべる由宇。
その顔は、まぎれもなく綜たちが親しんだ、【東雲由宇】としての顔だった。
「ふう……とはいえ、やっぱり男言葉は疲れるね。ずっと……十年もの間、この口調だったからさ、すっかり染みついちゃったよ。ボクっ娘キャラ」
「おい、キャラって……なんだよ、それ」
気の抜けた由宇の言葉に、思わず顔をしかめる綜。
いまだに血を流し続ける、瀕死の状態の綜に目をやると、心苦しそうに目を逸らす由宇。
「少し昔話をしてあげる、ちゃんと説明するよ……【手遅れ】にならないうちに、ね」
過去に想いを馳せ、目元から零れそうな涙を塞き止めるように、高い天井を仰ぎ見る。
その物悲しそうな由宇の姿に、綜とヴィーも口を挟むことはできなかった。
◆ ◆ ◆
かつての、第四十六期における、志麻霧市の異世界転移の際。
当時の『柳ヶ瀬綜』は、恋人である『東雲由宇』と共にこの迷宮に挑み。
ヴィーのデータに記されている通り、過去の『柳ヶ瀬綜』たち同様に――敗北した。
第四十六期でマレブランケに挑んだ、一組のカップル。
その戦いで『柳ヶ瀬綜』は死亡し。
かろうじて生き延びていた『東雲由宇』は、そこで己のスキームを発動した。
『東雲由宇』の共通個体スキームは『身魂治癒』――その身を削り、相手を治癒する。
だが、癒しの術とはいえ、そのスキームは死者まで生き返らせるほどに、万能ではない。
それでも彼女は願った――己の恋人の生存を、『東雲由宇』の魂の全てを対価として――しかし『柳ヶ瀬綜』の肉体は、すでにマレブランケによって破壊し尽くされ死を迎えており、たとえその身に再び魂が宿ったとしても、肉体の【死】からは逃れられそうにない状態だった。
それでも彼女は願う、願う、願う、願う。
ただひたすらに、奇跡を信じ、贄に己の身魂を使い、条理を覆そうと、魂の一滴までもその祈りに捧げ。
そして――歪な奇蹟は、発動した。
◆ ◆ ◆
「気が付いた時には……ボクは、小学生の『東雲由宇』になってたんだよ」
「なっ?」
由宇の独白に理解が追い付かず、思わず当惑の声が漏れる綜。
そんな綜を、目を細めて見つめる由宇。
「綜、ボクの恋人は、あの『東雲由宇』は……自分の魂で足りない分を、別次元の自分自身さえも対価に上乗せして、ボクの魂を救おうとしたんだ。あの時のボクの身体はすでに死を迎えていた、だから代わりの器として、別の世界の自分の肉体……キミの世界の、『東雲由宇』を使ってね」
「おれ、の……世界の?」
由宇はすまなそうに口を濁すと、自嘲の笑みが濃くなる。
「【柳ヶ瀬綜】が、由宇を……殺した。その結果キミから……『東雲由宇』を奪うことになってしまったんだよ」
どちらの『東雲由宇』に対する悔恨なのか、もしくはどちらでもあったのか。
いずれにしても、目の前の由宇が、深い後悔に苛まれているのは間違いなかった。
「……どうしてそんな詳しく、『柳ヶ瀬綜』が死んだ後の話とか、知っているの?」
その辛そうな姿を見かねたのか、それとも綜の容体が気になるのか、話を促すようにヴィーが問い掛ける。
「キミは、『東雲由宇』のスキームは知っているんだろう? その身と魂を削り治癒するスキーム。あの時……柳ヶ瀬綜を癒す時、彼女の心が流れ込んできたんだ。そして知ったんだよ、どれだけ自分が愛されていたのかを」
「そんな……不条理なこと」
