第二十五話 六島、治まる
応永三十二年(一四二五)九月 伊予国 忽那諸島
柱島の乙名から、あらためて使いが届いたのは、初秋のことだった。稲穂が、少しずつ、色づきはじめている頃合いだった。
「此度、島の蔵普請にあたり、二神様の御力添えを賜りたく」
その申し出に、わたしは、頭の中で、静かに数を数え直した。柱島、津和地島、中島、そして、大勢を見極めてから、遅れて加わった、残る三島。あの日、甚兵衛と彦太郎が、初めてこの館を訪ねてきてから、随分と長い歳月が流れた。
あのとき、二人は、二神の名と、村上一党を退けた噂を頼りに、抗わずに合流を申し出てきた。あの容易さに、こちらは、かえって警戒を覚えたものだった。六島すべてが、こう運ぶとは限らない、と。
その予感は、正しかった。中島の宗兵衛が、力ずくで抗った。競合し、差がつき、そして、折れた。あの一島との駆け引きに費やした日々を思えば、いまこうして、柱島から蔵普請への力添えを求められるという、ごく穏やかな形で、六島すべてが揃おうとしていることに、わたしは、あらためて、感慨に似たものを覚えていた。
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弥九郎に、この報せを伝えると、しばらく、感慨深げな顔をした。長い道のりを、一つ一つ、思い返しているような表情だった。
「これで、六島すべてが、揃うということか」
「はい。柱島の蔵普請への力添え、それを最後の一手として、六島すべてが、事実上、こちらの傘下に収まりまする。六島の船を合わせれば、およそ四十艘。人にして、七百ほど。こちらの本隊二百余と合わせれば、千に届くほどの厚みにござります」
わたしは、そう答えた。だが、その声には、自分でも意外なほど、静かな響きしかなかった。大きな山を越えたはずなのに、胸の内には、達成の高揚よりも、次に数えるべきものの多さのほうが、先に立っていた。
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その日の夕方、六島の乙名衆を、館へ招いた。
宗兵衛、市造、甚兵衛、彦太郎、そして、大勢を見極めてから加わった、残る三島の乙名たち。かつて、それぞれの立場で、こちらと相対してきた者たちが、いま、同じ板間に、揃って座っていた。
「此度は、皆々様の御力添え、まことにかたじけのう存ずる」
弥九郎が、そう挨拶すると、宗兵衛が、代表するように、頭を下げた。
「こちらこそ、二神様の御庇護のもと、島々が保たれておること、皆、感謝しており申す」
板間には、皆の頭を下げる音が、静かに重なった。
その言葉に、わたしは、あらためて、宗兵衛の顔を見た。かつて、力ずくで抗った男が、いまは、こうして、頭を下げる側に回っている。歳月というものの重みを、あらためて思い知らされた。
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「これからも、六島、一丸となって、この地を守ってまいりたく存ずる」
甚兵衛が、そう続けた。その声には、長く何かに耐えてきた者だけが持つ、深い落ち着きがあった。
「頼もしきことにござる」
弥九郎が、そう答えた。
その様子を見ていた彦太郎も、頷きながら、言葉を継いだ。
「津和地島も、此度の蔵普請には、幾らか木材を出す所存にて。皆で支え合うてこそ、島々は保ちましょう」
その言葉に、わたしは、あらためて、六島が、単に力で従えられた集まりではないことを、実感していた。互いに支え合う、という形が、いつのまにか、島々のあいだに、自然と根付いていた。それは、こちらが最初から狙って仕込んだものというより、日々の積み重ねの中で、島の者たち自身が、少しずつ、作り上げてきたものだった。
宴が進むにつれ、板間の空気は、いくらか和んでいった。それぞれの島の暮らしぶり、今年の作柄、子らの成長。そうした、ごく当たり前の話が、あちこちで交わされていた。
膳の隅に、見慣れぬ茶碗が並んでいるのに、市造が目を留めた。
「これは、また、良い香りがいたしますな」
「怒和島の谷で、育てておる茶にござります」
わたしが、そう答えると、市造は、少し驚いた顔をした。
「茶が、この島で」
「明から持ち帰った苗を植えて、もう五年近くになり申す。ようやく、まともに摘めるほどになりました」
あの日、船の上で、まだ育つかどうかも分からぬ苗を斜面に差し込んだときのことを、わたしは思い出していた。木が決めることだと、あのとき、そう思っていた。それが、いま、こうして、椀の中で、確かな香りを立てている。
