第三十七話 マレブランケ
「――う……ん、ここ、は?」
空を舞うように飛んでいたことが嘘のように、すっかり重くなってしまった身体を、寝返りを打つように、もぞりと動かすヴィー。
寝起きの頭では、意識は未だにおぼろげなままだった。
「これは……毛布? ん、あれから綜たちは……?」
煉獄都市での健瑠の襲撃から逃走中に、意識が途切れたのは覚えている。
そして気が付けば、白い毛布の上に横たえられていた、自身の上体を起こす。
全身は水に浸かっていたかのように、重く感じるものの動作に支障は無い。
バスケットの縁に手を掛け、ぼやけた視界で辺りを見回す。
すると、パールホワイトカラーで塗り固められた。
真珠のような艶を持つ、幅広く広大な壁面が見えた。
「! ……なに、これ?」
ぐるりと周囲に目をやると。
ビルの五、六階分に相当する高い天井に、サッカー場が三個は余裕で入りそうな、大規模なホール空間が見渡せた。
その中央で繰り広げられるのは。
巨大な異形と舞踏のように跳ね回る人間との――戦闘。
「綜! それに由宇も!? 此処は……ココは! まさか――!!」
ここがどこかを認識し、ヴィーの意識が焦燥に駆られ一気にクリアーになる。
「解錠都市の、最終ゲート!」
驚愕したヴィーが目を凝らした先では。
巨大な存在感を見せつけるように、『北東のマレブランケ』が、大ホールを揺るがす重低音の咆哮をあげていた。
「グァオオォォォォン!!」
全長、およそ十メートル強。
その巨体は、バッファローのような重量感を持ち。
牛のような顔は、まるで闘牛のように獰猛な様相。
前傾姿勢を支える四肢は、虎のように太く。
全身をサイのような硬質化した、黒い鎧のような皮膚で覆われており。
ヘルメットのような外骨格を纏った頭部は、二対の長大な牙を覗かせながら吠えたてている。
その前足から鎌のように生やした凶悪な爪を、眼前で跳ね回る――まるで牛にじゃれる子犬のように矮小な存在――柳ヶ瀬綜に突き立てようと、空気を裂く勢いで、甲高い音を立てながら振り回していた。
「ギュッアァァア!」
「っと! ヴィー、起きたのか!」
ヴィーが起きたことに気付き、転がるように迫る爪を回避する綜。
起き上がり様、両手に持ったベレッタを発砲し応戦するも、その銃撃のことごとくが、巨大な頭部を覆う骨のプロテクターで跳ね返される。
「綜っ! なんでここに!? アタシが寝てる間に……一体何を!!」
「はっ、と! いよぉ、眠り姫! キスも無しで、よく起きれたな?」
ヴィーの傍まで駆け寄りながら、綜は額を流れる汗と共に軽口を飛ばす。
戦闘の火照りにあてられたのか、いつになく口調もハイテンションになっている。
「ひ、姫って、なにを言ってるんだぞ! ――って、そうじゃなくって! あれから何が? なぜ綜たちが、『北東のマレブランケ』と戦ってるんだぞ!」
綜の軽口に乗せられつつも、すぐに表情を引き締め、きつい口調で問いただすヴィー。
その本気の剣幕に、綜もさすがに冗談を言える雰囲気ではないと悟る。
「あいつ、『北東のマレブランケ』って名前なのか。いや、なんでって……ああっ、そういやマガイとの話は、ヴィーは聞いてなかったんだよな?」
「ヴィー、綜は君を助けるために、ココに来たんだよ」
「……は? アタシを助けるって……ちょっと由宇、どういうこと、それって?」
ハンドガンを持つ綜とは少し離れた場所から、M16アサルトライフルで、マレブランケを狙い撃つ由宇。
その銃弾は、綜が撃った時と同じく跳ね返されてはいるものの、ライフルの連射性を利用し、体表の一部分を集中して銃撃することで、さすがにマレブランケもその攻撃に危機感を抱いたのか、嫌がるように身体を振る素振りを見せる。
「綜! ボクが足止めしてる間に、彼女に説明して!」
「あ、ああ悪いな、頼む由宇!」
マレブランケの足元に銃撃を集弾することで、その巨体の進行を足止めする由宇。
「ギィ、ォォォォン!」
その間に、綜はヴィーへ今までに起こった事を説明する。
マガイと健瑠の死。
負傷した真桜を会長に預けたこと。
ヴィー・セツナに道案内されてここまで来たこと。
そして、ヴィーを助けるために――最初にゲートを抜ける決意をしたことを。
「そんな……アタシの霊力補給のためにこんな無茶を? そのために、門番と戦うことを決めたの!?」
信じられないとばかりに、茫然とするヴィー。
瞳は限界まで大きく見開かれ。
その頬は今までに綜が見たことも無いほどに、赤く染まっていた。
だが、その初々しい表情も――すぐにくしゃりと崩れ、消えていく。
「それ、は……そのアリガトウ。嬉しい、とってもウレシイぞ。けど……だからって! こんな危険な賭けをしなくても――」
