【side 鉄堂哲郎】2-1
【side 鉄堂哲郎】
先週末、久しぶりに会った本野先輩は、相変わらず文芸オタクらしからぬ外見をしていた。背中まで伸びた髪には赤色のメッシュが入っており、ピアスを何個も付け、着ていたのは露出度の高い服だ。
文芸オタクに決まったファッションがあるわけではないが、初見で本野先輩のことを文芸オタクだと見抜ける者は少数だろう。
「よお、新サークル長。元気にしてたか?」
「サークル長の肩書きは、俺には荷が重いです」
「会うなり情けねえことを言うなよ」
本野先輩は俺を見つけると親しげに肩を組んできたが、周りからはカツアゲに見えている気がする。
正義感の強い通行人に通報される前に落ち着ける場所に移動した方が良いと判断した俺は、近くの喫茶店へ行くことを提案した。
本野先輩も特に異を唱えなかったため、俺たちは二人で喫茶店へと向かった。
本野先輩はいかにも煙草を吸いそうだが、喫茶店では禁煙席を選んで座った。
そういえば前に、彼氏が煙草の煙を嫌がると言っていた気がする。喉が命の仕事だとかなんとか。本野先輩はミュージシャンとでも付き合っているのかもしれない。
「あの……誘っておいてアレですが、俺と二人で会って平気なんですか? その、彼氏さんに嫌がられたりは……」
「へーきへーき。あいつとはそこそこ長い付き合いだから、今さらあたしの浮気を疑ったりはしねえって。それとも鉄堂はあたしを口説くつもりなのか?」
「まさか! 畏れ多いことです!」
そして恐れも多いから、間違っても本野先輩を口説いたりはしない。
「……で、何があったんだよ。あたしに言ってみな」
本野先輩は俺の反応をからからと笑ってから、すぐに本題を切り出した。
「もしかして兄小田が部室を散らかし過ぎて虫でもわいたか?」
「いえ、虫は平気です」
今は、まだ。
しかしこのまま兄小田が散らかし続けたら、その未来も考えられる。兄小田にはもっと強めに注意をしておこう。
とはいえ、その前に部室自体が無くなる可能性があるのだ。
「悩んでいるのは虫のことではなく、そろそろ部誌提出の時期なのに、何も決まっていなくて……」
「部誌を提出しねえと部室が没収されるもんな。新入生の推しは何だったっけ?」
「新入生は俳優オタクです。推し俳優の舞台に通い詰めています」
「ほーお。鉄道オタクにアニメオタクに特撮オタクに俳優オタク……確かに部誌製作が得意そうなメンバーはいねえな」
そうなのだ。
昨年まではカメラオタクの先輩が各部員の推しの写真を撮影し、文芸オタクの本野先輩が文章に関してのアドバイスをくれた上に、部誌全体にまとまりを持たせてくれていた。
しかし今年は、そういったことが得意なメンバーがいない。
ちなみに俺は鉄道オタクではあるが、電車の写真を撮影することが趣味の撮り鉄ではなく、電車に乗ることが趣味の乗り鉄だ。むしろ同じ鉄道オタクでありながら鉄道オタク全体のイメージを下げる害悪撮り鉄のことを、俺は嫌っている。
「部誌なんて完成度が低くても推しへの愛を詰め込んだものを提出すればいいと思うぜ。天才であるあたしがいた頃と同レベルの部誌を作ろうとするからプレッシャーを感じるんだ。気楽にやれよ」
本野先輩が少しの謙遜もせずにそう言った。そしてそれは事実だ。本野先輩が在学中にいくつかの小説賞を受賞していることは、俺も知っている。
「難しいことは考えず、推しへの愛を叫べ。推し活サークルの部誌に必要なのはそれだけだ」
「……ですが、それだと部室を没収されてしまいます。本野先輩が手に入れてくれた奇跡の部室なのに」
「奇跡の部室ってなんだよ」
そう言って本野先輩は笑ったが、あの部室は紛れもなく奇跡の部室だと俺は思う。本来なら弱小サークルに部室が回ってくるはずはないのだから。
「俺は本野先輩が勝ち取ってくれた奇跡の部室を守りたいんです。推し活サークルを廃れさせたくはないんです」
「だから完成度の高い部誌が必要ってことか」
「はい。ですので部誌製作に関して本野先輩のお知恵を拝借したく……」
「推し活サークルの部誌は、推しを表現するものだ。部室獲得を第一目標として書くものじゃねえよ」
ぐうの音も出ない正論だ。
しかし俺は、いいやこの世の大多数は、天才ではない。
「俺だって推しを表現することを第一に書いた部誌で評価されたいですが、自分にその才能が無いことは分かっています。部室獲得を狙って書いて、やっと部室獲得に手が届くか届かないかのものが出来上がるのが、自分の実力です」
俺は現在三年生だ。これまでにも部誌製作はしている。だからこそ、自分の限界は分かっているつもりだ。