「データだけじゃ、解らないことだってあるんだよ、ヴィー・クー」
幼い子供を諭すように、優しげな口調でヴィーへと語りかける由宇。
「この身体に入り込んだことで、さすがにパニックを起こしたよ。当時は、パパやママにもずいぶん心配かけちゃったしね。それでも……どこかホッとしていたのかもしれない、ボク以外の『柳ヶ瀬綜』に、東雲由宇が惹かれるのは、見たくなかったからね」
その【男】に該当するのは、おそらく自分のことだろう――と。
綜は理不尽だな、と思いつつも。
それだけ目の前の由宇が、『東雲由宇』のことを、愛していたのだろうと、納得もしていた。
その想いの強さが、少しだけ羨ましいと、そう思いながら。
「そして、ボクは過去の世界で、『東雲由宇』として、生き続けることになった」
寂しそうに吐露した由宇の横顔が、マガイのそれと重なっていく。
「新しい世界でまず、ボクは行動指針を練った。いつか訪れる街の転移に備え、この世界の『東雲由宇』ができないこと――この世界での『柳ヶ瀬綜』を守る――そのために、本来は高校で行う転校を前倒しし、志麻桐市へ拠点を移し、綜……キミと友達になったんだ」
「ぐっ……!」
出会いから全て、由宇の計算で仕組まれていたという事実に、綜の表情が苦く歪む。
「元々ボクも『柳ヶ瀬綜』だからね。共通の話題や趣味嗜好、親しくなるのに時間はかからなかっただろ? その上で入念に準備をしてきたんだ。東雲家は資産家で、かなり融通は利くし。もっとも、パパたちにまで負担をかけたのは申し訳なかったけど」
その時の苦労を思い出したのだろう。
苦笑交じりの由宇の顔に、わずかに影が落ちた。
「そして、このバークウェアに戻ってからは、知ってのとおりだよ。ボクがこの『北東のマレブランケ』に再度挑んだのも、その一環……まぁ、こっちはオマケのようなものだからさ、結果はどうでも良かったんだけど、ゴメンね、無茶に付き合わせちゃって」
離れた場所に居る綜とヴィーの二人へと、それぞれに頭を下げる由宇。
「待って……ちょっと待つんだぞ由宇。お前の言ってることはおかしいぞ! それならなぜ? 綜を守ると言っておきながら、どうしてわざわざこんな危険なゲートへ!?」
懐疑的な表情を浮かべたまま、最大の疑問点をぶつけるヴィー。
その問いかけに、由宇は一瞬だけバツが悪そうにするものの。
すぐに、透き通るような綺麗な微笑を浮かべる由宇。
「ふふふ、そう……それはね、ヴィー・クー! ボクの本当の願いが! 東雲由宇』として、『柳ヶ瀬綜』を癒して――死ぬことだからだよ!」
時が止まった――そう錯覚させるほどの異質な空気。
マレブランケの咆哮すら、今は耳に遠く。
心臓すら止まるようなショックを受けたにも関わらず。
普段と変わらぬ笑顔で佇む由宇を、ただ見つめることしか綜にはできない。
「く、はっ……なにを? 言って、る……?」
「ふふ、ようはマガイと同じってことだよ綜、これは自己犠牲なんて尊いものじゃない。もっと我がままで、自分勝手な想いっていうやつさ」
満足げに薄く笑うと、由宇は傷で動けぬ綜へと、ゆっくりとした歩みで近づいてくる。
一歩踏みしめるごとに、由宇の全身から霊力が放出され。
高く、立ち昇っていく様が見て取れた。
それは、身体全体を包み込む半透明の膜のように、淡い白銀色の燐光だった。
