第三十三話 再会
「暗いねぇ……」
マガイは、降りた地下道を前進している。
壁面に配置された、三重並行に連なる太いパイプのラインに沿っての歩み。
この地下道が、健瑠の落ちた先に繋がっているのは分かっている。
とすればこの先に、変貌し、眼を青白く光らせたグールが――
「なんなんだよぉ! これってもしかしてぇ、時間稼ぎぃぃ? 真桜ちゃんはぁ、なんでぇ食事の邪魔するのかなぁぁぁ!」
「ふん、食欲だけは一人前だねぇ、それと……時間稼ぎってのは――間違いよ!」
既定通りの遭遇直後。
マガイが両手を広げると共に、手に持っていた銃は、暗闇に溶けるように消えていく。
その代わりとばかりに、腰に差していた二振りの直刀ナイフを抜き放ち、両の手に握り込んだ。
刀身は闇の中でも煌めく白光を、研ぎ澄まされた光沢を放つ。
その刃に使われたのは、ルーギツ国の神山で採れる希少な火山岩。
原石だけでもこの世界では、その希少性と価値で破格の値段をつける。
それをマガイのコネを使い、国認定のA級刀匠に神魂籠めて叩き上げさせた、業物の短刀だった。
――鉄をも断ち切れる、名刀に仕上がった。
刀匠がそう言って笑っていたのを、マガイは思い出していた。
その短刀を健瑠の後ろ斜め上方。
左右両端の壁に配置されたパイプへと、霊力で強化した腕の力を限界にまで引き絞り――投擲した。
「っし!」
初速二百キロオーバー。
そんな馬鹿げた速度で投げられた二振りの短刀が、長年の酷使で老朽化していた鉄製のパイプの継ぎ目へと、それぞれ狙い澄ましたように突き刺さる。
ばがんと景気の良い音を立てると、継ぎ目の留め具が外れた状態で、パイプがズレる。
――と同時に、凄まじい蒸気の奔流が地下道へと溢れ出し、直下の健瑠を襲った。
「! がっああぁぁぁぁぁあ! なぁんだよぉぉ、これええぇぇぇぇ!」
パイプから途切れることなく噴出される――高温の蒸気。
まるで綿アメのような濃度のその白煙に包まれ、健瑠の絶叫が地下道内に響き渡る。
「ごほっ……!」
空洞内を満たそうと溢れる蒸気にまかれまいと、マガイはすぐさま地を蹴り、素早く後ろへと飛び退る。
そのまま健瑠から逃げ出すように、真後ろのトンネルの奥へと全力疾走で退避する。
さらに勢いを増すその白煙は、地下道を駆け巡り、ついに地表にまで噴出した。
◆ ◆ ◆
「きゃああ!」
「熱っ、なんだこれは! 煙が地下から?」
地下からの突然の高温蒸気の噴出に驚き、パニックに陥る街の住人達。
その中にはマガイと健瑠から離れた場所で、ひと時の休息を取っていた綜たちも含まれていた。
「地下のパイプが損傷したんだぞ、これはまさか……マガイたちが?」
「! もしかして、地下で戦っているのかも、あの二人――」
ヴィーの推測に相槌を打つように、由宇が叫ぶ。
そのやり取りを横目に、綜が悔しげに眉をひそめる。
「くそっ、何が……どうなってるんだよ、マガイ」
◆ ◆ ◆
「けほっ……なんとか、やり過ごせたわね」
マガイはなんとか蒸気の範囲外に離脱するも、地下道の中は一気に温度が上昇していた。
全身に纏うマガイの服は、かなりの高温に耐える耐熱装備を施していた。
それでもなお、周囲の温度上昇から逃れるように、マガイは顔を袖でマスクのように覆っており、その腕の隙間からは、滝のような汗がだくだくと流れている。
「ったく、さすがに肝が冷えたわぁ、非常用の安全弁が作動するの遅いのよぉ」
あれから一分も経たないうちに、蒸気の流出は徐々に弱まり。
あれほど空洞内を満たしていた濃霧のような白煙も、今では薄い霧が漂うレベルにまで治まっていた。
「……っ……ぐうぁぁ……なんなんだよぉこれぇ、ひどいぃよぉ、真桜ちゃぁぁん」
「――連続して噴出し続ける高圧の蒸気までは、対応できなかったみたいねぇ、健瑠のその防御も」
呻く健瑠の元へと、ブーツの反響音を鳴らしながらマガイが戻ってくる。
「さすがに空間を歪めて全身を守るのは、持続することはできないんでしょ? もっとも、継続して全方位から攻める攻撃手段が無いとさぁ、その防御膜を突破できないっていうのも、ハードル高い話だけどねぇ」
