第二十一話 白磁、届く
応永三十二年(一四二五)二月 伊予国 怒和島 下怒和
年が明けてから、呉徳全の教える技が、目に見えて、窯の仕上がりを大きく変えはじめていた。
太郎丸と次郎丸が焼き上げる器は、以前の、厚く粗い肌のものとは、まるで違っていた。薄く、なめらかで、光にかざすと、微かに、ほのかに透けて見えるほどだった。まだ、明の唐物と並べれば、確かに見劣りはする。だが、白磁と呼んで差し支えのない、確かな一品だった。
「これは」
わたしは、その一つを手に取り、そっと指でなぞった。粗さは、もう、どこにも残っていない。
「呉徳全殿の見立てどおりに、土を選び、釉薬を掛けました」
太郎丸が、そう言って、誇らしげな顔をした。傍らで、呉徳全も、静かに頷いている。
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「本物の唐物には、いまだ、まだ、届きませぬ」
わたしは、そう続けた。太郎丸の顔が、少し曇った。
「まだ、届いておりませぬか」
「はい。鉄分の除け方が、まだ、足りませぬ。この白は、まだ澄みきってはおらぬ。よく見れば、微かに、灰みがかっております」
呉徳全が、それを聞いて、手にした白磁の器を、じっと見つめながら、答えた。
「鉄分を、これ以上除くには、いまの技では難しかろう。細かい鉄の粉を吸い寄せる、強い磁石でもあれば、話は別だが」
呉徳全は、そう言ってから、少し寂しげな顔をした。明の窯場では、当たり前のように使えた何かが、この島にはまだない。その隔たりを、誰よりも、この男自身が、いちばんはっきりと感じ取っているようだった。
その一言に、わたしは、頭の中で、既に描いていた策を思い返した。雷を捕らえ、強く磁化した鉄の棒を作る。だが、それは、いまはまだ、遠い先の話だった。運と、命がけの試みとが要る仕事だった。
炭窯のほうは、太郎丸と次郎丸が、幾度もの焚き直しの末、ようやく、それらしい炭を焼けるようになりはじめていた。呉徳全も、その炭を手に取り、火にくべては、じっと炎の色を見極めていた。
「これなら、窯の隅々まで、火の強さが揃おう」
呉徳全は、そう言って、初めて、はっきりと頷いた。まだ、明の窯場ほどの精度には届かないが、確かな前進だった。技術は、一つが整えば、また次の技術を、静かに押し上げていく。その道理を、わたしは、この島で、幾度も見てきた。
いま、この場で、その策を口にすることはしなかった。まだ機が熟していない。焦って手を出せば、無駄に命を危うくするだけだった。頭の帳の奥に、その着想だけを、静かにしまい込んだ。
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「いまは、これで、十分にござります」
わたしは、そう告げた。
「白く、硬く、唐物に近い器が焼けるようになった。それだけでも、大きな一歩にござります。この先のことは、また、いずれ」
太郎丸と次郎丸は、それを聞いて、安堵した顔をした。呉徳全も、微かに笑った。この数ヶ月で、呉徳全の表情は、随分と柔らかくなっていた。
弥九郎に、この報せを伝えると、しばらく、焼き上がった器を、様々な角度から眺めていた。
「これほどのものなら、贈答にも使えるか」
「はい。唐物とまでは、いまだいかずとも、贈る先によっては、十分に値打ちを認めていただけましょう」
弥九郎は、器を光にかざして、いかにも感心したように、しばらく見入っていた。
「お前が、初めて明の話を持ち出した頃から、もう幾年になる」
「かれこれ、三年近くにござります」
「長かったな」
「長うござりました。ですが、思うたより、いくらか早う進んだところも、ござります」
その遣り取りに、わたしは、頭の中で、これまでの長い日々を、あらためて振り返った。呉徳全を連れてきたあの日、浜辺で見つけた、あの疲れきった目。あの日から、まだ一年も経っていない。焦らず、じっくりと時をかけたことが、こうして、確かな形になって、静かに返ってきていた。
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その日の夜、窯の傍らで、ささやかな祝いの席が、静かに設けられた。太郎丸と次郎丸、呉徳全、そして林太。焼き上がった白磁の器に、初めての酒を注ぎ、皆で回し飲んだ。
呉徳全は、その器を、しばらくのあいだ、じっと見つめ、それから、静かに言った。
「故郷の窯を、思い出す。まだ、あちらの技には及ばぬが、この島で焼いた器が、初めて、故郷の器に近づいた心地がする」
その言葉に、わたしは、胸の奥が、じんわりと熱くなった。異国から来た男が、この島で焼いた器に、故郷の面影を見出している。その事実そのものが、これまでの歳月の重みを、何よりも雄弁に物語っていた。
