第12話 放課後の図書室
翌朝。
勇真が教室に入った瞬間、空気がざわついた。
それも当然だ。
昨日まで高嶺の花として見られていた凛華の近くに、今日は神代勇真が当たり前みたいな顔でいるのだから。
「おい、神代」
席に着くなり、相馬が身を乗り出してきた。
「なんだよ」
「なんだよじゃねえよ。最近、お前と東條院さん、距離近くないか?」
「そうか?」
「そうだよ。昨日も一緒に帰ってただろ」
「途中までな」
「その途中までが怪しいんだって」
勇真が軽く流すと、周りからもひそひそ声が飛ぶ。
「やっぱそういう感じ?」
「でも東條院さんだよ?」
「神代君、普通っぽいのにすごいよね」
その時、教室の扉が開いた。
凛華が入ってくる。
今日も背筋は伸びていて、制服も隙がない。
けれど、勇真を見つけた瞬間だけ、表情がわずかに揺れた。
昨日のことが、まだ頭から離れない。
聖剣《アストレア》。
静かな誓いの言葉。
そして、澄んだ金打の音。
思い出しただけで、胸が熱くなる。
そんな凛華に、勇真はいつも通り手を上げた。
「おはよう、凛華」
一瞬、教室が止まる。
次の瞬間、空気が爆ぜた。
「えっ」
「今、名前で呼んだ?」
「聞き間違いじゃないよね?」
相馬が固まり、小春は面白いものを見つけた顔になる。
凛華は目を見開いて、それからほんのり頬を染めた。
「……お、おはようございます、勇真君」
今度は女子の方がざわついた。
「勇真君って呼んだ!」
「何があったの、この二人!?」
凛華は平静を装おうとする。
だが耳まで赤い。
勇真は首を傾げた。
「まずかったか?」
「ま、まずいというわけではありません」
「ならよかった」
「よくはありません……いえ、よくないわけでも……」
言いながら自分で混乱したのか、凛華は口をつぐむ。
そこへ、小春がにこにこと割って入った。
「東條院さん、顔赤いよ?」
「気のせいです、水瀬さん」
「そっかあ。じゃあ気のせいってことにしとくね」
まったく気のせいにする気のない声だった。
相馬も勇真の肩をつつく。
「お前、マジで何があった?」
「色々」
「その色々を聞いてんだよ!」
「長いぞ」
「余計聞きてえよ!」
そこで桐生が入ってきて、ようやく騒ぎは一度収まった。
「はいはい席つけー。朝から元気なのは結構だが、中間前に浮かれてると痛い目見るぞ」
教室に笑いが起きる。
けれどその後も、視線だけはちらちらと二人へ向いたままだった。
クラスの空気が、確実に変わり始めていた。
◇
昼休み。
凛華は弁当を広げる前の勇真の席へやってきた。
「勇真君。少しよろしいでしょうか」
「ん?」
「中間テストのことです」
ずいぶん改まっている。
「そんなに真面目な話か?」
「はい。大事なお話です」
凛華は一つ呼吸を整えた。
「放課後、図書室で勉強をご一緒しませんか」
「勉強会?」
「はい。勇真君は理解は早いですけれど、現代の授業範囲に少し抜けがありますから」
「……よく見てるな」
「同じクラスですので」
少し得意げに言われて、勇真は苦笑する。
「助かる。歴史と現代文は、正直ちょっと怪しい」
「お任せください。教えるのは得意です」
「頼もしいな」
凛華は小さく胸を張った。
そのやり取りを聞いていた相馬が、勢いよく割り込む。
「待て待て待て。なんでそんな自然に放課後の約束してんだ」
「勉強会だろ」
「図書室で?」
「図書室で」
「二人で?」
「二人で」
相馬は頭を抱えた。
「だめだこいつ、ナチュラルすぎる……!」
小春はくすくす笑う。
「でも分かるなあ。東條院さん、めちゃくちゃ教えるの上手そう」
「ありがとうございます」
「で、神代君は教わるだけで終わらなさそう」
「どういう意味だ?」
「なんとなく?」
妙に核心を突かれて、勇真は返事に詰まった。
一方の凛華は、放課後という言葉だけで胸がうるさくなる。
図書室。
二人きり。
勉強会。
ただそれだけのはずなのに、昨日までとは響きが違っていた。
◇
放課後の図書室は静かだった。
西日が机を照らし、空気まで柔らかい。
凛華はすでに教科書とノートを並べ終えていた。
「準備早いな」
「教える側が慌てていては格好がつきませんので」
