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第三十局|白黒の戦場(ボード・ウォーズ)

「それでは、対局を始めてください」

静まり返った会場に、最初の石音が落ちる。乾いた一音。それだけで、空気が切り替わる。

国際囲碁ワールドカップU22、初戦。日本の相手は、技巧派が揃うベトナム。


第一局。

古賀光志は白番で盤に向かっていた。相手は、グエン・ヴァン・トゥ。柔らかい布石と、形にとらわれない構想力で知られる新星。

序盤から、盤面は静かに揺れる。定石の形に入ったと思えば、すぐに外れる。

予定調和を拒むような運び。


(……うまいな)

光志は、少しだけ息を吐く。焦りはない。だが、主導権は握れていない。相手の呼吸に合わせて打たされている感覚。

(焦るな。相手の碁を聴け……)

囲碁部の再建を後押ししてくれた岩田先生と、日々の努力を見守ってくれた長嶺先生、そしてユエという碁友と過ごした時間が、光志の打ち筋を静かに変た。自分の碁を押しつけるのではなく、対話としての一手一手を積み上げる。


中盤。左辺での攻防。相手が広げた模様に対して、無理に侵入しない。少し引く。そして、次の一手で切り返す。石が、自然につながる。

「……」

相手の指が、わずかに止まる。流れが変わる。

光志は、その隙間を逃さない。一角を奪い返す。

形勢は、ほぼ互角。いや、わずかに光志。

(いける)

だが。終盤。ほんの一瞬。

読みが、ほんの一瞬だけ甘くなる。その小さな綻びを、相手は正確に捉えていた。

余計な動きを一切見せず、淡々と差を詰めてくる。気づいたときには、形勢はすでに入れ替わっていた。


「……ありません」

投了。

光志は、盤を見つめたまま、小さくうなずく。

(負けた)

でも。

(ちゃんと、打てた)

それは、はっきりと分かる。

控室のモニターでは、加藤大河がベトナム戦第2局の準備に入っている。同時に、もう一つの別ブロック――中国代表との対局の映像が映し出される。


加藤の対局が始まる。彼の碁は、最初から迷いがない。

星。三々。淡々とした進行。だが、その一手一手には、余白がない。

選択肢をすべて比較した上で、最も確率の高い手だけが置かれていく。

(無駄がない)

光志は思う。


中盤に入り、相手が揺さぶりや誘いを交えながら仕掛けてくる。しかし加藤はそれに乗らず、必要な手だけを的確に返していく。無理はせず、形も崩さないまま、小さな得を着実に積み重ねていく。その流れの中で、気づけば差は静かに開いていた。。


「……」

派手さはない。だが、隙もない。

終局。

「投了です」

相手が頭を下げる。

加藤は、軽く一礼するだけ。表情は変わらない。

「日本、第二局、勝利」

その声にも、特別な反応はない。ただ、次を見ている。


ベトナム戦 第三局

ユエは、ゆっくりと盤の前に座る。相手は、ベトナムの女子エース。

互いに大模様を張る展開の中、ユエは徹底して冷静だった。

盤全体を見渡し、流れを読み、必要なら石を捨ててでも形を取る。それは、まるで“水のような碁”。中盤を抜けたあたりで、明らかに形勢が傾く。


終局後、対局相手は清々しい表情で手を差し出した。

「素晴らしい碁でした。あなたの石は、静かだがすごかった」

ユエは一礼してその手を取った。そして――


「日本、第三局、勝利! 初戦、2勝1敗で白星スタートです!」

控室でそれを聞いた光志は、ふっと笑った。

「さすがだな、ユエ」

その言葉は、自然に出た。だが。ユエは、盤を見たまま。

「……でも、本番はこれから」

その視線の先にいるのは、次の相手。

光志と、もう一人の中国代表――魯 ルー・ファン

(あなたも、……きっと、試される)

静かに夜が更けていく中、世界の十九路は、さらなる熱を帯びていく。



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