「柑橘のほうも、此度、初めて、まともな実がつき申した。楠のほうは、まだ、樟脳が採れるほどには育っておりませぬが、あと二、三年もすれば」
「気の長い話にござりますな」
宗兵衛が、そう言って、小さく笑った。
「気の長い話ばかりにござります。溜池も、段畑も、この島の何もかもが、そうにて」
その言葉に、宗兵衛は、深く頷いた。かつて、力ずくで抗った男の目にも、いまは、この島の歩みに対する、確かな敬意のようなものが浮かんでいた。
その光景を、わたしは、少し離れた場所から、じっと見つめていた。皿の触れ合う音、笑い声、酒の匂い。この館が、これほど賑やかな声に満ちるのは、久方ぶりのことだった。灯りが、幾つも灯され、板間の隅々まで、明るく照らしていた。夜風が、開け放たれた戸口から、涼しく吹き込んでいた。
宴の隅では、幸松が、他の子らと一緒に、乙名衆に酒を運んで回っていた。新居郡から来た亀吉たちも、その手伝いに加わっている。まだ島に来て日の浅い子らが、こうして、六島の要人たちの前で、臆せず働いている。その姿を見て、わたしは、少し胸が温かくなった。
市造が、幸松に、何事か声を掛けた。幸松が、はきはきと答えると、市造は、声を立てて笑った。
「よう出来た子だ。どこの生まれか」
「新居郡のほうから、流れて参りました」
幸松が、そう答えると、市造は、少し驚いた顔をした。
「流れ者が、こうまで、いきいきと働けるとは。よほど、この島の水が合うのだろうな」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。水が合う、という一言が、これまでの積み重ねのすべてを、簡潔に言い表しているように思えた。
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「これで、満足か」
弥九郎が、隣に座って、そう訊ねた。
その問いに、わたしは、少し考えてから、答えた。
「満足、というのとは、少し違いまする」
「では、何だ」
わたしは、少し間を置いてから、そう答えた。
「まだ、この六島だけにござります」
その一言に、弥九郎は、少し驚いた顔をした。杯を持つ手が、一瞬、止まった。
「まだ、先があるということか」
「忽那諸島には、まだ、幾つもの小島や、名もなき入江がござります。それに」
わたしは、少し声を落として、続けた。
「二神本家そのものは、我らが手を伸ばすべき話ではござりませぬ。あちらは、あちらで、立てておくべき名にて。六島の話とは、そもそも、性質が違いまする」
「それに、六島の富ませ方も、まだ、途上にござります」
わたしは、そう続けた。
「この海は、潮が複雑にて、地の者でなければ、渦に呑まれる。だからこそ、余所の商船は、これまで、この一帯を避けて通ってまいりました」
「避けられておったのは、島にとっては、むしろ、都合がよかったのではないか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「これまでは、それでよろしゅうござりました。ですが、いまは、違いまする。六島すべてを、こちらが治めた以上、この海の難所は、避けられるものではのうて、こちらが案内できるものに変わりまする」
「水先案内、というわけか」
弥九郎は、そう呟いてから、ふと、遠い目をした。
「思えば、あの技は、元から、この一党の中にあったものだな」
「と、申されますと」
「昔、船を襲うときも、浅瀬や入り江を知り尽くした小舟を先に出し、母船を導かせた。あれと、根は同じだ。奪うために使うていた勘を、今度は、通すために使う、というだけのことか」
その一言に、わたしは、少し、虚を突かれた。奇襲のために磨いてきた技を、そのまま、平時の商いに転じる。数の上では、確かに、同じ勘定だった。だが、その技の中身を、奪う側から、通す側へと組み替えるという発想は、弥九郎の口から出て、初めて、はっきりとした形を得た。
「はい。安全に通したい商船から、しかるべき駄賃をいただく。関のようなものにござります。ただし、通すだけでは終わらせませぬ。案内した先々の島に、必ず、一度は寄っていただく。荷を降ろし、荷を積む。それだけで、島に銭が落ちまする」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく、考え込んでいた。
「一つの瀬戸だけの話ではないな」