口ごもりながらも、たどたどしく感謝を述べるヴィー。
それでも諫めようとするその言葉を遮るように、向こう側から由宇が注意を飛ばしてくる。
「二人とも! ちょっとキツイのを試すから、気を付けて!」
「キツイって、由宇……! なんだそれ! ちょっ、それってまさか、手榴弾かよ!」
ライフルの弾が尽きたと同時に、銃身を投げ捨て、素早く肩に下げていたバッグの底に手を突っ込む由宇。
そして二重底の隠しスペースを開くと、こぶし大の塊を取り出した。
綜はそれを、映画でしか見たことが無かったが。
パイナップル状で表面にでこぼこがある。
あまりにも有名なその武器が何かを、すぐに理解した。
「マジかよ!? くそ! そんなものどこに隠してたんだよ! ヴィー伏せろ!」
「えっ? え、えええっ!」
ヴィーが入ったバスケットを覆い隠すと、綜は由宇とマレブランケに背を向けたまま屈みこむ。
その際に、由宇がためらいもなく手榴弾のピンを抜き、投擲したのが見えた。
さすがに室内での使用を加味してか、殺傷力を高める金属片などは入っておらず。
その爆風も空気圧でかなり軽減されるため、離れていればさほどの危害も及ばないものの。
至近距離での威力は、いまさら推し計るのも馬鹿らしいほどの威力を誇る。
――爆風による有効攻撃範囲は、およそ数メートル。
個人携帯の武器としては、まぎれもなく凶悪な部類に入るその手榴弾の威力が、マレブランケの腹の下で炸裂した。
「ボッ、ゴォッ! グバァッバアァァァァ!」
緩いカーブを描いて床に落ちた塊に、何の警戒も払っていなかったため、マレブランケはその爆風の威力を余すことなく、その巨躯で受け止めることになった。
「……ゲホッ、ゴホッ、大丈夫かヴィー? ったく、無茶苦茶しやがって由宇のやつ」
「ケホ、まったく、正気じゃないぞあの娘……でもこれで、マレブランケもかなりのダメージを負ったはずだぞ」
マレブランケの呻きが静まっていくと共に、煙も次第に晴れてくる。
再びその巨体が姿を現した時。
前とは違った姿を、綜たちの前にさらすこととなった。
「やった、綜! アイツの左わき腹、ちょっとだけどヒビが入ってるぞ!」
「やったな由宇! ……おい? 由宇! ダメージを与えたからってボッとするな!」
ようやく目に見えた成果に、綜とヴィーの声が明るく響く。
だが、傷を刻んだ当の本人は、喜ぶ素振りを欠片も見せず、ただ立ち尽くしていた。
「…………はぁ、これでも……かすり傷程度なのか……」
綜たちには聞こえない声量で、気が抜けるようにボソリと呟いた由宇。
虚脱したように佇むその姿は、明らかに隙だらけで、見ているものの肝を冷やす。
「由宇? おい、なにやってんだ! またあのデカブツが動き出したぞ! チッ――」
「ちょ、ちょっと綜! なんでバカ正直に近づくの、危ないぞ!」
「ゴアァァァ!!」
幾ら呼びかけても由宇が動こうとしないため。
綜はマレブランケの気を引くために、戦線へ舞い戻ろうと駆けだす。
巨獣に正面から突っ込むその姿に、思わず声を荒げるヴィー。
「大丈夫、っと! 確かに、はじめは危なっかしいとこもあったけどな、避けるのは上手くなったんだ、コツを掴んだんだよ!」
ダンジョンでの戦闘を経て、綜が開眼した回避方法。
それはグールに追われていた時に見せた危機回避を、自身の身に限定したスキーム。
「俺でもやれるって、ところ……見せてやるよ!」
眼前にマレブランケの凶悪な爪が迫る。
一撃必死の緊張が総身を襲うと共に、脳内を駆け巡る神経伝達物質のドーパミンが作用し、体感速度はギアを上げ加速する。
全てがスローモーションな赤の世界で、綜の思考だけがその速度を増していく。
――右に避ける――視界は【濃い朱】――不可。
――左に避ける――視界は【赤】――条件付きで可。
――左に避け、バックステップ視界は【薄い赤】で現状維持――承認。
幾通りもの回避経路を、瞬時に脳内マップに構築し。
安全地帯へと素早く体重移動。
斜め上から繰り出され、目標を失ったマレブランケの巨爪の一撃が、一秒前に綜が居た空間を削り取る。
「ギイィオオオオ!!」
「よっと! ちっ、あれを喰らっても平気なのかよ? このっ、化け物が!」
床を穿っていくマレブランケの、その横っ腹へと銃弾を即座に叩き込む綜。
しかし巨体に比べ、あまりにも小さな弾丸は、ヒビの入ったその体表をわずかに削り取ることしかできない。
それはまるで象に針で攻撃するようなものであった。
だが、それでも綜が目を凝らすと、黒い体表の鎧の隙間から、赤黒い血が垂れているのが確認できた。
