第2話 入学式の令嬢
春の朝だった。
真新しい制服の襟元を指で軽く整えながら、神代勇真は目の前の校門を見上げた。
「……いや、でかすぎだろ」
思わずそんな言葉が口から漏れる。
私立鳳城学園高等部。
その名は入学前から聞いていた。名門、格式、由緒、将来有望な家の子息令嬢が集まる学校――そんな説明を何度も見たが、実物は想像以上だった。
重厚感のある正門。
やたら広い敷地。
手入れの行き届いた並木道。
遠目に見える校舎は、学校というよりどこかの高級ホテルか、美術館みたいですらある。
「高校っていうか、城じゃないか……」
軽く引きながら呟く。
周囲を見れば、登校していく生徒たちもまたこの場所に似合っていた。制服の着こなしはきっちりしていて、姿勢もいい。歩き方一つとっても、妙に上品だ。
「……場違い感、すごいな」
勇真は小さく息を吐いた。
中学三年のちょうど受験シーズン前だった。
勇真は、そのタイミングで異世界へ召喚された。
向こうで過ごしたのは五年。 剣を取り、魔法を覚え、魔王と戦い、命を懸けて生き抜いた。
けれど現代では、数日しか経っていなかった。
帰還してからは、保護、事情聴取、検査、各種手続きで怒涛の日々だった。
本来なら受験どころではない。それでもどうにか一般受験にだけは間に合った。
周りの大人たちの調整と、自分でも笑うくらいの詰め込みで、なんとか受けられた。
そして結果は――本当にぎりぎり。
胸を張って受かったというより、最後の最後で滑り込んだ、という方が正しい。
「よく受かったな、俺……」
自分で呟いて、少しだけ苦笑する。
「まあいいか。別に社交界デビューしに来たわけじゃないし」
肩の力を抜くように息を吐く。
欲しいのは平穏だ。 もう戦いはいらない。
目立たず、静かに、普通の高校生として過ごせればそれでいい。
異世界で魔王を倒して帰ってきた、なんて過去は、今は胸の奥にしまっておけばいい。
「よし。今日の目標、普通に過ごす」
誰に言うでもなくそう呟いて、勇真は校舎へ向かった。
講堂に入った瞬間、勇真はまた少しだけ目を丸くした。
「……立派すぎるだろ」
高い天井に、磨き上げられた床。壇上には花が飾られ、照明もやけに上品だ。新入生と保護者が整然と並ぶ光景まで含めて、どこか格式ばった空気がある。
席に着くと、前の方からひそひそとした声が聞こえてきた。
「東條院さん、もう来てるかな?」
「絶対目立つよね」
「っていうか、入学前から有名だし……」
複数の新入生が小声で話す。
どれだけすごいんだ、その新入生代表。
勇真がそんなことを考えているうちに、式は始まった。
校長の挨拶。
来賓の祝辞。
いかにも入学式らしい話が続いていく。
そして、司会の声が講堂に響いた。
「新入生代表、東條院凛華」
その名前が告げられた瞬間、講堂の空気がほんの少しだけ変わった気がした。
勇真は何となく顔を上げる。
席を立った少女が、静かに壇上へ向かって歩いていく。
「……あ」
思わず、小さく声が漏れた。
綺麗だ。
最初に浮かんだ感想は、それだった。
長い黒髪は艶やかで、背筋はまっすぐに伸びている。歩く姿にはまるで無駄がなく、ほんの数歩進むだけで、そこが彼女のための舞台みたいに見えた。
制服姿なのに、ただの生徒には見えない。
どこか近寄りがたい気品があって、それでいて目を離しにくい。
「すげえな……」
隣の列の男子が小さく呟く。
その声に、勇真は心の中で同意した。
壇上に立った少女――東條院凛華は、一礼し、代表挨拶の紙を開いた。
「新入生を代表し、謹んでご挨拶申し上げます」
澄んだ声だった。
よく通るのに、きつさがない。
落ち着いていて、綺麗で、聞いているだけで“ちゃんとしてる人だな”とわかる声。
周囲の新入生たちも、さっきまでのざわつきが嘘みたいに静かになっていた。
勇真も自然と見入ってしまう。
(本当にすごいな)
見た目が綺麗なだけじゃない。
立ち方、話し方、視線の向け方まで洗練されている。
こういう人を、別格って言うんだろう。
そんなふうに思った、そのときだった。
壇上の凛華が、ふっとこちらを見た気がした。
「……ん?」
何となく視線を返す。
ほんの一瞬。
けれど、確かに目が合った。
(綺麗な人だな)
勇真が抱いた感想は単純だった。
◇
東條院凛華は、壇上に立ちながら、内心でわずかに息を呑んでいた。
(……何ですの、今の)
表情は崩していない。
声も乱していない。
だが、心は確かに揺れていた。
違和感。
いや、そんな曖昧な言葉では足りない。
魔力だ。
この講堂の中に、あり得ない質の魔力がある。
凛華は幼い頃から魔術に触れてきた。
裏の世界を知り、術者として鍛えられ、“視える側”として育ってきた。
だからこそわかる。
普通ではない。
現代の術者が持つ魔力には、ある程度の型がある。
家系の癖、訓練の痕跡、制御の流れ。
どれだけ優秀でも、現代の枠組みから大きく外れることはない。
だが今感じたものは、まるで違った。
深い。
静かで、濁りがない。
それなのに、底が見えない。
深い湖を覗き込んだ時みたいな、引きずり込まれそうな感覚。
(この会場に、そのような者が……?)
