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潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


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第二十四話 私の駒

応永三十二年(一四二五)六月 伊予国 怒和島 下怒和


雨の多い季節になった。潮の色も、いつもより、幾らか灰色がかって見える日が、続いていた。


隠れ里の普請も、能島・来島の話も、しばらくは、雨に足を取られて、思うようには進まなかった。そんな折、伊佐次が、思いがけない報せを持ってきた。


「新居郡の在の村で、また、身寄りを失った子らが出ておるようで」


その報せに、わたしは、手を止めた。


「戦か、飢えか」


わたしは、そう訊ねた。


「飢えにござる。此度の長雨で、田の実りも、裏作の麦も、共に出来が悪う、口減らしのために、村を出された子らがおるとの由」


米だけに頼り、裏作の麦も、それ一つきりという村の脆さを、あらためて思い知らされた。裏作に、麦だけでなく、日照りにも長雨にも強い蕎麦もあわせて植えさせれば、こういう年でも、幾らかは凌げよう。頭の隅に、そのことを、後で忘れぬよう書き留めておこうと思いながら、ひとまず、目の前の子らのことに、気を戻した。


その報せに、わたしは、頭の中で、静かに算段を組みはじめた。頭の隅に、以前から、ぼんやりと燻っていた考えが、雨の音を聞くうちに、少しずつ、形を取りはじめていた。


呉徳全のような、外から招いた職人には、いつも、ある種の危うさが付きまとった。腕のある者ほど、いずれ、よそへ引き抜かれる恐れがある。あるいは、いつか、心変わりして、技を持ったまま去ってしまうかもしれない。技を教えると同時に、その者自身が、交渉の材料や、弱みにもなり得た。


だが、島の内側で、一から育てた者であれば、その心配はない。生まれてこの方、この島以外に、頼れる場所を持たない。そういう者を、みずからの手で作り出せれば、どれほど、この先の備えになることか。その考えが、雨の音を聞きながら、ずっと、頭の隅で膨らみ続けていた。


---


「幾人ほどか」


「五、六人ほどかと」


「引き取れぬか」


わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し驚いた顔をした。


「隠れ里は、既に、幾人も抱えており申す。これ以上は」


「隠れ里にではない。わたくし自身の手元に、引き取りたい」


その言葉に、伊佐次は、しばらく、考え込む顔をした。


---


弥九郎に、この構想を伝えたのは、その日の夜だった。


「身寄りのない子らを、わたくし自身の手で、育てとうござります」


「お前が、直に、か」


「はい。武士、技術者、忍び。三つの筋に分けて、それぞれの技を仕込みとうござります」


弥九郎は、しばらく、黙っていた。


「なぜ、俺の一党に混ぜぬ」


その問いに、わたしは、少し考えてから、答えた。


「殿の一党は、殿の口を通してのみ動く一党にござります。それは、これまで、この島を保ってきた確かな筋にて、崩すつもりはござりませぬ。ですが、家がこれほど大きくなったいま、殿の口一つでは、隅々まで、わたくしの意図が届かぬ場面が、出てまいりましょう」


---


「だから、お前だけの駒が要る、ということか」


弥九郎の声には、咎める色はなかった。ただ、静かに、こちらの真意を確かめるような響きがあった。


「はい。殿の一党とは、別筋の力にござります。表向きは、殿の一党の者として遇していただいて構いませぬ。ただ、実の忠義は、わたくしに向くよう、育てとうござります」


「危うい話だ」


「危ういのは、承知の上にござります。ですが、家が大きくなるほど、こうした備えが要りましょう。楠木党残党のように、外から加わった者の忠義を、あとから向け直すやり方もござります。ですが、それだけでは、いずれ限りが来ましょう。最初から、わたくしにしか向かぬ忠義を、一から作っておきたいのです」


弥九郎は、しばらく、じっと、こちらを見ていた。


---


「好きにせよ」


弥九郎は、そう言った。


「ただし、俺の一党の者たちには、悟られぬようにな。妙な勘繰りを生めば、要らぬ波風が立つ」


「心得ており申す」


その答えに、弥九郎は、微かに笑った。


「お前が、自分の駒を持ちたいと言い出すとはな」


「殿の駒を、増やしとうござります。わたくし自身の駒とは、少し違いまする」


「同じことだろう」


弥九郎の一言に、わたしは、何も言い返せなかった。


「一つ、訊きたきことが」


わたしは、そう続けた。


「殿は、こうして、わたくしが独自の力を持つことを、恐ろしいとは、お思いになりませぬか」


弥九郎は、少し考えてから、答えた。


「恐ろしくはない。お前が、俺を裏切る理由がない。お前の得は、俺の得と、いつも同じ方を向いておる」


「もし、いつか、向きが変わったら」


「そのときは、そのときだ。いま、案じても詮ないこと」


その答えに、わたしは、少し驚いた。この男は、こちらが投げかけた不穏な問いにさえ、揺らがず、あっさりと答えを返してくる。その肚の据わり方が、いつも、こちらの数の外側から、静かに支えになっていた。


