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第13話 教える者、教わる者


 東日本魔法協会の地下実働区画は、今日も張り詰めていた。


 壁一面のモニター。

 都内各所の霊的観測点。


 そのうちの一つが、赤く脈打つように点滅している。


「新宿西側、旧物流倉庫街です」


 資料を開いた術師が報告する。


「結界内で鬼性反応を二体確認。いずれも中級相当。ただし残滓の質が通常個体と異なります。酒呑童子配下の可能性が高いと判断されています」


 その名が出た瞬間、室内の空気が少し重くなった。


 酒呑童子。


 まだ本体の姿こそ掴めていないが、最近の鬼事件の中心にいると見られている特級鬼だ。


 凛華が静かに問う。


「現地の結界は?」


「先行班が展開済みです。一般人の流入も遮断済み。今回は簡易任務ですが、念のため神代さんにも同行していただきます」


 凛華の目がわずかに細くなる。


「勇真君は、護衛として……ですね」


「はい。護衛兼、実戦補佐です」


 補佐。


 その言葉に、凛華の口元が少しだけ硬くなった。


 勇真は横目でそれを見る。


 分かりやすい。

 凛華はこういう時、表情を崩さないくせに、少しだけ空気が変わる。


 東魔協のエースとして前に立ってきた彼女にとって、面白い言い方じゃないのは当然だ。


 けれど、今はそれでいいとも思う。


「準備が整い次第、出発します」


 その一言で、ブリーフィングは終わった。



 旧物流倉庫街は、不気味なくらい静かだった。


 錆びたシャッター。

 止まったままのトラック。

 風に鳴る金網。


 人の気配だけが綺麗に抜け落ちていて、その奥に濃い鬼気が滲んでいる。


「……いますね」


 凛華が魔導杖《星霧ほしぎり》を顕現させた。

 杖先から青白い燐光がこぼれ、薄暗い倉庫街を淡く照らす。


 勇真は周囲を見回した。


「二体。奥に一体、手前に一体。手前の方が重いな」


「そこまで分かるのですか?」


「なんとなくじゃない。はっきり分かる」


 その直後、倉庫の影から低い唸り声が響いた。


 現れたのは二体の鬼。

 片方は大柄で、肩幅が異様に広い。

 もう片方は細身だが、腕が長く、爪が不自然なほど鋭い。


 どちらも普通の鬼より濃い酒気をまとっていた。


『東魔協の嬢ちゃんか』


 大柄な鬼が、濁った声で笑う。


『聞いてるぜぇ。いい魔力を持ってるってな』


「下劣ですね」


 凛華の声は冷たい。


『はっ、そういう顔の女ほど――』


「最後まで言わせる必要、ありますか?」


 凛華が一歩前へ出る。

 魔力が一気に高まる。


 いつものように、先手を取って、そのまま押し切るつもりだった。


 だが、その前に。


 勇真が手を出して制した。


「待て」


「勇真君?」


「その入り方はダメだ」


 凛華が眉を寄せる。


「先手を取るべき局面ではありませんか?」


「先手は取る。でも、お前が前に出すぎるな」


「……どういう意味ですの?」


 勇真は鬼から視線を外さないまま言った。


「俺が前で受ける」


「凛華は後ろから通せ」


「一手目から全部自分で決めようとするな」


「止めるのも、崩すのも、仕留めるのも、一人でやる必要はない」


 凛華の呼吸が一瞬止まる。


「……後ろから、通す」


「そうだ」


「ですが、それでは……私は、守られているだけになりませんか」


「ならない」


 勇真は即答した。


「前を開くのは俺の役目だ。でも、そこに決定打を通すのは凛華だろ」


「お前の砲撃は強い。だから前に出るな。後ろから撃て」