凛華は挨拶を続けながら、視線だけをわずかに巡らせる。
そして見つけた。
新入生の列の中にいる、一人の男子生徒。
特別目立つ見た目ではない。
どちらかといえば少し気だるげで、普通の少年に見える。
なのに、その内側だけが異常だった。
(あの生徒……)
彼の魔力は暴れていない。
周囲に漏れ出しているわけでもない。
ただ、そこにある。
自然すぎて、逆に不自然なほどに。
(隠している……? いいえ、違う)
意図的な隠蔽とも少し違う。
もっと根本的に、その力が本人の中へ溶け込みすぎている。
それがなおさら恐ろしい。
凛華はほんの少しだけ、その少年を見つめていた。
すると相手が、ふと顔を上げた。
視線が合う。
一瞬だった。
なのに妙に長く感じた。
少年は少し驚いたようだったが、怯えもしないし、媚びもしない。
ただ静かにこちらを見返してくる。
(……この目)
凛華は小さく息を呑んだ。
年齢に似合わない目だった。
ただ平穏な日常の中で生きてきた人間の目ではない。
もっと別の何かを見てきた者の目だ。
(危険、ですわね)
術者としての本能が、静かに警鐘を鳴らす。
この少年は何者なのか。
なぜ、こんな力を宿しているのか。
なぜ、それを平然と抱えたままこの場にいるのか。
気になる。
ただ警戒しているだけではない。
もっと強く、知りたいと思っている。
(私らしくもありませんわ)
だが、今は入学式の最中だ。
動揺を見せるわけにはいかない。
凛華は息を整え、何事もなかったように言葉を続ける。
「――私たちは、これから始まる学園生活の中で、学び、支え合い、高め合いながら、それぞれの未来へ歩んでまいります」
声は乱れない。
立ち姿にも隙はない。
誰が見ても、東條院凛華は完璧な新入生代表だっただろう。
けれど、その胸の内には、確かに一人の少年の姿が刻まれていた。
◇
式が終わったあと。
凛華は人の流れから少し外れ、人気の少ない渡り廊下で足を止めた。
窓から入る春風が、黒髪を揺らす。
「……神代勇真」
式次第に記されていた名前を、小さくなぞる。
神代勇真。
一般入試で入学した新入生。
表向きの経歴だけを見れば、特に目立つ点はない。
だが、そんなはずがない。
あれほどの魔力を持っていて、何もないはずがない。
「まさか、この学園に入ってくるなんて……」
思わず独り言が漏れた。
警戒すべき相手だ。
それは間違いない。
けれど、凛華の中にある感情は、それだけではなかった。
気になる。
放っておけない。
あの静かな目も。
底の見えない力も。
全部が妙に引っかかる。
「……覚えておきますわ」
静かにそう呟く。
東條院凛華は、この時点で神代勇真という存在をはっきりと記憶した。
危ういほど深い力を秘めた、得体の知れない新入生として。
そして、ほんのわずかに。
自分の心を乱した、初めての相手として。
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




