第5話:白灰の街と偽りの救済
第5話:白灰の街と偽りの救済
国境の山脈を越えた先に広がっていたのは、かつて交易の要衝として栄えた都市『白灰の街』の壮絶な廃墟だった。 立ちこめる霧は通常のそれではない。風が吹き抜けるたび、白銀の粉雪のような微粒子——ルシエルが残した「白炎の残滓」が舞い上がり、石造りの街並みを死に装束のように白く覆い隠していた。 「……また、あいつの実験の跡か」 フードを深めにかぶったヒルデは、分厚い黒帯で固く縛りつけた左腕の痛みに顔を歪めた。異形化した爪腕の皮膚の下で、エレボスの黒き魔気が不気味にうずいている。 鼻腔を突くのは、焦げ付いた肉と硫黄の混ざった不快な異臭。 直後、崩れた家々の影から、ギギ……ギギギ……と骨が軋むような音が響いた。 這い出てきたのは、街の元住民と思われる者たちだった。 だが、彼らの肉体は半ば透けた「白い灰」で構成され、胸の奥で鈍い白光が心臓のように脈動している。瞳は光を失い、焦点の定まらない空洞だった。 「す……くいを……我らに……」 「熱い……助け……て……」 死者のうめきを漏らしながら、灰の亡者たちが群れをなして蠢く。 『クハハハ! 哀れな人形どもめ!』 脳内でエレボスの嘲笑が響く。 『白炎を注ぎ込み「死なない灰の器」を作ろうとしたな、白銀の幼虫め。……だが精神が耐え切れず、ただの生きる屍に成り果てておる』 「……黙れ」 ヒルデは血の滲む唇を噛み締め、背中の大剣『誓約の咎喰い』を引き抜いた。 「あいつの玩具のまま蠢くくらいなら……ここで灰に戻る方がマシだ!」 ガァンッ! 黒炎を纏う大剣が一閃。向かってくる亡者たちを一刀両断する。 攻撃を受けた者は悲鳴すら上げず、一瞬で純粋な灰となって崩れ、風に消えていった。 それは殺戮ではない。呪縛にとらわれた犠牲者たちへの、苦痛からの介錯(引導)だった。 だが——返り血と灰に塗れ、絶叫しながら剣を振るうヒルデの姿は、遠目には「無差別に民を切り捨てる悪鬼」そのものだった。
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「……嘘だろ……!? 嘘だと言ってくれよ、ヒルデ姉さん……!」 崩れた大聖堂の影で目撃したルカが、膝から崩れ落ちた。 追いついたガゼルも、その惨状に息を呑む。ルカが震える手で弓を引き絞るが、ガゼルは咄嗟にその手を押し下げた。 「待て、ルカ! 様子がおかしい……斬られた瞬間、ただの灰になって崩れたぞ! あれは人間じゃない!」 「でも……ッ!」 二人が動揺したその時、暗がりから甲冑の擦れる不穏な音が響いた。 「——そこまでだ、追撃隊」 振り返ると、漆黒の外套と仮面を纏った一団——軍総司令部直属の極秘処刑部隊『異端審問班』が立ち塞がっていた。 首領の男が羊皮紙を掲げ、冷たく言い放つ。 「見た通りだ、ガゼル隊長。ヒルデは無辜の民を惨殺する害獣と化した。……異端審問班がここで処断する」 「異端審問部隊……!? なぜこんな国境に貴様らがいる!?」 追撃命令が出た直後に追いついてくる異常さ。ガゼルの追及に、審問官の男は仮面の奥で低く笑った。 「なぜ我々がこの場所を知っていたのか……なぜ『鉄鎖』があの遺跡へ送り込まれたのか。……クク、決まっているだろう。ここで消える死人に、隠す秘密などないからだ」 「な……ッ!?」 「貴様らが『国のため』と流した血も命も……すべては軍最高幹部たちのための『肥やし』に過ぎん。人間を不滅の兵器に変える研究……その過程で生まれる技術で、老いさらばれた閣下たちは『永遠の若さ』を手に入れるのだ。……魔族ルシエルと裏で手を握りな」 「貴様ら……ッ! 仲間の命を……兵の誇りをなんだと思っている!!」 信じて命を懸けてきた国、そして散っていった仲間の誇り——そのすべてが、醜い老いぼれどもの「若返り」のために踏み躙られていた。 ガゼルの全身が激怒で震える。 「絶望したか? だが安心しろ。貴様ら二人もここで死ねば『化け物に挑んで討ち死にした英雄』として飾り立ててやる」 審問官が毒剣を引き抜いた、その瞬間——。 ドドォォォンッ!!!! 地響きとともに、爆発的な黒紫の魔力が吹き荒れた。
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手に残る、灰を斬った虚しい手応え。 自らの手で引導を渡さざるを得なかった犠牲者たちの死に顔が、ヒルデの胸を鋭く突き刺していた。 (守りたかった……ッ) 復讐しか知らなかった自分に、『鉄鎖』の仲間たちが教えてくれた「民を守る」という誇り。だが、ルシエルも、国の豚どもも、その小さな平穏すら踏みにじり、あまつさえ自分に彼らを殺させた。 胸を引き裂くような罪悪感と、民の尊厳すら奪った者たちへの殺意が、左腕の黒炎となって爆発する。 「……嗅ぎ慣れた嫌な匂いがする」 ゆっくりと振り返ったヒルデの瞳は、絶望と狂気の赤に染まっていた。 その視線が異端審問官たちを射抜く。 「ヒルデ……姉さん……」 泣き叫ぶルカから目を逸らし、ヒルデは大剣の切っ先を突きつけた。 異形化した左腕の黒帯が弾け飛び、凄まじい密度の黒炎が渦を巻く。 「犬どもが。上層部の腐れ豚どもに伝えろ……」 奥歯を噛み割りそうなほどの凄絶な笑みが、白髪の少女の唇に浮かぶ。 「仲間を実験台にし、街を灰に変えた報いは……全員の首を刎ねて支払わせる、とな」 『クハハハ! 良いぞ娘! 屠れ! 全て焼き尽くせ!』 解き放たれた黒き濁流が、白灰の街を呑み込んでいく。 「待て、ヒルデ! 俺たちも——!」 ガゼルの叫びは轟音にかき消された。 もはや光の世界へは戻れない。信じたすべてに裏切られながらも、少女は自らが選んだ修羅の道を、影とともに突き進んでいく。
(第6話へ続く)




