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プロローグ 勇者の帰還、そして終わらない影

少し内容を変更しました。


 血のように赤い空だった。


 天を覆う暗雲は渦を巻き、雷鳴めいた低い唸りが崩れかけた神殿を震わせている。

 砕けた黒曜石の床。焼け焦げた柱。大地に刻まれた無数の剣痕。


 そこは、世界の命運を懸けた最終決戦の果てだった。


 そして、その中心に二つの影があった。


 一つは、膝をつき、禍々しい瘴気を噴き出しながら崩れ落ちていく魔王。


 もう一つは、その眼前に立つ一人の少年。


 神代勇真(かみしろゆうま)


 異世界に勇者として召喚され、幾つもの戦場を越え、仲間と出会い、別れ、そして今――この世界を脅かした魔王を討ち果たした男だった。


「……はぁ、っ……はぁ……」


 勇真の呼吸は荒い。

 全身が痛む。血も流れている。

 それでも倒れない。


 右手には、聖剣《アストレア》。

 その銀白の刀身は、今まさに魔王の胸を貫いた最後の一撃の余韻を宿し、淡く光っていた。


 この一太刀で、すべてを終わらせた。


「……見事、だ……勇者……」


 魔王の消滅が始まる。


 崩れていく顔の半分は、なお人を嘲るように歪んでいた。

 黒い瘴気が肉体を内側から喰い破り、王冠めいた角も、漆黒の外套も、塵のように剥がれ落ちていく。


 それでも、その声だけは妙にはっきりしていた。


「貴様は、確かに……我を滅ぼした……」


 勝った。

 勇真はそう理解する。


 この瞬間まで、ほんのわずかでも気を抜けば喉元を食い破られるような死闘だった。


 だが、もう目の前の存在は終わりへ向かっている。


 世界を覆っていた絶望の象徴は、確かに今、滅びようとしていた。


 魔王は黒い瘴気を吐き出しながら、なおも笑う。


「だが……勇者よ……」


 その声に、勇真は眉をひそめた。


 どこか底冷えのする声音だった。


「これで……終わりと思うな」


「……何?」


 問い返した、そのときにはもう遅かった。


 魔王の身体はひび割れるように崩れ、黒い灰と瘴気となって宙へ散る。

 最後まで不気味な笑みだけを残して、魔王は消滅した。


 沈黙が落ちた。


 突然だった。


 そして、あまりにも大きかった。


 つい先ほどまで渦巻いていた殺意も、押し潰すような魔力も、世界を終わらせるかのような禍々しい気配も、もうない。


 耳が痛くなるほどの静寂。


「……終わった、のか……?」


 ぽつりと、勇真は呟いた。


 声は自分でも驚くほど掠れていた。

 喉は焼けつき、肺は悲鳴を上げている。


 それでも、その一言を口にした瞬間、実感がようやく胸の奥へ落ちてきた。

 終わったのだ。


 長かった戦いが。

 召喚されたあの日から続いてきた、勇者としての役目が。


 この世界で背負わされ、そして自分の意志で背負い続けた戦いが。


 張りつめていた緊張がほどけ、勇真は目を細める。


 だが、安心は長くは続かなかった。


 足元に、光が広がる。


 淡い円環の魔法陣。

 召喚されたあの日、異世界へ引きずり込まれたあの瞬間と同じ輝きだった。


「……そういうことかよ」


 勇真は小さく息を吐く。


 勇者召喚の契約。

 魔王討伐が成されたとき、勇者は元の世界へ還る。

 役目は終わった。


 だから、帰る。

 当然の結末だった。


 それなのに、その現実は刃みたいに鋭く胸に刺さった。


「勇者様――!」


 張りつめた空気を裂くように、少女の声が響いた。


 振り返るまでもない。

 聞き間違えるはずがなかった。


 魔王神殿の通路の奥から、白銀の髪を揺らして駆けてくる少女がいる。


 純白と蒼を基調とした法衣は土埃に汚れ、それでもなお神聖さを失わない。

 けれど今の彼女に、聖女としての威厳を装う余裕はなかった。


 セラフィナ・ルクレツィア。


 この世界で勇真を召喚した張本人であり、王国の聖女であり――そして勇真にとって、ただそれだけではない存在。


「セラフィナ……」


 彼女は勇真のもとへ駆け寄ると、ほとんど勢いのままその腕に触れた。


「ご無事で……っ、勇者様……ご無事で……!」


 震える声だった。

 気丈に振る舞おうとしているのは分かる。けれどその瞳の端には、もう涙が浮かんでいた。


 勇真は少しだけ目を細める。


「……なんとか、な」


「なんとか、ではありません……!」


 珍しく強い口調だった。


 セラフィナは勇真の肩、胸元、腕へと視線を走らせるたびに、顔を青くしていく。


