36 感傷に浸る間もなく当日
いよいよ引越す、その前日。
”ペットは自分たちで運ぶ”、という契約だったため
私たちは猫をどうするか事前に相談していました。
太古の昔から”猫は家につく”と言われてきました。
元の家に帰ろうと脱走してしまう猫もいる、とも。
そのため私たちは毎日、猫たちに向かって繰り返し
「私たちは近々、新しい家に引っ越します。
これからはそこで暮らします」
と、大真面目に語り掛けていました。
どんどん家の中の荷物が段ボール箱に変わっていく様子に
猫たちもただならぬものを感じてはいたようです。
なるべく精神的・肉体的な負担は減らしてあげたいと思いました。
そこで引越当日のバタバタに巻き込まないよう、
前日のうちに猫たちは先んじて
仮住まいへと移動しておくことにしたのです。
先に新居に向かった者がケージを組み立てておいたり
午前中に新しく購入した絨毯を届けてもらい、
それを敷いたりしておきました。
そこに猫たちを車で運び込んだのです。
そのまま猫だけでお留守番は出来ないため、
猫たちに最も愛されている娘と
大きくなっても猫から子ども扱いされている息子が
そのまま新居に泊まることにしていました。
(簡易的な布団も運びました)
これが良い面と悪い面、両方あったのです。
猫にとってはベターな選択だったと思われます。
到着した時は絶望の面持ちだったそうですが、
子どもたちがずっと一緒にいたため、
すぐに落ち着き、ごはんもちゃんと食べていたそうです。
引っ越し当日もケージを荷物の出入りが少ない場所に置いたので
業者さんの作業の邪魔をすることなく
安全に過ごすことが出来ました。
しかし悪い面としては、子どもたちが前泊してしまったことで
最後の梱包作業と当日の作業を
夫婦二人でやらなくてはならなくなったのです。
引っ越しは当日よりも、前日の晩が修羅場でした。
”これは最終日まで使う”、というものは案外多いうえ、
そもそも子どもたちの荷造りが適当だったため
私たち夫婦は家を最終チェックしながら
「待って! この戸棚にもまだ荷物入ってる!」
「この段ボール、入りきってないぞ」
などと言いながら、必死に詰めまくったのです。
私は引っ越しが決まった時点で、
彼らにモノを出来るだけ捨てておくように告げました。
そして段ボールが届いたらすぐ、
どんどん自分のものを詰めていくように言ったのですが。
もちろん彼らはそれなりにやりました。
しかし梱包作業と言うのは
完璧にやっておかないと意味が無いのです。
彼らは9割くらいやったところで、
”後はまあ、詰めれば終わるだろ”
というように気が抜けたらしいです。
あとの1割がどれだけ大変かもわからずに。
そんなわけで、前日は深夜までの作業となりました。
私は無念でした。
最後の週は周辺を散策したり、
図書館など愛着ある建物を巡ろうと思っていたのですが、
引っ越し予定日が近づくにつれて
忙しさは指数関数的に加速していくばかりでした。
”たくさんの毎日をここで過ごしてきたね”
などと振り返る時間なそありません。
もし引っ越しを予定している人がいらっしゃいましたら
早めに”しみじみ”しておくことをお勧めします。
そして当日。
この日は家具や段ボールを搬出するだけでなく
引っ越し業者の方より、
「これは置いていきますか?」
「この棚は分解できますか?」
など、さまざまな判断を要求されます。
さすがはプロ、とても手際がよく
あっという間に全ての荷物がトラックへと詰め込まれました。
「それでは現地には○○時ごろ到着予定です」
「承知しました。すでに家族が待機しているので大丈夫です」
と会話し、いったん解散となりました。
そして旧家には、私たち夫婦が残されました。
20年近く暮らしたこの町、この家。
来月の下旬には取り壊されるため、
もう画像の中だけに残されることになります。
しかし感傷に浸る間もなく、私の目に飛び込んできたのは。
”運び出された荷物の後は、畳の色がそこだけ若い”
のではなく……カビがあったのです。
家はかなり古くて、窓のサッシなど雨漏りを修復した場所もありました。
水面下、いや壁の中にも湿気は浸透していたようで
大きなタンスの裏には黒カビがじわりを浮き出ていました。
それを見て思ったのは”がんばったね”でした。
この家はもう限界に近く、
建っているのもやっとだったのでしょう(おおげさ)。
「楽しかったし、幸せだったね」
夫とそう言いながら、感謝の気持ちを伝え
その家を後にしました。
いよいよ新居です……まあ、仮住まいではありますが。
私たちが新居に到着した時、
引っ越し業者のトラックもちょうど着いたところでした。
段ボールには”どこに置くか”を書いておいたので
それらは次々と運び込まれ、
各部屋でそのまま押し入れへと詰め込んだり
(この家はあくまでも仮住まいなので
本やCDなど開封しないでそのままの段ボールもある)
洋服をハンガーへと移動していきました。
作業はスムーズに進み、
(エアコンの件でちょっと問題がありましたが別途)
引っ越し業者の方は帰っていきました。
私たちはともかく寝る場所など
最低限の生活ができるようにするため
各自の部屋やキッチン、洗面所やお風呂を整えました。
そして近所の蕎麦屋をグーグルで探し
みんなで食べに行きました。
適当に決めた割にはとても美味しかったです。
それが幸先の良いスタートに思えたのは
私が単純な性格だからでしょう。