「まさか……『身魂治癒』を綜に? でも、それは『東雲由宇』固有のスキームのハズなんだぞ! あなたの魂は……柳ヶ瀬綜のハズじゃ!?」
「精神は肉体に依存する。彼女の記憶と、魂の欠片を受け継ぎ……十年、東雲由宇として生きてきたんだ。今のボクは『柳ヶ瀬綜』でもあり『東雲由宇』でもあるんだよ、これも経験ってやつさ……ヴィー・クー」
歩みを進めるたびに、楔から解き放たれたように、由宇の笑みが深まっていく。
それはハッとするほどに綺麗で、儚くも美しい。
とても女性らしい微笑みだった。
「さあ、綜。ようやく待ち望んだ時が来たんだ、最後に……キミの傷を癒してあげるよ」
横たわる綜の傍らに静かに膝をつくと、頭上に掲げた由宇の両の掌がスパークする。
パチパチと、目の前で線香花火のように弾ける白銀の霊力。
それを、重体で動かぬ身体のまま見上げ、凝視することしか、今の綜に残された術は無かった。
「ふざけ、んな……全部……嘘だって、言うのかよ? 俺の、親友って……ことも」
「…………嘘じゃないさ、綜……ボクは、東雲由宇は……間違いなく君の親友だった、そのことは断言できる。でもね……それ以上にボクには、大切なものがあっただけなんだよ」
「くっ、そ……分かんねえ、よ」
「だろうね、『柳ヶ瀬綜』の中でも、キミだけは理解できない……それは悲しいことでもあるし、それがボクとキミとの違いなんだ」
顔をしかめたままの綜を、どこか哀しげに見下ろしながら、腕を掲げる由宇。
「よ、せ……それを使った、ら……お前、は!」
「だからワガママなんだよ、綜。キミが傷つくのを分かっていながら、ボクはこのゲートでの戦いに誘導した、そして癒す。全ては……貫きたい想いが、ボクにはあったからなんだ」
――ずっと、【彼女】が自分のために死んだのを、悔やんで生きてきた。
だからこれは救済――『東雲由宇』が救いたかった魂を、『柳ヶ瀬綜』の救われた魂を還元することで、全てを癒す儀式。
ゆえにこれは離別――柳ヶ瀬綜の友として生きてきた東雲由宇が、『東雲由宇』に逢いに行くための、約束の通過儀礼。
「そして、綜! キミに、この世界を生き抜くための、力を――!!」
膨張する発光現象、炸裂する白銀の閃光。
その光の洪水の奔流に、赤い血に染まった綜の身体が包み込まれていくのを、ヴィーは目を細めて見つめていた。
「この光……! これが、東雲由宇のスキーム!」
綜の全身に注がれた霊力の激流が、幾重にも枝分かれする支流のように全身を駆け巡り、一瞬で細胞を活性化、再生すると、貫通した腹の傷穴さえ一呼吸で塞いでしまう。
さらに霊力の流れは勢いを増し。
弱く灯っていた綜の魂に揮発油のように注がれ、爆発させる。
その体内を駆け巡るエネルギーにより、心臓はどくどくと早鐘を打ち、失血した量を上回る勢いで血液を生成すると、開放したダムのように血液を全身に放流していく。
膨れ上がった血管が、筋肉が、その生命力が――綜をこの世界に繋ぎとめる。
「がっ、はぁぁぁ!!」
「ぐっ……ううぅ……」
そして、綜を癒したのとは対照的に。
由宇の全身からは、霊力が抜け落ち。
雪が陽光に照らされて、静かに溶けるように。
細胞の一つ一つがその内包エネルギーを使い果たし、崩れ、溶けて、消えていくのを、由宇は知覚していた。
(この感覚……この先に、キミは居るのかな?)
