第3話 1年A組
入学式が終わり、新入生たちはそれぞれ自分の教室へ向かっていた。
勇真も人の流れに混ざりながら、校舎の廊下を歩いていく。
窓の外では桜が揺れていた。
春らしい、穏やかな景色だ。
なのに、校舎の中だけ妙に空気が違う。
「やっぱ落ち着かないな……」
小さく呟く。
周囲を歩く生徒たちは、どこか余裕がある。
緊張していないわけじゃないのだろうが、それでも育ちの良さみたいなものが隠しきれていない。
勇真は自分の手元の紙を見た。
一年A組。
「よりにもよって、一番それっぽいクラスに入った気がするんだけど」
名家の子女も多いらしい。せめて進学クラスでないことを祈ろう。
一般入試でぎりぎり滑り込んだ身としては、最初からちょっと肩身が狭い。
だが今さらどうしようもない。
受かった以上、やることは一つだ。
「目立たず、静かに、普通に」
勇真は一度だけ小さく息を吐いて、扉を開けた。
◇
教室の中は、もうかなり人が集まっていた。
新しい教室。
新しい机。
新しい顔ぶれ。
どこか落ち着かないざわめきが、教室いっぱいに広がっている。
勇真は自分の席を確認し、窓際寄りの席へ向かった。
「お、隣?」
座ろうとしたところで、すぐ横から気さくな声が飛んできた。
見ると、明るい顔をした男子生徒が片手を上げていた。
「俺、相馬航太。よろしくな」
「神代勇真。よろしく」
「お、落ち着いてんなあ。入学初日ってもっとこう、そわそわしない?」
いきなり距離が近い。
だが嫌な感じはしなかった。
勇真が少し肩をすくめる。
「してるよ。一応」
「いや絶対してないだろ、その顔」
相馬は即ツッコんできた。
勇真は少しだけ笑う。
こういうノリの良い相手は嫌いじゃない。
「神代ってさ、なんか妙に大人っぽくね?」
「そうか?」
「そうそう。落ち着いてるっていうか、達観してるっていうか」
「それ褒めてるのか?」
「半分はな」
初対面なのに、もう遠慮がない。
けれど、そのくらいの軽さの方がありがたかった。
変に気を使われるより、ずっと楽だ。
「ま、よろしくな神代」
「ああ、よろしく」
そう返したところで、今度は前の席からひょいと顔が覗いた。
「へえ。相馬くんがこんなに早く絡みにいくってことは、ちょっと気になった人ってこと?」
明るい女子の声だった。
肩までの髪。
人懐っこそうな笑顔。
目がやたらとよく動く。
「私は水瀬小春。よろしくね、神代くん」
「神代勇真。よろしく、水瀬」
「もう名前覚えてくれてる。えらい」
「いや、今聞いたし」
「そういう反応、ちょっと面白いかも」
くすっと笑う。
この子もまた、距離の詰め方が速い。
しかも相馬より、観察する目がある。
「神代くんって、なんか普通っぽいのに普通じゃない感じするよね」
「何だそれ」
「んー、説明しづらいけど。落ち着きすぎ?」
「さっき俺もそれ言った!」と相馬が横から割り込む。
「でしょ? なんか高校生っぽくないんだよね」
「年寄りくさいってことか?」
「そこまでは言ってないよ?」
言いながらも、小春は面白そうに笑っていた。
悪意はない。
ただ、勘がいい。
勇真は一瞬だけそう思った。
「でもまあ、よろしくね。神代くん」
「ああ、よろしく」
「お、普通に返した」
「何だと思ってたんだよ」
「もっと無愛想かもって」
「そこまでじゃない」
「へえ」
小春は楽しそうに目を細めた。
その時、教室の空気がふっと揺れた。
何人かの視線が一斉に入口へ向く。
勇真もつられてそちらを見た。
「……あ」
入ってきたのは、入学式で壇上に立っていた少女だった。
東條院凛華。
教室の空気が一瞬で変わる。
それくらい、存在感があった。
黒髪。
整った姿勢。
気品のある立ち振る舞い。
制服姿でも、やはり目立つ。
いや、むしろ教室の中だからこそ余計に目立つのかもしれない。
「同じクラスかよ……」
「うわ、マジで本物だ」
「近くで見ると余計すごいな……」
あちこちで小さなざわめきが起こる。
だが、誰も気軽には話しかけない。
綺麗だし、家柄もあるし、新入生代表まで務めた。
距離を取りたくなるのも無理はない。
凛華はそんな空気に慣れているのか、特に気にした様子もなく自分の席へ向かった。
勇真はその姿を見て、素直に思う。
(やっぱ綺麗だな)
それ以上でも以下でもない。
ただ、そう思っただけだ。
だが凛華は席に着く前、ほんの一瞬だけこちらを見た。
勇真は小さく首を傾げる。
目が合った。
……気がした。
けれど相手はすぐ視線を外し、そのまま何事もなかったように席へ着く。
「うわー、東條院さんこっち見た?」
「いやお前じゃないだろ」
「見たって」
「お前の人生、だいぶ都合いいな」
相馬がくだらないことを言い、小春がくすくす笑う。
勇真はそれを聞き流しながら、自分の席に座った。
今のところ、ただのクラスメイト。
それ以上ではない。
◇
やがて担任が教室へ入ってきた。
「はいはい、席着けー。入学初日から騒ぎすぎんなよ」
入ってきたのは、三十代くらいの男教師だった。
声がよく通る。
