第6話:虚構の鎖と血の誓約
第6話:虚構の鎖と血の誓約
「……全員、剣を抜けッ!!」 異端審問官の男が放った冷酷な怒号が、静寂に包まれた街の廃墟へ甲高く響き渡った。 崩れ落ちた白灰の建物の影、歪んだ瓦礫の隙間から、漆黒の外套を纏う審問官たちが次々と湧き出すように滑り出てくる。その数、およそ二十。滑らかな手つきで引き抜かれた剣の刃には、黒紫色の禍々しい毒薬が塗り込められており、夜風に乗って不快な酸の匂いを撒き散らしていた。彼らは一切の足音を殺し、ガゼル、ルカ、そしてヒルデの三人を取り囲むように、完全な包囲陣を形成する。 「ガゼル隊長、そしてルカ。本当に残念だよ……」 包囲網の正面から歩み出た首領格の審問官が、口元に薄汚い嘲笑を浮かべながら毒剣を突きつけた。 「白灰の街で化け物に殺されてくれれば、王国としても『花実を咲かせた悲劇の英雄』として美しく処理できたものを。……余計な真実を探り、王国の『闇』を知りすぎたな」 「……な……」 毒剣から立ち昇る黒紫の煙が、風に乗ってガゼルとルカの顔を撫でる。その言葉の意味が脳裏に毒のように浸透し、二人の胸を鋭く穿った。 「俺たちを……最初から処分するつもりだったのか……ッ!?」 ガゼルの声が、殺気に満ちた静寂の中で低く、激しく震えた。 身を捧げて信じ続けた王国。戦場に散っていった多くの部下たちや仲間。復讐の鬼と化して血の涙を流していたヒルデ。そのすべてが——不老長寿と絶対権力を貪る王国の老上層部と、あの白炎の魔族・ルシエルの醜悪な裏取引を覆い隠すための、使い捨ての『駒』に過ぎなかったのだ。 「隊長……僕たち、何のために……誰のために戦ってきたんですか……!?」 ルカの瞳から、耐えきれなくなった涙が溢れ出し、頬を伝って土を濡らす。弓を握る手が、番えた矢の羽を擦れ合わせるほど激しく震えていた。長年抱き続けてきた騎士としての誇りも、国への忠忠も、すべてが泥で汚された足拭きマットのように踏みにじられたのだ。 「フッ、何を今更悲しむことがある?」 首領の男は可笑しそうに肩を揺らし、刃を歪に光らせた。 「貴様ら下兵の泥臭い命など、閣下たちとルシエル様の高貴な試みの礎になれたのだ。身に余る光栄と思って死ねッ! ……射ち落とせ!!」 「「「死ねぇぇぇッ!!」」」 審問官たちが一斉に弓を引き絞り、解き放たれた毒矢の雨が、暗雲の立ちこめる空を黒く染めて殺到する——その瞬間。
ドドォォォンッ!!!!
ガゼルたちの眼前に、巨大な黒紫の魔力の壁が地面を爆砕しながら噴出された。天を突くほどの渦を巻く漆黒の炎。降り注いだ毒矢の雨は、二人の頭上に届く前に黒炎に包まれ、一瞬で音もなく灰となってかき消された。 「……鬱陶しいハエどもが」 白煙と黒炎の渦を押し分けるようにして、一歩踏み出してきた影があった。 異形の大腕に、己の背丈ほどもある漆黒の大剣『誓約の咎喰い』を無造作に担いだ白髪の女騎士——ヒルデだった。フードの隙間から覗く血のごとき赤瞳。彼女はガゼルたちに背を向けたまま、氷のように冷ややかに吐き捨てる。 「失せろ、ガゼル。ここで奴らの毒刃に倒れたところで、あの豚どもの肥やしになるだけだ」 「ヒルデ……!」 「言ったはずだ。次に私の前に立ち塞がり、刃を交えれば……誰であろうと斬ると」 分厚い呪符と黒帯が巻かれた左腕から、凄まじい熱量と殺気が放たれている。だが、ガゼルとルカの目に映るその広背は、かつて『鉄鎖』第1班で、まだ幼さの残る年下の二人を何度も死線から救い出し、庇い続けてくれた「頼れる副隊長」の背中そのものだった。 ルカは溢れる涙を濡れた袖で雑に拭うと、激しく震えていた指先を強引に固定し、矢を引き絞った。 「嫌だ……! もう二人を置いて逃げたりなんてしない!!」 「ルカ……!?」 「もう二度と……姉さんを一人で化け物にさせない! 僕も戦う……! この腐れ豚どもの都合で殺されてたまるか!!」 