「先生みたいだ」
「今日はそう思っていただいて構いません」
勇真は自然に笑った。
最初の三十分は、凛華の独壇場だった。
現代文の設問の読み方。
選択肢の切り方。
本文のどこを根拠に拾うか。
説明は丁寧で、分かりやすい。
「ここは筆者の感情そのものではなく、その前提の整理です」
「ああ。なら答えは二じゃなくて四か」
「はい。その通りです」
「すごいな、凛華」
「……っ」
名前で呼ばれた瞬間、凛華の手が止まる。
「どうした?」
「な、何でもありません」
「固まっただろ」
「固まっていません」
否定しても、耳が赤い。
勇真は首を傾げつつ、それ以上は言わなかった。
次は歴史。
こっちはさすがに勇真も少し苦戦した。
流れの理解は早いのに、細かい知識だけが抜けている。
「すまん。この辺は本当に抜けてる」
「謝らなくて大丈夫です。事情が事情ですし」
「まあな」
異世界で五年戦っていた人間に、日本史の細部を求める方が無茶だ。
それでも凛華は責めない。
「ですが、覚える速さは本当にすごいです。一度説明したところは、ほとんど忘れていません」
「戦いで必要なことは、一回で叩き込まれてたからな。その癖かもな」
「……やはり、そうなのですね」
「ん?」
「いえ。少し納得しただけです」
凛華は視線を落とす。
やっぱり、この人は普通の高校生じゃない。
遠く感じるのに、どうしようもなく頼もしい。
勇真はノートの白紙に一本線を引いた。
「全部まとめて覚えようとすると散る。だから先に、大きい流れを一本作る」
起点。
転換点。
結果。
必要な言葉を置いていく。
「細かい年号や用語は、この骨組みに引っかける」
「これは……」
「要は地図だな。情報が多いほど、先に全体の形を掴んだ方がいい」
そして、さらっと続けた。
「勉強も戦いも同じだ。全部一人で抱えると、視野が狭くなる」
凛華の胸が小さく揺れた。
一人で完成しなければならない。
一人で背負わなければならない。
東魔協のエースとして。
東條院の娘として。
ずっとそう思ってきた。
「……本当に、同じなのですね」
「余裕がなくなると、見えるものまで見えなくなるからな」
「……はい」
凛華は静かに頷いた。
勇真がノートの一点を指す。
「だから、まずはここで流れを切る。全部じゃなくて、起点と結果を先に押さえる」
「……なるほど、です」
凛華も同じ場所へ手を伸ばす。
その瞬間。
指先が、触れた。
「……っ」
たったそれだけで、凛華の思考が真っ白になる。
昨日の金打の音が蘇る。
聖剣と護符が触れ合った、あの一瞬。
体が固まった。
「凛華?」
勇真が少し顔を寄せる。
「どうした?」
「い、いえ……その……」
うまく言葉にならない。
顔を上げると、思ったより近い距離に勇真がいる。
ただ心配しているだけの、まっすぐな目。
だから余計に困る。
「……凛華?」
「っ、な、何でもありません」
「何でもない顔じゃないけど」
「ほ、本当に何でもありません!」
声が少し裏返る。
勇真はまだ不思議そうな顔のまま、さらに様子を見ようとした。
「熱でもあるか?」
「ち、違います」
「じゃあよかった」
「よくありません……」
「ん?」
「い、いえ! 何でもありません!」
ほとんど見つめ合う形になっていた。
図書室の静けさが、二人の間だけ濃くなる。
その時。
「へえ」
背後から、聞き慣れた声が落ちた。
二人が同時に振り向く。
そこには返却本を抱えた小春がいた。
どう見ても、今の場面をちょうど見た顔だった。
「水瀬さん!?」
「ごめんごめん。邪魔するつもりなかったんだけど」
口元は完全ににやけている。
「すごく、いいところだった?」
「ち、違います!」
「えー。でも今、めっちゃ見つめ合ってたよね?」
「見つめ合ってない」
「神代君はもうちょっと自覚持った方がいいと思うなあ」
小春は楽しそうに凛華を見た。
「東條院さん、顔真っ赤」
「っ……!」
「図書室って静かだから、余計に空気出るんだよねえ」
「空気って何だよ」
「二人だけで濃くなるやつです!」
思わず凛華が言い切ってしまって、小春の目がさらに輝いた。
「あ、今の強い」
「……あ」
