第7話 東日本魔法協会
鬼との戦いがあった翌朝。
神代勇真は、いつも通り鳳城学園の校門をくぐっていた。
昨日の出来事が、まだ頭の奥に残っている。
人を喰う鬼。
戦っていた少女。
そして、あとから現れた術者たち。
どう考えても、普通の高校生活の外側だ。
それでも学校はいつも通りだった。
生徒たちは笑いながら教室へ向かい、朝の空気は妙に平和だ。
そんな中だった。
「神代君」
背後から、凛とした声がかかる。
振り向くと、東條院凛華が立っていた。
昨日あれだけ戦っていたとは思えないくらい、今日の彼女はきっちりしている。
制服にも所作にも乱れはない。
けれど、よく見れば目の奥には少しだけ緊張があった。
勇真は足を止める。
「東條院さん。どうした?」
「少し、お話があります」
その一言で、近くにいた生徒たちの空気が止まった。
凛華は周囲を気にせず、まっすぐ勇真を見る。
「放課後、お時間をいただけますか」
「放課後?」
「ええ。私と一緒に来ていただきたい場所があるのです」
その瞬間。
「お、おおっ!?」
「東條院さんが神代を呼び出した!」
「放課後!? 一緒に来てほしい場所!? それもう完全にあれじゃん!」
真っ先に騒いだのは相馬だった。
「いや、違うだろ」
「どこがだよ! 相手はあの東條院さんだぞ!? 学年でも有名な高嶺の花だぞ!? そんな人に呼び出されたら普通そういうやつだろ!」
そこへ、小春まで混ざってくる。
「神代君、場所はどこです? 屋上ですか? 校舎裏ですか?」
「何でそんなに具体的なんだよ」
「大事な情報ですから」
「大事じゃないだろ」
勇真が呆れていると、凛華が小さく息をついた。
「相馬君、水瀬さん。勝手に話を進めないでください」
「す、すみません東條院さん!」
「でも本当に、何でもないんですか?」
小春の問いに、凛華ははっきり答える。
「何でもなくはありません」
そのせいで、余計にざわついた。
勇真は思わず言う。
「そこでそう言うのか」
「変に濁す方が、余計に騒がれるでしょう」
「もう十分騒がれてるけどな」
「それはそうですね」
凛華は少しだけ声を落とした。
「昨日のことも含めて、きちんとお話ししたいのです」
その一言で、勇真の表情も少し変わる。
冗談ではない。
昨日の件を、なかったことにはしない。
そういう意志が伝わってきた。
なら、答えは一つだ。
「分かった」
「……来てくださるのですね」
「呼ばれたのに行かない理由もないしな」
その返事に、凛華はほんのわずかに目を伏せた。
「放課後、校門前で待っています」
「了解」
「遅れないでくださいね」
「なるべく急ぐ」
「なるべくではなく、必ずです」
「厳しいな」
「真面目な話ですから」
凛華はそう言って、席へ戻っていく。
その背中を見送った直後。
「はいもう確定ー!」
「神代、お前昨日何したんだ!?」
「してないって言ってるだろ」
「神代君って、案外こういうの鈍いよね」
「お前ら朝から元気すぎるだろ……」
騒がしい。
けれど、その軽さが少しだけありがたかった。
昨日、自分は確かに非日常へ足を踏み入れた。
だからこそ、こういう他愛ない空気が妙に現実へ引き戻してくれる。
――もっとも。
放課後に待っているのは、そんな軽い話ではないのだろうが。
◇
そして放課後。
校門前に出た勇真は、そこに停まっていた黒塗りの車を見て足を止めた。
「……本当に来たな」
率直な感想だった。
その車の横には、すでに凛華が立っている。
「来ると言ったでしょう」
「いや、迎えが想像以上で」
「こちらとしては普通です」
「高校生の普通じゃないな」
「東條院家の普通です」
きっぱり言い切るあたり、やはり強い。
運転手が静かにドアを開けた。
「お嬢様、神代様。どうぞ」
凛華が先に乗り、勇真も後に続く。
ドアが閉まり、車は滑るように発進した。
しばらくは見慣れた街の景色が流れていく。
だが途中で、勇真はふと窓の外を見た。
空気が、わずかに揺らぐ。
「……結界か」
その呟きに、隣の凛華が反応した。
