第15話:『家畜の檻と白銀の印』
第15話:『家畜の檻と白銀の印』
賑やかな大通りを一本外れると、光に満ちていた『流楽街』の色彩は急速に失われていった。
白磁の壁は立ち枯れたように灰色にくすみ、頭上の人工精霊石の光も届かない裏路地。立ち込めるドブと湿気、そしてかすかな鉄の匂いを辿りながら、一行は影に潜むように先を急いでいた。
「……ここだ」
路地の突き当たり、高くそそり立つ黒鉄の格子壁の影から、ルカが静かに手招きをした。
「街の東端にある大型の地下資材庫……表向きは建築用の魔導石を保管する倉庫になっているけれど、結界の強度が不自然すぎる。大気魔力を遮断する三重の術式だ。外に中の匂いや音漏れを出さないためのね」
ルカの誘導に従い、監視の目を盗んで排水口の格子を外し、地下へと滑り込む。
薄暗い地下通路を進むにつれ、生臭い匂いが鼻をついた。それは外縁部で漂っていた死気とは違う——汗と排泄物、そして腐敗しかけた傷口が放つ、血生臭い「生の膿」の匂いだった。
通路の先、広い地下洞穴のような空間に出た瞬間、一行は息を飲んだ。
そこに並んでいたのは、巨大な鉄製の檻——無数に並ぶ、まさに「家畜の檻」だった。
「ひっ……! 頼む、たたかないでくれ……!」 「水……だれか、水を……」
檻の中でうずくまり、怯えた声をあげている者たち。その姿を目にしたガゼルの体が、ガタリと激しく震えた。
角も無ければ、鱗も無い。彼らが着ているのは、ボロボロに引き裂かれた人間界の衣服だった。
「人間……!? なんで、こんな場所に……」
ガゼルが檻の鉄格子に駆け寄り、格子越しに一人の男の肩を掴んだ。男は怯えたように頭を抱え、必死に命乞いを始める。
「た、助けてくれ! 俺は……俺はただの農民だ! 村が不作で年貢が払えなかっただけで……『開拓民として新天地へ移送する』って役人に言われて馬車に乗せられたんだ! なのに……なのに届いたのはこんな化け物の街で……!」
「開拓民……? 年貢だと……!?」
ガゼルの顔から血の気が引いていく。隣の檻から、弱々しい女性の声が漏れた。
「あたしたちも……冤罪で捕まって……『減刑のための強制労働』だって騙されて……気づいたらここに……」
「そんな……そんなバカな……っ」
ガゼルは大盾を握る手を激しく震わせ、崩れ落ちるように膝をついた。
外縁部で討ち取った徴税部隊長が、絶命の間際に吐き捨てた言葉。 ——『王国の貴族どもは自らの富と平和のために、定期的に人間を中心部へ売っているのだよ』
ただの敵のブラフであってほしかった。人間を理不尽に殺戮する魔族の、最後の見苦しい嘘だと思いたかった。だが、目の前に広がる光景は、その残酷な最悪の真実を雄弁に物語っていた。
「……本当、だったのかよ」
ガゼルがかすれた声で呟く。
「俺たちが国境で命を張って魔族を防ぎ止めている裏で……俺たちが護ろうとしていた貴族や国の上層部が……自分の民を『薪』として魔王城に売り払ってたっていうのか……!? なんのために……何のために俺たちは血を流してきたんだッ!?」
ガゼルの慟哭が、冷たい地下空間に虚しく響く。
ルカは無言のまま、拳を固く握りしめていた。爪が掌に食い込み、朱色の血がにじむ。知識と理性を盾にしてきた彼の瞳にも、隠しきれない激しい絶望と激怒の色が揺れていた。
「……人間を守るための戦争じゃなかったんだ」
ルカの呟きは、氷のように冷たかった。
「魔王城に魔力を与え、自分たちの街や領地を襲わせないための『人身御供』。魔族に『薪』を供給する見返りに、安寧と富を貪っていた……。人間と魔族の支配層は、最初から結託していたんだ」
「クハハハハ! えらい勉強になったなぁ、お坊ちゃん方!」