凛華は慌てて口元を押さえる。
勇真はようやく少し理解したのか、頬をかいた。
「……悪い。距離、近かったか」
「そ、そういうことを今さら言わないでください……」
凛華はうつむく。
小春は満足そうに笑った。
「うんうん。私、今日は何も見てないことにしてあげる」
「絶対見てた顔だろ」
「でも安心して。ちょっと面白くなるくらいにしかしないから」
「それが一番だめだろ」
「そうかも」
小春はくすくす笑いながら去っていく。
「続き、頑張ってね。勉強も、そっちも」
「そっちって何ですか、水瀬さん!」
「ご想像にお任せしまーす」
静けさが戻る。
でも、さっきまでの静けさとは全然違った。
凛華はノートを見たまま動けない。
勇真は少し困ったように笑う。
「……続けるか?」
「…………はい」
「今度は手、気をつける」
「そう言われると余計に意識します……」
「難しいな」
「勇真君が鈍いだけです」
「ひどいな」
「ひどくありません」
そう返しながらも、凛華の頬の熱はなかなか引かなかった。
それでも勉強は進んだ。
凛華が知識を補い、
勇真が整理の仕方を整える。
一人ならこぼしていた部分が、二人だと自然に埋まっていく。
それは少しだけ、戦いの時に似ていた。
やがて外が薄暗くなり、片付けの時間になる。
凛華が小さく口を開いた。
「……先ほどのお話ですが」
「ん?」
「全部一人で抱えると、視野が狭くなる、というものです」
「ああ」
「私、少しだけ分かった気がします」
勇真は静かに彼女を見る。
凛華は視線を逸らさずに言った。
「私はずっと、一人でちゃんとしなければいけないと思っていました。けれど……勇真君がいてくださると、見えるものが増える気がします」
「そっか」
「はい」
短い返事だった。
でも、勇真らしい返しだった。
気負わず、押しつけず、ただ受け止めてくれる。
その自然さが、凛華には心地よかった。
◇
帰宅した勇真は、夕食と風呂を済ませたあと、リビングのソファに腰を下ろした。
テーブルには教科書とノート。
今日の勉強会で整理した内容を、軽く見直すつもりだった。
その隣に、澪がちょこんと座る。
「どうした」
「……ねえ、お兄ちゃん」
少し言いにくそうな顔で、澪が見上げてきた。
「最近、帰り遅い日あるよね」
勇真の手が止まる。
「……そうか?」
「そうだよ。この前も遅かったし」
「まあ、少しな」
澪はじっと兄の横顔を見る。
「学校で何してるの?」
「クラスメイトと少し残ってるだけだよ」
「クラスメイト?」
勇真は一瞬、言葉を選んだ。
護衛のことも、東魔協のことも話せない。
「テスト近いし、勉強見たり見てもらったりしてるだけだ」
「ふうん……」
返事は短い。
納得したような、していないような声だった。
そこへ、キッチンで片付けをしていた美咲がやわらかく口を挟む。
「澪。聞きたいことがあっても、無理に聞かないの」
「……分かってる」
分かっている。
でも少しだけ気になる。
兄の時間の中に、自分の知らない場所が増えている。
澪は、そのことをはっきり意識し始めていた。
勇真もそれに気づく。
けれど、うまく言えない。
美咲はそんな二人を見て、小さく笑った。
「でも、学校で一緒に勉強する相手がいるなら、悪いことじゃないでしょう?」
「……まあ、そうだな」
「同じクラスの子?」
「うん、まあ」
曖昧な返事に、澪は少しだけ頬を膨らませた。
「ふーん……」
「別に、変なことじゃないからな」
「うん……分かってる」
そう言いながらも、まだ少しだけ不満そうだ。
その反応が年相応で、勇真は少しだけ肩の力を抜いた。
◇
その夜。
テーブルの上のスマートフォンが震えた。
勇真が画面を見る。
差出人は東魔協の担当術師。
文面は短い。
小規模任務発生。
鬼絡みの反応あり。
東條院凛華の現地確認に、神代勇真の同行を要請する。
勇真は画面を見つめ、短く息を吐いた。
日常のすぐ隣に、戦いはもうある。
その事実を確かめるように、勇真はスマートフォンを握り直した。
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




