第二十六話 脱出
車内には重苦しい空気が漂っていた。
レンジローバーを無事に奪還し、志麻霧市を抜けて奈落都市に入る一行に、新たに加わった人物。
その対応に全員が苦慮していたからだ。
――第四十五期・柳ヶ瀬真桜――年上の義妹で、後輩で、自分自身。
そんな相手を前にして、何を話しかけていいのか戸惑う面々。
由宇は運転に集中している振りをして、後部座席の彼女をバックミラー越しにちらちら見るだけ。
真桜は左隣に座っている彼女にすっかり萎縮してしまい、ずっと押し黙ったまま。
ヴィーは疲れてしまったのか、あれからずっと綜の膝の上で眠ったままだった。
当の彼女は何がそこまで嬉しいのか、微妙な車内の空気には無頓着で、終始上機嫌のままニコニコと微笑を浮かべている。
そんな彼女に対して、意を決した顔で綜が振り返った。
「――で、結局なんて呼べば良いんだ? やっぱり真桜姉さんかな?」
「って、綜! さっきから黙ってたのは、そんなこと考えてたからなのかい?」
「そんなってなんだよ由宇、名前を呼べなきゃ困るだろ」
「あははは! いいねぇ、そのやり取り! おっかしー!」
重苦しい空気を読んでいなかったもう一人の綜に、律儀にツッコむ由宇。
そんな二人のやり取りに、大人の【真桜】は耐えかねた様に笑い声を上げた。
「いやいや、面白いねー今回の綜にぃたちは、ああ、私のことは『マガイ』で良いよ。そっちの方が慣れてるし、同じ名前はややこしいしねぇ。あと、さん付けもいらないからさぁ、ねー真桜ちゃん」
「うぇ? あ、はい! うぅ……」
突然横を向き話しかけてきたマガイに驚き、妙な声を出してしまう真桜。
恥ずかしげに俯くその様子に、マガイはくくくと含み笑いを漏らす。
そんな二人は、悪戯好きの姉と、初心な妹の姉妹のようにも見えた。
「しかし、マガイ……だっけ、キミはずいぶん変わったみたいだね」
「そっちの真桜と比べて? そりゃあ学生の頃とは違って、私はこっちでランサー稼業なんてやってたからねぇ、交渉事で喋れないんじゃ話にならないでしょ、東雲先輩」
由宇の言葉を受け、同意を求めるように周りを見渡すマガイの様子には、確かに高校生の真桜には無い、大人の余裕と気安さが存在していた。
「先輩はよしてよ、ボクの方も呼び捨てで良いからさ。にしても呼び方ねぇ……もしかしてさ、君と【柳ヶ瀬綜】って――」
どこか言い辛そうに言葉を区切る由宇。
その様子から言いたいことが解ったのか、マガイは楽しそうに眉じりを下げると、続きを引き受けるように話を繋ぐ。
「そうだよ、私と綜にぃ――【柳ヶ瀬綜】は、恋人同士だったんだ~」
「うぇっ!?」
「……っ!」
「やっぱりね」
車内に言葉にならない驚きの声が上がる。
しかし、反応はそれぞれ微妙に違うものとなっていた。
「私が……兄さんと!?」
「うあ、マジかよ、ヴィーから俺以外はみんな彼女持ちって聞いてたけど、これは……」
思わず後ろを振り向いた綜と、顔を上げた真桜の目線が合う。
お互いに気まずくて、頬を真っ赤に染め上げると、すぐさま互いに目を逸らしてしまう。
マガイはそんな初心な反応を見せる二人を、昔を偲ぶように微笑ましく見ていた。
「あの……やっぱり、こっちの兄さんとはその、違ったんですか?」
むず痒く羞恥を感じる感覚が気恥ずかしく。
車内に満ちる、生暖かい空気を変えようと思ったのか、真桜の方から積極的にマガイへと話しかけた。
「ああ、私の話? んー、なんて言うのかなぁ。私の恋人は、まだ空気を読んで気配りができる感じぃ? 優しかったし、ほら私って大切にされてたからーにゃはは」
