第三十一話 二律背反
「あの声……本当に、健瑠だったのかよ。でも、あの姿は――」
お互いの距離はおよそ七、八十メートル。
先ほどの衝撃波でぽっかりと空いたその空間を、一匹の異形がひたひたと、綜たちに向けてゆっくりと歩を進めてくる。
「あれは、グールになった……名波健瑠だよ、綜……間違いなくね」
「ぐっ……!」
残酷な事実を伝える由宇を一瞥し、再びグール化した健瑠へと視線を戻す綜。
「あの衝撃波はアイツの仕業? グールが、なぜ? それに……【名波健瑠】の共通個体スキームは『波音伝奏』だぞ。物理的レベルじゃ、空中に波紋を生じさせる程度の防御レベルしかないはずなのに、どうなってるの? これは……」
起き抜け早々に遭遇した不可解な現象に、サポート役のヴィーも混乱を隠せない。
「こうなったらアイツに何が起こったのか、ログから仮想データを引っ張り出して、リアルサーチしてやるぞ! あの街で起きたことなら、アタシも閲覧できるはずなんだぞ!」
「お! おい、ヴィー? 起きたばかりだろ、あまり無茶なことはするなよ!」
ムキになった様子で、健瑠の身に何が起きたのかを探ろうとするヴィー。
諫めるように声を掛ける綜だったが、それにかまわずヴィーはデータの海に没入する。
「――名波健瑠の【貯蓄記録】に連結。許可申請…………上位霊格受託……拒否……再接続…………抜粋、特例閲覧……」
すっと表情を無くし、焦点の合わないヴィーの翡翠の瞳が空中をさまよう。
まるで置物のアンティークドールのように無機質なその相貌が、余計にヴィーを人形然と見せている。
ぶつぶつと小さな唇だけを小刻みに動かし、その頬を流れる大量の汗と、血の気の引いた青い顔が、ヴィーの苦心の探求の跡を如実に表していた。
「おいヴィー! もうそこまでに――」
「…………閲覧終了――回路切断。と、っはぁ……ん、どうしたんだぞ、綜?」
「あ、いや……なんでもないって、ヴィー」
目の前でヴィーを心配し、覗きこむように見ていた綜に気付き、小首をかしげるヴィー。
額の汗もそのままに、小ぶりな顔を覆う疲労感は、見る者に焦燥感を生ませる。
「それで健瑠、あいつに何があったのか……分かったのか?」
「うん、あそこに居る名波健瑠、彼がグールであるのは間違いないんだぞ。二日前にプリビレッジ・モールが略奪者とグールの集団に襲われ陥落した際に、過去の自分――第五十四期の、名波健瑠が変貌したグールに襲われ……彼は死亡したんだぞ」
「なっ!」
「それって、自分と同じ人間に襲われたってこと?」
由宇は健瑠が襲われた時のことを想像したのか、チラリとマガイの方を見やる。
「ねえ、マガイは……ん? どうしたの」
「…………」
さきほどから一言も話さず、呼びかけにも反応しないマガイを不審に思い、由宇が再度問いかけるも応答は無い。
その様子に綜とヴィーは気付かず、会話に集中していた。
「その際に、二人の健瑠の間に共鳴現象が発生したのが確認されたぞ。なるほど、あの異常なレベルのスキームはこれが原因だったんだ」
「共鳴現象って、なんだよそれ?」
綜の疑問の声に答えるために、ヴィーの説明は続いた。
「共鳴現象――は移人がこの世界に来るようになってから、見られるようになった現象だぞ。これは、発動条件も未確定だけど、同位存在である二人の移人、例えば真桜とマガイのような二人の間に起こる、霊的接触で発現するってことだけは分かってるぞ」
「まだそんな、摩訶不思議な現象があったのかよ……」
異世界に来てから、様々な異常現象を目にしていた綜は、少々うんざり気味に返事を返す。
