15.学院生活のはじまり
エルが誕生日を迎えた二週間後......。
穏やかな風が頬を撫でる、暖かい春の日。
王立学院の門前は新入生達とそれを横目に登校する在校生達で賑わっていた。
「——はぁ、この制服にも早く慣れないと......」
と、エルはスカートの皺を手で払いながら、ため息混じりに呟く。
相変わらずヒラヒラとした服装が苦手なのである。
この春で九歳になったエルは、晴れて学院の生徒になった。
これから六年間、この王立学院へと通うのだ。
学院では、基本的な読み書きや礼儀作法、そして魔術に剣術などを学ぶことができる。
入学するには、冬の間に学院側へ申請をして手続きをする必要があり、試験などは特に存在しない。
生徒の多くは一般家庭出身の子で、その中に貴族の子息や令嬢が三割ほど混じっている感じだ。
そのため学院内では一部例外を除いて地位に関する特権が通用しなくなるらしい。
身分差によるトラブルをさけるためなのだろう。
生徒同士は対等に接し合わなければならない。
当然、それをよく思わない貴族の生徒も少なからずいるのだが、地位を使った過度な脅しや学院内外でのトラブルには、それ相応の対応がされる。
そもそも王立学院の名の通り、この学院は国が管理しているのでトラブルを起こそうなんて思う貴族出身者はそうそう居ない......。
とはいえ、学院内での小さな衝突は日常茶飯事なんだとか。
魔術混じりの喧嘩、なんて事も珍しくないという。
『――色んな世界を知るといい』
なんて、父ダリルの言葉を思い出すエル。
これからエルの世界は変化する。
だが、目標だけは変えるつもりはなかった。
――英雄になる。 そのために、この学院で出来る限り多くの経験を積みたい。 見たもの、感じたもの、魔術も剣術も、余すことなくこの身に刻んで強くなってやる......。
なんて思いながら、エルは校舎まで続く並木道をゆっくりと歩く。
すると後ろから突然、名前を呼ばれた。
「――エル様~! おっはようございますぅ!」
そんな元気に満ちた声に振り返るのと同時に、少女が飛び掛かってきた。
エルはそれをよろめきつつも受け止める。
「おわっ、セラ?! お、おはよ」
そう、声の主は友人のセリシアだった。
月に何度か手紙でやり取りはしていたものの、こうして直接会うのは、初めて出会った第一王子のパーティー以来、半年ぶりになる。
「ようやく会えましたね! 嬉しいです!」
セリシアはそう言ってエルの両手を取って嬉しそうに跳ねた。
相変わらず元気そうで良かったと思いつつ、エルも優しく微笑んで返事をかえす。
「私も、会えて嬉しいよ」
「えへへ。 今日からは毎日会えますよ! 毎日!」
「確か、こっちに引っ越して来たんだよね?」
「はい!」
——エーデルレオン家は王都にも屋敷を持っているらしく、セラは学院に通うために数人の使用人と共にこちらへ引っ越してきたのだそうだ。
エルはその事を事前に手紙で教えてもらっていた。
「なにか困ってることはない?」
「うーん。 強いて言えば寂しい......ですかね。 お父様もお母様も領地でのお仕事が忙しいらしくて、私と一緒という訳には行かなくて」
そう言って少し悲しそうな表情を浮かべるセリシア。
エーデルレオンの領地には、中央大陸屈指の港町があり、西大陸や北大陸との交易や諸外国との外交にとって重要な場所となっている。
故にセリシアの両親は領地を離れられないのだ。
「——そっか、なにか困ったことがあったらいつでも話してね。 寂しかったら私の家に泊まりに来てもいいし」
「良いんですか?! それじゃあ早速来週......」
と、そんなふうに久しぶりの再会を喜んでいると、突然横から声を掛けられた。
「——あれ? セラじゃないか?」
そう言って、目の前に飛び出してきたのは、プラチナブロンドに端正な顔立ちの男子だった。
どことなくセリシアに似てるその男子は綺麗に整った制服を身に纏っており、見るからに貴族家出身ですと言った雰囲気を醸し出している。
そして、セリシアはその男子を見るなり、露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「うっ、ルシアス......」
ほんの一年、しかもその殆どが手紙での付き合いではあったが、セリシアが他人に対してここまで嫌悪を示すのは珍しいと、エルは驚いた。