「……はぁ……いいなぁ」
懐かしそうに、陽気に笑うマガイのその朗らかな様子を見て、不満げな表情で義兄を見つめてくる真桜に、思わず腰が引ける綜。
「うっ、なんだよ。俺だって真桜や母さんを大切にしてるぞ」
「ん~そうじゃなくて、そういうところが……はぁ、やっぱり兄さんとは違うんだ」
「あはは! そりゃあ丸っきり同じだと私も困るって、にしてもこっちの綜にぃはねぇ」
真桜に続き、冗談交じりにジト目で見てくるマガイ。
二対に増えた、瓜二つの冷たい眼差しに思わず怯む綜。
「な、なんだよ。そういうマガイは真桜とはずいぶん変わっ――たよう……で?」
綜の目が双方の違いをつぶさに観察するように、マガイの頭頂から滑る様に降りていく。
「ん……あ、やっぱ変わってないような……」
その視線が――すとんと、なだらかな胸の部分で止まった。
「ふふ~ん、綜にぃ……今、どこを見て言った? ん、言ってみ?」
「……兄さん、だから胸は」
さらに眼光鋭く二対の瞳が威圧する。
そのあまりのプレッシャーに思わずたじろぐ綜。
「あ、その……はは、やっぱ同じなんだなと、納得のサイズで、いたっ! 小突くなよ真桜!」
真っ赤な顔で頬を膨らまし、固めたゲンコツを前席の綜の頭頂に振り下ろす真桜。
さすがに本気で殴りはしなかったが、怒りに比例し、かなりの力が籠められていた。
一方のマガイは、真桜のように感情的になることは無かったが、ぼそりと愚痴る。
「胸を揉まれたら大きくなるっていうのも……所詮は、都市伝説だったねぇ、ふふふ」
「え、揉む?」
拳を即座にひっこめると。
横から聞こえてきた言葉につい反応してしまう、思春期真っ盛りの真桜。
「そりゃあ恋人同士だったからね、胸を揉まれるくらいはさぁ……フフ、あったワケよ~」
「あ、ああ。そっちの兄さんのこと――」
どこかホッとしたように息を吐く真桜。
すると今度は気を取り直し、真剣な表情でマガイに向き直る。
年の差から微小な差異はあるものの、やはり二人は同じ【柳ヶ瀬真桜】だ。
だからこそ未来のために、真桜にはどうしても聞いておきたいことがあった。
「……あなたの、カップ数は?」
「…………ダブルAで、据え置きだよ~ん」
「ぐぅっ!」
未来の自分から告げられた、残酷な宣告。
思わず顔をしかめた真桜の額を、冷たい汗が流れ落ちる。
茶化したようなマガイの言葉にも、どこか力なく脱力感が漂っている。
「っ……で、でも! 今からバストアップを頑張れば、多少は――」
「それやったらさぁ……胸筋が太くなっただけなんだよね」
「ぐはぁっ!」
血を吐くような悲壮な顔で、ゆっくりと倒れ、リアシートにもたれかかる真桜。
ピクリとも動かなくなったその義妹の姿に、呆れたように綜も口を挟んだ。
「何やってんだお前ら? 比べるほど違いなんてないのは、見りゃわかるだろ」
フォローのつもりで声を掛けた綜。
だが、その言葉は彼女たちの神経を逆なでするだけだった。
「本当に……こっちの綜にぃはさぁ――どちらかと言うと自由な感じだよね、枷が無いって言うか、デリカシーが無いって言うかさぁ……やっぱりぃ、童貞さんだからかな?」
「うぉい! なんだ? 意趣返しか? 今キュッて、心臓がちょっぴり縮んだぞ!」
「やっぱりチェリーは違うな~、って。にゃははは」
「あー、うっさいぞ彼氏持ち! ちくしょー! なんだこの敗北感!」
思わず両耳を押さえ、声を荒げる綜。
「……うるっさいんだぞ、ガタガタ揺らさないで……」
「お! おおっ、ようやくお目覚めか、ヴィー」
もぞりと億劫そうに、綜の膝の上で上体を起こすヴィー。