「俺は桐生慶一郎。このクラスの担任だ」
黒板に名前を書く。
字が妙にでかい。
「担当は現代文。まあ、見ての通り細かいことはあんまり言わねえタイプだ。だが面倒はちゃんと見る。
困ったことがあったらさっさと来い。以上」
雑そうに見えて、最後はちゃんとしている。
勇真は少しだけ気が楽になった。
桐生は教室を見回しながら続ける。
「じゃあ軽く自己紹介でもするか。名前と、適当になんか一言。順番にいくぞ」
いかにも初日らしい流れだった。
前の席から順に、生徒たちが立って名前を言っていく。
無難な挨拶。
少し気取った挨拶。
妙に緊張した挨拶。
そんな流れの中で、東條院凛華の番が来た。
「東條院凛華です。どうぞよろしくお願いいたします」
それだけ。
なのに、やっぱり空気が整う。
余計なことは何も言わないのに、完成されている感じがした。
「短っ。でも強いなあ」
相馬が小声で呟く。
「分かる。無駄がない感じ」
小春も同意する。
そして、勇真の番が回ってきた。
「神代勇真です。よろしくお願いします」
短く、それだけ言って座る。
「神代、お前も短いな」
桐生がすぐにツッコんできた。
「何かねえのか。趣味とか、好きなもんとか」
「平穏な高校生活です」
「いきなり願望かよ」
教室に小さく笑いが起きる。
勇真は少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「まあ、そんな感じです」
「そんな感じって何だよ」
また笑いが広がる。
悪くない。
少なくとも、変に浮いた感じにはならなかった。
相馬が横で肩を揺らしている。
「神代、面白いな」
「笑うとこあったか?」
「そこだよ」
小春まで笑っている。
「平穏な高校生活って、初手で言うのちょっと好きかも」
「普通に過ごしたいだけなんだけどな」
「うん、それをわざわざ言う時点で普通じゃないんだよね」
さらっと刺してくる。
やっぱりこの子は勘がいい。
勇真はそう思いながら、軽く息を吐いた。
◇
ホームルームが進み、配布物の説明や校則の確認が続く。
その合間にも、勇真は何度か周囲の空気を感じ取っていた。
誰が人懐っこいか。
誰が緊張しているか。
誰が場の中心に立ちたがるか。
別に意識しているわけじゃない。
長く戦場にいたせいで、もう半ば癖みたいになっているだけだ。
「神代、今のうちにノート見せて」
「何でだよ」
「絶対ちゃんと整理してるだろ」
「してるけど」
「ほらやっぱり」
相馬が当然みたいに手を出してくる。
勇真は呆れつつも、ノートを少しずらして見せた。
「うわ、字きれい」
小春が横から覗き込む。
「神代くんって意外と丁寧なんだね」
「意外って何だ」
「もっとざっくりしてるかと思った」
「そうでもない」
「へえー」
そんな何気ないやり取りの最中だった。
ふと視線を感じて、勇真は顔を上げた。
教室の少し離れた位置。
凛華がこちらを見ていた。
本当に一瞬だった。
だが、今度は気のせいではなかった。
勇真が視線を向けると、凛華は何事もなかったように手元の資料へ目を落とす。
「……?」
勇真は小さく首を傾げる。
小春がその反応を見逃さなかった。
「どうしたの?」
「いや、別に」
「ふーん?」
絶対に何か察している顔だった。
だが今は何も言わない。
相馬だけが何も分かっていない顔で、
「神代、次の説明聞いてるか?」
と能天気に聞いてきた。
「ああ、聞いてる」
「ならいいけど」
そんなやり取りをしながら、勇真は少しだけ気を引き締める。
東條院凛華。
やっぱり、ただの新入生代表では終わらない気がした。
◇
ホームルームの終わり際。
桐生が出欠簿を閉じながら言った。
「そういや神代、お前しばらくは定期検診あるんだったな」
「あ、はい」
「事情は聞いてる。無理はすんなよ」
「分かってます」
「休む時はちゃんと連絡しろ。以上」
相馬がすぐ食いついた。
「定期検診?」
「ちょっと前に色々あったんだよ」
「色々で済ませるんだ」
「済ませたいんだよ」
「何それ、逆に気になるだろ」
小春も興味ありげにこちらを見る。
勇真は少しだけ苦笑した。
「大した話じゃない」
「絶対大した話あるやつじゃん」
「ないない」
「その否定、信用できないなあ」
わいわいと軽口を交わす。
その空気に混ざりながら、勇真は心の中で考えていた。
帰ってきたばかりの自分。
普通の高校生活。
名門校。
東條院凛華。
そして、まだ終わっていない定期検診。
平穏に過ごすつもりだった。
そのつもりだったのに。
どうにも、静かには終わってくれそうにない。
窓の外で、春の風が桜を揺らす。
新しい教室。
新しい人間関係。
新しい日常。
けれど勇真は、まだ知らない。
この日常の少し外側で、すでに異変の気配が動き始めていることを。
そして次の定期検診の帰り道が、自分と凛華の距離を一気に変える最初の戦場になることを…
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