「はい。この海全体、我らの勢力の及ぶかぎり、同じ仕組みを広げとうござります。六島、因島、これから先に得る島々、すべてを、その仕組みでひとつに繋ぎまする」
「手始めに、当てはあるのか」
弥九郎が、そう訊ねた。わたしは、頭の中で、以前、書き留めておいた覚えを、たぐり寄せた。
「弓削島荘の年貢船にござります。都の東寺様の荘園で、塩を年貢として都まで運んでおられる由。決まった刻限、決まった道筋を、毎度、通っておりまする」
「寺の荷か」
「はい。東寺様御自身に、海を渡る力はござりませぬ。年貢が、無事に都へ届きさえすれば、それでよいはず。そこへ、こちらから、護衛を申し出とうござります。奪うのではのうて、守る側に回る。それだけで、東寺様にとっても、悪い話ではござりますまい」
弥九郎は、それを聞いて、少し、笑った。
「寺は、金には細かいが、海までは治めきれぬ、というわけか」
「まさしく。そこに、こちらの入り込む隙がござります」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「六島が揃うたいま、ちょうどよい頃合いかもしれぬな」
「はい。今日、この場で、乙名衆にも、あらましだけ、お伝えしとうござります」
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弥九郎は、それを聞いて、しばらく、黙っていた。
「お前の目は、いつも、遠くを見ておるな」
「見ねば、いずれ、足を掬われましょう」
「今日ぐらいは、目の前のことだけを、喜んでもよかろうに」
その言葉に、わたしは、少し虚を突かれた。宴の席で、六島の乙名衆が、こうして和やかに語らっている。その光景こそが、今日という日の、確かな成果だった。それを、遠い先の勘定ばかりで、上書きしてしまう自分の癖を、あらためて、思い知らされた気がした。
「殿の仰るとおりにて。今日ぐらいは、目の前のことを、しかと味わいまする」
そう言いながらも、わたしの頭の中では、既に、次の勘定が動きはじめていた。六島が揃った先、忽那諸島にはまだ、名もなき小島や入江が幾つも残っている。因島は固まり、能島・来島への布石も打った。別子の山は、まだ、途中までしか掘り当てていない。二神本家そのものへの道のりは、なおのこと遠い。
数え上げれば、きりがなかった。だが、その「きりがなさ」こそが、この島の暮らしを、これまでずっと前へ進めてきた力でもあった。一つを終えれば、次が見える。次を終えれば、また次が見える。その繰り返しに、疲れを覚えることは、もう、ほとんどなくなっていた。
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義重も、その日の宴に、遅れて顔を出した。
「六島、揃ったそうだな」
義重は、そう言って、深く頷いた。
「義重様の御支えあってのことにござります」
「わしは、ただ、見ておっただけだ。すべては、そなたと、弥九郎殿の力だ」
義重は、そう言ってから、少し声を落とした。
「綾の懐妊のことも、聞いておる。孫が生まれる日を、心待ちにしておるぞ」
その一言に、わたしは、頭の中で、ふと、この子の血筋の重みを、あらためて数え直した。綾は、既に、本家の猶子。その産まれてくる子もまた、血筋の上では、本家を継ぐ資格を持つ。義重は、まだ、その先の絵図までは、思い描いていないだろう。ただ、孫の誕生を、素直に喜んでいる。その屈託のなさに、わたしは、少し胸が痛んだ。
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宴の後、乙名衆を見送ってから、館の奥へ戻ると、綾が、静かに出迎えてくれた。
「六島、皆、揃いましたそうですね」
「はい。おかげさまで」
「千代殿の、長い年月の積み重ねの、確かな実りにござりましょう」
その言葉に、わたしは、少し照れくさい思いを覚えた。柄にもなく、頬が熱くなるのを感じた。
「わたくし一人の力では、決してござりませぬ。殿の御力、皆の働き、そして、島の者たちの信あってのこと」
綾は、それを聞いて、微笑んだ。
「そのように言えるところが、千代殿の、変わられたところにござりましょう」
その一言に、わたしは、少し考え込んだ。以前の自分なら、こうは言わなかっただろう。数と策だけを、自分の手柄として、頭の帳に書き記していたはずだった。
「変わった、と申されますと」
わたしは、そう訊ねた。綾は、少し微笑んで、答えた。
