つつかれる藪
「……でも、あれね」
箸を動かし、咀嚼を繰り返していた私のことをじっと見つめていた女が不意に口を開いた。
口に物が入っていたため、何を言おうとしているんだ、と目で訴えたら続きの言葉を口にした。
「貴方、同情しないのよね」
「お前の境遇にか?」
「ええ」
ごくりと噛みしめたものを飲み込んだ後女の言葉に答えると、女はこくりと一つ頷く。
「よくそういう目線を向けられるのよ。不愉快極まりないことなのだけれど」
少しだけ眉をひそめながら私に愚痴のようにこぼす。
女の言葉に少し考えこむため、私は茶碗をことりとテーブルの上に置く。
目は口程に物を言うとはいうが、憐みの視線などはより一層分かりやすいのだろう。
可哀想、というのは自分よりも下の者に対する感情だからだ。
同情というのは同じ情と書くが、立場も違い同一人物でもないのに同じ感情が芽生えることなどあるのだろうか。
噂話を耳にしただけで同じ情になれるほど人間の感受性というものは豊かなのだろうか。
ある人間のことを一聞いただけで十知れるものなどいるのだろうか。
それなのに己を全て知ったように同情の目線を向けてくるとなれば、確かに反感やら不快感を覚えるのも仕方がないだろう。
「……学生か?」
「貴方の会社の人間にもいるわよ」
「どこにでもいるってことか」
「ええ。人間って自分のことを思いの外過大評価しやすいみたいね」
酒でも飲むかのように女は湯呑を傾ける。
僅かを知っただけで広大な世界のすべてを知ったつもりになった人間は、確かに山ほどいるように思える。
そして井の中の蛙は往々にして甲高い声で鳴くのだ。
「俺はそこまで傲慢になれないってだけだよ」
「いいじゃない。己を知っているってことでしょう?」
「良く言えばな」
「悪く言ってもそうよ」
私に向かって微笑むように女はそういうと、どこか照れ臭くなって私は茶碗の中に残った白飯を口の中に掻き込んだ。
そうするといつの間にか食卓の上から食物は私と女の胃の中に消え去っており、満腹中枢が確かに物体の存在を主張する。
私はそこで手を合わせてお決まりの文句を発した。
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末様でした」
定番のコールアンドレスポンス。しかし日本人の根幹ともいえるこの問答を済ませると、女は立ち上がって空いた皿を片付け始める。
私もそれに連れだって皿を台所にまでもっていくと、ありがとう、と女に礼を言われた。
「ありがとう。それじゃ座ってなさいな。食後はコーヒーでいいわね?」
「ああ。頼む」
シンクの中に置かれた皿の中に食器を仲間入りさせると、女に言われたまま俺は元来たリビングへと戻って椅子に座った。
カチャカチャと食器の擦れる音が聞こえる。
他者の存在。それはここにおいては、私にとっては孤独の解消と心労の増加の二つの効果が与えられていた。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
手早く洗い物を終えたのか、コーヒーカップとソーサラーをもって女がリビングに戻ってきた。
私の前にカップを置くと、既に空になっていたのか自分の湯飲みにお茶を注いだ。
礼を言いながらコーヒーをのどに流し込む。
ブラック。砂糖もミルクも入っていない苦々しい液体が舌にこびりついて存在を主張する。
それでもごくんと飲み下せば、鼻のあたりに香ばしい香りが広がった。
「……時間、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなくてもここにいるわよ」
遠回しに帰宅を促したものの、女は目線を合わそうともせずに湯呑を傾けた。
食事が終わったら用が済んだ、というわけではないが、夕食時の時間を過ぎてもなお女学生が家にいる、というのはやはり精神衛生上よろしくないのだ。
そこまで私は精神的に愚鈍にはなれない。
「……落ち着けるのよ、ここは」
批判的な視線を向けていると、ぼそりと、女が呟くように言った。
落ち着ける空間、女はここのことをそう称した。
それは他者の存在があっても違和感を覚えない空間であり、同時にその空間にいるのが存在を許せる他者でもあるということだ。
「それは光栄なことだ。だが、そうやってここをぬるま湯にしておくわけにはいかない、というのも分かって欲しい」
「あら、お説教?」
「懇願だよ」
私の言葉に目線だけ挙げてこちらを見た女から視線を逸らすように、私はコーヒーを飲みながらカップの中に視線を落とした。
そうだ、これは願いなのだ。
ぬるま湯は放置されているからこの温度を保てているのであって、いつだれが火を加えないかもわからないのだ。
ぬるま湯がいつの間にか五右衛門風呂になっていない保証などないのだから。
「……卑怯な人ね」
「相手がまっとうな手段を用いないからな」
そこでも私は目線を合わせない。事務的な口調で女に対して言葉を放った。
女の言葉に真顔で返せば、初めて女は面白くないような表情を浮かべた。
「……お父様が、何かあなたに言ったの?」
ああ、この目の前の女学生はやはり賢明だ。
余りにも察しがいい。
血はつながってはいないとはいえ、やはり親子なのだ。
「……ああ。迷惑をかけてすまんな、と言われたよ」
がちゃんと、女が強く湯呑を机に叩くように置いた。