そんな綜の態度を気にもせず、ヴィーは話を続けた。
「ただ、その結果として、どちらかに能力の向上や記憶の共有、果てはヒトの形を失う人外化など、様々な結果が見受けられるんだぞ。今回の名波健瑠の事例は、能力の限界突破が起きたんだろうけど……」
「ん、まてよ……真桜やマガイって……? なっ!? マガイ! それは――!」
名波健瑠を襲った悲劇と、彼の強大な能力を認識し。
綜は不安を感じマガイの方へと顔を向ける。
その綜の視界の中で、マガイは――【朱く】染まっていた。
「き、さま……健瑠うぅぅーーーっ!」
突如、怒りに満ちた咆哮を、通り向こうの健瑠に放つマガイ。
その叫びと共に、瞬時に両手にマガイ自身のオーダーが出現する。
二丁の鈍く輝く大振りの銃を出現させると、それを手に取り、前方に腕を跳ね上げると共に、マガイはすぐさま連続で発砲した。
「うあっ! マガイ、何を……!」
「あああぁぁぁぁーっ!」
由宇の抗議を意にも介さず、マガイの咆哮に共鳴する様に、銃口から吐き出され辺りを照らす、極光のマズルフラッシュと閃光のような無数の弾丸。
小型の速射砲のように放たれた、秒間十六発の弾丸が、ぐずぐずに崩れかけたグールの身体を襲う。
だが……額、胸、腹、肩、肘、膝。
各急所に迫っていた大量の弾丸のことごとくが、健瑠の前方の空間に生じた波紋のような渦に弾き返されると、あらぬ方向へと飛んで行き、周りの建物の壁を破壊するだけだった。
「な? 弾丸が弾かれた!」
「防御も鉄壁なの? っ、……あきらかな限界超越者か、あの化け物。過剰性能にもほどがあるんだぞ!」
健瑠のあまりに高い能力に驚く綜と、ヴィーのぼやきが虚しく響く。
その時、先ほどと同じように空気を震わせ、ノイズ交じりの健瑠の声が届いてくる。
「あはは! せんぱぁい、やっぱりせんぱいだぁ、逢いたかったんですよォ、ずっとずっとぉ、あれからずっとおぉぉ! 食べたくなぁるくらいぃぃぃ!」
人が発するものとは違う、おぞましい声を上げる健瑠を、眼光鋭く睨むマガイ。
「健瑠……まさかグールになってまで、また――【殺り合う】ことになるなんてねぇ」
「! やり合うって、まさか……マガイが言ってた『裏切り者』っていうのは!」
ガシャリと重々しい音を立て、銃を握りしめた両腕をおろしたマガイ。
そのまま、倒れ伏す真桜の傍らで叫んだ綜へと振り返る。
その暗い瞳は、綜を見つめながらも、どこか遠くを眺めているようだった。
「そうだよ……名波健瑠、あいつが私に凶弾を放ち、【綜にぃ】を殺したんだ」
「っ! なんで健瑠が? あいつはお前を……【真桜】を、好きだったんじゃないのか!」
「私? ぷ……はは! こっちでも綜にぃは同じ間違いをしてるんだ? 違うよぉ、全然違うってばぁ!」
「え?」
マガイは口の端を皮肉気に歪め、可笑しそうに笑う。
その仕草が綜にはひどく痛々しく、自嘲めいたものに見えた。
「元々、健瑠が気に掛けてたのは、綜にぃ――貴方の方だったんだよ。私は横から入って来た厄介者、あいつはずっとそう思ってぇ、苦々しく私たちを見てたんだよ!」
「は? いや……そんな……だって俺は、てっきりアイツにはヒドイことをしたと――」
「幼い頃、おとなしかったアイツは、綜にぃにかまってもらえるのが嬉しかったんだってさぁ。なのに義妹が出来た途端、距離を取られたのが寂しかったって――死に際の【名波健瑠】の言葉……だから、間違いないんだよん」
それはおそらく、当時の健瑠からマガイが聞き出した事実なのだろう。
唐突に告げられていく事実に、綜は二の句が継げなくなる。