寝覚めが悪いのか、その動きは緩慢で不機嫌そうだったが、綜はヴィーがちゃんと起きたことにホッと安堵の吐息をつく。
「バカやるのもそこまでだよ、どうやら出口が見えてきたみたいだ」
由宇の言うとおり。
フロントガラス越しの景色は、赤い霧が徐々に白っぽく変化し、薄まって行くのが感じられた。
「そっか、この先はいよいよ未知の領域ってことか、なんか緊張するな由宇」
「……そうだね、話によるとグールが徘徊してるらしいから、気を付けよう」
話に聞いていた奈落都市に近づくことで、車内にも緊迫感が増していく。
「まあまあ、グール程度ならこの車に近づく前に私が吹き飛ばしてあげるから、そんなにピリピリしなくても大丈夫よ~ん、今からそんなんじゃこの先もたないよー?」
「おっ、さすが経験者は違うねぇ、頼りにしてるよマガイねーさん」
「ふふーん、くすぐったいな~綜にぃ。もっと頼ってくれて良いんだよー」
わざとらしいくらいに、明るく振る舞う綜とマガイ。
それはこの世界に来たばかりの頃、場を和ませるために、亜理紗と交わした会話とよく似た雰囲気を醸し出していた。
そのことに、少なからず感傷的な気持ちを感じながらも、綜はおくびも出さず。
そして二人のやり取りのおかげか、重くなりがちだった車内の空気も和らいできた。
「まー実際、私のオーダーが無くても大丈夫そうだけどね。なんか皆さんスムーズに行ってるみたいだし、銃器や車なんて、学生が用意できる範疇を越えてるよ~」
ガシャリと脇にどけてあったスポーツバッグを軽く持ち上げるマガイ。
金属が擦れ合った音が布越しに重く響く。
その重厚な音でスポーツバックの中には、過分な銃器が詰まっているのがよく分かる。
「でもマガイが来なければ、俺たちはあそこで終わりだったろ、ここまで来れたのは確かに由宇のおかげもあるけど、というかマガイの時は違ったのか?」
「私の時は、どうだったかなぁ……ずいぶん昔の話だからねぇ。その時は【東雲先輩】がお金持ちのお嬢さんってことは知ってたけど、バークウェアに転移してからは別行動だったし。まあ一つ言えるとしたらさ、たぶん今回はイレギュラーが多すぎるってことだけだよ、綜にぃ」
「マガイが此処に来たことも、そのイレギュラーってやつじゃないのか?」
「ふふっ、そう言われればそうだね~」
たわいのない会話でお互いの間に有ったズレを埋めていく。
元々、相手のことはよく知っている、だからこそ気兼ねなく話ができるようになるのにも、さほど時間はかからなかった。
「そろそろかな、みんな……志麻霧市を見るのはもう最後かもしれないから、今のうちに見納めしていた方が良いよ」
タイミングを見計らったように、由宇が運転席から声を掛けてきた。
「まあ、見納めって言ったって、この赤い霧のせいでろくに見えないんだけどな」
「うん、だけど……」
それでも兄妹は故郷の姿を忘れないようにと。
霧で霞んだ街の姿を、その目に焼き付けていた。
「私は戻って来たけど、この志麻霧市は私の故郷とは違うんだよねぇ」
「…………」
マガイの、どこか余韻を含んだ言葉に背を向けつつ、由宇はハンドルを握り、顔を前に固定したままだった。
それから数分。
皆、それぞれが黙とうするように口をつぐんでいた。
静寂に包まれた車中からリアウィンドウ越しに見る景色。
十数年を過ごしてきた街に別れを告げ、綜たちは新たなステージに続く霧のトンネルを抜けようとしていた。
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