第二十四話 自己犠牲
(何か手は……)
今から車内に、銃器を取りに戻ることもできない。
盾と槍の男たちとの一連のやり取りの間に、すでにレンジローバーは獣人の手によって彼らの後方へと運ばれていたからだ。
(こちらの武器になるのは、由宇ちゃんの銃だけか……)
現状では弾丸が三発しか入っていない、由宇のリボルバーのみが彼らの武器だ。
彼らの隙をつき、奪い返すのは難題だ。
一連の彼らの行動は恐るべき手際の良さであり。
足止め役、守備役、攻撃役と流れるようなパターンを持っていたからだ。
(これはおそらく、こいつらが襲撃用として、いつも使っている連携なんだぞ)
それだけの洗練された動きで対象を無力化し、無傷で手に入れる、その意図は――
「ふははは、これはイイ! 純正の車に若い女が二人も付いてきやがった!」
「くひっ、しかもこりゃあかなりの上玉だぜ! やったなぁ、高値で売れるぞ!」
完全に綜たちを見下し、身柄を確保したことを確信する下卑た男たちの笑い声が、辺りへと響き渡る。
喜色を多分に含んだ、獣欲にまみれた下衆の声。
それがヴィーが言っていた通り、人身売買についての話なのだろうということは、想像に容易かった。
(やっぱりこいつら、人攫いなんだぞ!)
「――っあぁ? んだと……てめえらぁ!」
ヴィーが状況を検証してる横で、ようやく呼吸を整えた綜が、ぶちぶちと湧きあがる怒りの感情と共に立ち上がろうとしていた。
だが、そんな綜に一向にかまわず、ひとしきり笑いあった男たちの眼が、遂に品定めする少女たちに注がれる。
「へっ、へへへ。たまには背が高いのも、イイじゃねぇか」
「ひっ!」
今まで獣人の後方に居た武器を持った男たちも、危険は無いと確信したのか、ゆっくりと歩を進め前に出てくる。
その手に見るからに凶悪な武器を持っていることが、さらに真桜の恐怖を煽る。
獣人やオーダーといった非現実的な能力ではない。
もっと原始的で身近な暴力を体現した武器というものは、単純に見る者を委縮させる効果を持っていた。
「い……やっ、いやあぁぁぁ!」
もはや怯えを隠せない真桜は、か細い悲鳴を上げ、逃走を図ろうとするものの、腰が抜けているのか、足でアスファルトを叩くだけで、その身をよじることしかできなかった。
「くぁははは! 面白れぇぇ! ほらっ逃げろ、逃げろぉ!」
ニヤついた笑いを浮かべながら、盾の男がその細身の身体を大げさに揺らす。
わざと大きな足音を立てながら、恐怖に身を竦めた真桜にゆっくりと近づいていく。
瞬間、歪な笑顔を浮かべたその男の顔面目掛け――極限まで引き絞られた弓の弦のように、何かが飛んできた。
「おぉらああぁっ!!」
それはまるで水面を疾駆する水切り石のように、二足飛びで一気に男へと迫る。
――綜の拳だった。
「ぬあっ? こ、小僧!」
躊躇無く振るわれた拳が、勢いよく壁に激突したような、重く鈍い音を立てる。
「うぁっ? に……兄さん!?」
綜の拳は瞬時に男の前方に展開された盾によって弾かれたものの、顔の中心部目掛け勢いよく振りぬかれた拳の気迫に、男はひやりとした焦りを味わった。
「は……ばっ、馬鹿が、生の拳なんぞ効くわけないだろう、俺の盾は――」
「こっの、外道が……面ぁ見せろよ、てめえっ!」
「くひ? ひ、……ひぃいっ!?」
綜の攻撃は男のオーダーである、盾によって簡単に遮られた。
にもかかわらず、盾の影に隠れた向こう側から、不穏な音が聞こえてくる。
それは綜が、目の前の盾の縁に指を掛け、ぎちぎちと、邪魔な遮蔽物を無理やり引き剥がすように、無理やりこじ開けようとしてくる音だった。
「しょっ、正気か? 小僧っ!?」
「邪魔なんだよっ……コイツがあると…………殴れねぇっ!」
接敵した状態で、どう考えても理性的ではない行動を取る、綜のくぐもった怒声を耳にした瞬間。
その烈しい殺気にあてられ、盾の男は総身の毛が逆立ち。
汗腺からは、冷たい汗が一気に噴き出した。
「な! なんなんだ! なんなんだよ!? お、お前はぁ!」
「……やっぱり、どこが優等生なのよ綜。お前、思いっ切り直情型なんだぞ」
理解不能の怯えが混じった声を上げる盾の男。
それと、どこか呆れを含んだヴィーの声が同時に上がる。
幼いころの綜は確かに感情的になりやすく、決して悪童ではないが、その活発でバイタリティ溢れる行動はかなりの頻度で周囲を振り回していた。
その性格が綜自身の情緒の成長と、父親の薫陶という、強固な理性の壁で覆われたことで、行動的でポジティブな性格へと矯正され、親しみやすく一部の級友に特に慕われる――今の柳ヶ瀬綜へと変えた。
だがこの世界に来てから、常に生死のかかった、緊張を強いる非現実的な苦境が、そんな綜の理性の壁を少しずつ削り続けていたのだった。
「おいハゲ、はやくコイツをどけ――っ!」
――視界が赤く染まる。
危険予知の反応を吟味するまでも無く。
直感に従い、盾から指を離すと共に後方に跳ねながら盾表面に蹴りを一発。
その反動の勢いを利用して距離を取った。
その直後、今まで綜が居た場所に獣人の剛腕が振り降ろされ、金物がかき鳴らされるような音を立てながら、アスファルトの表面を爪が削り取って行く。
「グオオォォォ!」
「このっ、綜に手を出すな!」
なおも綜に追撃を掛けようと一歩踏み込んだ獣人目掛け、由宇がリボルバーを連射して応戦する。
しかしその抵抗も、横合いから割り込んだ黄金の盾によって阻まれた。
「くっ……弾が!」
カチンと、撃鉄がむなしく空撃ちの音を立てる。
装填されていた弾丸を由宇は全て撃ち尽くし、もはや略奪者に抗う術はなくなった。
双方ともに、すでに結果が見えたと、誰もが思い始めた瞬間――
「触れさせるかよ! てめえらみたいな下衆に!!」
それでもなお、綜は真桜とヴィーを守るように、毅然とその前に立ち塞がる。
目の前で蛮行に及ぼうとする男たちに、決して臆すことはなく。
暴虐の風に吹き飛ばされぬようにと、意地でも抗う姿がそこには在った。
「く……おいっ、その小僧は危険だ! そいつは要らないから、吹き飛ばしてしまえ!」
「ふひっ、バカなガキだ。おとなしく従ってりゃ……命だけは、見逃したのによぉ!」
盾の男の指示に、槍の男が応える。
その掲げた左手に霊力粒子が集束しているのだと、見ている者の感覚に訴えてくる。
それはパズルのピースが高速で嵌まって行くのを見るように、男の掌の上で見る間に槍の形へと整っていく。
ついに槍の形が顕現すると、男はその槍を即座に掴むと、投擲のために左腕を引き、勢いよく背を逸らす。
(っ!、しまった――このままじゃ、真桜たちに!)
