第三十二話 異人対峙
「もおぅ、いいや! どのみち真桜ちゃんにはぁ、ここで消えてもらうからさぁぁ!」
再び聞こえてきた健瑠の声に、綜たちはハッと前を向く。
濃緑色の身体をぶらぶらと揺らしながら、再び健瑠が動き出していた。
「綜! ボクらは真桜ちゃんを運ぶんだよ! はやくっ!」
「……っ! わ、分かった! ヴィー、お前は俺の肩に!」
「あ……うん」
一足先に決断を下した由宇に促される様に。
綜は左肩にヴィーを乗せると、由宇の助けを借り、意識の無い真桜をその背におぶさる。
立ち上がり、走り出すまでの数瞬の躊躇。
もはや、こちらを一切振り向かないマガイの後ろ姿を目にとめ。
その覚悟の深さを感じ取った綜は――意を決しマガイと健瑠に背を向ける。
そして、足を踏み出そうとした綜の耳に、最後の言葉が囁かれた。
「さよなら……兄さん」
「ま――、……っぐ、ぅ! ばっかやろおおぉぉぉーー!」
別世界の義妹の別れの言葉に、思わず振り返りそうになる身体。
それを、血が滲み出るほどの圧力で、歯茎を噛み締めることで、思いとどまる。
そして、やり場のない怒鳴り声を上げながら、その場から駆けだした。
「あれぇ、みんなぁぁ、どこぉにいっちゃうのぉぉ? 無駄だよぉぉ、すぐにぃ、みぃぃぃんな、見つけちゃうからあぁぁ!」
健瑠の声が通りに反響する。それは逃げる綜たちをどこまでも追い続けるように――
「うるっせぇんだよ! この化け物が!」
「ひゃはっ! だからぁ、無駄だってぇの! 真桜ちゃあぁん!」
綜たちが居なくなったことで、今まで押さえつけていた感情のタガが外れたように。
怒気をはらんだ雄叫びと共に、銃を乱射するマガイ。
マガイの殺気を纏ったかのように、空気を切り裂き、健瑠へと襲い掛かる弾丸。
しかしそのことごとくが、健瑠の周りの――【歪む空間】によって弾かれる。
「あははは! ほんとぉ邪魔なんだよぉ! 真桜ちゃぁん、お前はぁぁ!」
ヴァオンと空気を唸らせ、目に見えない烈波が通りを走る。
竜巻が通ったような跡を残しながら、その射線上の物体すべて。
物も人も、まとめて薙ぎ払いながら、空気を揺らす【波】によって、歪んだ空間がマガイに迫る。
その圧倒的な圧力を感じさせる衝撃波を前に、マガイは軽くステップを三回踏むだけで、数メートルの空間を瞬時に移動し、軽々と避けて見せた。
健瑠の能力など、まるで恐怖を介さないといわんばかりのその軽快な仕草に、変貌した健瑠の顔が醜く歪む。
「ぐう……っ、本当に忌々しいぃなぁ、昔からぁ先輩の後をぉついて回ってぇぇ! 目障りでぇ、大っ嫌いだったんだよぉお前はぁ、やながせぇまおおぉぉぉ!」
「……捨てた名を、いつまでもほざくなよ化け物。目障りなのはお互い様だってーの」
健瑠の言葉を耳にし、吐き捨てるように溢すマガイ。
そして、改めて両手の銃をかかげ、健瑠へと向けると、宣誓する様に声を張る。
「いいさ……お前が私を、あくまで【柳ヶ瀬真桜】だと認識するのなら。あの時、撃ち足りなかった分も……まとめて撃ち込んでやるよぉ! 名波健瑠っ!」
◆ ◆ ◆
「はぁ、はぁ……ん、ちょっと、ここで休憩しようよ」
五百メートルほど全力疾走し、はぁはぁと息を荒げる綜とヴィーに由宇が告げる。
薄暗く、ジメジメした路地裏へと入った一行は、壁に設置されたパイプからの蒸気音が甲高く響くなか、通りの果てから聞こえてくる断続的な破壊音に耳を澄ました。
「まだ、戦ってるのかよ……」
グールと成り果てた無残な姿の幼馴染を止めることも。
もう一人の妹の助けにもなれなかった。
そんな無力感に苛まれた綜は、やり場のない怒りを胸の内に押し込める。
「綜……疲れたぞ、ちょっと肩を貸して」
傷に触らないように真桜をそっと壁際に降ろし、無残な義妹の姿を見つめ、固まったように身じろぎ一つしなかった綜は、その肩に小さな重みを感じた。
「ヴィーっ、お前は……そっか、疲れた……だけなんだよな?」
走ってる間は、綜に負担のかからないよう浮力を活かし、しがみ付いていただけだったヴィーが、今は全身を綜の肩にあずけていた。
「ふふ……綜は心配性なんだぞ、大丈夫……ちょっと、休みたいだけだから」
綜に心配を掛けまいと、力無くも、柔らかく微笑むヴィー。
その小さな微笑と、やんわりと肩にかかる心地よい重みが。
綜に、寄り添ってくれる温かさを感じさせ、心に淀んでいたしこりを薄めてくれていた。
そのことに感謝を感じながら、綜はヴィーへと穏やかに声を掛ける。
「それじゃあ……ゆっくり休んでくれよ……ヴィー」
「……うん」
