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第1話 帰ってきた勇者

少し内容を変更しました。


「勇真――!」


 その声だった。


 勇者様、ではなく。

 ただ一人の少年の名を呼ぶ、切実な叫び。


 神代勇真は目を見開いた。


 赤い空。

 崩れかけた神殿。

 砕けた黒曜石の床。

 聖剣に貫かれ、崩れていく魔王。


 終わった、はずだった。


 ――これで終わりと思うな…


「っ、は……!」


 勢いよく上体を起こす。


 喉が熱い。

 息が浅い。

 心臓が、うるさい。


「はぁ、っ……はぁ……」


 見上げた先にあったのは、白い天井だった。


 赤い空じゃない。

 神殿でもない。

 瘴気も、魔王の気配もない。


 あるのは、消毒液の匂いが残る静かな個室。

 窓から差し込む、やけに穏やかな朝の光。


「……夢、か」


 掠れた声で呟く。


 だが、夢にしては鮮明すぎた。


 魔王を封じた手応え。

 最後の不気味な言葉。

 そして、あの白銀の髪の聖女。


「……セラフィナ」


 名を口にした瞬間、胸の奥が少し痛んだ。


 勇真は額に手を当て、深く息を吐く。

 そこでようやく、自分がどこにいるのかを見た。


 病室だ。

 日本の。

 異世界ではなく、元いた世界の。


「ほんとに、帰ってきたんだな……」


 異世界で五年。

 こちらでは、ほんの数日。


 頭では分かっている。

 でも感覚が追いつかない。


 ついさっきまで命を懸けて戦っていた気がするのに、目を覚ませば病室で、保護されて、検査されて、事情まで聞かれている。


「……まあ、そうなるよな」


 苦笑して、意識を沈める。


 感覚の奥に、確かに“ある”空間があった。

 見えないのに触れられる、もう一つの収納領域。


 《ストレージ》。


 異世界で得た亜空間倉庫。

 その奥には今も、聖剣《アストレア》が眠っている。


 全部、本当だった。


 異世界も。

 五年の戦いも。

 仲間たちとの旅も。

 魔王討伐も。

 セラフィナとの別れも。


 そして――帰還の直前に感じた、あの黒い脈動も。


「……気のせい、じゃないよな」


 返事はない。

 胸の奥には、あの違和感だけが残っていた。


 コンコン、と扉が鳴る。


「神代さん、起きていらっしゃいますか?」


「あ、はい」


 入ってきたのは看護師と、スーツ姿の男性だった。

 この数日で何度か見た顔だ。


「おはようございます。体調はどうですか?」


「悪くはないです」


「それはよかったです」


 男性が書類を確認しながら言う。


「本日、退院手続きが完了しました。ご家族にも連絡済みです」


「……帰れるんですね」


「ええ。今後もしばらくは定期検査に来ていただきますが、まずはご自宅で休んでください」


 その一言で、胸の奥が少し熱くなった。


 帰れる。


 家に。

 母と妹のいる場所へ。


「神代さん?」


「あ、すみません」


「大丈夫ですか?」


「ちょっと、実感なくて」


 看護師はやわらかく頷いた。


「無理もありません。急なことで、まだ混乱もあると思います」


「……ですね」


 急なこと、なんてもんじゃない。


 学校帰りに異世界へ召喚され、五年戦って、魔王を封じて帰ってきた。

 そんなことを話しても信じられないし、信じられても困る。


 だから勇真は、これまでの聞き取りでも曖昧に濁してきた。


 よく分からない場所にいた。

 記憶も曖昧だ。

 気づいたら保護されていた。


 我ながら苦しい話だが、これ以上は言えない。


「大きな異常は見つかっていません。ただ、しばらくは無理をしないでください」


「分かりました」


「書類はこちらです」


 説明はすぐ終わった。

 サインをして、荷物を受け取って、病室を出る。


 要するに――しばらく大人しくしていろ、ということだ。

 そのつもりだった。


 今度こそ、普通に生きたい。



 病院を出て、送迎の車に乗る。


 窓の外には、日本の朝が流れていた。


 通勤の人。

 信号待ちの自転車。

 コンビニ。

 見慣れた道路。


「平和だな……」


 思わず漏れた。


 異世界では、朝は警戒から始まっていた。

 魔物。結界。怪我人。次の戦場。


 そんなことばかり考えていた。


 でも、こっちは違う。


 誰も剣を持っていない。

 誰も空を見上げて警戒していない。

 朝は、ただ朝としてそこにある。


 それが、どうしようもなく尊かった。


