第6話 勇者は速攻で片づける
――この人は、負けない。
背中を見た瞬間、凛華はそう確信した。
夕暮れの結界の中。
空気は重く、黒い靄のような気配が路地全体に沈んでいる。
地面に落ちた影まで歪んで見えるその場所で、俺は凛華の前に立った。
目の前にいるのは、異形だった。
人型ではある。
だが人間じゃない。
黒く膨れた腕。刃物みたいに伸びた爪。全身から漏れる禍々しい気配。
一目で分かる。
普通の相手じゃない。
「面白い」
異形が、低く嗤う。
「女を庇って前に出るか。小僧らしいな」
「別に庇ってるわけじゃない」
「なら何だ?」
「お前を片づけるだけだ」
短く返す。
剣は抜かない。
《ストレージ》の中には《アストレア》がある。
あれを使えば、一瞬で終わる。
けど、そこまでする必要はない。
体術と、最低限の魔法。
それで足りる。
「神代君……!」
後ろで凛華の声がした。
息は荒い。消耗も大きいはずだ。
それでも声は折れていない。
強いな、と思う。
「下がってて」
「何を言って――」
「大丈夫。ここは俺がやる」
「相手が何か分かって言っていますの?」
「だいたいは」
「だいたいで済む相手ではありませんわ!」
もっともだ。
でも今は説明してる時間がない。
異形が、消えた。
「っ――」
速い。
踏み込みも鋭い。爪の軌道も正確だ。
かすっただけでも危ない類だと分かる。
けど。
「遅い」
「なに……?」
振り下ろされた爪を紙一重で外し、その内側へ踏み込む。
肩口へ掌底。
「がっ!?」
崩れた軸へ蹴りを差し込む。
「《断脚》」
鈍い音が響いた。
異形の膝が沈む。
さらに顎へ肘打ち。
「がァッ!?」
巨体が揺れる。
異形は無理やり身体を捻り、横薙ぎに腕を振るった。
黒い気配が刃みたいに伸びる。
俺は一歩引いて避けた。
爪が頬の前を通り過ぎ、背後の地面を抉る。
「ほう……!」
異形の目が細くなった。
「避けるか」
「見えてるからな」
「なら、これはどうだ!」
次の瞬間、黒い靄が弾けた。
霧みたいに広がったかと思えば、細い針になって四方から襲ってくる。
面で潰すつもりか。
「神代君!」
凛華の声。
俺は右手を軽く上げた。
「《風障壁》」
圧縮した風の壁が前に展開される。
バチ、バチバチッ、と音を立てて黒い針が弾けた。
火花みたいに散って、消える。
「……無詠唱?」
「そんな……」
後ろで凛華が息を呑むのが分かった。
異形の顔からも、さっきまでの余裕が消える。
「貴様、何者だ」
「答える義理はない」
「現代にそんな動きがあるはずが――」
「あるから目の前にいるんだろ」
異世界には、もっと理不尽な敵がいた。
もっと速い奴。
もっと硬い奴。
もっと、触れただけで終わるような奴。
それに比べれば、こいつはまだ読める。
呼吸。
重心。
殺気。
全部、見える。
「来ないなら、こっちから行くぞ」
「舐めるなァ!」
異形が吠えて踏み込んでくる。
今度は力任せだ。
両腕ごと叩きつける、重い一撃。
地面が割れた。
まともに受けたら終わる。
けど、受ける理由がない。
半身で外す。
空いた脇へ最短で潜り込む。
「《穿突》」
拳にだけ薄く魔力を乗せ、鳩尾へ打ち抜く。
どんっ、と内側から爆ぜるような音。
「――が、ぁぁぁっ!?」
異形の身体がくの字に折れ、そのまま吹き飛んだ。
地面を削りながら滑って止まる。
後ろで凛華が息を止める気配がした。
追わない。
立つなら、次で終わりだ。
案の定、異形はよろめきながらも立ち上がった。
口から黒い息を吐き、憎々しげに俺を睨む。
「馬鹿な……たかが人間が……!」
「たかが、ね」
もう崩れてる。
怒りで雑になった相手は楽だ。
異形が再び突っ込んでくる。
振り下ろし。
横薙ぎ。
どっちも速い。
でも大きい。
一撃目を流し、二撃目を外す。
泳いだ隙へ、一歩。
「《瞬歩》」
視界の外へ滑り込み、背後へ回る。
首筋へ手刀。
「ぐっ……!?」
それでも無理やり振り向こうとする。
頑丈だな。
なら、畳む。
みぞおちへ肘。
顎へ膝。
最後に、こめかみへ回し蹴り。
「《崩牙》」
乾いた衝撃音が響いた。
異形の巨体がぐらりと揺れ、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
今度こそ、動かない。
静かになった。
さっきまで張りつめていた空気が、嘘みたいに止まる。
聞こえるのは、凛華の乱れた呼吸だけだった。
俺は倒れた異形を見下ろす。
……動かない。
黒い気配も薄れている。
「終わりだな」
小さく息を吐いて、振り返る。
凛華は少し離れた場所で、呆然と立ち尽くしていた。
助かった安堵より先に、
何が起きたのか分からない、という顔をしている。
まあ、そうなるか。
さっきまで自分が押されていた相手が、こっちには何もできなかったんだから。
「東條院さん」
「……っ」
肩がぴくりと揺れた。