「見えるのですか?」
「いや、見えるという訳じゃない。ただ、空気が変わったのは分かる」
「“分かる”だけで十分おかしいのですけれど」
凛華は真顔だった。
車窓の外には、いくつもの術の気配が重なっている。
侵入を拒む結界。
霊的反応を見分ける術式。
認識をずらす障壁。
昨日も感じたが、この世界の術は思った以上にしっかりしている。
「昨日から思っていましたけれど……」
凛華がじっと勇真を見る。
「あなた、本当に何者なのですか」
「それを聞くために呼ばれたんじゃないのか?」
「そうなのですが」
「だったら、もう少しだけ待ってくれ」
そう返すと、凛華はすぐには何も言わなかった。
少しだけ視線を伏せる。
ようやく確かめられる緊張があるのだろう。
やがて彼女は息を整えて口を開く。
「ここから先は、東日本魔法協会の管理区域です」
「東日本魔法協会……」
「通称、東魔協。東日本一帯の術者、結界、対魔案件を統括する組織です。昨日、現場に来た術者たちも全員その所属です」
「なるほど」
勇真は素直に頷く。
「鬼がいて、術を使う人間がいて、組織がない方が不自然だな」
「驚かないのですね」
「驚いてはいる。ただ、昨日の時点でそういうものはあるんだろうとは思ってた」
「順応が早すぎます」
「異世界帰りはだいたいこうなる、と言ったら怒るか?」
「冗談に聞こえないのが困るところです」
「困らせるつもりはないんだけどな」
「今のところ、あなたは存在そのものが少し困ります」
「ひどい言い方だ」
「事実です」
その言葉は強い。
だが、昨日よりも声音は少し柔らかかった。
警戒している。
でも、敵だとも決め切れていない。
その揺れが今の凛華にはあった。
やがて車は大きな門の前で速度を落とす。
重い門が静かに開いた。
◇
「……すごいな」
車を降りた勇真は、思わずそう漏らした。
高い塀。
広い庭園。
重厚な本邸。
さらに奥には研究施設のような別棟まで並んでいる。
屋敷というより、拠点だ。
「ここが東條院家の本宅であり、東魔協の中枢施設でもあります」
「家と本部が一体化しているだな」
「ええ。東條院家は代々、東魔協を率いてきた家系ですから」
「納得した。けど、想像よりかなり大きいな」
「驚きましたか?」
「普通に城みたいだ」
「そこまでではありません」
否定しきれていない。
敷地内には使用人や警備の人間が何人もいた。
だが、ただの使用人ではないことはすぐに分かった。
立ち方も、視線の配り方も、明らかに訓練されている。
ここにいる全員が“こちら側”なのだろう。
「緊張しないのですか?」
歩きながら、凛華が聞く。
「少しはしてる」
「少し、ですか」
「だけど、昨日のことをうやむやにする気はないよ」
勇真は前を見たまま答えた。
「東條院さんも、きちんと話をつけるつもりで俺を呼んだろ?」
「……はい」
「だったら、俺も逃げる気はない」
その言葉に、凛華はほんの一瞬だけ足を緩めた。
「あなたは、変なところで真面目ですわね」
「変なところって何だよ」
「全部です」
「雑だな」
そんなやり取りを交わしながら、二人は屋敷の奥へ進む。
そして、重厚な扉の前で凛華が足を止めた。
そこで彼女の空気が変わる。
学校での優等生でもない。
昨日戦っていた術者でもない。
東條院家の娘としての顔だった。
「ここから先で、お父様にお会いします」
「東條院さんのお父さん、か」
「東條院慶臣。東日本魔法協会会長であり、東條院家当主です」
「肩書きが重いな」
「重い方です」
凛華は小さく頷く。
「昨日の件は、すでに報告済みです。あなたが私を助けたことも、鬼と戦ったことも、お父様は把握しています」
「それで呼ばれたわけか」
「ええ。先に言っておきます」
凛華はまっすぐ勇真を見る。
「お父様は、あなたに感謝しています。ですが、それ以上に警戒しています」
「だろうな」
「……怒らないのですね」
「疑われることに、か?」
「はい」
「昨日一日で鬼も術者も協会も出てきたんだ。そんな状況で、急に現れた得体の知れない相手を何も聞かずに信用する方が危ないだろ」