「こんなに……こんなに傷だらけで……。もう少し遅れていたらと、そう思っただけで……私は……」


「大丈夫だって。死んでない」


「その言い方で安心できると思ってるんですか……?」


 涙声でそう返されて、勇真は困ったように笑った。


 こういうところは、出会った頃から変わらない。


 聖女として人前では凛としているくせに、自分のことになるとすぐ顔に出る。

 勇真が無茶をすれば怒って、そしてその何倍も心配する。


 最初は距離のある“勇者様”と“聖女様”だった。


 けれど、戦いを重ね、何度も命を預け合ううちに、その呼び名の奥にあるものは変わっていった。


 勇真にとってセラフィナは、ただ守るべき聖女ではない。

 セラフィナにとってもまた、勇真はただ召喚した勇者ではない。


 そんなことは、今さら言葉にしなくても分かっていた。


 セラフィナの白い指先が、そっと勇真の頬の血を拭う。


 触れた手が小さく震えていて、勇真は胸の奥が妙に苦しくなった。


「……ほんと、泣きそうな顔してるな」


「泣いていません」


「いや、どう見ても」


「泣いて、ません……」


 言い切る前に、とうとう一筋、涙が零れた。


「あー……ほら」


「これは……その……違います……」


「何が違うんだよ」


「違うものは違うんです……っ」


 いつもなら少しだけ拗ねるように返すところなのに、今はそれすら弱々しい。


 勇真は困ったように頭をかき――かけて、腕の痛みに顔をしかめた。


「っ、い……」


「勇者様!」


「だから、大丈夫だって……」


 そう言った直後、足元が少し揺れた。


 さすがに限界が近い。


 最後の最後まで無理やり立っていた身体が、戦いの終わりを知って力を抜き始めている。


 セラフィナは咄嗟に勇真を支え、そのまま息を呑んだ。


 勇真の足元に広がる光を見たからだ。


 淡い、円環の魔法陣。

 召喚のときと同じ輝き。


「……え……」


 セラフィナの声から、血の気が引いた。


 勇真もまた、その光を見下ろして黙る。


 理解は、とうにしていた。


 けれど理解することと、受け入れることは違う。


「そんな……」


 セラフィナが、かすかに首を振る。


「もう……? そんな、急に……」


「……魔王を倒したからだろ。契約が果たされた。たぶん、そういう仕組みなんだと思う」


「ですが……っ」


 セラフィナの手に力がこもる。

 少しでも強く掴んでいれば、光に連れていかれずに済むとでも思うように。


 勇真もまた、その体温を振り払えなかった。


 薄々、分かっていた。

 この戦いが終われば、自分は元の世界へ帰るのだろうと。


 勇者召喚とはそういうものなのだと。


 セラフィナもきっと、同じように分かっていたはずだ。


 けれど、分かっていたからといって、その時が来たときに平然としていられるわけじゃない。


 勝ったのに。

 世界を救ったのに。

 なのに、こんな終わり方があるのか。


 勇真は、自分でも驚くほどその現実を残酷だと思った。


「そんな……もう少しだけでも……」


 セラフィナの声は、祈るように震えていた。


「せめて、少しだけでも……。まだ、お伝えしたいことも……話したいことも……」


 光は止まらない。

 むしろ時間がないと告げるように、ゆっくり強さを増していく。


 勇真は唇を噛み、静かに息を吐いた。


「セラフィナ」


 名を呼ぶと、彼女ははっと顔を上げた。


 勇真はその目を、まっすぐ見つめる。


「あなたを巻き込んだのは、私です」


 セラフィナが先に言った。

 細い声だった。


 けれど逃げずに、勇真を見ていた。


「私が……あなたをこの世界へ呼びました。あなたの平穏を奪って、戦わせて、傷つけて……それなのに――救われたのは、私たちでした」


「……セラフィナ」


「王国も、人々も、この世界も……みんな、あなたに救われました。私も……私は、何度も、何度も……あなたに……」


 言葉が詰まる。


 勇真はその続きを待ったが、セラフィナは唇を震わせるだけで、それ以上は言えなかった。


 だから代わりに、勇真は首を横に振る。


「巻き込まれたのは事実だ」


 セラフィナの肩が揺れる。


「でもさ」


 勇真は苦笑した。


「それで全部が不幸だったとは思ってない」


「……っ」


「ここで会ったやつらも、旅した時間も、戦ってきたことも……全部、本物だった。無理やり呼ばれたのは最悪だったけど、だからって、ここで過ごしたもんまで偽物になるわけじゃない」


 仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。


 馬鹿みたいなやり取りも、死にかけた戦いも、焚き火を囲んだ夜も。


 この世界で得たものは、痛みや苦しみだけじゃない。


 そして何より――目の前の少女も。


「お前もだよ、セラフィナ」


 その瞬間、セラフィナの瞳が大きく揺れた。


 勇真は少しだけ照れくさくなる。

 だが、今さら取り消す気はなかった。


 もう時間がない。

 だったら、最後くらいはごまかしたくなかった。


 セラフィナはそっと勇真の手を取った。


 離れてしまう前に、その温もりを少しでも確かめるように。


「……どうか、生きてください」


 祈るように、彼女は言う。


「あなたの帰る世界で……幸せになってください」


 その言葉が、勇真の胸に重く沈んだ。


 本当は引き止めたいはずだ。

 本当は行かないでほしいと叫びたいはずだ。


 それでもセラフィナは、自分の願いより勇真の幸せを口にした。


 ああ、やっぱりこいつは聖女なんだな、と勇真は思う。

 そして同時に、そんなふうに言わせてしまっていることが、ひどく切なかった。


「セラフィナ」


 勇真は、彼女の手を握り返した。


「お前が召喚したこと、後悔してない」


「……!」


「だから、そんな顔するなよ」


 泣きそうな顔で見送られるのは、正直きつい。

 でも、そう言いながらも、勇真の喉も少し詰まっていた。


「俺も……たぶん、全部をうまく言えない。でも」


 光が、さらに強くなる。


 身体の輪郭が、粒子のようにほどけ始めていた。


 本当に、もう時間がない。


 勇真は一度だけ目を伏せ、そしてもう一度セラフィナを見た。


「絶対とは言えない。でも、忘れない」


 それは約束としてはあまりに頼りない。

 けれど、勇真に言える精一杯の本音だった。


 また会える保証なんてない。

 世界が違う。

 奇跡が重ならなければ、二度と会えないかもしれない。


 それでも。


 忘れない。


 この世界で過ごした時間も、目の前の少女のことも。


 セラフィナは、ぽろぽろと涙を零しながら、それでも懸命に微笑もうとした。


「……はい」


 声は震えていた。

 それでも、確かに笑っていた。


「私も……忘れません」


 その笑顔は、きっとこの先も勇真の中に残り続けるのだろう。

 何年経っても、何があっても、ふとした瞬間に思い出してしまうくらいに。


 光が、視界を白く染めていく。


 セラフィナの輪郭が、少しずつ遠ざかる。


 手の感触も、温もりも、薄れていく。


「……っ」


 そのときだった。


 勇真の視界の端に、ほんの一瞬だけ違和感が走ったのは。


 魔王が消えたはずの場所。

 灰も瘴気も散り、何も残っていないはずの空間の奥で――何かが、脈打った。


 ――ドクン。


 まるで、黒い心臓のように。


「……な……っ」


 勇真は目を見開く。


 それはほんの刹那だった。

 黒い霧のようなもの。影のようなもの。あるいは、闇そのものが意思を持って蠢いたかのような、ひどく不快な気配。


 魔王の残滓。


 ―――マズイっ!!


 しかし、帰還魔法は止まらない。


 白い帰還の光に紛れ込むように。


 勇真のほうへ滑り込んでくるように、そんな感覚が走る。


「く……っ!」


 咄嗟に手を伸ばそうとする。


 だが、もう遅い。


 身体はすでに光へ引かれ、指先すら思うように動かない。


 違和感だけが、胸の奥へ爪痕のように残った。


 なんだ、今のは。

 気のせいか。

 いや、そんなはずがない。確かに見た。


 だが、それを確かめるより早く、意識が深い水底へ沈むように遠のいていく。


 セラフィナの姿が霞む。


 神殿の崩壊音も遠くなる。


 光の中で、最後に聞こえたのは――


「勇真――!」


 その声だった。


 勇者様、ではなく。


 ただ一人の少年の名を呼ぶ、切実な叫び。


 勇真は目を見開き、そして――




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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。


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