 やがて車は見慣れた住宅街へ入る。


 本当に帰るんだ。

 母さんと、澪のいる場所へ。


 車が止まる。


「着きました」


 勇真は一度だけ深呼吸して、外へ出た。


 見慣れた家。

 門も、玄関も、表札も、そのままだ。


 その光景を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。


 次の瞬間、玄関が勢いよく開いた。


「勇真……!」


「母さん……」


 飛び出してきたのは、母――神代美咲かみしろみさきだった。


 美咲はまっすぐ駆け寄ってきて、そのまま勇真を強く抱きしめた。


「無事で……っ、無事でよかった……!」


「……っ」


 責める言葉はなかった。

 問い詰める声もなかった。


 ただ、帰ってきた息子を、力いっぱい抱きしめてくれる。


「母さん、ごめん……」


「いいの……今は何もいいから……! 帰ってきてくれて、よかった……!」


 声が震えていた。

 もう泣くのを隠してもいなかった。


 その温かさに触れて、勇真はようやく実感する。


 帰る場所は、ちゃんと残っていた。


「お兄ちゃん……!」


 今度は小さな足音が駆けてくる。


 胸に飛びついてきたのは、妹のみおだった。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん……っ」


「澪」


「ほんとに……ほんとに、お兄ちゃんなの……?」


 涙で潤んだ目が、まっすぐ勇真を見上げてくる。


「本物だよ」


「うそじゃない?」


「うそじゃない」


「またいなくならない?」


「……」


 一瞬、言葉が詰まる。


 帰ってきたばかりなのに、“もう何も起きない”とは言い切れない自分がいる。

 胸の奥に残った違和感が、それを許してくれなかった。


 でも、澪の顔を前に迷いは見せられない。


「大丈夫だ」


 勇真はそう言った。

 その瞬間、澪の目からぽろっと涙が零れた。


「ばか……! すっごく心配したんだから……!」


「うん」


「毎日、ずっと……どうしようって思ってたんだから……!」


「うん。ごめん」


「ごめんじゃ足りないもん……!」


 ぽかぽかと胸を叩かれる。

 全然痛くない。


 でも、その弱い力がひどく温かかった。


 美咲が涙を拭いながら笑う。


「とにかく中に入りましょう。勇真も疲れてるでしょう?」


「……うん」


 その返事は、勇者のものじゃない。

 ただ、家に帰ってきた息子の声だった。



 リビングに入ると、それだけで少し力が抜けた。


 ソファ。

 テーブル。

 壁の時計。

 見慣れた雑誌。


 全部そのままだ。


 自分だけが別の世界を生きてきたみたいで、変な気分になる。


「はい、お茶」


「ありがと、母さん」


 一口飲む。

 それだけで張りつめていたものが少し緩んだ。


 澪は勇真の隣にぴったりくっついたままだ。


「澪、近くないか?」


「近くないです」


「いや近いだろ」


「お兄ちゃんがまたどっか行ったら困るし」


「行かないって」


「ほんとに?」


「ほんとに」


 そう答えると、澪はじっと勇真の顔を見て、ようやく少しだけ力を抜いた。


「……じゃあ、今日は許す」


「何を?」


「帰ってくるの遅かったこと」


「理不尽じゃない?」


「理不尽じゃないもん」


 泣きはらした目のままむくれる澪に、勇真は思わず苦笑する。


 その間に、美咲は夕食の支度を進めていた。


「勇真、もう少しでできるわ。今日は簡単なものしか作れなかったけど」


「十分だよ」


「簡単じゃないよ。お兄ちゃんの好きなの、ちゃんと入ってるから」


「え?」


「ふふん」


 澪が少し得意げに胸を張る。

 その仕草がいつもの澪そのままで、勇真の胸はまた熱くなった。



 三人で遅い夕食を囲む。


 味噌汁。

 ご飯。

 好きだったおかず。


 豪華じゃない。

 でも、湯気の匂いも、食器の並びも、家族で囲む空気も、全部が懐かしかった。


「いただきます」


 三人の声が重なる。


 一口食べて、勇真は息をついた。


「……うまい」


「ほんと?」


「ああ。すごくうまい」


 異世界でも色々なものを食べた。

 野営のスープも、宿屋のパンも、王城の料理も。


 でも、これは違う。


 帰ってきた味だった。


「お兄ちゃん、なんかすごく大事そうに食べてる」


「そう見える?」


「うん」


 澪が首を傾げる。


 勇真は少し笑って、ごまかすように箸を動かした。


