第10話 聖剣アストレア
「聖剣《アストレア》」
その名が告げられた瞬間、試験場の空気が止まった。
誰も、すぐには息をできなかった。
勇真の手にあるのは、ただの剣じゃない。
白銀の刀身。
曇りひとつない輝き。
鍔には星を思わせる意匠。
柄を包む淡い蒼光は静かなのに、目を逸らすことだけは許してくれない。
眩しい。
――それだけじゃない。
清浄。
神聖。
そして、圧倒的な“格”。
剣が現れただけで、場の空気そのものが塗り替わっていく。
霊子観測用の水晶が、触れてもいないのに小さく震えた。
結界壁を走る術式の線が、ざわりと波打つ。
「……っ」
凛華は思わず息を呑んだ。
魔力量の多寡の話ではない。
質が違う。
もっと根本から、現代の魔道具や礼装とは存在の位階が違っていた。
まるで、この世界に本来あってはならないものが、平然とそこに在るみたいだった。
「観測班。報告を」
慶臣の低い声が飛ぶ。
端末の前にいた技術者が、はっと我に返った。
だが、声は震えていた。
「れ、霊格数値、上昇が止まりません……! 計測器の想定上限を突破しています!」
「聖属性反応は」
「過去記録と照合中です……ですが、一致なしです。登録済みの聖遺物群、どれにも該当しません!」
「……つまり?」
別の幹部が掠れた声で問う。
技術者は唾を飲み込み、画面にかじりついたまま答えた。
「現代魔法体系では分類不能です。あえて近い言葉を使うなら……聖遺物級」
「級、だと?」
「いえ……訂正します。聖遺物級という表現ですら、足りないかもしれません」
その一言で、試験場のざわめきがさらに深くなる。
凛華も同じだった。
東魔協で育ち、多くの術具や秘具を見てきた。
家柄ゆえに、秘匿指定の高位礼装すら知っている。
それでも、こんなものは見たことがない。
剣というより、奇跡そのものだった。
「……神代君」
零れた声に、勇真がわずかに視線を向ける。
その目はいつも通りだった。
落ち着いていて、静かで、気負いがない。
なのに、剣を握った彼はまるで別人に見える。
いや――違う。
凛華は思う。
今の彼こそが、本来の神代勇真なのだと。
「……これで、まだ疑いますか。東條院会長」
勇真は静かに言った。
挑発ではない。
ただ事実を示しただけの声だった。
慶臣は険しい顔のまま、アストレアを見据える。
「……いや。少なくとも、君の言葉が軽くないことは分かった」
そこで一度区切り、厳しい声のまま続ける。
「だが、私は東魔協を預かる立場だ。奇跡ひとつで判断を誤るわけにはいかん」
「まだ見る、ということですか」
「ああ。最後まで見せてもらう」
勇真は小さく肩をすくめた。
「分かりました。何を出しますか」
「高位構築体を使う」
空気が、また変わった。
凛華ははっと慶臣を見る。
「お父様。あれは訓練用でも、教官級が手を焼く相手です」
「承知している。だからこそだ」
「ですが――」
「凛華」
ぴしゃりと名を呼ばれ、凛華は言葉を飲み込む。
そこにいたのは父親ではない。
東魔協会長だった。
「ここで曖昧なまま通す方が危険だ。本物なら制圧する。偽物なら、それで終わる」
「……っ」
凛華は唇を噛み、勇真を見る。
だが当の本人は、驚くほど落ち着いていた。
「高位構築体ですか。施設が少し壊れても知りませんよ」
「結界は強化する。遠慮なくやれ」
「いえ、遠慮はします。後片付けが面倒なので」
その一言で、張り詰めた空気がほんの少しだけ緩んだ。
次の瞬間。
試験場中央の術式陣が赤黒く発光した。
幾重もの封印輪が回り、重い振動が床を伝う。
やがて現れたのは、三メートルを超える人型の構築体だった。
黒鉄めいた装甲。
関節の隙間から漏れる紫の光。
胸部には核たる霊石が埋め込まれ、その周囲を幾重もの防御術式が取り巻いている。
訓練用に調整されているはずなのに、圧だけで並の怪異を超えていた。
「高位構築体《グラム=ガーディアン》、起動しました!」
構築体が頭をもたげる。
紅い光が、勇真を捉えた。
次の瞬間だった。
轟音。
巨体に似合わない速度で踏み込み、大剣が一直線に振り下ろされる。
「神代君!」
凛華が叫ぶ。
だが、勇真は動じない。
アストレアを軽く立てる。
それだけで、真正面から受け止めた。
激突音が響き、火花ではなく白い光が散る。
「……重いな」
感想みたいに呟く声。
それが逆に、場を凍らせた。
構築体が左腕を振るう。
紫電混じりの衝撃波。
勇真は半歩ずらして回避。
そのまま床を鳴らすように踏み込んだ。
「《震脚》」
一歩で、間合いが消えた。
速い。
そう理解した時には、もう懐に潜り込んでいる。
「《魔力断ち》」
白金の軌跡が走る。
次の瞬間、構築体の胸部を守っていた防御術式が一斉に砕け散った。
「なっ……!?」