---


数日後、新居郡から、五人の子らが、島に渡ってきた。


いちばん年嵩の子で、十歳ほど。いちばん幼い子は、まだ六つに届くかどうかという歳だった。皆、痩せて、日に焼けた顔をしていたが、その目には、まだ、確かな光があった。


「これから、この島で、暮らしてもらう」


わたしが、そう告げると、子らは、皆、緊張した面持ちで、こちらを見た。


「怖がらずともよい。飯は、腹いっぱい食える。ただし」


「ただし」


年嵩の子が、そう訊ね返した。


「学んでもらうことが、幾つかある。字を書くこと、算えること、そして、それぞれの向く先によって、体の動かし方、あるいは、物を作る技」


子らは、顔を見合わせた。学ぶ、という言葉に、戸惑いと、微かな期待とが、入り混じっているのが見て取れた。


---


子らを、幸松に引き合わせた。幸松は、慣れた様子で、一人一人に、名を訊ねて回った。


「おいらも、流れてきた口だ。案ずるな。ここは、悪い場所じゃない」


幸松の言葉に、子らは、少しずつ、表情を緩めていった。かつて自分がそうされたように、幸松は、この子らにも、同じ温かさを分け与えていた。


その様子を見ながら、わたしは、頭の中で、この子らを、どう育てていくかを、あらためて考えた。武士に向く子、技を覚える手の器用な子、そして、人目を忍ぶ勘の鋭い子。まだ幼いいまは、はっきりとは分からない。だが、いずれ、それぞれの向く先が、自然と見えてくるはずだった。


年嵩の子、名は、亀吉といった。この子は、他の子らをまとめる役目を、誰に言われるでもなく、みずから引き受けているようだった。幸松と、どこか似た気配を持つ子だった。


「亀吉は、いくつになる」


わたしが、そう訊ねると、亀吉は、少し胸を張って、答えた。


「十にござります」


「読み書きは」


「村では、教わる機がござりませなんだ」


「これから、教える。励め」


亀吉は、深く頷いた。その目に宿った光は、幸松が、この島に流れ着いた日に見せたものと、よく似ていた。人はこうして、機を得ることで、少しずつ、自分の道を選び取っていくのだろう。その最初の機を作るのが、いまの自分の役目だった。


他の子らのうち、一人は、体つきが、既に、他の子より頑丈だった。この子は、いずれ、武士の筋に向くだろう。また、一人は、手先が、細かい作業に、驚くほど長けていた。この子には、いずれ、太郎丸たちの窯の仕事を、手伝わせてみたい。そして、もう一人は、物音一つに、誰よりも早く気づき、素早く身を隠す癖があった。この子には、楠木党残党の技を、間近で学ばせるのがよいだろう。


まだ、はっきりと決めつけるには早い。だが、頭の中で、既に、それぞれの向く先の絵図が、朧げながら、形をなしはじめていた。武士、技術者、忍び。三つの筋が、この島の裏側で、静かに育っていく。表向きは、皆、弥九郎の一党の者として遇される。誰が誰を育てたかは、記録にも、噂にも、残らない。それでよいのだと、わたしは、自分に、そう言い聞かせた。


