第三十四話 変貌
「……うぅ……ん……ここ、は? あ、痛っ」
爆破騒ぎがあった煉獄都市の南の地区・【ハヤト】。
そこから数キロ離れた、南東に位置するエリア。
【ツクモ】の病院で――真桜は目覚めた。
「真桜! 大丈夫か!?」
「目が覚めたのね妹ちゃん、ああ起きなくていいわよ。無理に動くと、せっかく縫合した傷口がまた開いちゃうもの」
「神部……会長?」
視界に飛び込んでくるのは、天井も壁もクリーニングに出したシャツのように、さっぱりとした白色で塗り潰された室内の状景。
病室の窓から見える木々の間からは、夕刻の傾いた木漏れ日が射しこんでくる。
その陽光に照らされながら、真桜が眠るベッドの傍らでは、枕元から心配そうな綜が覗き込んでおり。
すこし間を開けた所で、由宇が壁に寄りかかりながらこちらを見ている。
そして、綜の隣に見知った人の姿。
簡易椅子に座った状態で、先日別れたばかりの神部亜理紗が、しゃんと背筋を伸ばした綺麗な姿勢で、真桜を見つめていた。
「……どうして、会長がここに? 兄さん?」
部屋に香る消毒液の匂い、全身に広がる鈍痛と、ベッドに横たわる自分自身。
記憶に残るのは不意の衝撃と、回る視界に、宙を舞う浮遊感。
そこで真桜の記憶は途切れていた。
「私、車に……轢かれた? ヴィーちゃんや……マガイさんは……どこ」
「っ……!」
「……」
「……妹ちゃん」
辺りを見回し、この場に居ない人物を呼ぶ真桜。
その何気ない呼びかけが、無情にも綜たちの心を抉る。
沈痛な表情を浮かべ、押し黙る綜たちの姿に、ケガの治療と疲労で意識朦朧としていた真桜の脳裏にも、焦燥感に似た感情が湧き出す。
「……ねぇ、兄さん……なんで、黙ってるの? あの二人は――」
「事の経緯は、ワタシの方から説明いたしましょうか、マスター」
「あ、ヴィーちゃん?」
不意に聞こえてきた、落ち着いた声。
ここ数日で耳慣れた、しかしいつもとは違うトーンの声。
その声の主は、亜理紗の影から浮遊しながら、真桜の目の前に現れた。
「いいえ、違いますよ、真桜さま。ワタシの名前は『ヴィー・セツナ』。貴女のおっしゃるヴィーとは同系統の【ヴィー】ではありますが、貴女の探しておられる個体とは別の、神部亜理紗さま――マスターにお仕えする個体の【ヴィー】でございます」
「は……え? あ、ヴィーちゃんじゃ……ない?」
【ヴィー・セツナ】――それは、神部亜理紗をサポートする分霊。
彼女は綜のサポートとして宛がわれたヴィー・クーと同様に、特定の個人に付き従う役目を負っていた。
彼女にとってその対象にあたる人物が、神部亜理紗であった。
服装はヴィー・クーと同じ、和洋折衷タイプだが。
髪型は橙色の髪をアップで纏め、ヴィー・クーよりもフェミニンな、大人っぽい雰囲気を醸し出していた。
「違うって……それじゃヴィーちゃんは? あの娘は、どこ?」
「彼女なら、そこのバスケットの中で休んでますよ。少しばかり……消耗が激しいので」
真桜の病室に備え付けられていた床頭台。
その台の上に置かれていた、ピクニック用の片手持ちができる、木製のバスケットケース。
真桜が背筋を伸ばし、その中を覗き込んでみると。
白いシーツを敷き詰められ、その上に身を丸めたヴィー・クーが乗せられていた。
木製の籠の中で、まるで御伽話のお姫様のようにこんこんと眠り続けるそのヴィーの姿を確認し、真桜はほっと息を吐く。
「ご確認いただけましたか? それでは真桜さまが目覚めるまでの、経緯について話をさせて頂こうと思うのですが、支障はございませんか?」
「え、えぇ……うん。それじゃあ……お願い」
周りを見渡すと、綜たちは自分たちが口を挟むのは憚られるみたいで、口を挟むこともなく、説明をヴィー・セツナに託している様子がうかがえた。
真桜は押し黙る綜たちから、視線をヴィー・セツナに戻す。
(見比べると、やんちゃな妹と大人のお姉さんって感じかな……)
同じ【ヴィー】と聞いたが、自分たちと一緒に居たクーと、目の前のセツナでは、姿が瓜二つとはいえ、明確な個体差が浮き彫りに感じられる。
同種でありながら、二つの個体の差を見せつけられ。
真桜の脳裏には、色濃くマガイの姿がイメージされる。
(どこにいっちゃったんだろ……あの人)
「それでは僭越ながら、私から説明させていただきます。まずは――」