(出血はしてるんだ! そうさ、コイツも無敵ってわけじゃない。ヤツの攻撃を避け続けて、なんとかこちらの攻撃だけを当て続けていけば……)
それは気が遠くなるような途方もない作業。
しかも己の命のチップを賭けた持久戦。
「待ってろヴィー、コイツをブッ倒して、すぐに霊力補給とやらを受けさせてやるから」
それでも、綜の気力が萎えることは無かった。
グールに追われ生徒たちと別れた時。
ヴィーが消えてしまうと聞いた時。
マガイを残し健瑠の前から逃げた時。
傷を負った真桜を会長に託した時。
全てを救うことなんて傲慢だと、そう思い知らされた。
それでも、『救いたい』と想う綜の心が、芯まで折れることは無かった。
たとえ出口を見失ったとしても、未だ空っぽの手に、確かな証を手にするために。
だからこそ動く、目の前の敵を倒せばヴィーは助かる。
それは確実なのだからと、綜は今も、もがき続けている。
だが――手段そのものがが間違っていたことに、綜はまだ気づいていなかった。
「……そうじゃない……そうじゃないぞっ、綜! どうしてソイツを倒すのが目的になってるの? なんでここに来たの!」
「っ? ヴィー、一体なにを……」
危険を度外視した無謀な戦いを続ける綜に、たまらずヴィーの悲痛な叫びが届く。
「なぜ他のゲートじゃなくて、この『北東のマレブランケ』に挑むなんてことをしたの! 先を急ぐだけなら他の道もあったはずだぞ!! 綜、どうして!」
「え? どうしてって……だからそれは……北東が良いって、由宇が言ったから。え、別にかまわないんだろ? どこだって」
「どういう……こと?」
ヴィーは眠っていた間のことを、綜の説明から推測。
(なにこれ……ズレがあるぞ、綜の認識と行動が噛みあわない、なぜ? まさか、セツナがわざと誤情報を……?)
さらに考察し、改めて状況を整理する。
(確かにライバルを蹴落とすメリットはあるけど、それをあの会長が許すハズは……むしろ妹を預かってる時点で、会長の足止めは確実。更に綜たちに何かあったら、要らぬ恨みを買うデメリットまである……それなら逆に、セツナが此処のことを話さない方が変だぞ、でも……もしそこに、誰かの思惑が割り込んでいるとしたら?)
それぞれの要素を繋ぎ合わせる。
すると、ヴィーはそこから誰かが意図的に、重要な情報を綜に渡していないことが、はっきりと見えてきた。
繋がらない会話、今の状況を作り上げた人物、それは――
「――ここまで、かな」
不意に、それまで沈黙を保っていた由宇がポツリと呟くと、その相貌を崩す。
端正で健康的なその顔で、皮肉気に唇の端を吊り上げる。
――それは自嘲の笑みだった。
「由宇?」
いつも陽気で前向きだった友人が、今までに見せたことも無い。
憂いを帯びた表情を浮かべているのに気取られ、綜の動きも止まる。
「もう分かってるぞ……東雲由宇! お前がわざと、『北東のマレブランケ』と戦うように、この状況を仕組んだんだな!」
「は? なに言ってんだヴィー、仕組むも何も、戦わなきゃ外に出られないんだろ?」
「そうじゃない、そうじゃないんだぞ綜」
きょとんとした表情で、率直に問いかける綜。
そんな綜に、ヴィーは首を振ると自分の推論を話し出す。
「信じられないだろうけど……いえ、そもそも、初めからおかしかったんだぞ。銃や車を用意してる? お金持ちの令嬢だから? 違う……これはそんな言葉じゃ片づけられない。コイツは……東雲由宇は、最初から全部知っていて、この状況を作り上げたんだぞ!」
「お、おいちょっと待てってヴィー! いきなり何を、なんで由宇がそんな!?」
付き合いの長い友人をいきなり疑われ、戸惑いの表情を浮かべる綜。
だがヴィーはそんな綜を真摯な目で見詰め、自分の推測の論拠を述べていく。
「この門番は、またの名を『鬼門のマレブランケ』。歴代の『柳ヶ瀬綜』や幾多の移人が命を落とした……未だにゲートを解放させたことが無い、『開かずの門番』なんだぞ!」
「えっ? 『開かずの』って、此処が……業者の出入り口じゃなかったのか?」
「アタシが煉獄都市で手に入れたデータを、セツナが知らないわけがない。セツナが案内できたというのなら、此処のデータも当然持っていたはずなんだぞ! なのに綜は、このゲートが危険であることを知らされていない、それは……そういう風に誘導したヤツが居るから! そうでしょう――東雲由宇!!」
「なっ! バカ言って……由宇がなんで、そんな……知ってたハズ、ないって、なあ?」
ヴィーの剣幕に押されるように、思わず由宇の方へと顔を向ける綜。
縋るように息を呑み、自分を見つめてくる綜に。
由宇は普段通り、ニッコリと無邪気に微笑んだ。
「ああ……もちろんボクは――知ってたよ」