ルカの叫びには、怯えの欠片もなかった。 「フッ……言うようになったじゃねえか、小僧」 ガゼルが自嘲気味に口端を上げると、手甲の嵌った両手を強く叩き鳴らした。甲高い金属音が夜の廃墟に響き渡る。腰の鞘から二本の大剣を引き抜き、鋭い連撃の構えをとると、凄絶な笑みを浮かべてヒルデの横へ並び立った。 「おい、ヒルデ。俺たちの誇りを泥で汚した豚どもと、あの白炎の野郎をぶち殺すってんなら……俺にも一枚噛ませろ」 「……勝手にしろ。足手まといになったら、敵ごと背後から切り捨てる」 冷淡な言葉とは裏腹に、ヒルデの薄い唇がほんの僅かに綻んだ。 『クハハハ! 良いぞ娘! 己を縛る偽りの鎖を食いちぎり、目の前の害虫を潰すには上出来な血気だ!』 脳内で、大剣に封じられた古代の魔神エレボスが愉悦に満ちた高笑いを上げる。 「狂ったか化け物どもめ! 構わん、まとめて全員殺せーーーーッ!!」 正気を取り戻した審問官たちが、毒剣を構えて四方から一斉に襲いかかってきた。 「行くぞッ!!」 ガゼルの怒号とともに、新生した『鉄鎖』の反撃が始まった。 ガゼルの二刀流が凄絶な旋風を描き、交差する毒剣を力任せに跳ね飛ばして刺客たちの体制を崩す。間髪入れず、ルカが放った精密な連射が敵の隙を的確に穿ち、外套を縫い留めて動きを完全に封じ込める。 そして、中央を一直線に突き進むのは、異形の大腕を誇示するヒルデだった。 「ハアァァァッ!!」 彼女が大剣『誓約の咎喰い』を水平に一閃させると、溢れ出したエレボスの黒炎が巨大な刃となって空間をなぎ払った。押し寄せていた刺客たちの武器も、防具も、その肉体すらも、悲鳴を上げる暇もなく黒炎の濁流に呑み込まれ、一瞬で灰へと化していく。 「ひっ……あ、悪魔だ……た、助け……!」 一瞬で部下を失い、恐怖で膝を突いた首領の男。その喉笛を、ヒルデの黒く鋭い爪がガチリと掴み上げた。 「……ひぐっ!?」 男の体が浮き上がる。赤瞳で見下ろすヒルデの顔には、一切の情け容赦もなかった。 「上層部の老いぼれどもと、ルシエルに伝えろ。……今から全てを叩き潰しに行ってやる、とな」 「が……あ……っ」 ガリッ!! ヒルデが爪に力を込めると同時に、漆黒の炎が男の体内から爆発的に噴出した。絶叫すら残すことを許されず、首領の肉体は内側から焼き尽くされ、風に舞う一握りの灰となって消滅した。
◇
散っていく黒い灰。静寂を取り戻した廃墟の石畳の上に、一冊の重厚な皮装丁の書物が落ちた。 「これは……」 ルカが駆け寄り、その書物を素早く拾い上げる。首領の審問官が懐に忍ばせていた、上層部直属の暗号魔導書だった。ルカは真剣な眼差しで頁を繰り、魔導書に刻まれた暗号の配列と通信術式を解読していく。 「見えた...! ヒルデ姉さん、ガゼル隊長! 暗号の解読ができました!」 ルカが指し示した頁の解析結果を見て、ガゼルが手甲の拳を固く握り締め、強く頷いた。 「……ルシエルと上層部の老いぼれどもめ。王都の地下深くに隠された、極秘実験施設に揃って固まってやがるな」 「ちょうどいい。一箇所に集まっているなら、まとめて引導を渡すだけだ」 ヒルデの左腕から溢れていた黒炎が静かに引き、分厚い呪符と黒帯が生き物のように再び異形の腕を巻き付け、堅固に縛り上げていく。 「行くぞ。俺たちの『鉄鎖』は、もう国の犬じゃない。俺たちのすべてを奪い、弄んだ奴らに……真の報いを受けさせる」 ガゼルの力強い言葉に、ルカも涙を拭い、力強く頷いた。 ヒルデは深くフードをかぶり直すと、遠く王都へと続く街道の闇を指し示す。 「……勝手にしろ」 背を向けたまま、迷いのない足取りで歩み出す白髪の女騎士。 そのすぐ後ろを、己の意志で戦うことを決意した二人の剣士と弓士が、確かな歩調で続いていく。 復讐の刃と破滅の黒炎を携え、三人は王都の地下深くに潜む「最大にして最後の敵」へ向けて、静かに歩み出した。
(第7話へ続く)




