第4話 一人きりの定期検診
放課後。
教室のざわめきが少しずつほどけていく中、勇真は鞄を肩にかけた。
「神代、今日このあと暇?」
さっそく相馬が声をかけてくる。
「暇じゃない」
「即答かよ」
「今日は病院」
「あー、定期検診だっけ」
相馬は納得したように頷いた。
そこへ、小春も会話に混ざってくる。
「神代くんって、ちゃんと病院行くタイプなんだ」
「どういう意味だよ」
「なんか、自分は大丈夫ですって顔して無理しそうだから」
「……否定しづらいな」
「ほらね」
小春がくすっと笑う。
「でも偉いよ。ちゃんと行くの」
「母さんがうるさいからな」
「なるほど。お母さん強いんだ」
「強いな」
そのやり取りの向こうで、ふと視線を感じた。
勇真がそちらを見ると、少し離れた席にいた凛華がこちらを見ていた。
目が合った瞬間、凛華はほんのわずかに目を瞬かせる。
だがすぐにいつもの落ち着いた顔に戻った。
「病院、ですの?」
丁寧な声だった。
相馬と小春が同時にそちらを見る。
勇真も軽く頷いた。
「ああ。定期検診」
「そうですか」
凛華はそれだけ言った。
それだけなのに、なぜか少しだけ気にしているようにも見えた。
小春がすぐににやっとする。
「東條院さん、心配?」
「べ、別にそういうわけではありません。ただ、同じクラスの方が体調を崩されていたら気になりますでしょう」
「うわ、ちゃんとしてる答え」
「水瀬さん?」
「はいはい、ごめんごめん」
小春は笑いながら手を振った。
勇真は軽く肩をすくめる。
「大したことないよ。事情があってしばらく検査してるだけだし」
「……そうですの」
「すぐ終わる」
「でしたら、よかったです」
短いやり取りだった。
でも、その一言は少しだけ素直だった。
勇真はそれに小さく笑って、「じゃあ行ってくる」とだけ言った。
「おう、また明日な」
「気をつけてね、神代くん」
「お大事に」
最後の言葉は凛華だった。
勇真は軽く手を上げて教室を出た。
◇
病院は、家からそう遠くない総合病院だった。
白い外壁。
大きなガラス扉。
夕方でも人の出入りは絶えない。
勇真は受付を済ませ、慣れた足取りで待合スペースへ向かった。
何度か来ている場所だ。
もう勝手は分かっている。
とはいえ、好きになれる場所ではない。
病院独特の匂い。
消毒液の気配。
静かすぎるようでいて、どこか落ち着かない空気。
「まあ、すぐ終わるか」
そう呟いて椅子に座る。
帰還直後から続いている定期検診。
行方不明だった少年が、数日後にほぼ無傷で戻ってきた。
それだけでも十分おかしいのに、検査を重ねるたびにさらにおかしな数値が出る。
筋力。
反射速度。
持久力。
回復力。
全部が高すぎる。
もちろん、異世界で五年も戦っていたのだから当たり前だ。
でも、そんなことを正直に言って信じられるわけがない。
「神代くん」
名前を呼ばれ、勇真は顔を上げた。
白衣姿の男が立っていた。
如月京介。
若いが、落ち着いた雰囲気の医師だ。
「どうぞ」
「はい」
診察室に入ると、如月は手元のタブレットを見ながら椅子を勧めた。
「体調はどう?」
「特に問題ないです」
「そう言うと思った」
苦笑気味に返される。
「食欲は?」
「あります」
「睡眠は?」
「取れてます」
「痛むところは?」
「ないです」
「本当に?」
「本当に」
勇真が即答すると、如月は小さく息を吐いた。
「毎回思うけど、神代くんは答えが早いね」
「ないものはないんで」
「まあ、それはそうなんだけど」
言いながら、如月は前回までのデータを開く。
「ただね、問題がないっていうのと、数値がおかしくないっていうのは別なんだよ」
それはそうだろうな、と勇真も思う。
如月はタブレットを軽く見せてきた。
「筋力は年齢平均をかなり上回ってる。反射速度も高い。心肺機能も異様に安定してる。疲労の抜け方も早い」
「へえ」
「へえ、で済ませないでくれるかな」
「いや、昔から丈夫だったんで」
「便利な言葉だなあ、それ」
少し呆れたように笑う。
だが目は笑っていない。
完全に気づいている目だった。
少なくとも、“普通じゃない”とは思っている。
「神代くん」
「はい」
「何か、隠してることある?」
まっすぐな問いだった。
勇真は一瞬だけ間を置いて、肩をすくめる。
「ないです」
「即答だ」
「本当に説明しづらいだけで」
「その言い方だと、余計にあるように聞こえるんだけど」
「そう聞こえるのは仕方ないです」
如月は少しだけ困った顔をした。
「君みたいなタイプ、一番困るんだよね」
「すみません」
「いや、謝られても」
それでも、しつこく踏み込んではこなかった。
たぶん彼なりに線を引いているのだろう。
聞きたいことは山ほどある。
でも、無理にこじ開けるつもりはない。
そういう大人だと、勇真は感じていた。
「まあ、いいよ。今のところ健康そのものなのは事実だ」
「なら問題ないですね」
「ただし、“普通の健康”じゃない」
「そこは聞かなかったことにしてもらえると助かります」
「医者にそれ言う?」
如月は苦笑しつつ、立ち上がった。
「一応、今日も一通り測るよ」
「はい」
◇
検査はいつも通りだった。
採血。
反応測定。
筋力チェック。
呼吸と脈拍の確認。
だが、いつも通りだからこそ、余計に異常が目立つ。
「……やっぱり数値、きれいすぎるな」