霧が晴れ、健瑠の目の前の暗がりから、口を押さえながら姿を見せるマガイ。
「蒸気ぃ? なんでそれでぇ、こんなにぃなるんだよぉぉぉ!」
健瑠は酷い有り様だった。
破れて肌に張り付いていた服は、切れ端すらすでに跡形も無く散っており。
全身は高温の蒸気に炙られ炭化し。
高度熱傷によりくすんだ緑色と灰色の斑紋が入り混じった皮膚は、健瑠が身じろぎをするたびに、そのカケラがぽろぽろと零れ落ちていた。
「健瑠……この煉獄都市には地下道がある、それがなぜか分かる?」
「う? うぅぅ~、いきなり、なぁぁんだよぉ!」
いきなり街の話を始めたマガイに戸惑い、疑問の声を上げる健瑠。
だが健瑠の抗議をさして気にすることも無く、マガイの独白は続く。
「煉獄都市は、街としての機能を維持するための電力を賄うために、蒸気タービンを使った発電所があるのよ、その施設を動かすためのパイプラインが地下を通っている。タービンで加圧し続けて、高温高圧になった蒸気はおよそ六百度程度まで上がるわ。あんたのその皮膚を焼いたみたいにね」
「熱とかぁぁ! どうでもいいんだよぉ、今はぁ、食べたいだけなんだからぁぁ!」
「……やっぱり痛覚もなし、か。というかさぁ、グールに五感の感覚ってどこまであるのよ? 鼻ももげちゃってるし……それでも食べたいって言うの?」
「食べたいんだよぉぉ! せんぱぁいぃぃぃ!」
「っ……るさい! 知識は残っても、行動指針はグールと同じか……まったく、惨いねぇ」
死んだ細胞を無理やり動かし。
炭化し崩れ落ちる肉片も厭わず、じわじわと歩みを進め、あくまでも綜を求め足を動かす健瑠。
その姿を見て、疲れたように首を振るマガイ。
「……そのボロボロの肉の器を、完全に破壊しない限り、健瑠……あんたの魂を引き剥がすことはできないって言うのなら――そうするまでよ」
「っ!」
今まで顔半分を覆っていた両腕を降ろし、自由に腕を動かせるようになったマガイは、その右手に自身の黒銃を出現させる。
「どこかで歩み寄っていたら、私たちは仲の良い幼馴染の関係に、成れたのかもしれないわね……それこそあの時、【綜にぃ】が望んでいたような」
「っ、綜……せんぱいぃ」
警戒したのか、それとも綜の名前を聞いたからか、健瑠がその歩みを止めた。
「私たちはたぶん、お互いに間違った生き方をしてきた。だからさ……この際、綜にぃに叱ってもらおうよ、健瑠――あんたともそこでなら、仲良くなれるかもしれないから」
「真桜ちゃん? なに言ってるのかぁ、僕にはぁさっぱり分からないよぉぉ」
マガイの投げ掛ける言葉に、首を傾げる健瑠。
その首元から炭化した肉片がパラパラと落ちるのを、どこか達観したように、静かな笑みを浮かべたままマガイは見ていた。
「ところで健瑠、やっぱりグールにも――嗅覚くらいはあったら良いと、思わない?」
「んん?」
銃を持った手とは逆の左手で、鼻を摘まんではオーバーに顔をしかめて見せるマガイ。
その瞳は、これからこの地下道で起こることを予測し、愉しそうに笑っている。
「地下道はね、発電プラントで使う重油以外にも、天然ガスやガソリンのパイプラインにも繋がってるのよ。いいかげんでしょう? 一緒くたにして、危機管理がなっちゃいないって――でもね、【綜にぃ】は、そういう街が好きって言ってたんだよ」
嬉しそうに微笑むマガイに、健瑠は口腔が見えるほど口を大きく開き、驚愕する。
「あ、ああぁぁぁ? もっ、もしかしてぇぇぇ!」
「さっき離れた時にねぇ、向こうでちょっとガスのパイプを探して壊してきたのよん。気付かなかったでしょ? あんたと長々と話してる間にも、こっちの地下道にまでガスが充満しちゃって、ひどい臭いなのよ~……もう少しでガス中毒になりそうなくらいに、ねぇ」
マガイが口を押さえていたのは、ガスの中毒から身を守るため。
「メタンは高温の蒸気と反応して合成ガスを生む、この意味……分かる?」
右手に握る一振りのオーダーは、きっとこの日のための――約束手形。
