第13話 教える者、教わる者
東日本魔法協会の地下実働区画は、今日も張り詰めていた。
壁一面のモニター。
都内各所の霊的観測点。
そのうちの一つが、赤く脈打つように点滅している。
「新宿西側、旧物流倉庫街です」
資料を開いた術師が報告する。
「結界内で鬼性反応を二体確認。いずれも中級相当。ただし残滓の質が通常個体と異なります。酒呑童子配下の可能性が高いと判断されています」
その名が出た瞬間、室内の空気が少し重くなった。
酒呑童子。
まだ本体の姿こそ掴めていないが、最近の鬼事件の中心にいると見られている特級鬼だ。
凛華が静かに問う。
「現地の結界は?」
「先行班が展開済みです。一般人の流入も遮断済み。今回は簡易任務ですが、念のため神代さんにも同行していただきます」
凛華の目がわずかに細くなる。
「勇真君は、護衛として……ですね」
「はい。護衛兼、実戦補佐です」
補佐。
その言葉に、凛華の口元が少しだけ硬くなった。
勇真は横目でそれを見る。
分かりやすい。
凛華はこういう時、表情を崩さないくせに、少しだけ空気が変わる。
東魔協のエースとして前に立ってきた彼女にとって、面白い言い方じゃないのは当然だ。
けれど、今はそれでいいとも思う。
「準備が整い次第、出発します」
その一言で、ブリーフィングは終わった。
◇
旧物流倉庫街は、不気味なくらい静かだった。
錆びたシャッター。
止まったままのトラック。
風に鳴る金網。
人の気配だけが綺麗に抜け落ちていて、その奥に濃い鬼気が滲んでいる。
「……いますね」
凛華が魔導杖《星霧》を顕現させた。
杖先から青白い燐光がこぼれ、薄暗い倉庫街を淡く照らす。
勇真は周囲を見回した。
「二体。奥に一体、手前に一体。手前の方が重いな」
「そこまで分かるのですか?」
「なんとなくじゃない。はっきり分かる」
その直後、倉庫の影から低い唸り声が響いた。
現れたのは二体の鬼。
片方は大柄で、肩幅が異様に広い。
もう片方は細身だが、腕が長く、爪が不自然なほど鋭い。
どちらも普通の鬼より濃い酒気をまとっていた。
『東魔協の嬢ちゃんか』
大柄な鬼が、濁った声で笑う。
『聞いてるぜぇ。いい魔力を持ってるってな』
「下劣ですね」
凛華の声は冷たい。
『はっ、そういう顔の女ほど――』
「最後まで言わせる必要、ありますか?」
凛華が一歩前へ出る。
魔力が一気に高まる。
いつものように、先手を取って、そのまま押し切るつもりだった。
だが、その前に。
勇真が手を出して制した。
「待て」
「勇真君?」
「その入り方はダメだ」
凛華が眉を寄せる。
「先手を取るべき局面ではありませんか?」
「先手は取る。でも、お前が前に出すぎるな」
「……どういう意味ですの?」
勇真は鬼から視線を外さないまま言った。
「俺が前で受ける」
「凛華は後ろから通せ」
「一手目から全部自分で決めようとするな」
「止めるのも、崩すのも、仕留めるのも、一人でやる必要はない」
凛華の呼吸が一瞬止まる。
「……後ろから、通す」
「そうだ」
「ですが、それでは……私は、守られているだけになりませんか」
「ならない」
勇真は即答した。
「前を開くのは俺の役目だ。でも、そこに決定打を通すのは凛華だろ」
「お前の砲撃は強い。だから前に出るな。後ろから撃て」
「その方が、ずっと厄介だ」
凛華は悔しそうに唇を引き結ぶ。
「……簡単に言ってくださいますね」
「簡単じゃないのは分かってる」
「でも、今日から慣れろ」
そこで初めて、勇真は凛華を見た。
「俺が前に出る」
「だから凛華は、後ろから俺を使え」