「あぁやっぱり、セリシアだ。 久しぶりだねえ! 確か最後に会ったのは伯父上の開いたパーティー以来だったかな? 元気にしていたかい? 」
「え、えぇ。 ルシアスこそ相変わらず元気そうですね」
「まあね! それにしても、また一段と綺麗になった。 伯母上に似てきたね。将来はもっと綺麗になるね! それから、お隣のお嬢さんも......」
セリシアを褒めながら詰め寄ってきたその男子は、エルへ視線を向けたところで、その綺麗な翠の瞳を見開いて、言葉を詰まらせた。
そして一瞬の間を置いた後「とても綺麗だ」と、呟いた。
「......はぁ。 エル様、一応紹介しますね。 同い年の私の従兄弟、ルシアスです」
と、セリシアは不機嫌にため息を吐いて目の前の男子を紹介してくれる。
「あ、これは失礼。ドレンシア伯爵家の長男、ルシアス・ドレンシアと申します。 とても綺麗な髪だね、思わず心を奪われてしまったよ。 婚約を前提に付き合ってほしいくらいだよ。 あ、でもその前に君の名前を聞かなくちゃね? 」
なんて、セリシアの紹介で我に返るなり、流れるように告白をしてくるルシアスに、エルは「その......」と、戸惑いを見せた。
初対面の貴族令息に冷ややかな視線を向けられることはあれど、まさか好意的な言葉を向けられるとは思ってもなかったからだ。
しかし、エルも貴族令嬢の端くれ。
そう簡単にイエスと返事をするわけにもいかない。
「えっと、エルアリア・アドニスです。 お付き合いは......ごめんなさい。 でも友達なら大歓迎ですよ」
この国での貴族社会の一般常識で言えば、近い将来エルも貴族令嬢として誰かと婚約を結ぶことになるのだろう......。だが、まだ早い。
それに、エルは恋愛やら政略結婚やらには、まだ興味がないのだ。 そんな事よりも、今は少しでも剣術に時間を使いたい。
「エルアリア! 素敵な名前だ。その美しい瞳と綺麗な髪の貴女によく似合っている。そうだ、僕のことは気軽にルシアスで構わないからね? むしろルシアスと呼んでおくれ。 それから、よければ僕もエルって呼んでいいかな?」
そう言いながらさり気なく距離を詰め、エルの手を取るルシアス。
この年齢ながら異性との接し方に慣れている様子。
――まあ、貴族の令息に限っては珍しくもないのだろう。
あと数年もすればエル達も本格的に社交界やパーティーに出ることになる。
そうなった時、学院内である程度繋がりを築いておけば、幾分か立ち回りやすくもなる。
こう言うのは見習わなければ、と思ったエルはルシアスに笑みを向けた。
しかし、そんな様子を横で見ていたセリシアが「もう見てられない」と二人の間に割り込む。
「――もう! 離れてくださいルシアス!」
「おやおや? 嫉妬かいセラ? 」
「違いますよ! というか、相変わらず女の子に惚れやすいんですね貴方......。 以前も、複数の令嬢に同じように言い寄って大変なことになったって聞きましたよ。 懲りてないんですか?」
「懲りる? まさか! その子達とはきちんと仲直りをしたし、美しい女性の笑顔なんて、いくら愛でても飽きないものだからね!」
なんて、悪気がない様子で微笑むルシアスに、セリシアは呆れて再度深く溜め息を吐いた。
「はぁ......。 あのエル様、聞いての通りルシアスは正真正銘の女誑しです。 なので口説き文句は全て冗談半分で聞き流してくださいね」
と、語るセリシアの脳裏には、過去の苦い思い出が過っていた。
初恋、なんて言いたくもないほど幼い恋心を、一度ルシアスに踏み躙られているのである。
が、その事情を知らないエルとしては、髪を褒められたのを嬉しく思っていた。
それが例え社交辞令だとしても、口説くための心からの言葉じゃなかったとしても、この白髪を褒めてくれたのは家族以外で初めてだったからだ。
「――女誑しだなんて酷いなぁ。 まだあの時のことを怒っているのかい? まあ、確かにアレは僕も悪かったけど......」
「ああ、もう! 行きましょうエル様! こんな奴ほっといて!」
「僕も一緒に行こうかな、エルと仲良くなりたいしね!」
「貴方は着いて来ないでください!」
と、セリシアは頬を赤くしつつ、二人のやり取りに優しい笑みを浮かべるエルの手を引いて、教室へと足早に向かうのだった。




