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第15話 戦いのあとに残るもの

ここからラブコメ満載の1.5章開幕です!


 酒呑童子・朱天が消えたあとも、戦場の空気は重いままだった。


 焼けた結界の残滓が夜気に混じり、鬼炎に抉られた地面からはまだ熱が立っている。砕けた術具、倒れた結界杭、散った札。東京を守り切ったはずの現場には、勝利の熱より先に戦いの爪痕が残っていた。


「封印班、急いで! 霊脈の逆流がまだ止まりきっていません!」


「医療班、こっちだ! 前衛二名、意識あり!」


「周辺区画の再測定を急げ! 一般人側への滲みを止める!」


 東魔協の術師たちが、慌ただしく走り回る。


 その少し外れで、勇真は静かに立っていた。


 右手には《童子切安綱》。


 さっきまで朱天の鬼炎をまとっていた刀は、今は嘘みたいに静かだった。怨念の脈動も、噛みつくような熱も消えている。


 勇真は刃をわずかに傾けた。


 夜の灯りを受けた刀身が、鈍く澄んだ光を返す。


「……現代で振るうなら、こっちの方がやりやすいか」


 小さく呟く。


 《アストレア》は強すぎる。


 切り札としてはこれ以上ないが、現代ではどうしても周囲への影響が大きい。


 その点、《童子切安綱》は怪異相手の実戦向きだ。


 重さも、間合いも、手に馴染む。


「神代君」


 声をかけてきたのは、東魔協の幹部術師だった。


 ついさっきまでの警戒とは違う。今の声には、明らかに慎重な敬意が混じっている。


「その刀は、会議まであなたが保持してください」


「協会で預からなくていいんですか」


「本来なら封印庫行きです。ですが、現時点で安全に扱える者がいるとは言い切れません」


「分かりました」


「助かります」


 幹部術師は短く頭を下げた。


 あの東魔協が、だ。


 得体の知れない外部協力者だった高校生に、危険な霊刀を預けている。


 現場の認識は、もう以前とは違っていた。


「神代君、本当に酒呑童子を斬ったんだよな……」


「しかも、あの童子切まで静めた」


「もう何者とかいう話じゃないだろ」


「東條院さんの隣にいるの、今は妙に自然なんだよな」


「それ本人たちの前で言うなよ」


 若手術師たちの囁きが聞こえる。


 勇真は聞こえないふりをした。


 その視線の先に、凛華がいる。


 少し離れた場所で、医療班の簡易診断を受けていた。椅子に腰かけていても背筋は真っ直ぐで、顔を上げる角度にも乱れがない。消耗していても姿勢を崩さないあたりが、いかにも凛華らしかった。