「以前の千代殿なら、皆の働きあってのこと、とは、口では仰っても、心の底では、御自分の数の勝ちだと、思うておられたはず。いまは、違いましょう」
その指摘に、わたしは、少し驚いた。図星だった。だが、綾の口調には、咎める色はなく、ただ、静かな確かさがあるだけだった。わたしは、それを、綾らしい、優しい労いの言葉として受け取った。
だが、綾の真意は、もう少し違うところにあったのかもしれない、と、後になって思い返すことになる。そのときは、まだ、その裏にあるものに、気づく術がなかった。
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「綾様の、お加減は」
わたしは、話を変えて、そう訊ねた。
「まずまずにござります。つわりも、近ごろは、いくらか落ち着いてまいりました」
綾の顔には、確かな安らぎの色があった。その顔を見ながら、わたしは、この数か月、ずっと胸の底に沈めたままの、あの言葉のことを、また、思い出さずにはいられなかった。
石女、という言葉の重さを、綾には、決して悟られてはならなかった。綾には、何の落ち度もない。この焦りは、あくまで、自分一人で抱えるべきものだった。
六島が揃い、島の者たちが皆、この日を喜んでいる。その喜びの中心には、いつも、綾がいた。子を宿し、島の女たちから、いっそう慕われるようになった正室。策を組んだのは自分でも、皆が名を呼び、頼るのは、綾のほうだった。その事実を、これまでも、幾度となく、頭の中で数えてきた。今日という、六島すべてが治まった特別な日にさえ、その非対称は、少しも揺らがなかった。
揺らがないことに、安堵すべきなのか、それとも、寂しく思うべきなのか。わたしには、まだ、その判じ方すら、正しく分からずにいた。
「何か、お考え事にござりますか」
綾が、そう訊ねた。わたしは、慌てて、首を振った。
「いえ、六島のこと、まだ、頭の中で、整理がついておらぬだけにて」
その答えに、綾は、それ以上、深くは問わなかった。
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その夜、灯を消す前に、帳を広げた。
柱島、蔵普請に力添え。これをもって、忽那六島、事実上すべて、二神の名の下に治まる。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。長い歳月の末に、ようやく、ここまで辿り着いた。だが、この一行の先には、まだ、書かねばならないことが、幾つも続いていく。忽那諸島全体、二神本家、そして、瀬戸内のさらに先。
筆を置き、灯を見つめながら、わたしは、今日の宴での、乙名衆の和やかな顔を、もう一度、思い浮かべた。数だけでは測れない何かが、あの席には、確かにあった。それを、綾は、いつも、こちらより先に見出している。
自分もまた、いつか、あの和やかさの中に、素直に加われる日が来るのだろうか。答えは、まだ、出なかった。
弥九郎が、隣で、静かに口を開いた。
「思えば、遠くまで来たものだな」
「はい。柱島、津和地島から使いが来た日、あれから、まだ二年と半年ほどしか経っておりませぬ」
「そんなものか。もっと、長い月日が流れた気がする」
わたしは、その言葉に、深く頷いた。数えれば、確かに、二年半という短さだった。だが、積み上げてきたものの重さを思えば、十年分にも、二十年分にも感じられた。
「殿は、初めて怒和島に流れ着いた日のことを、覚えておられますか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、少し遠い目をした。
「忘れるものか。何もない浦に、船を寄せて、根城になるかどうかも分からぬ島に、賭けた日だ」
「あの日から、ここまで来ましてござります」
「まだ、道半ばだと、お前は言うのだろう」
弥九郎が、そう言って、微かに笑った。
「はい。道半ばにござります。ですが」
わたしは、少し言葉を選んでから、続けた。
「道半ばであっても、ここまで来られたことそのものは、確かな手応えとして、胸に刻んでおきとうござります」
その答えに、弥九郎は、満足そうに頷いた。
外では、九月の虫の声が、静かに、いつまでも響いていた。秋が、また一つ、深まろうとしていた。灯を吹き消すと、部屋は、静かな闇に沈んだ。その闇の中で、わたしは、しばらくのあいだ、今日という日の重みを、じっくりと噛みしめていた。遠くから、潮騒の音が、途切れることなく聞こえてきた。