「その方が、ずっと厄介だ」


 凛華は悔しそうに唇を引き結ぶ。


「……簡単に言ってくださいますね」


「簡単じゃないのは分かってる」


「でも、今日から慣れろ」


 そこで初めて、勇真は凛華を見た。


「俺が前に出る」


「だから凛華は、後ろから俺を使え」


 その言葉に、凛華の胸が熱くなる。


 悔しい。

 けれど、それ以上に安心してしまうのが悔しい。


「……分かりました」


 小さくうなずく。


「やってみます」


『ごちゃごちゃうるせえなァ!』


 大柄な鬼が地を蹴った。


 コンクリートが砕ける。

 巨体に似合わない速度で一直線に突っ込んできた。


「来ます!」


「前に出るな、凛華」


 勇真が一歩前へ出る。


「お前は後ろ。そこから通せ」


「――はい!」


 凛華は半歩下がった。

 前に出たい衝動を押さえ込み、勇真の背中を軸に後衛へ徹する。


『はっ、女を下げるかよ!』


 大柄な鬼が笑う。


「逆だ」


 勇真は低く返した。


「後ろにいる方が、あいつは厄介だ」


 次の瞬間、勇真が踏み込む。


「《震脚れっしん》」


 地面を打つような一歩。

 それだけで鬼の踏み込みがわずかにぶれた。


「今です!」


「《星彩連閃アストラル・レイ》!」


 凛華の星光弾が連続で走る。


 正面から押し潰す砲撃ではない。

 勇真が作ったわずかなズレに、正確に刺し込む援護射撃だ。


 足元。

 肩口。

 視界の端。


『チィッ!』


 鬼が腕で払うたびに、体勢が崩れる。


(軽い……!)


 凛華は目を見開いた。


 消費が少ない。

 それなのに次の術式がすぐ回る。


 一撃で決めようとしないだけで、こんなに違う。


 そこへ細身の鬼が横から回り込んだ。


『ガァッ!』


「そっちは俺が見る」


 勇真は振り向きもせず、一気に間合いを詰める。


「《裂歩れっぽ》」


 一歩で死角へ滑り込み、細身の鬼の懐へ潜った。


 振り下ろされた爪を紙一重でかわし、拳を腹へ叩き込む。


『ガッ――!?』


「《破衝はしょう》」


 圧縮した魔力が炸裂し、細身の鬼が鉄柵まで吹き飛んだ。


 その間に、凛華は止まらない。


「《星鎖縛ステラ・バインド》!」


 星光の鎖が地を走り、大柄な鬼の脚へ絡みつく。


『こんなものォ!』


「切らせるな、凛華!」


「《天雷槍ユピテル・ランス》!」


 雷槍が一直線に走り、鬼の肩を貫いた。

 紫電が弾け、巨体がのけぞる。


(前に出なくても、回る……!)


 凛華は息を呑んだ。


 勇真が前で受ける。

 自分は後ろから止める。

 崩れたところへ、正確に次を重ねる。


 一人で全部を背負わなくていい。

 その形だけで、術式の流れが驚くほど滑らかだった。


 後方の東魔協術師たちもざわついている。


「東條院お嬢様の術式、前より滑らかだ……!」


「出力は同じなのに、回転率が違う……!」


 大柄な鬼が瘴気を膨らませ、無理やり鎖を引きちぎる。


『舐めるなァ!』


 拳が振り上がる。


「勇真君!」


「ああ!」


 勇真が正面から踏み込んだ。


 振り下ろされた拳を半歩ずらしてかわし、内側へ潜る。


 脇腹へ肘。

 顎へ膝。

 巨体が浮く。


 本当なら、ここは斬る方が早い。


(やっぱり、剣がないと細かい処理が面倒だな)


 体術でも魔法でも勝てる。

 鬼程度なら問題ない。


 けれど、これは本来の戦い方じゃない。


 《アストレア》は出せない。

 強すぎる。


 簡易任務で振るうには、周囲にも敵にも過剰だ。


(現代で普通に振れる剣が一本あればな)