太郎丸と次郎丸も、その言葉を聞いて、誇らしげな顔をしていた。宋伝来の技と、明の技とが、いま、この一つの器の中に、確かに、静かに溶け合っていた。
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その日の夕方、別子からの便りが届いた。
伊佐次からの報せだった。索道とトロッコ道の普請が、また一段、進んだという。同時に、こんな一文が添えられていた。
「金子様の御館より、使いが参られ、山の様子を、それとなく訊ねられ申した」
わたしは、その一文を、何度も、ゆっくりと読み返した。文字の向こうに、伊佐次の困惑した顔が、目に浮かぶようだった。
金子氏。新居郡一帯を治める在地の武家だった。別子山中への地取りを進めるにあたって、これまで、幾度か、進物を届け、挨拶を重ねてきた相手だった。木を伐ること、谷を探ることへの黙認を得るための、地道な付き合いだった。
金子氏は、鎌倉の御代より、この地に根を張る家だという。武蔵国からの下向という、遠い先祖の話も、伊佐次を通じて、幾度か耳にしていた。伊予国の守護・河野氏に従いながら、東隣、讃岐・阿波を治める細川氏とも、誼を通じている家柄だった。両属という、この時代の国境の武家には、珍しくない形だった。
初めて金子城へ使いを送ったのは、別子への地取りを、ようやく始めてすぐの頃だった。塩と、島で焼いた器を、まず、ささやかな進物として届けた。見返りを急がず、山に手を入れることへの黙認さえ得られれば、それで十分だという構えだった。金子氏の側も、こちらの動きを、遠くから、静かに見ているようだった。
その付き合いが、いつのまにか、二年近くにわたって、細く、長く、静かに続いていた。
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「金子様の使いが、何を訊ねられたのだ」
弥九郎が、そう訊ねた。
「詳しくは、書かれておりませぬ。ただ、山の様子を、それとなく、と」
「案じておるのか、それとも、興を持たれたのか」
「おそらくは、両方にござりましょう。この二年、こちらが、あの山に、何度も人を送っておりますゆえ、金子様の御館でも、気にかけておられるのは、当然のことにござります」
弥九郎は、少し考えて、言った。
「進物を、また届けるべきか」
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「はい。焼き上がった白磁を、幾つか、お届けしとうござります」
わたしは、そう答えた。
「唐物には及ばずとも、この島でしか焼けぬ器にござります。金子様の御目にかなえば、これまで以上に、良き付き合いができましょう」
弥九郎は、頷いた。
「使いは、誰を立てる」
「六郎太に、任せとうござります。字も書け、応対も丁寧にござります」
その人選に、弥九郎は異存を示さなかった。六郎太は、この数年で、島の外との遣り取りにも、随分と慣れていた。
出立の前、綾のもとへも、この白磁のことを伝えに行った。焼き上がった器を一つ、手土産に携えて。
「これは、見事な出来にござりますね」
綾は、その器を、光にかざして、しばらく眺めていた。
「唐物には、まだ届きませぬが」
「届かずとも、この島で焼かれたという、それだけで、値打ちがござります」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。数の上での値打ちだけでなく、生まれた場所そのものに宿る値打ちがある。それは、綾が、いつも、こちらより先に見出す種類のものだった。
「金子様への進物にも、この器を、お使いになるのですか」
「はい。お喜びいただけると、よろしいのですが」
「きっと、喜ばれましょう。誠のこもった贈り物には、誰しも、心を動かされるものにござりますゆえ」
その言葉を、わたしは、頭の帳に、静かに書き留めた。
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数日後、六郎太が、白磁の器を幾つか、丁寧に布に包んで、新居郡へ向かった。船に乗り込む六郎太の背に、わたしは、心の中で、道中の無事を祈った。
戻ってきたのは、それから十日ほど後のことだった。旅の疲れを、その顔に、隠しきれずにいた。それでも、六郎太の足取りには、確かな手応えのようなものが見えた。
館の板間で、六郎太は、旅の疲れも見せず、丁寧に報告を続けた。
「金子様の御館に、丁重に迎えていただきました」
六郎太は、そう報告した。