---


その日の夕方、綾のもとへ、この一件を伝えに行った。


綾は、少し驚いた顔をしたが、すぐに、優しい表情に変わった。


「五人も、一度に。大変にござりましょう」


「はい。ですが、いずれ、この島の力になりましょう」


わたしが、そう答えると、綾は、少し考えてから、こう言った。


「力になる前に、まず、安心させて差し上げねば。学ぶことより、まずは、ここが、自分の居場所だと思えることが、先決にござりましょう」


その一言に、わたしは、深く頷いた。綾の目は、いつも、こちらが見落としているものを、静かに拾い上げてくる。


---


館へ戻る道すがら、台所のほうから、女房衆の話し声が、聞こえてきた。


わたしは、何気なく、その脇を通り過ぎようとした。だが、聞こえてきた一言に、思わず、足を止めた。


「綾様は、これで、めでたく子を授かられた。うちの村では、子のできぬ女子のことを、石女と呼んで、随分と辛く当たったものだが」


「まあ、恐ろしい。ここでは、そのような真似はせぬからよろしいけれど」


その言葉に、わたしは、しばらく、その場に立ち尽くした。


女房衆は、こちらに気づく様子もなく、そのまま、話を続けていた。


「うちの姑などは、三年子ができぬだけで、離縁を言い渡された女子を、幾人も見てきたと申しておりました」


「三年とは、また、厳しいこと」


「それが、当たり前だったのですよ、昔は。子を産めぬ女子は、家の役に立たぬ、と」


その遣り取りを、わたしは、物陰から、動けぬまま、聞き続けていた。胸の奥で、何かが、ゆっくりと、冷たく沈んでいくのを感じた。


---


石女。


耳慣れぬ言葉だった。だが、その響きだけで、何か、重く、冷たいものを孕んだ言葉だということは、すぐに分かった。


館へ戻ってからも、わたしは、その言葉を、頭の中で、何度も、繰り返し反芻した。誰かに問い返すことは、できなかった。問い返せば、なぜ、そのようなことを気にするのかと、かえって、勘繰られる気がした。


さよがいれば、こういうことを、気軽に訊けたのだろうか。ふと、そんな考えが、頭をよぎった。だが、さよとは、もう十年ほども前に、生き別れたままだった。女として生きる作法の多くを、わたしは、誰からも、正しく教わらないまま、ここまで来ていた。


前の生でも、今の生でも、女の身に起こることを、当たり前のこととして語ってくれる年上の女は、誰一人としていなかった。母と呼べる者の記憶は、前の生では、ひどく薄い。今の生の母は、幼い頃に身罷り、もう会うこともかなわない。綾は、対等な間柄ではあっても、齢はこちらより下であり、弱みを見せて教えを乞う相手には、なりにくかった。台所の女房衆とは、主として仕える相手・使う相手という壁が、いつも間に立っていた。


誰にも訊けぬまま、独りで、言葉の意味を、頭の中で組み立てるしかなかった。子を産めぬ女子は、家の役に立たぬとされ、辛く当たられる。離縁を言い渡されることさえある。その理屈を、数として、頭の中で並べ直してみた。だが、数として並べれば並べるほど、胸の底が、冷たくなっていくばかりだった。


---


その晩、皆が寝静まったころ、帳を広げた。


新居郡より、孤児五人、引き取る。亀吉ほか四人。武士・技術者・忍びの三筋に分けて育てる所存。


それだけを書いて、筆を置いた。今日、耳にしたあの言葉のことは、帳には、書かなかった。書けば、それが、確かな形を持ってしまう気がした。


灯を吹き消しながら、わたしは、頭の中で、ずっと、あの言葉を、静かに転がし続けていた。綾は、子を授かった。自分は、まだ、何も授かっていない。渡りの数は、婚礼の前と、さして変わらず続いている。それなのに、なぜ、まだ、何も兆さないのか。


答えは、出なかった。ただ、胸の奥に、これまで感じたことのない、小さな、冷たい石のようなものが、静かに沈んでいくのを感じた。


今日、島に迎えた五人の子らのことを、あらためて思い返した。あの子らは、これから、この島で、字を学び、技を学び、それぞれの道を歩んでいく。だが、自分自身が、いつか、その先に、何を残せるのか。策を組み、島を富ませ、駒を育てる。それだけでは、埋まらない何かが、確かに、あるような気がした。


弥九郎は、既に、寝入っていた。その寝顔を、しばらく、見つめた。この男との間に、いつか、子が生まれる日は来るのだろうか。来るのだとしたら、それは、いつなのか。考えたところで、答えの出る話ではなかった。それでも、考えずにはいられなかった。


石女、という言葉の重さを、これから、自分は、どれだけ長く、独りで抱えていくことになるのだろう。誰にも打ち明けられぬまま、帳にも書けぬまま、ただ、頭の奥に、静かにしまい込んでおくしかなかった。


外では、六月の雨が、いつまでも、屋根を叩き続けていた。その音を聞きながら、わたしは、しばらくのあいだ、闇の中で、目を開けたままでいた。

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