気長な押し問答
「やっぱり行けない」
サラは車のドアにかけた手を下ろして、助手席に座り直した。
「無理、無理無理。無理に決まってる。戻る。帰る。戻って」
「ここまで来てかい、サラ」
運転席のヴィンセントは苦笑してハンドルに頭を乗せ、もたれかけた。
「どこに戻るんだよ」
「最初よ。あの地下の安アパート。橋の上。あなたと付き合う前」
「……確かに僕も戻りたいと思う時があるけど」
「……ほんと?」
泣きそうなサラの声にヴィンセントは首を振って否定した。
「嘘だよ。戻りたくない。僕はきっとあのままだと、私服はワンシーズン2セットしか持っていないだろうし、彼女居ない歴30年目を突入してる」
「いいえ。もっとまともな女と付き合ってとっくに結婚してるかもしれないじゃない」
サラは息巻いた。
「あなたとぴったりの可愛くて真面目で、可愛らしくて真面目な可愛い」
「僕の取り柄って、可愛いと真面目なところだけ?」
「そんなことない。夜は素敵だし」
「そりゃあ君に指導を受けたら」
「あたしが教えなくてもあなたは出来るようになったってば。あれは生まれ持ったセンスだと思う」
「待って、何の話をしてるんだっけ」
「あなたにはあたしより相応しい相手がいるんじゃないかって話」
「……ここまできて?」
「引き返すなら今だから。分かってる?」
サラの真剣な表情にヴィンセントはため息をついた。
「なら僕も同じように言うよ。君も引き返すなら今だ。君は美人でグッとくる娘だし、僕なんかよりはるかにイケてる男を捕まえられるはずだし」
「もちろんあたしも頑張ったわよ、この東オルガンに来て王子様を探して3年間。でもダメだったじゃない」
「僕も僕なりに頑張ってたよ。でも、26年間女の子と手を繋ぐ以上のことが出来なかった。君が現れるまで」
「うそ。ほんと? キスもあたしが初めて?」
「だから僕にとっては君は女神でお姫様なんだ」
「あなた。思い込んでる」
サラは眉間に皺を寄せて頭を抱えた。
「一人しか知らないからそんな風になっちゃったんだって。うわあ、あたしなんてことしちゃったんだろ。なんて女なんだろ。こんな男の人たぶらかしちゃったなんて」
「君は僕をたぶらかすつもりだったの?」
「ううん、違うわよ、違う。最初、あなたを見たときから好みだと思ったの。可愛いと思って。だからあたしから迫ったんじゃない。あたしの方が先に好きになったんだし」
「いや、それは違うよ。それなら、僕も君を最初に見たときから綺麗だと思ったし。ヴィンセントと関係を持ってると知った時はショックだった。君が僕に興味を持つ前から僕は君に好意を持ってたことになる。だから僕の方が先に君を好きになった」
「……何の話をしてたっけ」
「僕が君に相応しいかどうかだよ」
「あたしみたいな女なんてもったいないに決まってるじゃない。あなたなら普通の女と連れ添えるでしょ」
「普通、て何を言うの。普通、て何」
「普通の。女の子よ。ちゃんと学校を卒業して、あなたと同じ普通の仕事についている女の子」
「ダイニングで働いている君は普通じゃない?」
「今は普通と言えるかも。でも昔は普通じゃなかったし」
ヴィンセントは口をつぐみ、間を置いてから口を開いた。
「君が今から僕の両親に会えないのは。君がガラナ族の末裔だから? 娼婦をしていたから?」
サラは答えなかった。
「何を気取ることがあるの。僕は生まれも育ちもこの東オルガンだ。でも、先祖は王族じゃなくて、執事。職業は警察官。そして、少し強迫症の気があるし、緊張すると吃音が出る。服のセンスはゼロで、君に選んでもらってるし。内緒だったけど最近痔になって手術したし、前髪が後退してきた」
「うそ。知らなかった」
ふふ、とサラは吹き出した。
「こんな僕じゃ君と釣り合わない? 君は僕のお姫様だ。僕は君の王子様になりたい。お願いだから10秒以内に車を降りて」
ヴィンセントは車を降りるとサラのいる助手席に向かった。
「どうぞお姫様。早くその車を降りなさい」
ドアを開け、ヴィンセントが手を差し伸べるとサラは微笑みながらその手を取り、車を降りた。
「あなたは最初から私の王子様よ」
「それなら問題はない」
二人は腕を組み、家のコテージへと踏み出した。
「僕の父さんはふさふさだから、びっくりすると思うけど。僕のお祖父さんがスキンヘッドだったんだ」
「知ってるわ。あれは隔世遺伝だもの。あたし、スキンヘッドの王子様も好きだから」
恋人たちはコテージを上り、手を合わせて呼び鈴を鳴らした。
レイ・ブラッドベリの短編「気長な分割」が好きなので、少しタイトルを意識しました。(あれは離婚する夫婦の話でしたが)
SKY WORLD のスピンオフ
「バラのタトゥーの少女」のメインお二人、巡査のヴィンセントとサラのその後の話です。