真桜の容態を気にしながら、その傍らにうずくまったままの綜と、その左肩にうつぶせでしなだれかかるヴィー。
どこかシュールで、どこか物悲しい。
「…………」
そんな不思議な雰囲気を醸し出す二人の姿を、由宇はその端正な顔に、複雑な感情の色を浮かべたまま、目に焼き付けていた。
◆ ◆ ◆
「くらってろ!」
無数の弾丸が、空気の渦を巻き起こしながら健瑠を襲う。
だがその破壊の渦は、健瑠の発生させたより強い空気の波紋の前に、ことごとくが侵攻を阻まれる。
「どぉして真桜ちゃんはぁ、いつも邪魔をするのかなぁぁ!」
「はっ、それはこっちのセリフだよ! 私と綜にぃの間にいっつも割り込みやがって! 男のツンデレなんて気持ち悪いんだよ!」
「ひぃっどいなぁぁ! 元々ぉ先輩と僕の間にぃ割り込んだのはぁ、真桜ちゃんの方だろぉ! 優先的にぃ、せんぱいをぉ食べていいのはぁ!! 僕だよぉぉ!」
「くそグールが! だれが喰わせるかよっ!!」
――連射。速射。曲射。
あらゆる射角を計算し、己が磨いた技術を駆使し。
様々な射撃スタイルで、マガイは攻撃をする。
だが、放たれた弾丸全てが、健瑠に届く前に空気の壁によって跳ね返される。
「くっ、これなら!」
前方の健瑠目掛け、両腕を振り下ろしながらの早撃ち。
それは、八発の弾丸を圧倒的速さで撃ちだす、連動速射。
そのあまりの速さに、銃声すら耳をつんざく轟音一発分で、辺りに響いた。
(コイツでなら……!)
狙いは健瑠ではない。
周りの建物の材質、障害物。
それら全てを瞬間的に計算し、跳弾を利用した――あらゆる角度からの同時掃射。
それは人の技術を越えた――まさに神技。
――だがそれでも、怪物には届かなかった。
健瑠に迫る上下左右、全方位からのあらゆる攻撃。
その八発の弾道は、一瞬で健瑠の周囲空間の歪みから生じる、禍々しいウェーブによって遮断され、跳ね返された。
「ちっ、参ったわぁ……これもダメ、か」
攻撃は失敗。
だが、マガイの唇に浮かんだ皮肉気な笑みは、まだ消えてはいなかった。
マガイはこのバークウェアで培った戦闘者としての経験から、状況を冷静に判断し、脳裏にここら一帯の地図を描く。
感情を殺し、意識を切り離し、俯瞰で物事を考える。
それは『柳ヶ瀬綜』と別れた年月が育てた、哀しき戦士の業だった。
守りきれなかった恋人を憂い、弱かった自分を変えた、柳ヶ瀬真桜の成長した姿。
その全てはいつか胸を張って、『兄』に逢いに行くためだけに――
「……アレは使える、かな?」
目の前の健瑠は、マガイのことを戸惑うことも無く。
即断で大人の【柳ヶ瀬真桜】と認識していた。
それは正しいことなのだが、逆に考えると。
今のグール化した健瑠は、あまり物事に頓着しない、大雑把な面があるということだ。
がむしゃらに生者を求める、グールの本能。
それは今の健瑠にも言えることで、周りの被害などお構いなしに、ただ闇雲に綜を求めていた。
「それならっ!」
途切れぬ弾丸で牽制しつつ、進行を妨害し、頭に思い描いた指定の場所へと誘導する。
「うっとおぉしぃ! 真桜ちゃんさぁ、いいかげんにぃしつっこいよぉぉぉ!」
ハエを払う様に纏わりつく弾丸を、腕を振るいながら生じる空気の波紋で打ち払う。
まるで、目の前の羽虫を追いかけるように、マガイの後を追う健瑠。
だがそれも、マガイの計算の内とは知らずに――
「悪いけど、お互い腐れ縁ってことで、地の底まで付き合ってもらう……よっ!」
「え? ……ぅぇっ!?」
健瑠の周囲の足元へ、同時着弾を計算し、マガイが霊力で強化して放った弾丸。
それは、一時的に威力を増したチャージショット。
その数――十二発の弾丸。
弾かれることも計算し、放った無数の弾丸が、地面や壁に着弾すると共に、破裂する。
そのうちの何発かが、健瑠の足元で小規模の爆発を起こす。
その度重なる衝撃によって。
健瑠の真下に位置していたマンホールの蓋を――遂に破砕した。
「ぎぃゃゃぁぁあああ!」
マンホールの空洞を落下していく健瑠の叫びが、ドップラー効果により低く反響し、マガイのところにまで届いてくる。
しかしマガイは、のん気に悲鳴を聞き届けることも無く、通りに配置されているマンホールの蓋を探す。
一定の間隔をあけ、繋がっている別のマンホールの蓋。
後方七、八十メートルの位置に存在していたそれを、すぐに発見した。
すぐさまそのマンホールの蓋の所に移動し、引き剥がすように力づくで開ける。
落ちて行った健瑠と同様に、マガイはためらいもなく空洞へと飛び降りると、地下道へとその身を投げ入れた。




