第17話:『溢れ出す咎』
第17話:『溢れ出す咎』
ガカァァンッ!!
地下洞穴の天井から鋭い鍾乳石が崩れ落ちる。
ヒルデが叩きつけた渾身の大撃は、石畳を大きく爆砕した。しかし、その爆炎を割って飛び出したヴェールは、すでにヒルデの頭上へと躍り出ていた。
「重いだけでは、この私には届かないわ」
ヴェールの瞳に宿る冷徹な光。彼女の細身の直剣に、中層部の濃厚な大気魔力が限界を超えて充填されていく。銀色の奔流は幾重もの高圧な刃となり、暴風となって地下空間を渦巻いた。
「魔術剣・『銀華烈閃』」
無数の銀の閃光が、雨あられとなってヒルデへ降り注ぐ。
ドカカカカカッ!!
「くっ……!」
大剣の腹で受け止めるものの、一撃一撃が削岩機のようにヒルデの巨躯を震わせる。中層部の潤沢な魔力を背景にしたヴェールの手数と速度は、まさに外縁部の魔族とは次元が異なっていた。受けに回ったヒルデの足元がメリメリと沈み込み、激しい衝撃波が肉体を内側から苛む。
「無駄よ。この中層部において、魔力は無限に等しい。……貴女のその力も、システムの前に尽き果てる」
ヴェールは空中から着地すると同時に、容赦なく追撃の突きを繰り出す。その剣筋には、弱者から搾取した魔力を一切の躊躇なく使い潰す「奪う者の理屈」が冷徹に宿っていた。
同族を売って平然としている暗部。その歪んだ搾取構造の上に成り立ち、自らの手を汚さずに「必要な犠牲」だと切り捨てる裏切りの剣士。
(これが……こいつらの言う『理』だってのか……!?)
ヒルデの胸の奥から、ドロリとした熱いものが逆流した。
その激怒に応えるように——包帯の解けた左腕が、これまでにない異様な激動を始めた。
ズキンッ!!
「ぐあッ……!?」
激痛。肉体を内側から焼かれ、骨を砕かれるような感覚。黒い鱗がヒルデの肩口、さらには首筋へと侵食を進めていく。
『クハハハハッ! 聞こえるぞ娘! 支配者気取りの女が撒き散らす、歪んだ自愛と無自覚な悪意(咎)! そして街に溢れる無数の悲鳴! 極上だ、極上の『咎』がここには満ちておるぞッ!』
脳裏でエレボスが狂喜乱舞する。その奔流のような悪意の波動が、ヒルデの精神を飲み込もうと暴れ狂った。
「ヒルデ! 腕の侵食が……っ! 危険だ、それ以上力を解放したら正気を失うぞ!」
後方からルカの悲痛な叫びが飛ぶ。
「ヒルデ、持ちこたえろ! 俺の盾を使えッ!」
ガゼルが大盾を構えて飛び出そうとする。だが、ヒルデは右手で大剣を強く握り直し、二人を制するように一歩踏み止まった。
「……来ないで、二人とも……!」
歯を食いしばり、血の滲む唇から漏れ出たのは、暴走に屈する者の声ではなかった。
激痛に身体を震わせながらも、ヒルデの瞳は失われていない。それどころか、黒炎の奥で冴え渡るような鋭い意思の光が燃え盛っていた。
(狂って暴れるな……エレボス!)
ヒルデは心の中で、己の左腕に宿る魔物へ強烈な一撃を叩き込むように思考を放った。
(お前はただの暴力じゃない。あたしの腕だ……! この腐り切った世界の仕組みを、喰い千切るための歯車になれッ!)
『……なに……!?』
エレボスの狂喜が一瞬、驚愕へと変わる。
今までのように痛みに耐えて力を「引き出す」のではない。あるいは呪いに呑まれて「暴走する」のでもない。ヒルデは己の意志で左腕の痛みをねじ伏せ、エレボスの『喰らう力』そのものの指向性を完璧に統御し始めたのだ。
ゴオオオオオオッ!!
左腕の黒鱗から放たれる圧力が一変した。拡散していた無差別な黒炎が、恐ろしいほどの密度でヒルデの右手の大剣へと吸い上げられていく。
それだけではない。ヴェールが身に纏っていた中層部の銀色の魔力、知らぬ間に地下洞穴を満たしていた濃密な大気魔力までもが、ヒルデの左腕に向かって渦を巻き、強制的に引きずり込まれていった。
「な……ッ!? 私の魔力が……空間の魔力ごと、吸い寄せられている……!?」
ヴェールが初めて目を見開き、戦慄した。
彼女が頼みにしていた「中層部の無限の魔力」というアドバンテージそのものが、ヒルデの左腕という底なしのブラックホールによって強奪されていく。
『……ク……クハハハハハッ! 面白い! 支配構造そのものを喰らい尽くすか、娘……! ならば見せてみよ、その意思をッ!』
エレボスの歓喜の咆哮とともに、ヒルデの大剣は禍々しい漆黒から、魔力を喰らい尽くして放たれる絶対的な紫黒の閃光へと変貌を遂げた。
「お前たちが……どれだけ綺麗な言葉で飾ろうと」
ヒルデは二メートルを超える巨躯を低く構えた。床の石畳が重力に耐えかねて沈み込み、巨大な蜘蛛の巣状の亀裂が全方向へ走る。
「奪われた奴らの血と涙を……踏みにじっていい理由にはならないんだよッ!!」
「調子に乗るな、化け物がッ!!」
ヴェールが叫び、全魔力を注ぎ込んだ銀の閃光となって突撃する。空間を穿つ一死必殺の突き。
だが、覚醒したヒルデの眼には、その動きが緩やかにすら見えていた。
ヒルデは避けない。踏み込む。
「……全部、喰らい尽くせッ!」
振り下ろされた大剣から解き放たれたのは、単なる斬撃ではなかった。
空間に満ちる魔力と悪意を喰らい、それを純粋な破壊へと昇華させた紫黒の巨砲。直線状のすべてを呑み込む圧倒的な質量波が、ヴェールの銀華を瞬時に擦り潰し、彼女の直剣ごと正面から粉砕した。
ズドォォォォォォォンッ!!!!
地下洞穴全体が大きく揺れ、強烈な光と衝撃波が吹き荒れる。
「あ……あぁぁぁぁぁっ……!?」
ヴェールの絶叫が爆音に呑み込まれていく。
衝撃が去った後。
地下洞穴の奥まで続く、直線状の巨大な壊滅痕が残されていた。壁は吹き飛び、天井からは地上からの光がわずかに差し込んでいる。
その中心で、ヴェールは黒銀の甲冑を砕かれ、武器を失って膝をついていた。吐血し、もはや指一本動かす余力すらない。
「そんな……世界を支える……私の正しさが……こんな力任せの暴力に……」
虚ろな目で呟くヴェールに対し、ヒルデは大剣を背中の鞘へと静かに納めた。
「力力任せじゃない」
ヒルデは立ち上がり、冷ややかにヴェールを見下ろした。
左腕の黒鱗は少しずつ収まり、包帯の残骸の下で静かな脈動へと戻っていく。正気を保ち、己の意思で力を御し切ったヒルデの瞳には、かつてない強固な覚悟が宿っていた。
「お前たちの理屈が、奪われた奴らの怒りに負けただけだ」
静かな一言が、地下洞穴に重く響き渡った。
(第18話へ続く)




