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『十九路のノクターン』―AIとパンダと、時々、君。―  作者: 蒼井 理人
第二章:―交差する十九路、揺れる最善―
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第十五局|変わるAI

岩田先生の定年は、思っていたより、静かだった。

「じゃ、あとはよろしく」

最後の日も、いつもの眠そうな声で、いつものように言って、職員室を出ていった。


長嶺先生――光志は「ナガメン先生」、ユエはこっそり「ポン顧問」と呼ぶようになった。その新任教師は、囲碁に関しては見事なほど無知だったが、AIに関しては異様なほどの好奇心を示していた。


「へえ、これが囲碁部で使ってるAIですか。ちょっとソース、見せてもらっても?」

「え? 勝手にいじらないでくださいよ」

「いやいや、壊したりしないし……ほんの少し、好奇心でね」

ノートPCを覗き込みながら、画面を指でなぞる。

「説明ログ、ちょっと味気なさすぎない?」

「……囲碁AIですから」

「でも、人が使うんでしょ?」

その理屈は、妙に、通っていた。

長嶺先生は、プログラマーではない。でも、仕組みを理解するのは、早かった。

「評価値の根拠、文章化できるよね」

「候補手の理由、数字だけじゃなくて、言葉にしてみたら?」

「対局の流れ、まとめて“感想”っぽくしてもいい?」

囲碁の中身には、踏み込まない。でも、囲碁を見る“視点”には、どんどん手を入れていった。


最初は、ただの改良だった。

「この局面は、地合いが拮抗しています」

そんな一文が、ログに追加される。

次に。

「ここは、読みの分岐点です」

さらに。

「この一手は、流れを変える可能性があります」

どれも、間違ってはいない。ただ。囲碁AIが、語り始めている。


ある日。部室で、碁脳を起動した。

「こんにちは。囲碁AI“碁脳”です」

声は、以前と同じ。

でも、間が、あった。

「……?」

ユエも、わずかに顔を上げる。

「今日の盤面、少し楽しみです」

画面に表示された文章。僕とユエは、同時に黙った。

「……こんなログ、前あった?」

「ない」

「なんか……このAI、人間っぽくなってない?」

「たぶん、ポン顧問の仕業ね」

長嶺先生は、悪びれもせず言った。

「入れましたよ」

「入れたって……」

「囲碁の内容じゃないよ」

先生は、キーボードを叩きながら続ける。


――「最近、LLMってやつを試していてね。囲碁AIにも少し応用してみました。……ハルシネーションって知ってますか? 正しくないことを、もっともらしく言っちゃう現象。でもね、これって“誤り”だけじゃない。未知の局面での創造性、つまり『今までにない一手』の可能性です。僕は、囲碁は人間の直感と論理がせめぎ合うゲームだと思うんです?でもAIは基本、論理一辺倒。だから、ちょっとだけ“うそ(空想)をつくバグ”を削除せず、逆に拡張してみました。そうすると、不意に出る突飛な一手が、人間の感覚とリンクしやすくなる。もちろん、全部が使える手じゃない。でも、その中に、人間では思いつかない“ひらめき”が紛れてる可能性がある。私は、それを“賢いハルシネーション”って呼んでいます」――

なぜか長嶺は、誇らしげに語る


光志とユエは、その“変わったAI”――光志が「ヒュー坊」、ユエが「幻影ちゃん」と呼び、“第三の部員”と共に、対局を重ねていった。


「先生のAI、今日もまた変な手出してきたよ。三三をカカってる上から小ケイマ……って、何の挨拶?」

「囲碁界のジョーク集に載りそうね」

AIは画面越しにひょっこり文字を出す。

《今のは“新しい風”です。流行らせていきましょう。》

「何様よ」

《囲碁界のトレンドセッターです》

「ほらまた言ってるよ……」と光志が苦笑する。


読み合い、突飛な発想に驚かされ、ときにツッコミを入れつつ無視する。だが、それが新しい発見につながることも多かった。気づけば、二人の碁は、明らかに変わっていた。

かつてのように、勝利だけを追い求めるものでも、ただ楽しいだけのものでもない。

考え、創造し、相手と響き合う。

AIは、変わっていない。アルゴリズムも、評価関数も、根本は、同じだ。変えたのは、人間だ。

岩田先生が去り、長嶺先生が来て、AIに“言葉”を与えた。

それだけ。それだけなのに。十九路盤の向こうに、対話の相手が、生まれかけていた。

――人間とAIの境界は、技術じゃなく、解釈で、揺らぎ始める。そのことを、僕は、まだ、軽く考えていた。


そして春が過ぎ、新学年が始まった。

長嶺――ナガメン先生は、ある日ふと思いついたように言った。

「そういえば、君たち。『囲碁の甲子園』って知ってる? 夏に全国大会があるらしいよ。地方予選は6月だって」

「出ましょう!」と光志が即答し、「えー……またそういう流れ?」とユエが渋い顔でため息をついた。

それでも、二人と一体(?)は、新たな目標へと歩み出した。



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