 そんな感覚が頭をよぎる。


「凛華、今だ!」


「《雷花陣トール・ブルーム》!」


 雷の花が咲くように広がり、鬼の動きを止める。


 勇真はそのまま鬼の胸へ掌を当てた。


「《魔力断ち(スペルブレイク)》」


『な……っ!?』


「再生、止めたぞ!」


「――《流星砲メテオ・バスター》!」


 凛華の砲撃が、勇真の横を一直線に抜けた。


 轟音。


 大柄な鬼の胸を貫き、その巨体を後方へ吹き飛ばす。

 地面に叩きつけられた鬼は、もう起き上がらない。


 細身の鬼がそれを見て怯んだ。


「残り一体!」


「後ろから押さえます!」


「十分だ。通してくれ」


 勇真が前へ出る。

 凛華が後ろから星光弾を放つ。


「《星彩連閃アストラル・レイ》!」


 左右を封じられた細身の鬼は、正面へ逃げるしかない。


 そこへ勇真が踏み込んだ。


「《瞬駆しゅんく》」


 一瞬で間合いを潰し、膝を砕く。


『ギッ――!』


「《光槌こうつい》」


 圧縮した光弾が頭部を打ち抜き、細身の鬼も崩れ落ちた。


 静寂が戻る。


 漂っていた酒臭い瘴気が、少しずつ薄れていった。


 凛華は呼吸を整えながら、杖を握る手を見る。


 まだ魔力が綺麗に巡っている。


 無理やり押し切っていない。

 それなのに、前よりずっと戦いやすい。


 いや、違う。


 前より強い。


「……これが」


 勇真が振り返る。


「どうだった」


 凛華は少し悔しそうに、それでもはっきりうなずいた。


「……認めます」


「何を?」


「今までの私は、一人で片づけようとしすぎていました」


「こちらの方が、ずっと動きやすいです」


「だろ」


「勇真君が前で崩して、私が後ろから通す」


「この形の方が、今の私には合っています」


 勇真は少しだけ口元を緩めた。


「いい。今の方が強い」


 その一言に、凛華の胸が跳ねる。


 派手な賞賛じゃない。

 でも、勇真の短い評価は妙に深く刺さる。


「……ありがとうございます」


 それだけ言うのが精いっぱいだった。


 そこへ後方の術師が駆け寄ってくる。


「緊急報告です!」


 一気に空気が変わった。


「都内各地で同時多発的に鬼性反応を確認! 新宿、池袋、上野、湾岸部――短時間で一気に増えています!」


「同時に……?」


 凛華の声が低くなる。


「はい。しかもどの現場にも強い酒気反応があります。ここで回収した残滓と同質です!」


 勇真が目を細めた。


「一斉に動かし始めたか」


 さらに別の術師が続ける。


「本部から正式通達です。特級鬼性存在――酒呑童子・朱天の存在を確定。これより都内鬼性事件は、すべて同存在の配下活動を含むものとして対応します」


 重い沈黙が落ちた。


 ついに、名前だけだった脅威が現実になった。


 だが、報告はまだ終わらない。


「それと、目撃情報の追加があります」


「何ですか」


 凛華が問う。


 術師は唾を飲み込んで言った。


「酒呑童子本人と思われる鬼が、異様な刀を帯びていたという証言が複数上がっています」


「刀?」


 勇真が反応する。


「はい。ただの武器ではありません。異様な霊圧を放つ長大な刀で、鬼炎と共鳴するように瘴気を噴いていたと」


 その瞬間、勇真の中で何かが引っかかった。


 鬼が帯びる、異様な刀。


 ただの得物じゃない。

 もっと別の意味を持つ可能性がある。


 同時に、さっきまで胸の奥にあった感覚が輪郭を持つ。


 現代で振れる剣があれば――。


「勇真君?」


「……いや」


 勇真は短く息を吐いた。


「面倒なことになりそうだなって思っただけだ」


「珍しく、嫌そうな顔をしていますね」


「実際、嫌な予感しかしないからな」


「それは……否定できませんわね」


 凛華も表情を引き締める。


 東京各地で鬼事件が増えている。

 酒呑童子は動き出している。

 しかも異様な刀まで帯びている。


 もう小規模任務の段階じゃない。

 本番が来る。


「勇真君」


「ん?」


「次は、もっと厳しくなりますね」


「そうだな」


「ですが」


 凛華は杖を握り直した。


「私はもう、前より上手く戦える気がします」


 勇真は少しだけ目を細める。


「なら十分だ」


「はい」


 凛華は静かにうなずいた。


 守られるだけじゃない。

 でも、一人でもない。


 その形が、ようやく自分の中に根づき始めていた。


 夜の結界の向こうで、次の警報が鳴り始める。


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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。


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