口調もバカ丁寧で、子供っぽいヴィー・クーとは対照的に、一歩引いた感じで落ち着いているヴィー・セツナ。
真桜は彼女の説明を聞くことが先決だと感じ、静かに耳を傾けた。
「そんな……健瑠、が……それに、マガイさんまで……」
意識を失っている間の出来事を知らされた真桜。
もたらされた情報の多さと複雑さ、さらに健瑠とマガイの死を知らされ。
そのあまりにも悲劇的な内容に、眉をしかめ、唇をぎゅっと噛み締める。
「あれから三日……私が、気を失ってる間に……なんて」
「……俺は……あの二人が争ってる間、何もすることができなかった」
「…………」
悲嘆にくれる柳ヶ瀬兄妹を前に、それまで口を閉ざしていた亜理紗が声を掛ける。
「何もできないなんて、そんなことはない。柳ヶ瀬はちゃんと、妹ちゃんを守ることができたじゃないか。お前が居なければ、彼女は此処に居ることもかなわなかったんだぞ」
「会長……ありがとうございます」
静かに、諭すように元気づける亜理紗の言葉に、綜は彼女へと向き直ると、深く礼をする。
その綜の姿に、どこか悔いを滲ませた表情で、亜理紗は目を逸らす。
(本当に何もできなかったのは、私の方だ……)
強い悔恨の念に苛まれる亜理紗。
彼女の周りには、今はサポート役のヴィー・セツナしかいない。
あれだけ居た生徒たちも、モールでの騒動でほぼ全員が犠牲になっていた。
(なじってくれた方がありがたい……なんて、自分勝手なことを、今のこの子たちに言えるはずもないしね。あの時……柳ヶ瀬の言うとおりにしていれば、少なくとも私が率いるよりも……助かった生徒たちは、数多く居たはずだけど……)
モールでの惨劇の後。
遭遇したヴィー・セツナにより、魂現技能の存在を知った亜理紗は、綜が言っていた【危険】の意味が能力によるものだと気づき、そのことでずっと負い目を感じていた。
しかし、今は自身の気持ちに溺れている時ではなく。
まずは意気消沈している綜たちを、なんとかしなければと、亜理紗は自分に言い聞かせていた。
「それで、柳ヶ瀬たちはこれからどうするつもり?」
「どう……って、それは」
今後の指針を、決めあぐねている綜。
戸惑い、渋っている様子の綜に、あえて亜理紗は水を向ける。
このまま何もせず、ただ立ち止まっているだけでは、自分と同じ後悔をさせてしまうと、亜理紗は感じていたからだった。
「兄さん……」
「……俺は……」
綜が取るべき行動は、二つある。
一つはこのまま真桜の回復を待って、最後の解錠都市のダンジョンに挑むこと。
だがその場合、おそらくヴィーは霊力の枯渇により、消滅してしまうだろう。
もう一つが、ヴィーやマガイが言っていたとおり。
ダンジョン走破を第一に成し遂げ、ボーナスという名の霊力供給をヴィーに受けさせることで、ヴィーの延命をはかる。
しかしこの場合は、施術を受けて安静にしておかなければならない真桜を――気弱で、臆病な義妹を、この病院に置いて行くことになってしまう。
どちらの選択も、綜にとって大事な何かを切り捨てなければ、成し遂げられないことであった。
そのことを、この場に居る五人はすでに理解している。
選ぶこともできず、ただ時間が過ぎていくのを焦燥感を持って、見送ることしかできないのが、今の綜の現状だった。
そのことを見透かし、あえて辛い選択を強いる亜理紗の言動には、厳しさの奥に相手を思いやる強さが見受けられた。
壁に掛けられた時計の秒針が、無情に時間を刻んでいく中。
膠着状態の面子の中で、声を上げたのは。
それまで我関せずと、無言を貫いていた由宇だった。
「それじゃあ……ヴィー・セツナ、君にちょっと聞きたいことがあるから。ボクと一緒に廊下に出てくれないかな」
「由宇?」
突然の声掛けに、綜たちはもちろん、硬質な表情だったセツナにも、戸惑いの色が浮かんだ。
「東雲……今は大事な話の時よ、ここはおとなしく――」
「だからこそですよ、会長。綜が決断するのにはまだ時間が掛かる、その間に懸念事項をクリアしておきたいってことでね。それにボクは綜に付いて行くだけ、そこのヴィー・セツナもあなたに付いて行く。ほら、その間に用事を済ませておきたいんですよ」
「それは……確かに合理的です。マスターさえよろしければ、ワタシは由宇さまの用事を済ませておこうと思うのですが、いかが致しましょう」
「うう……ん、セツナがそう言うなら……」
