子供と大人
「……本当に、あの親は」
苛立ちを隠そうともせず、眉間にしわを寄せながら吐き捨てるように女は言う。
「心配なんだろうよ。どうしたって」
当たり障りのない諭す言葉を口にすると、女はすぐに言い返してくる。
「だとしても、よ。干渉しないで欲しいわ」
「親と未成年の子供、という立ち位置なんだから仕方がないだろう」
憮然をそのまま表現したようなふくれっ面を女はすると、ぶつくさぶつくさと文句を並べ始めた。
「別に結婚できる年齢には二年前になってるのよ?いいじゃないの」
「結婚できることと責任能力は別だということだ」
「……嫌な正論ね」
「抜けてるやつに正論を言うのが大人の仕事だからな」
女はじとっとした目でこちらを見たが、私は無関係を決め込むように時計を眺めていた。
カチ、カチと長針は秒針に追い掛け回され、いつの間にか追い抜かれていた。
長い時間の貯えを行っている者は足の速い者に追い抜かれやすい。
外見はそう思えてしまう。
しかしその時の流れは同じように見えてまるで違う。
同じく「時」という流れの単位にしろ、60秒と60分を同じと言える人間はいないのだ。
それなのにただただ長針を抜かしただけで自身のことを誇り高く思ってしまう秒針は少なからずいる。 どれほど立ち振る舞いを洗練しようと、それは避けようのない事実だ。
大局的に物事を見れば遥かに届かないというのに。
「……私はまだ子供。そういうこと?」
「ああ」
しかしそれを自覚していてもなお自身に尊厳をもたらそうとする秒針もいる。
60秒を無理やり60回繰り返そうとする馬鹿もいるのだ。
それが嫌いじゃないのが、私としては困ってしまう。
女の父親が心配しているのは、きっとそういうところだ。
ぐるぐる回りすぎて、大事な要の部分が折れることを危惧しているのだろう。
女は私の返答に少し考えるようにこめかみを指でトントンと叩き、やがて面白い何かを思いついたようににんまりと笑う。
「私は『まだ』子供。そういうことね?」
その言葉で何が言いたいか察してしまえた私は、しかし何も抵抗などできずに彼女の求める答えを吐き出す他はなかった。
「……ああ」
私の肯定の言葉にふふーんと得意げに鼻を鳴らした彼女は、私を見つめる。
大きな瞳が肉食獣のように、あるいは誰もが欲しがる宝石のように輝いた。
「言質、取ったわよ?」
「……それを判断するのは俺じゃない」
「ええ。でもそのうちの一人ではあるじゃない?」
「……減らない口だな。本当に」
私の呆れるような言葉に、女の口は弓なりに歪む。
苦笑交じりのため息をつきながらコーヒーをあおると、冷えつつある苦い液体がすっと喉の奥へと忍び込んでいった。
「お代わり、いるでしょう?」
「ああ、貰うよ」
飲み干して空になったカップを女に預ければ、女は自分の湯飲みも持って台所へと引っ込み、持ち込んだコップと入れ替わりにコーヒーカップを二つ持ってリビングへと入ってきた。
それに私は驚きで目を見開き、自分と女の目の前にそれぞれのコーヒーの入ったコップがおかれた様子を静かに見ていた。
「お前……コーヒー飲んだか?」
「いいえ。飲まなかったわよ。今まではね」
そう何ともない様子で言い放つと、そのまま女はゆっくりとコーヒーのカップを持ち、口の中に含んだ。
ごくりごくりと何回か喉が鳴った後、珍しくわかりやすいほどに表情が変わった。
「……苦い」
その端的な言葉に私は思わず吹き出してしまった。
その私の様子は織り込み済みだったのか、何の目線もくれずに女は我慢するように静かにカップを傾けていた。
「やめとけやめとけ。素直に砂糖やミルクを入れた方がいい」
笑みが止まらないままの私の助言は、苦みに耐えて眉間にしわが寄っている女にはいまいち聞き届けられなかった。
「形から入るタイプなのよ、私は」
コーヒーが冷めてきたのか両手でカップを覆う様はまさしく少女に見えたが、それでも女は大人になろうと足掻いていた。
「苦いときは素直にブラックはやめとけよ」
「いいじゃない。慣れたいのよ。大人の味ってやつに」
無茶であろうと、それは子供の背伸びというにはいささか無礼でもあり、登竜門というには大げさに過ぎた。
大人は苦みに耐えているのではなく、苦いのが普通なのだと。
そのように目の前の子が理解できるのは、きっと遠くはないだろう。
「欲しくなったら入れとけよ。無理に不味く飲むのも勿体ない」
勿体ない、といった言葉にはどこか女も感じる部分があったのか、こくんと一つ頷いた。
「……そうする」
何回か動くカップと女の様子を見ながら、私もコップを持ち上げた。
自分でも驚くほどに私の口元はにこやかな笑みを浮かべながら、慣れ親しんだ苦い液体を飲み込んだ。