その言葉に、凛華の胸が熱くなる。
悔しい。
けれど、それ以上に安心してしまうのが悔しい。
「……分かりました」
小さくうなずく。
「やってみます」
『ごちゃごちゃうるせえなァ!』
大柄な鬼が地を蹴った。
コンクリートが砕ける。
巨体に似合わない速度で一直線に突っ込んできた。
「来ます!」
「前に出るな、凛華」
勇真が一歩前へ出る。
「お前は後ろ。そこから通せ」
「――はい!」
凛華は半歩下がった。
前に出たい衝動を押さえ込み、勇真の背中を軸に後衛へ徹する。
『はっ、女を下げるかよ!』
大柄な鬼が笑う。
「逆だ」
勇真は低く返した。
「後ろにいる方が、あいつは厄介だ」
次の瞬間、勇真が踏み込む。
「《震脚》」
地面を打つような一歩。
それだけで鬼の踏み込みがわずかにぶれた。
「今です!」
「《星彩連閃》!」
凛華の星光弾が連続で走る。
正面から押し潰す砲撃ではない。
勇真が作ったわずかなズレに、正確に刺し込む援護射撃だ。
足元。
肩口。
視界の端。
『チィッ!』
鬼が腕で払うたびに、体勢が崩れる。
(軽い……!)
凛華は目を見開いた。
消費が少ない。
それなのに次の術式がすぐ回る。
一撃で決めようとしないだけで、こんなに違う。
そこへ細身の鬼が横から回り込んだ。
『ガァッ!』
「そっちは俺が見る」
勇真は振り向きもせず、一気に間合いを詰める。
「《裂歩》」
一歩で死角へ滑り込み、細身の鬼の懐へ潜った。
振り下ろされた爪を紙一重でかわし、拳を腹へ叩き込む。
『ガッ――!?』
「《破衝》」
圧縮した魔力が炸裂し、細身の鬼が鉄柵まで吹き飛んだ。
その間に、凛華は止まらない。
「《星鎖縛》!」
星光の鎖が地を走り、大柄な鬼の脚へ絡みつく。
『こんなものォ!』
「切らせるな、凛華!」
「《天雷槍》!」
雷槍が一直線に走り、鬼の肩を貫いた。
紫電が弾け、巨体がのけぞる。
(前に出なくても、回る……!)
凛華は息を呑んだ。
勇真が前で受ける。
自分は後ろから止める。
崩れたところへ、正確に次を重ねる。
一人で全部を背負わなくていい。
その形だけで、術式の流れが驚くほど滑らかだった。
後方の東魔協術師たちもざわついている。
「東條院お嬢様の術式、前より滑らかだ……!」
「出力は同じなのに、回転率が違う……!」
大柄な鬼が瘴気を膨らませ、無理やり鎖を引きちぎる。
『舐めるなァ!』
拳が振り上がる。
「勇真君!」
「ああ!」
勇真が正面から踏み込んだ。
振り下ろされた拳を半歩ずらしてかわし、内側へ潜る。
脇腹へ肘。
顎へ膝。
巨体が浮く。
本当なら、ここは斬る方が早い。
(やっぱり、剣がないと細かい処理が面倒だな)
体術でも魔法でも勝てる。
鬼程度なら問題ない。
けれど、これは本来の戦い方じゃない。
《アストレア》は出せない。
強すぎる。
簡易任務で振るうには、周囲にも敵にも過剰だ。
(現代で普通に振れる剣が一本あればな)
そんな感覚が頭をよぎる。
「凛華、今だ!」
「《雷花陣》!」
雷の花が咲くように広がり、鬼の動きを止める。
勇真はそのまま鬼の胸へ掌を当てた。
「《魔力断ち》」
『な……っ!?』
「再生、止めたぞ!」
「――《流星砲》!」
凛華の砲撃が、勇真の横を一直線に抜けた。
轟音。
大柄な鬼の胸を貫き、その巨体を後方へ吹き飛ばす。
地面に叩きつけられた鬼は、もう起き上がらない。
細身の鬼がそれを見て怯んだ。
「残り一体!」
「後ろから押さえます!」
「十分だ。通してくれ」
勇真が前へ出る。
凛華が後ろから星光弾を放つ。
「《星彩連閃》!」
左右を封じられた細身の鬼は、正面へ逃げるしかない。