 ただ、顔色だけは誤魔化せていない。


「魔力消耗が深いです。今夜は安静を――」


「本部での報告が先ですわ」


「ですが」


「最低限の回復で結構です。歩けます」


 きっぱり言い切る声は、少しだけ掠れていた。


 勇真は小さく息を吐く。


 無茶をするなと言って、素直に引く相手じゃない。


 それはもう分かっている。


 診断が一段落し、凛華がこちらを見る。


「……刀は」


「落ち着いてる」


「そうですか」


 たったそれだけの言葉だった。


 でも、凛華の肩から少しだけ力が抜ける。


 やはり気にしていたのだろう。


 朱天が最後まで握っていた刃だ。収まりきらなければ、戦場そのものがまた荒れかねない。


 幹部術師が二人へ向き直った。


「移動車両を回しました。本部へ向かいます」


「承知しましたわ」


「分かりました」


 勇真が返すと、凛華も立ち上がる。


 一歩目は問題ない。


 二歩目も大丈夫だ。


 だが三歩目で、ほんのわずかに重心がぶれた。


 勇真は何も言わず、半歩だけ前に出る。


 必要なら支えられる位置だ。


 それに気づいたのか、凛華が小さく息をついた。


「……見すぎです」


「歩き方で分かる」


「そういうところが鋭すぎますの」


「隠す気あるなら、もう少し上手くやれ」


「努力はしていますわ」


「結果が出てない」


「厳しいですわね」


「無理して倒れられる方が困る」


「……それは、少しだけ反省しています」


 言ってから、凛華は目を逸らした。


 素直な返答が自分でも意外だったのかもしれない。



 移動車両の中は、思ったより静かだった。


 外ではまだ後処理が続いている。


 だが、この車内だけはようやく戦場から切り離された小さな空間だった。


 勇真は向かいの席に座り、《童子切安綱》を膝の上へ置く。


 斜め前に凛華。


 簡易回復は受けたらしいが、それでも疲労は深い。


 窓の外を見つめたまま、しばらく口を開かない。


 先に沈黙を破ったのは、凛華だった。


「……本部の空気も、変わるでしょうね」


「だろうな」


「皆さんが今まであなたを認めていなかったわけではありません」


「でも、警戒はしてた」


「ええ」


 凛華は素直に頷いた。


「強すぎる力は、それだけで不安要素になりますもの」


「否定はしない」


「ですが今夜で、それを上回る結果を出してしまいました」


「結果、か」


「酒呑童子の撃破。《童子切安綱》の確保。そして……」


 凛華はそこで一度だけ言葉を切る。


「私と、きちんと並んで戦ったこと」


 勇真は凛華を見た。


 凛華は窓の外へ目を向けたままだ。


 それでも、その横顔が少しだけ熱を持っているのが分かる。


「……並んでたか?」


「並んでいましたわ」


「そうか」


「そうです」


 短く言い切ってから、凛華は少しだけ表情を和らげた。


「少なくとも、私はそう思っています」


「ならいい」


 勇真は飾らず返す。


 その素っ気なさが、逆に凛華には心地よかった。


「本当に、不思議なお人ですわ」


「何が」


「そういう返しを、平然となさるところです」


「変なこと言ったか?」


「いえ。そうではありません」


「じゃあ何だよ」


「……今は秘密です」


 車窓に流れる夜の東京は、少しずついつもの形に戻りつつあった。


 灯りがあって、人の気配があって、守るべき日常がまだそこにある。


 その景色を見て、勇真はふと呟く。


「家に連絡入れないとな」


「ご家族、ですか?」


 凛華が静かに訊ねた。


 今まで、こういう話をする機会はなかった。


 戦いのこと、護衛のこと、任務のこと。言葉は交わしてきたが、戦場の外にあるものまでは踏み込んでいない。


「ああ。母さんと、妹がいる」


「……そうでしたのね」


「たぶん、まだ起きてる。無事に終わったって伝えないと」


「きっと、ご心配なさっていますわ」


「母さんは多分、細かいことは聞かずに無事だけ確認してくる」


「妹さんは?」


「明るく返してくると思う。でも、少し怒るな」


「ふふ……何となく想像できます」


 その小さな笑い声が、車内の空気を少しだけ和らげた。


 凛華は、家族のことを話す時の勇真の声が好きだと思った。


 戦場で刃を握る時の声とも、東魔協幹部へ向ける声とも違う。


 力んでいないのに、芯だけはある声。


 そういう場所へ、この人はちゃんと戻っていくのだと分かる。


「勇真君」


「ん?」


「あなたには、帰る場所があるのですね」


「あるよ」


「……いいことですわ」


「凛華にもあるだろ」


「ええ、ありますわ」


 そう返してから、凛華は少しだけ目を伏せた。


「ですが今は……その……」


「今は?」


「……こうして隣に、同じ戦いを終えた方がいてくださるのも、悪くないと思っています」


 言ってから、自分で何を口にしたのか理解したのだろう。


 凛華の耳がうっすら赤くなる。


 勇真は数秒黙って、それから自然に返した。


「それなら良かった」


「……もう少し何かありませんの?」


「何かって?」


「いえ、もう結構ですわ」


 凛華は窓の外へ顔を向けた。


 けれど、口元は少しだけ緩んでいた。



 東魔協本部に着いた時には、施設全体がまだ慌ただしく動いていた。


 深夜のはずなのに、灯りが落ちていない。


 情報解析班、封印班、医療班、警備班。東京を支える組織として、今夜は誰一人休めないのだろう。


 車両を降りると、玄関ホールの空気がわずかに変わった。


 視線だ。


 勇真の手にある《童子切安綱》。


 その隣を歩く凛華。


 酒呑童子討伐の報は、もう本部中に回っているらしい。


「神代君だ」


「本当に戻ってきた……」


「東條院さんも」


「刀、あれが童子切安綱か」


「気配が重いな……」


 露骨に騒ぐ者はいない。

 だが、皆が見ている。


 その視線を受けても、凛華は姿勢を崩さない。


 勇真も気にせず前を向く。


 ただ、エレベーターホールへ向かう途中で、凛華の歩みがほんのわずかに鈍った。


 勇真は何も言わず、歩幅を落とす。


 それだけで、凛華はすぐ気づいたらしい。


「……ありがとうございます」


「別に」


「そういうところです」


「またそれか」


「またですわ」


 先導していた幹部術師が振り返る。


「会長はすでに会議室でお待ちです。主要幹部も揃っています」


「分かりました」


 勇真は小さく頷いた。


「東條院会長には、俺からも報告します」


「お願いします。今回の件は、あなたの見立ても重要です」


「承知しました」


 凛華も表情を引き締める。


 さっきまでのやわらかい空気が消え、東魔協のエースの顔に戻る。


 それでも勇真には分かった。


 今の彼女は無理に立っているわけじゃない。


 ちゃんと次へ進むために、前を向いている。


 会議室前で足が止まる。


 重い扉の向こうには、東魔協の結論が待っている。


 酒呑童子事件の総括。


 《童子切安綱》の扱い。


 そして、朱天が残した「次は西だ」の意味。


 東京の戦いは終わった。


 だが、その勝利を整理した先で、もう次の災厄は動き始めている。


 幹部術師が扉へ手をかけた。


「東條院様、神代君。どうぞ」


 勇真は《童子切安綱》を握り直す。


 その隣で、凛華もまっすぐ前を見据えた。


 二人はそのまま、東魔協本部の緊急会議室へ足を踏み入れた。


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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。


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