白銀の光を纏い、咲いた、その霊力の大輪の花は、ホール内をその光の飛沫で灯した後に、ゆっくりと花弁を散らしながら、静かに中空へと溶けて、消えて行った。
「由宇っ! こっの……バカヤローッ!!」
生気にあふれる怒声と共に、跳ね上がる綜の身体。
その目の前では、蛍の光のように霊力の残滓だけを残し。
跪いたまま由宇の身体だけが、まるで空気に溶けるように透けて見え、背後の空間を映し出していた。
「綜、無事で――! あ……あぁっ、由宇の身体が!」
ヴィーの歓喜と嘆きの背反する叫びが、ホール内に響く。
「くっそ! どいつもこいつも、勝手ばかりしやがって!」
蹲る由宇の傍らで立ち尽くす綜の姿は、ほんの数瞬前までとはまるで逆の構図であり。
それは、綜の視界で真っ赤に染まったこの由宇が。
もはや助からないという、事実の象徴でもあった。
「っ……本当に、バカヤロウが……!」
たとえ大逆転の隠し玉が今すぐに見つかって、目の前の由宇に救う手だてを差し伸べたとしても、きっとこの友人は、笑ってその手を払うのだろう。
そう理解できることが、今の綜にとってはひどく胸が傷む事実だった。
「ったく、満足そうな顔をしやがって……マガイもお前も、勝手に救って、押しつけて。挙句の果てに、お前らが見てるのは俺じゃない、別の誰かじゃねえかよ……それってなあ、ちょっとばかりキツイぜ……由宇」
「……ふふ、恋は盲目ってね……それでも綜には、少しは分かるんじゃない、かな」
「は? こちとらイナイ歴十六年だよ、ちくしょーが。お前らとは違って、な」
最後に湿っぽい話をするのは、お互いに柄じゃないのは、よく分かっていた。
だから綜と由宇は軽口をたたく。
たとえそれが最後の時まで続くのだとしても。
「……そうかな、此処に来たのが、そもそも無茶な話だよ……その、理由は?」
「え、そりゃあ――」
解錠都市に来た理由に思い当たり。
反射的に綜が振り返ると 少し離れたところからこちらを心配げに見詰めている、ヴィーと目が合った。
不思議そうに首を傾げるその姿を見て。
由宇の言葉を意識して、熱くなる頬をあわてて抑える綜。
「いやいや! 別にコレはそんなんじゃねーから! ただの人助けだっての!」
「……ふふ、きっかけなんてそんなものだよ、綜……がんばって……」
最後の由宇の激励の言葉はかすれ、振り絞るような音声で聞こえてきた。
それはつまり、この会話にも終わりが来たということだった。
「ああ、お前の分まで、な」
たわいもない言葉の応酬は、放課後の帰り道で繰り広げる談笑のようで。
名残惜しげにそれは、最後の分かれ道まで続いていく。
「……うん、それじゃあ……ずいぶん待たせちゃったから、そろそろいく……ね」
「っ! あ……ああ、それじゃあ……また、な」
「……うん、いつか……また……」
ひらりと挨拶する様に軽く手を一回振ると、東雲由宇はその姿を――消した。
「……綜……」
最後には弾けるように、散り散りに拡散する光の粒子となり、空気に溶けていった東雲由宇。
それでも彼女の名残りを残すように、擦り切れた衣服だけが、その場に残されていた。
綜が項垂れている様子が視界に入ると、ヴィーの小さな胸は、ほろ苦く締め付けられる。
「綜、逃げるんだぞ!」
「! ヴィー、お前なにを?」
聞こえてきた切羽詰った甲高い叫びに、綜はハッと意識を切り替える。
「鬼門以外なら、綜ならきっと……どんなゲートでも突破できる! 由宇が残した武器だってまだあるぞ! アタシの代わりにヴィー・セツナとでも……あの会長や真桜ちゃんの回復を待ってでも良いんだぞ! そうすれば必ず……だから、戻って……綜」
「………………なんだよ、それ」
頭にカッと血が上り、視界が赤く染まる。
危険予知などではない――これは、ただの怒りだ。
(どうして俺の周りは、こういうヤツばっかりなんだ? なんで此処に来たと思う? そうだ、【お前】を助けるためだ。なのに、当の本人には逃げろって言われて、心配されてりゃ、俺はまるで道化じゃねえか)
「グウォォオオオオオオオ!!」
深い思考の渦にとらわれていた綜の意識が、マレブランケの咆哮を受け、浮上する。
その際に、由宇に注ぎ込まれた潤沢な霊力が、綜の全身から溢れだしそうにうねり出す。
「んん? まあ、そりゃあ……俺が不甲斐無いから……かなぁ、そうだよなぁ」
「えっ、そ……綜、なにを?」
――ああ、確かに無様を曝してる。
煉獄都市じゃ逃げただけで、妹は大けがを負った。
――こっちじゃ腹を裂かれて、親友すら失って。
助けたい奴には逃げろと言われる。
――確かにこれじゃあ、心配するなって方が、無理がある。
(それでも……俺が今やることはたった一つ、実にシンプルなことなんだよ)
「だからよぉ、デカブツ……イライラするから、吠えるのをやめろぉッ!」
――目の前のマレブランケを、ブッ倒す。