如月が小さく呟く。
「きれいすぎる?」
「無駄がないんだよね。鍛えてる人間って、普通はどこかに偏りが出るんだ。でも君は全体が高水準で揃いすぎてる」
「そういう体質なんじゃないですか」
「そんな便利な体質があったら、みんな欲しがるよ」
もっともだった。
勇真は内心で苦笑する。
そりゃそうだ。
異世界で死ぬような戦いを何度も潜ってきた結果です、なんて答えが正しいのだから。
「でもまあ」
如月は検査結果をまとめながら言った。
「少なくとも、今すぐどうこうって話じゃない。経過観察は続けるけどね」
「分かりました」
「無理はしないこと」
「善処します」
「その返事、あんまり信用できないな」
「努力はします」
「少しだけ格上げされた」
そんな軽口を交わして、今日の診察は終わった。
診察室を出た勇真は、ひとつ息を吐く。
「終わった……」
身体は元気でも、こういうやり取りはそれなりに疲れる。
帰ろうとした、その時だった。
少し離れた廊下の先で、見知った姿が見えた。
「母さん?」
美咲だった。
看護師の制服姿で、数人のスタッフと言葉を交わしている。
穏やかに笑いながら、だが手際よく指示を出していた。
「神代さん、助かりました」
「いえ、こちらこそ。次の処置室、先に準備だけ済ませておきますね」
「お願いします」
「はい」
慌ただしい空気の中でも、美咲は落ち着いていた。
勇真は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
家で見る母親の顔とは少し違う。
でも、どちらも美咲だ。
柔らかくて、ちゃんとしていて、周りから信頼されている。
「……すごいな」
小さく呟く。
子どもの頃から知っていたはずなのに、ああして仕事をしている姿を見ると、改めてそう思う。
と、その時。
美咲がこちらに気づいた。
「あら、勇真。終わったの?」
「ああ、今終わった」
「先生には何て言われた?」
「特に問題なし」
「本当に?」
「本当に」
「その言い方、ちょっと怪しいのよね」
やっぱり親子だな、と勇真は思った。
言うことが如月と少し似ている。
「でも、無事ならよかった」
美咲は少しだけ表情をやわらげる。
「帰り、気をつけるのよ」
「分かってる」
「澪も今日は早く帰るって言ってたし、夕飯までには戻れる?」
「たぶん」
「たぶん、じゃなくて」
「戻るよ」
「ならよし」
美咲はそこで微笑んだ。
「勇真」
「ん?」
「ちゃんと日常に戻ろうとしてるの、私は嬉しいわ」
「……母さん」
「でも、無理だけはしないで。あなたは昔から、自分は大丈夫って顔をするから」
「そんな顔してるか?」
「してるわよ」
即答だった。
勇真は苦笑するしかない。
「まあ、気をつける」
「うん。それならいいわ。じゃあ私は戻るから」
「ああ。仕事頑張って」
「ありがと」
そう言って、美咲はまた忙しそうな廊下の向こうへ戻っていく。
その背中を見送りながら、勇真は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
ちゃんと、帰る場所がある。
それだけで、思っていた以上に救われる。
◇
病院を出ると、外はもう夕暮れだった。
空はオレンジ色に染まり始め、街の輪郭も少しずつやわらかくなっている。
勇真は鞄を持ち直し、家への道を歩き出した。
風は穏やかだ。
人通りもある。
車の音も、信号の音も、日常そのものだった。
「……平和だな」
小さく呟く。
こういう時間を守りたかった。
異世界で何度も思った。
帰れたら、こういう何でもない日常を大事にしようと。
だから今は、それでいいはずだった。
少し歩いた、その時だった。
ふと、勇真は足を止める。
「……ん?」
空気が変わった。
ほんの一瞬だった。
だが、間違いない。
音が遠のく。
人の気配が薄れる。
風の流れが、妙に重くなる。
戦場に出る直前の、あの嫌な感覚。
勇真の目がすっと細くなった。
「まさか」
次の瞬間。
周囲の景色が、ぐにゃりと歪んだ。
通行人の姿が消える。
車の音が途切れる。
世界から色と熱が一段引いたみたいに、街の空気が冷えた。
異界結界。
勇真は即座に理解した。
「はあ……」
ため息が漏れる。
「普通に帰らせてくれないのかよ」
愚痴みたいに呟きながらも、身体はもう動いていた。
気配の中心を探る。
近い。
しかも、戦闘の気配がある。
魔力の衝突。
術式のうねり。
そして、鋭く整った一つの力。
「この感じは……」
覚えがあった。
入学式で感じた、あの異質なほど整った気配。
高く、澄んでいて、強い魔力。
東條院凛華。
勇真は地面を蹴った。
一歩で加速する。
視界の端で景色が流れる。
夕暮れの歪んだ街を駆け抜けながら、勇真は静かに目を細めた。
「東條院さんか」
胸の奥で、戦う側の感覚が目を覚ます。
平穏は、またあっさり壊された。
また巻き込まれたのかもしれない。
それでも。
今度も、ただ見ているつもりはなかった。
結界の中心から、戦闘の気配がはっきりと伝わってくる。
勇真はそのまま、迷いなく駆けた。
その先で待つものが、自分の日常をさらに大きく変えることになると――確信を得ながら
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