「一撃で外殻術式を……!」
幹部たちがどよめく。
だが、グラム=ガーディアンは止まらない。
胸の霊石が不気味に明滅し、周囲の瘴気を吸い上げるように再構成を始めた。
砕けた装甲が、黒い呪的粒子で埋まっていく。
「自己再生型……!」
凛華が息を詰める。
高位構築体の厄介さは単純な強さじゃない。
複数術式の重ね掛け。
疑似的な怪異性。
普通の攻撃では削り切れない。
けれど。
勇真はその再生を見ても、眉ひとつ動かさなかった。
「そういう手合いか。なら、ちょうどいい」
アストレアの蒼光が、ふっと強まる。
空気が澄んでいく。
いや、違う。
穢れの方が、押し退けられている。
「その剣……穢れを消している……?」
凛華の声は、もう呆然に近かった。
構築体が駆動音を唸らせる。
全身の術式を一斉展開。
大剣。
砲撃。
拘束鎖。
三方向からの同時攻撃。
東魔協でも正面からは受けきれないとされる連携術式。
だが勇真は、前に出た。
たった一人で。
「《障壁》」
一瞬だけ展開された光壁が砲撃を逸らす。
続く鎖は身を沈めてかわす。
大剣は真正面から斬り返した。
「《破刃》」
鈍い衝撃音。
構築体の大剣が根元から砕け飛ぶ。
それでも勇真は止まらない。
一歩。
もう一歩。
無駄のない足運び。
最短で中枢へ届くためだけの軌道。
剣術というより、戦場を知り尽くした者の歩みだった。
凛華はそこで理解する。
この人は本当に、死地を越えてきたのだと。
人を守るために。
何度も。
何度も。
「終わりだ」
勇真が静かに告げる。
大仰な溜めはない。
だが、刀身に集まる光だけで分かった。
あれは、別格だ。
「《浄断》――」
振り下ろされた斬撃が、白金の閃光となって走る。
構築体の胴が両断される。
断面から噴き出したのは火花ではない。
黒い穢れだった。
それは悲鳴みたいな音を立てながら浄化され、空中で霧のように消えていく。
構築体を動かしていた呪的粒子そのものが、アストレアに否定されたのだ。
巨体が膝をつく。
再生しない。
いや――できない。
核に宿っていた濁りが、根こそぎ消されていた。
そのまま高位構築体は光の粒となり、崩れ落ちた。
静寂。
試験場に残ったのは、アストレアの残光だけだった。
「……終わりましたよ」
勇真は何でもないみたいに言って、軽く剣を払う。
それだけで、場に残っていた瘴気の残滓まで薄れていった。
技術者の一人が、震える声で呟く。
「穢れ核が……完全に浄化されています……」
「破壊ではないのか?」
「はい……術式を壊しただけじゃありません。内包されていた異質霊子まで消されています。こんなの……あり得ない」
「現代の浄化術式で、あの速度、この規模は不可能だ……」
「しかも剣そのものが媒体になっている……」
「聖属性武装の範疇を超えているぞ……」
誰も、目の前の現実をすぐには飲み込めない。
凛華も同じだった。
異世界。
勇者。
魔王封印。
ついさっきまで、どこかで常識の外の話だと思っていた。
でも、もう違う。
認めるしかない。
あの剣は本物だ。
あの戦い方も本物だ。
そして何より――神代勇真自身が、本物だ。
「神代君……」
凛華の唇から、自然にその名が零れた。
勇真が振り向く。
剣を握っていた時の鋭さが少しだけ和らぎ、いつもの静かな少年の顔に戻る。
「どうした」
「……いえ」
胸の奥が熱い。
うまく言葉にならない。
信じたい、じゃない。
もう信じている。
この人は、自分が今まで見てきたどんな術者とも違う。
強いだけじゃない。
理を見て、戦いを知って、それでも驕らない。
そんな人が、目の前にいる。
「本当に……あなたは……」
そこまで言って、凛華は小さく首を振った。
今ここで全部言葉にしたら、きっと自分の方がもたない。
だから、まっすぐ見つめて言う。
「すごい、です」
「今さらだな」
「今さらです」
凛華の頬が少しだけ熱くなる。
そのやり取りを見ていた慶臣が、深く息を吐いた。
厳格な会長の顔。
娘の父親としての顔。
その両方を抱えたまま、勇真を見据える。
「……神代勇真」
「はい」
「結論を言おう」
試験場の全員が慶臣へ注目する。
東魔協会長は、静かに、はっきりと告げた。
「君の力は本物だ。君の言葉にも、十分に信を置ける」
「そうですか」
「そのうえで、単刀直入に頼みたいことがある」
勇真は黙って先を促す。
慶臣は一瞬だけ凛華を見て、再び勇真へ向き直った。
「東條院凛華の護衛を、君に頼みたい」
その言葉が落ちた瞬間。
凛華の心臓が大きく跳ねた。
試験は終わった。
でも、きっとここからだ。
本当の意味で。
彼と自分の物語が、動き出すのは。
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