「…………」
「むしろ当然だと思う」
凛華はその言葉を聞いて、小さく目を伏せた。
家名や立場が絡むと、人は極端に態度を変える。
媚びるか、怯えるか、距離を取るか。
だからこそ、今の反応は彼女にとって少し意外だったのかもしれない。
「そう、ですか」
「ああ」
凛華は短く息を整える。
「失礼します。神代勇真君をお連れしました」
そう告げて、扉を開いた。
◇
中は広い執務室だった。
高い天井。
壁一面の書棚。
整然と並ぶ書類と調度品。
無駄がない。
そしてその中央奥、巨大な机の向こうに一人の男が座っていた。
四十代後半ほど。
隙のない姿勢。
鋭い視線。
声を発する前から、この部屋の空気を支配しているのが分かる。
「入りなさい」
低く、よく通る声だった。
勇真は一歩前へ進み、軽く頭を下げる。
「初めまして。神代勇真です」
男はまっすぐ勇真を見据えたまま名乗った。
「東條院慶臣だ。東日本魔法協会会長、そして東條院家現当主。凛華の父でもある」
肩書きの重さを誇示するでもなく、ただ事実として置くような声音だった。
「そうですか、よろしくお願いします」
勇真が返すと、慶臣の眉がわずかに動く。
凛華も隣で少し息を呑んだ。
「それだけか」
「……思った以上に、隙のない方だなと思いました」
「肝が据わっているのか、無頓着なのか、判断に迷うな」
「たぶん、半々くらいです」
短いやり取りだったが、それだけで探り合いになっていた。
慶臣はそのまま続ける。
「昨日、凛華を助けたことについては感謝している」
「礼を言われるほどのことはしていません」
「言うべきことは言う。娘は東條院家の後継であり、東魔協の中核を担う術者だ。失えば個人の問題では済まん」
その言葉に、勇真は隣の凛華を見た。
凛華はまっすぐ前を向いている。
けれど、肩には少しだけ力が入っていた。
慶臣は改めて告げる。
「凛華は、東條院家の令嬢だ。東日本魔法協会会長の娘であり、次代を担う協会のエースでもある」
その瞬間、凛華の指先がわずかに強張った。
勇真は数秒だけ黙り、それから頷く。
「なるほど」
「……それだけですか?」
思わずというように、凛華が口を開く。
「もっと驚くとか、反応はないのですか」
「すごいとは思う」
「では」
「でも、東條院さんは東條院さんだろ」
凛華が目を見開いた。
「会長の娘でも、協会のエースでも、昨日の東條院さんと別人になるわけじゃない」
「……っ」
「だから、今さら接し方を変える理由はないよ」
部屋が静かになる。
凛華は言葉を失っていた。
けれど、その肩から少しだけ力が抜ける。
「……本当に、変な人ですね」
「よく言われる」
「褒めていません」
「知ってる」
慶臣は二人のやり取りを黙って見ていたが、すぐに本題へ戻した。
「話を続ける。助けた功績はある。だが、それと信用は別だ」
「はい」
「東魔協は、お前の善意だけを根拠に受け入れられるほど甘くはない」
凛華も黙って聞いている。
慶臣は鋭い視線のまま告げた。
「まず、お前が何者かを知る必要がある」
静寂が落ちた。
勇真は少しだけ黙る。
ごまかしても意味はない。
ここまで来た以上、話すしかない。
昨日、自分は鬼と遭遇した。
凛華は戦っていた。
東魔協という組織もある。
なら、自分だけ曖昧なままではいられない。
勇真は静かに息を吐いた。
「……先に言っておきます」
凛華の視線が向く。
慶臣の目は揺れない。
「俺の話は、たぶんすぐには信じてもらえないと思います」
「構わん」
慶臣は短く返した。
「言ってみろ」
勇真はその言葉を受けて、静かに頷く。
「なら、話します」
そう言って、勇真は自分の過去を語り始めようとした。
もし『面白い』『続きが気になる』とおもっていただけたら、下にある☆を押して評価をお願いします!
よろしければブックマーク登録をお願いします!
作者が喜びます!
チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