 向かい側で、美咲は静かに勇真を見ていた。


 箸の持ち方。

 器を取る位置。

 外の物音に反応する視線。


 数日行方不明だっただけではつかない癖だ。


 きっとこの子は、自分の知らない長い時間を生きてきた。

 母として、そう感じる。


 だが美咲は、それを言葉にはしなかった。


「勇真」


「ん?」


「今は、何も話さなくていいわ」


「……」


「でも、無理だけはしないで。話したくなったら、その時に聞かせて」


 短い言葉だった。

 でも、それで十分だった。


「……分かった」


 責めない。

 急かさない。

 ただ、戻ってきたことを受け入れてくれる。


 その優しさが、今の勇真には痛いほど沁みた。


 澪はそこまで深く分かっていなくても、嬉しそうに勇真を見ている。


「明日もちゃんと家にいるよね?」


「ああ。ちゃんといるよ」


「よかった」


 その笑顔が、何より眩しかった。



 食後、勇真は話せる範囲でだけ事情を説明した。


 事故みたいなものに巻き込まれたこと。

 気づいたら保護されていたこと。

 記憶も少し混乱していること。


 苦しい説明だ。

 だが、美咲はそれ以上深くは聞かなかった。


「話したくなったらでいいのよ」


「……うん」


「帰ってきてくれただけで、十分だから」


「母さん……」


 澪もぽつぽつと話し出す。


「お母さんね、私の前では大丈夫って言ってたけど、ほんとはすっごく心配してたんだよ」


「……だろうな」


「私も、毎日玄関の音がしたらお兄ちゃんかなって思ってた」


「澪……」


「だから、ちゃんといてよね」

「いるよ」


 そう答えると、澪は「うん」と小さく頷いた。

 その一言に込められた重さは、十分すぎるほど伝わった。



 風呂を済ませ、自室へ戻る。


 机の上の参考書。

 棚のゲームと漫画。

 掛けられた制服。


 こちらでは数日しか経っていないのだから当然なのに、勇真には五年ぶりの部屋に見えた。


「……ほんとに、何も変わってないな」


 ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。


 向こうでは毎日が濃すぎた。

 一日ごとに命の重みが違った。


 それに比べれば、この部屋の時間はあまりにも穏やかだ。

 自分だけが遠くへ行っていたような感覚だった。


 窓の外はもう夜。

 静かな住宅街に、遠くの車の音だけがかすかに聞こえる。


「平和だ……」


 ぽつりと漏れた言葉は、昼よりずっと重かった。


 誰も助けを求めていない。

 魔物の気配もない。

 瘴気も、戦場の匂いもない。


 ただ静かで、穏やかな夜。


「……もう、普通でいい」


 勇者なんて肩書きはいらない。


 学校へ行って。

 家に帰って。

 母さんのご飯を食べて。

 澪とくだらない話をして。


 そんな日々でいい。


「今度こそ、平穏に生きる」


 自分に言い聞かせるように呟き、右手を開く。


 意識を向ける。


 空間が揺らぎ、次の瞬間。

 白銀の光とともに、一振りの剣が現れた。


―― 聖剣《アストレア》。

 

異世界で授かった、勇者の証。


 魔王を封じた剣。


 月明かりを受けた刀身は、今も神々しいほど美しい。


 それは同時に、自分がただの高校生では終われないかもしれない証でもあった。


「お前もしばらく休みだ」


 そう言って、《アストレア》をストレージへ戻す。

 剣は粒子のような光になって消え、静かに空間の奥へ沈んでいった。


 部屋に静寂が戻る。


 ――そのはずだった。


「――っ」


 ぞくり、と背筋が粟立つ。


 反射的に窓の外を見る。


「……気のせい、じゃない」


 低く呟く。


 脳裏に蘇るのは、帰還の直前に見た黒い脈動。

 魔王が消えたはずの場所で蠢いた、終わっていない何か。


 あれは、やはり消えきっていなかったのかもしれない。


 胸の奥がわずかにざわつく。

 爪痕みたいに残った違和感が、静かに疼く。


 平穏は目の前にある。

 母がいて、澪がいて、帰る家がある。


 それでも。


 その平穏はもう、静かに侵され始めていた。


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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。


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