確かに二人の言い分は理にかなっていた。
しかし、どことなく釈然としない感情を持て余し、亜理紗は返事を渋る。
「その方が……ボクらの時間も短縮できるって、もんだしね」
何かを含むような由宇の物言い。
だが、その理屈を覆すだけの根拠を見いだせず、亜理紗は渋々納得する。
「分かった……だけど、あまり此処からはなれないでよ」
「はいはい、ただ廊下で話すだけですから。それじゃあ行こうか、ヴィー・セツナ」
「了解です。それではマスター、お二人さまとも、失礼いたします」
軽く手を振り、先導する様に部屋を出ていく由宇。
その後を、部屋に居る面々に会釈をしたのち、静々とセツナが続く。
「時間……か。そうだよ、分かってるけどさ……」
「兄さん……」
部屋の外に出る二人を、無言で見送った後、綜がポツリと漏らす。
その言葉を、苦しそうな表情で真桜は聞いていた。
「それで、あなたは一体何をワタシに聞きたいというのです、東雲由宇さま」
「…………」
粛々とした部屋での様子とは裏腹に、どこか慇懃な態度で由宇に接するセツナ。
「……それとも……聞きたいことなど、はじめから無く、あの御三方に聞かせたくない話がある、ということでしょうか」
「…………く、くくっ……すごいねぇ。ここまで個体差って出るものなんだ」
「――! あなたは……」
無機質で、人通りの無い廊下に、由宇の忍び笑いが反響する。
今まで綜たちには見せたこともない、どことなく歪んだ、愉悦に塗れた顔を見せながら、セツナへと振り返る由宇。
その相貌を目の当たりにし、それまで冷徹な表情だったセツナが眉を顰める。
「いやぁ、驚いた……あのヴィーなんて、ボクのことを欠片も疑いもしなかったってのに、君の方はずいぶん思慮深そうだ。会長も当たりを引いたねぇ」
どこか、人を小ばかにした物言い。
その口ぶりに、セツナがさらに顔をしかめる。
「ワタシも……さっきまでは半信半疑でしたけどね……貴女がワタシを誘って廊下に出ると行った時、どことなく天秤が揺れただけなんですよ。なのに貴女は――」
「なぜ、自分から疑いを持たせるような話し方を――って?」
「……ええ」
セツナの問いに、鼻を鳴らし。どうでもよさげに由宇は応える。
「もうゴールはすぐそこだからね、いわば今は詰めの段階だ。取り繕うよりも、釘を刺して、盤石の態勢で向かいたいんでね」
「どこに……というのは、今更な問いですね」
「まあね、それよりも……ボクのどこが気になったのかなぁ? いちおう今後の参考までにさ、聞かせてくれる?」
にやりと口を歪ませ、冗談交じりに問いかける由宇。
その態度に小さくため息をつくと、顔を上げ、セツナが口を開く。
「……マスターにあなた方の話を聞いて、合流してから、それまでの経緯を聞いた時に、ワタシは思ったんですよ、そんな――」
セツナの紡ぐ言葉に、由宇の目が鋭く細まると、調子を合わせるように言葉を紡ぐ。
『都合の良い話は、ない』
セツナに合わせ、由宇がセリフを被せる。
調和のとれたハーモニーのように、二人の声が重なった。
「――なんてね」
「ええ……たとえ財閥のお嬢様だろうと、一学生が銃器を持って助けに来るなど、都合が良すぎる展開としか言えませんからね」
「くく、三文芝居にしても程があるって? いやいや、この異常事態だからね。そんな疑問を持つ余裕なんて、誰にもなかったんだよ」
笑いをこらえるように、肩を震わせる由宇。
その豹変した東雲由宇の姿を、セツナは鋭い目つきで睨んでいた。
「それにしても……山荘の避難場所に、用意した車に、運転までですか……ここまで御膳立てされてると、部外者としては面白味も無いのですが」
「いやぁ、そういうわけにもいかないって、実際、ここに来るまでヒヤヒヤだったもの。見通しなんてイレギュラー一つで簡単に覆るし、リタイアしそうになったのも聞いてるんだろう?」
「そうですね……それを踏まえても、ですよ。実際に今期の志麻霧市の住民の中では、あなた方がダントツで進んでいますからね」
「……君と会長も、ね」
「…………そうですね、では……あえてお聞きしますが」
言葉を交わしながら、互いに探るように相手をうかがう由宇とセツナ。
その視線が交わったまま、二人は瞬き一つせず、目を逸らすこともない。
「【東雲由宇】――あなたは一体、【何者】ですか?」
その問いかけに、由宇の口角が鋭く上がった。