突如、地下洞穴の奥から、下品で品のない笑い声が響いた。
松明の光とともに歩み出てきたのは、十数人の武装した男たちだった。上位魔族の兵士たち——そして、その中心に立つ一人の男。
男の身に纏う上質な革鎧の胸元。そこには、光を反射して怪しく輝く「白銀の印」——人間界の王国最高幹部、および裏工作を担う暗部のみに着用が許される、双頭のワシを象った王国の公式紋章が刻まれていた。
「なっ……『白銀の鷲』の紋章……!? お前、王家の密使か!?」
ガゼルが弾かれたように立ち上がり、目を剥いた。
密使の男——クロードは、口元にねっとりとした蔑みの笑みを浮かべ、髭を撫でた。
「ほう、こんな肥え溜めで王国の紋章が分かる奴がいるとはね。……そうだよ。俺は王国子爵家から遣わされた密使、クロードだ。定期商品の納品作業中に、まさか害虫が紛れ込むとはな」
「クロード……お前、人間だろッ! 同族を……自分の国の民を魔族に売って、何とも思わないのかッ!?」
ガゼルが怒号を上げ、大剣を引き抜こうとする。だが、クロードは鬱陶しそうに耳を掻くだけだった。
「ハッ! 同族? ハエと人間を同じ『生き物』だからと同族と呼ぶか? こいつらは年貢も払えんドブネズミか、牢屋のメシを食いつぶすだけのゴミ屑だ。そんなゴミが、我が領地の繁栄と、魔族との『不可侵条約』を維持するための上質な魔力資源として役に立つのだ。むしろ感謝してほしいくらいだな」
「お前……ッ!!」
「世界の仕組みって奴だよ、盾持ちの木偶の坊が」
クロードは冷酷に言い捨て、隣に立つ上位魔族の隊長へ目配せした。
「上層部(ヘメラ様)に届ける『薪』の数は足りている。予定外のゴミが3匹……まあ、ついでに魔力抽出機に放り込んでしまえ。骨も残さずな」
「かしこまりました、クロード殿」
魔族の兵たちが、歪んだ笑みを浮かべて長槍を構え、一歩前へ踏み出す。
ガゼルとルカの体に、あまりの怒りと絶望で激しい震えが走っていた。守るべきだった祖国の腐敗。同族を「家畜」と切り捨てる人間の身勝手な悪意。
その時——彼らの前に、静かに一人の影が割り込んだ。
ざらり、と不気味な音が地下世界に響く。
二メートルを超える圧倒的な巨躯を揺らし、一歩前へ躍り出たのはヒルデだった。大柄な体躯から放たれる威圧感は、それだけで迫り来る魔族の兵たちを圧死させんばかりだった。
フードの隙間から覗くその瞳には、すでに涙も、迷いも、揺らぎすらも存在しなかった。ただ底知れない深淵のような、静かで絶対的な「黒い殺意」だけが渦巻いていた。
左腕の包帯がハラハラと解け落ちる。黒い鱗に覆われた異形の腕から、溢れ出んばかりの黒炎が噴き出し、地下の空気を激しく灼いた。
『……クハハハハッ! 見ろ、これがお前たち人間の『咎』だ! 魔族の暴力など比べものにならん、腐臭に満ちた極上の醜悪! 喰らい甲斐があるぞッ!』
脳裏で狂喜するエレボスの声を、ヒルデは冷ややかに受け止めた。
(……否定は、できないな)
ヒルデは右手で背中の大剣をゆっくりと引き抜いた。黒炎が刃を伝い、禍々しい一閃の光となって暗闇を照らし出す。
「魔族が生きるために奪うのも惨いと思った。……でも」
ヒルデの一歩が、石畳の床を粉砕する。
「自分だけが甘い汁を吸うために、同族を売って笑ってるお前たちは……ただの腐ったゴミだ」
「な、なんだその腕は……!? 貴様、化け物かッ!?」
クロードの顔から余裕の笑みが消え、恐怖に引きつる。
「逃がさない」
ヒルデの大剣が、黒炎の尾を引いて高々と掲げられた。
「お前たちのその汚い『咎』……この腕で、残らず喰らい尽くしてやる」
(第16話へ続く)