「こんな俺が部誌をまとめ上げるんです。本野先輩のようにはいきませんよ。本野先輩は天才ですから」
「あたしを褒めたって何も出ねえぞ」
「本心です。普通の人は部誌で部室獲得なんて出来ないんです。小説賞も獲れないんです。本野先輩は本物なんですよ。そんな本物の天才が作ったサークルを、活動場所である部室を、俺は守りたいんです。普通に頑張る程度じゃダメなんですよ」
俺の力説を聞いた本野先輩は、困ったような顔で自身の頭をかいた。
「サークルはまだしも、部室なんてただの部屋だ。執着するほどの価値はねえよ。部誌を提出した結果、部室が貰えなかったら、その辺のベンチで適当に集まればいいだろ」
「あの部室は、俺にとっては大事な場所なんです! 確かにただの部屋ですが、俺にとってあの部室は、思い出の詰まったかけがえのない大事な空間なんです。そしてこれからもあの部室で仲間たちと思い出を作っていきたいんです。だから何としても部室を守りたいと思っています!」
あの部室には言葉にしきれないほどのたくさんの思い出が詰まっている。だからあの部室に足を踏み入れるだけで、俺は幸せな気持ちになる。それに仲間たちだけの密室空間というのは、秘密基地みたいでワクワクするのだ。
これらを失う喪失感を想像するだけで胃がキリリと痛むほどに、俺にとって部室の存在は大きい。
「……すまん。何が大事かは人それぞれだな」
俺が必死で訴えると、本野先輩はバツが悪そうに謝罪をした。
そして鞄から一冊のノートとボールペンを取り出した。こういったものが鞄から自然に出てくる様子を見ると、本野先輩が文芸オタクなのだと感じる。
「何も出さねえつもりだったが、少しだけ後輩を鼓舞するものを渡そうか」
本野先輩はノートを開くと、さらさらと文字を書いていった。そして文字を書きながら俺との雑談もこなす。
「前はスマホのメモ帳に思いついたネタを書いてたんだが、最近はノートも持ち歩いてるんだ。文章じゃなくて絵や図を描いておきたいときに便利なんだよ」
そうは言うものの、本野先輩の手は絵や図ではなく文章を書いているようだった。
そうやって本野先輩が文字を書いている間、俺はぼーっと本野先輩の手元を見ていた。
「それ、兄小田も同じものを持っていました」
本野先輩が使っているボールペンには『魔法少女☆ひめるん』の絵柄が印刷されている。何度も兄小田に自慢をされたから、本野先輩のそれが、兄小田の持っているボールペンと同じものだとすぐに分かった。
「そうなんだよ。兄小田とお揃いで買ったみてえになるから、サークルでは使えなかったんだよな」
「本野先輩が魔法少女アニメに興味があるなんて初めて知りました。兄小田が聞いたら飛び上がって喜びそうなのに、どうして言わなかったんですか?」
「あー、言わねえ方が双方にとって良いと思ったんだよ」
確かにこれまで推し活サークルには、推しが同じメンバーはいなかった。だからこそ全員が同じ距離間で付き合えていたのかもしれない。推しが同じ者同士が集まると、その人たちだけで盛り上がりがちだから。
今は徳佐と姫香ちゃんが同じ俳優を推しているが、推し方の違いもあって、二人だけの世界を作って盛り上がるということはない。
「兄小田はすぐに周りが見えなくなるから、本野先輩が兄小田と同じ『魔法少女☆ひめるん』好きだなんて知ったら、本野先輩にばかり話しかけそうですよね」
「まあ、何事にも適切な距離感があるってことだ」
本野先輩は書いていたノートを閉じると、表紙に≪オタクたちのマーダーミステリー≫と書いて、俺に渡した。
「これは……?」
「前サークル長のあたしから、推し活サークルの後輩たちへの愛を込めたプレゼントだ」
「マダミスって最近流行っているゲームですよね。もしかして、これを提出すれば……!?」
「残念ながらそれは無理だ。このマダミスは途中までしか書かれてねえんだ」
未完のマーダーミステリーということは、作中の事件が解決していないのだろう。
「どうして未完の作品を俺たちに……」
「さて、どうしてだと思う?」
「……ま、まさか! 続きを書けって言うんですか!?」
「ご名答」
本野先輩が、口の端をニヤリと上げた。
これはきっと、事件の続きを俺たちに書かせることで、本野先輩の作品ではなく、現サークルメンバーの製作した部誌ということにする作戦に違いない。
それなら作中の事件の詳細はここで聞いておかなければ……と思った俺は、甘かった。
本野先輩は俺に向かってこう言ったのだ。
「お前たちで犯人を見つけてマダミスを完成させてみろ」
「えっ……犯人を教えてはくれないんですか!?」
本野先輩はまたニヤリと笑うと、冷めかけたコーヒーをグイっとあおった。