その銃口を持ち上げ、目の前でかさかさと蠢く健瑠へと狙いを付ける。
「さあ、二人で一緒に! 綜にぃに逢いに行こう、ねえ健瑠っ!!」
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
『柳ヶ瀬真桜』は、いま――『柳ヶ瀬綜』に逢いに行く。
◆ ◆ ◆
通りの向こうから、地を震わせる衝撃と、天を裂くような爆発音が響いてきた。
「うわぁっ! くっ? 今度は……爆発!」
綜たちの目の前の路地でも、マンホールの蓋が、まるで打ち上げ花火の弾のように、空へと勢いよく射出され、穴からは鮮やかな花弁のような彩りの炎が吹き上がった。
通りのあちこちでも同様の光景が見られ、街は騒乱の渦に巻き込まれていた。
「――簡易、連絡事項。正規登録のA級ランサー、第四十五期・柳ヶ瀬真桜。通称【マガイ】の死亡と……第五十六期・名波健瑠の、変異体グールの消滅を……確認、だぞ」
感情を交える余裕もなく、綜の肩にへばり付いたまま。
今しがた入って来た情報――マガイと健瑠の死亡の知らせを、絞り出すような声で述べるヴィー。
「っ! 健瑠……マガイっ!」
「そんな……それってあの二人が、死んだってこと!?」
綜の叫びと重なるように、問いただす由宇の声。
だがその二人の声にも、ヴィーは反応を見せず。
そのままズルズルと、身震いしていた綜の身体を滑り落ちる。
「ヴィー!? 嘘だろ! まさか……お前まで!」
あわてて両の掌を広げ、地面に落ちる前にヴィーの矮躯を受け止める綜。
その手の中で力なく横たわったヴィーは、まるで電源を落とした機械のように、ピクリとも動かなかった。
「ぐ……! なんだよこれ、どうすれば……こんなのっ、どうすりゃいいんだよっ!」
襲い来る無力感から逃れるように、声を張り上げる綜。
(この手から、大切なものがぽろぽろと零れ落ちていく。マガイや健瑠が居なくなって、真央もヴィーも……結局、俺には何も、救えないっていうのか? そういうことなのかよ!)
胸の内に波紋のように広がる焦燥が、どこまでも綜を苛んでいく。
「綜……」
その様子を言葉も無く見詰め、暗い表情で隣に佇むことしかできない由宇。
それぞれが、その胸の内に押し殺しきれない複雑な感情を抱いたまま。
通りの喧騒を耳にしながら、目の前で徐々に静まって行く炎を、ただ見つめることしかできなかった。
「綜、とにかく真桜ちゃんを病院に連れて行かないと……そろそろボク等も動こう」
「あ、ああ……そう、そうだよな。まずは真央を病院に連れて行かないと――」
いまにも崩れ落ちそうな綜の背に、あくまでも行動を促すように声を掛ける由宇。
その言葉に対し、綜はようやく反応を見せる。
軽く頭を振ると虚ろな表情を消し、真桜の容態を慮りながら顔を上げる綜。
「……ところで……病院って、どこだ?」
「それは、えっと……」
思わず顔を見合わせる綜と由宇。
肝心の病院の場所が、分からないままだった。
「仕方ない、誰かに聞いてみるから、由宇はここで真桜とヴィーを見ていて――」
「……そこに居るのは、もしかして……柳ヶ瀬?」
「えっ!?」
横になっている真桜の膝の上に、ヴィーを静かに寝かせると。
先ほどの騒ぎで、いまだに喧騒に包まれたままの通りへと、繰り出そうとした綜。
だが、その出鼻をくじくように。
路地裏に居た一行へと、出し抜けに声を掛ける人物が現れる。
その声の主へと顔を向けた時、由宇は反射的に声を上げた。
「あなたは……!」
騒々しい街から抜け出すように、こちらの路地裏へと、一歩踏み込む一組の影。
街の灯りに照らされ、逆光になったシルエットから、小柄だが肉感的なボディを持つ女性と判明する。
女性の傍らには、宙に浮かぶ小さな影もあった。
それはヴィー・クーと同じ形の影。
由宇に数瞬遅れ、その二人の姿を目にした時、綜は呆然と呟いた。
「……神部……会長?」
そこに居たのは。
先日、志麻霧市で綜たちと別れた――神部亜理紗、その人だった。
◆ ◆ ◆