「あれぇ、そこに居るのは真桜ちゃん? おかしいなぁ、吹き飛ばしたはずなのにぃぃ」
「く、健瑠……お前、本当に真桜を狙ってやったのか!」
聞こえてきた健瑠の言葉に、先ほどの衝撃波が、間違いなく真桜を狙って放たれたことを思い知らされる綜。
悲しみと憤り、限界値に達した二つの深い感情を、綜はもてあます。
「ん? んんん~? なんでぇ真桜ちゃんがふたりぃ? なんだぁぁこれぇ?」
「綜にぃ、アレはもう死んでるんだ……死人に話しかけても意味は無いって」
「っ……なんなんだよこれは? なんで、こんなことに!」
綜の憤りもむなしく、もはや健瑠からまともな返事が返ってくることは無い。
そして二人目の真桜である、マガイのことが気になるのか。
健瑠は戸惑いを露わにしながら、その歩みを止めていた。
「綜にぃ、今のうちに逃げて。ここは、私が足止めしてるから――」
「…………待てよマガイ、お前――【死ぬ気】なんだろ?」
「!」
綜の言葉を受け、マガイが足を止める。
「綜、それって……!」
由宇とヴィーが綜の言葉に吃驚する。
マガイは顔だけ振り返り、淡い笑みを浮かべたままふぅと吐息を漏らす。
「そっか……綜にぃのスキームは『見える』んだったね、ふふ、うっかりしてたなぁ」
「ああ、今のお前が俺には、目に痛いくらいの赤色で染まって見えるんだ。それに、逃げるなら一緒にだろ? なんでマガイだけが残らなくちゃいけないんだよ!」
すでに覚悟を決めてしまっているマガイ。
それは綜以外にも、傍らで見ている由宇とヴィーにも感じとれるものだった。
「あいつ……グールの健瑠がなぜ此処に来たのかは、分かるでしょ? もしここで、私たちが逃げ出したら、あいつはきっと邪魔なものを、それこそ街を破壊しながらでも追いかけてくる、そうなったら被害ももっと酷くなるよ……そうでしょ、サポートさん?」
綜からついと目を逸らすと、確認を取るようにヴィーに問いかけるマガイ。
「……そうね、名波健瑠のスキーム、不可聴域の超音波を飛ばして周辺の探知、捜索をできる生体レーダーなら、アタシたちの固有震動を観測して位置を特定できるはずだぞ。マガイを真桜ちゃんと認識したのも、きっとそれなんだぞ」
わざと危機感を煽るマガイと、静かなヴィーの声が嫌でも綜の耳に入ってくる。
視界の先では、倒れ伏す真桜の全身にも、すでに薄っすらと被膜のように、赤いフィルターが掛かっていた。
「逃げ続ければ街が、犠牲者が……でも、このままじゃ真桜も……くそっ!」
「……綜……」
気遣うような由宇にも、綜は碌な返事を返せない。
このまま手をこまねいていれば、真桜の容態は悪化する一方。
かといって、ここでマガイを見捨てて行く決断もできない。
――だから彼女は、救いのために、その背を押した。
「死人にかける手間があるのなら、もう一人の『私』を救ってあげてよ……綜にぃ」
「っ!」
ずっとマガイが纏っていた死の影、それはすでに、拭えぬほどに色濃くなっている。
「お前……! ここに来たのもはじめから、死ぬ気で!」
「最初に言ったでしょう。私は、『柳ヶ瀬綜』に逢いに来た――って……だから、これから会いに行くのよ」
「そんなの……馬鹿げてるんだぞ」
言葉を失った綜の代わりに、吐き捨てるように呟くヴィー。
だが、そう言い捨てたヴィーの方が辛そうに見えるのに、当のマガイ自身は、どこかすっきりとした表情で微笑を浮かべた。
「綜にぃを助け、『彼』の元へ行く……私はきっと、そのために生きてきたんだよ」
本当に嬉しそうに、残酷に、穢れの無い童女のような瞳で――義妹は笑った。