そこへ勇真が踏み込んだ。
「《瞬駆》」
一瞬で間合いを潰し、膝を砕く。
『ギッ――!』
「《光槌》」
圧縮した光弾が頭部を打ち抜き、細身の鬼も崩れ落ちた。
静寂が戻る。
漂っていた酒臭い瘴気が、少しずつ薄れていった。
凛華は呼吸を整えながら、杖を握る手を見る。
まだ魔力が綺麗に巡っている。
無理やり押し切っていない。
それなのに、前よりずっと戦いやすい。
いや、違う。
前より強い。
「……これが」
勇真が振り返る。
「どうだった」
凛華は少し悔しそうに、それでもはっきりうなずいた。
「……認めます」
「何を?」
「今までの私は、一人で片づけようとしすぎていました」
「こちらの方が、ずっと動きやすいです」
「だろ」
「勇真君が前で崩して、私が後ろから通す」
「この形の方が、今の私には合っています」
勇真は少しだけ口元を緩めた。
「いい。今の方が強い」
その一言に、凛華の胸が跳ねる。
派手な賞賛じゃない。
でも、勇真の短い評価は妙に深く刺さる。
「……ありがとうございます」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
そこへ後方の術師が駆け寄ってくる。
「緊急報告です!」
一気に空気が変わった。
「都内各地で同時多発的に鬼性反応を確認! 新宿、池袋、上野、湾岸部――短時間で一気に増えています!」
「同時に……?」
凛華の声が低くなる。
「はい。しかもどの現場にも強い酒気反応があります。ここで回収した残滓と同質です!」
勇真が目を細めた。
「一斉に動かし始めたか」
さらに別の術師が続ける。
「本部から正式通達です。特級鬼性存在――酒呑童子・朱天の存在を確定。これより都内鬼性事件は、すべて同存在の配下活動を含むものとして対応します」
重い沈黙が落ちた。
ついに、名前だけだった脅威が現実になった。
だが、報告はまだ終わらない。
「それと、目撃情報の追加があります」
「何ですか」
凛華が問う。
術師は唾を飲み込んで言った。
「酒呑童子本人と思われる鬼が、異様な刀を帯びていたという証言が複数上がっています」
「刀?」
勇真が反応する。
「はい。ただの武器ではありません。異様な霊圧を放つ長大な刀で、鬼炎と共鳴するように瘴気を噴いていたと」
その瞬間、勇真の中で何かが引っかかった。
鬼が帯びる、異様な刀。
ただの得物じゃない。
もっと別の意味を持つ可能性がある。
同時に、さっきまで胸の奥にあった感覚が輪郭を持つ。
現代で振れる剣があれば――。
「勇真君?」
「……いや」
勇真は短く息を吐いた。
「面倒なことになりそうだなって思っただけだ」
「珍しく、嫌そうな顔をしていますね」
「実際、嫌な予感しかしないからな」
「それは……否定できませんわね」
凛華も表情を引き締める。
東京各地で鬼事件が増えている。
酒呑童子は動き出している。
しかも異様な刀まで帯びている。
もう小規模任務の段階じゃない。
本番が来る。
「勇真君」
「ん?」
「次は、もっと厳しくなりますね」
「そうだな」
「ですが」
凛華は杖を握り直した。
「私はもう、前より上手く戦える気がします」
勇真は少しだけ目を細める。
「なら十分だ」
「はい」
凛華は静かにうなずいた。
守られるだけじゃない。
でも、一人でもない。
その形が、ようやく自分の中に根づき始めていた。
夜の結界の向こうで、次の警報が鳴り始める。
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