「怪我は?」
「え……」
「立てるか?」
「た、立てますわ」
「ならよかった」
俺は近づいてざっと様子を見る。
制服は少し裂けている。腕にも擦り傷がある。
けど、大きな怪我ではなさそうだ。
「重傷じゃないな」
「……あなた、本当に何なんですの」
「その前に聞きたい」
「え?」
「今のは何だ。この世界じゃ、どういう扱いなんだ?」
凛華が一瞬だけ目を見開く。
けれどすぐ、表情を引き締めた。
「……今のは鬼門衆の先兵ですわ」
「鬼門衆?」
「怪異や封印を利用して災厄を起こす側の一派です」
「なるほど」
「そして私は、東日本魔法協会――東魔協の術師です」
「東魔協」
「私はその一員として、これを追っていましたの」
そこで少しだけ唇を引き結ぶ。
「ですが、押し切れなかった」
「そうか」
「……助けていただきました。本当に」
「気にするな」
「気にしますわ」
「そうか」
「そうです」
その返しに、ほんの少しだけ凛華の調子が戻った気がした。
その時だった。
結界の外から、複数の気配が近づいてくるのを感じる。
速い。
数も多い。
俺は反射的に凛華の前へ半歩出た。
「……まだいるのか」
「違いますわ」
「分かるのか?」
「ええ。東魔協の増援です」
「味方か」
「はい。私を追っている部隊ですわ」
そう言われて、わずかに警戒を緩める。
「そういうのは先に言ってくれ」
「言う暇がありませんでした!」
「それはそうか」
「そうですわ!」
本気で言い返してくる。
そのくらい元気なら大丈夫そうだ。
気配はどんどん近づく。
俺は軽く肩を回してから言った。
「じゃあ、俺は帰る」
「……は?」
「遅いし」
「遅いし、ではありませんわ!」
「家族が心配する」
「家族……?」
「普通にするだろ」
「そ、それはそうかもしれませんけれど……!」
凛華が完全に固まる。
たぶん、いろいろ追いついてないんだろう。
鬼門衆の先兵を一方的に倒した相手が、次の瞬間には家族の心配を口にしているんだから。
「待ってください、神代君! 私はまだ、あなたに聞きたいことが山ほどありますの!」
「俺もある」
「……え?」
「東條院さんに聞きたいことも、色々ある」
「それは……」
「だから、また明日」
「また、明日……?」
「一方的に聞くだけじゃ意味ないだろ。話すなら、お互いにだ」
凛華が息を呑んだ。
「では神代君。明日、ちゃんと話してくださいますの?」
「話せる範囲では」
「怪しさしかありませんわね……」
「そっちもだろ」
「……否定はしませんわ」
そこで、ほんの少しだけ。
凛華の口元が緩んだ。
それを見てから、俺は背を向ける。
「じゃあな、東條院さん」
「え、ちょ、ちょっと――神代君!」
呼び止める声を背中で聞きながら、壊れかけた結界の薄い場所を抜ける。
増援と鉢合わせる前に離れた方が、面倒が少ない。
背後で結界が大きく軋んだ。
次の瞬間、複数の気配が一気に中へなだれ込む。
「東條院さん!」
「ご無事ですか!?」
「敵影は――」
東魔協、か。
俺は足を止めず、そのまま路地を抜けた。
◇
結界の中へ駆け込んだ東魔協の術師たちは、まず凛華の無事を確認し、次に周囲を見て息を呑んだ。
「東條院さん! お怪我は!?」
「問題ありませんわ」
「よかった……!」
「敵は――」
視線の先。
アスファルトの上に、鬼門衆の先兵が倒れていた。
「……先兵が倒れている?」
「まさか、この短時間で……?」
凛華は一瞬だけ言葉に詰まる。
「……私ではありませんわ」
「え?」
「正確には、助けが入りましたの」
そう言って、結界の外へ目を向ける。
もういない。
助けた本人は、何事もなかったみたいに帰っていった。
鬼門衆の先兵を一方的に倒した、その直後に。
家族が心配するから、と。
『今のは鬼門衆の先兵ですわ』
『そして私は、東魔協の術師です』
『また明日』
『話すなら、お互いにだ』
頭の中に、その言葉が何度もよみがえる。
意味が分からない。
強さも、落ち着きも、距離感も。
全部が、今まで見てきた術師の枠から外れている。
なのに、不快じゃない。
むしろ。
気になる。
「東條院さん?」
「……事後処理を優先してくださいまし」
凛華は小さく息を吸い、いつもの声に戻る。
「敵の確保。結界残滓の回収。周辺術式の照合も急いで」
「は、はい!」
術師たちが一斉に動き出す。
けれど凛華の視線だけは、勇真が去っていった方角から離れなかった。
「神代君……」
ぽつりと、その名を呼ぶ。
「あなた、本当に何者なんですの……?」
夕暮れの風が、崩れかけた結界を静かに撫でる。
鬼門衆との戦いは、まだ終わっていない。
そして凛華は、もう分かっていた。
神代勇真という少年は。
きっと、このままでは終わらない。
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