綜は、背後に真桜たちを庇ったことが、徒となったことを悟る。
もしあの槍を避ければ、未だに座り込んだままの真桜が被害を受ける。
仮に槍の射線上から逃れたとしても、爆風からは逃れることができない。
覚悟を決めるしかない、と綜が両足を軽く開き、両腕を身体の前でクロスさせたとき。
――視界が、朱く染まった。
「……はっ、やっぱりそうなるか」
「綜? まさか!」
ぽつりと呟いた綜の覚悟の言葉と、その行動に、ヴィーは確信した。
綜が槍を避けるつもりが無いことに、そして目の前で、自分たちのために肉の壁になるつもりなのだということを。
「消し飛びなぁ! 小僧!」
赤く塗られた視界の奥で、なお色濃く存在を示す黄銅の槍が、男の掲げた左手から射出される。
綜の世界を覆った緋色の膜を突き破るように、大気を揺るがし槍が迫る。
もはや避ける暇もなく、綜の意志があきらめに彩られていく。
その時――小さな影が、目の前に飛び出した。
「っくぅ! ああぁぁぁぁっ!!」
「なっ!? ヴィー!!」
後方から槍の速度に負けない速さで、綜の肩越しに飛び出したのは――ヴィー・クー。
ヴィーはすぐさま急停止し、綜の眼前にその矮躯で陣取ると、小さく、愛くるしい両の掌を胸元に掲げ、空中に桜色の紋様で彩られた陣を形成する。
それは複雑な幾何学模様で展開された、一メートル弱の防御陣。
その方陣が、綜に迫っていた死のオーダーを、受け止めた。
――それは時間にして、ほんの三、四秒の拮抗。
接触面から、槍とヴィーの方陣は互いに霊力粒子をまき散らし。
その弾け飛ぶ光の奔流は辺りを彩り、まるで花火のように幻想的な空間を作り出していた。
「あ、ああぁ……っ!」
遂に槍を構成していた霊力粒子が霧散し、それと共にヴィーが展開していた方陣も光を失うと、大気に溶ける様に消えていく。
辺りの赤い霧を裂くような、激しい光の明滅が終わった時。
そこには生気を失ったヴィーだけが、まるで取り残された風船のように、力無く、ふわりふわりと浮かんでいた。
「ぁ……逃げる、ん……だぞ、綜。あ、アタシは……も、う……」
「おい、ヴィー!」
ヴィーの突然の行動に、その場に居た誰しもが驚き、硬直したように動くことができなかった。
その中でもはじめに動いたのは、ふらふらと高度を下げ落ち始めたヴィーを、その両の掌で受け止めた綜だった。
「しっかりしろ! なんだよこれ……なんでお前が、ヴィー! くそっ!」
力尽きたように、掌の上でぐったりと横たわるヴィーから体温の温もりを感じない。
その事実に、綜の血の気が引いていく。
いつの間にか綜の視界は、元の正常な色を取り戻していたのだが、綜はそれどころではなく、ただただ焦りの叫びを上げる。
その声に、呆けていた者たちもようやく我に返った。
「綜、気を付けて! まだ終わっていないんだよ!」
声をかけ注意を促す由宇も、この先、男たちの包囲網を破って離脱を計る方法が思いつかなかった。
ヴィーは力尽き、綜も真桜も動転し碌に動くことができない。
自分の手元に残されたのは、空の薬きょうが詰まった鉄の塊りだけだ。
万事休す――由宇にはもはや歯噛みするほか、残された術は無い――ハズだった。
「なに……この音?」
霧の向こうから響く、低音のエキゾーストノートに最初に気付いたのは、真桜だった。
それに続くように、いまだ掌のヴィーを気に掛ける綜と、男たちの挙動を漏らさず監視していた由宇もまた、その近づいてくる排気音に気が付いた。
「エンジン、の……音?」
「あれは、まさかバイク? おい、こっちに来るぞ!」
綜たちの前方、男たちからは後方の方角。
およそ百メートル先の霧で霞んだ建物の影から、音の正体――黒のライダーは、その姿を現した。