「白磁の器を、大層お喜びいただきました。近ごろ、細川方との境目で、多少の緊張があるとの由。それゆえ、此度の器も、ことのほか、ありがたい贈り物になったと、丁重に申されておりました」
「境目の緊張、とは」
わたしは、そう訊ねた。頭の中で、小さな警戒の音が、静かに鳴りはじめた。
「詳しゅうは、金子様の御家中も、口を濁しておられました。ただ、細川方の兵が、境目の村に、時折、姿を見せるようになったとの噂を、道中、幾度か耳にいたしました」
その報せに、わたしは、頭の中で、伊予と讃岐の地図を、丁寧に思い描いた。新居郡は、その境に近い。金子氏の所領は、まさに、その境目に位置している。
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「詳しゅうは、それがしにも分かりかねます。ただ、金子様の御家中の様子に、いつもより、いくらか張り詰めたものが、確かに、ござりました」
「他に、何か、気づいたことはなかったか」
わたしは、そう続けて訊ねた。
「城の普請場に、いつもより多く、人足が入っておりました。柵を新しく組み直しておるようで。境目の守りを、固めておられるのやもしれませぬ」
六郎太の報告に、わたしは、しばらく考え込んだ。
新居郡は、伊予と讃岐の境目に近い。金子氏は、河野氏に従いながらも、東隣の細川氏とも、誼を通じている家だと聞いていた。両属という、この時代の国境の武家によくある形だった。その均衡が、いま、揺らぎはじめているのかもしれなかった。
「案ずることはないのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「いまは、まだ、こちらが動くべき話ではござりませぬ。金子様と細川方のあいだの話に、余所者が口を挟むべきではござりませぬ。ただ、頭の隅には、留めておきとうござります」
「留めておいて、いったい、どうする」
「何かが起きたときに、慌てず、すぐに動けるようにしておきまする。備えておくことと、余計な口を挟むこととは、また別のことにござります」
弥九郎は、それを聞いて、頷いた。
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その夜、机に向かい、帳に、この日のことを書き留めた。
白磁、焼き上がる。唐物には及ばずとも、確かな一歩。金子氏への進物、六郎太が届ける。境目の緊張、気にかかる。細川方の兵、境目の村に姿を見せるとの噂。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。窯の壁を、また一つ越えた。だが、その先に、まだ、鉄分を除くという、最後の壁が残っている。同時に、新居郡の外側では、こちらの与り知らぬところで、何かが静かに動きはじめている気配があった。
一つの壁を越えるたびに、次の壁が、必ず見えてくる。それは、この島に来てから、ずっと変わらない道理だった。窯の火も、境目の緊張も、いまはまだ、遠くの出来事に過ぎない。だが、遠くの出来事が、いつか、この島の行く末に、直に関わってくることを、わたしは、これまでの日々で、幾度も学んでいた。
弥九郎が、部屋の外から、声を掛けてきた。
「まだ、書いておるのか」
「もう少しにござります」
「境目の話、そこまで気にかかるか」
わたしは、少し考えてから、答えた。
「金子様は、これまで、こちらの山への出入りを、黙って見過ごしてくださいました。その恩は、忘れてはおりませぬ。もし、あの御方の身に、何か大事があれば」
「案じておるのか」
「案じておる、というより……いずれ、こちらにも、何か関わりが生じるやもしれぬと、そう思うただけにござります」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく、じっと黙っていた。
「そのときが来たら、また考えればよい。いまは、まだ、遠い話だ」
「はい。いまは、まだ」
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弥九郎が去ったあと、わたしは、もう一度、灯を見つめた。今宵は、渡りのない夜だった。境目の話を聞いてから、弥九郎も、何か考え込む様子だった。
金子氏との縁は、まだ、進物を届け、挨拶を交わす程度の、細い糸に過ぎなかった。だが、細い糸も、幾年も撚り続ければ、いつか、太い綱になる。六島も、村上一党も、楠木党残党も、皆、そうして、少しずつ、この島との縁を太くしてきた。
金子氏との縁も、いずれ、同じ道を辿るのだろうか。それとも、境目の緊張が、思いがけない形で、その道筋を変えてしまうのだろうか。いまはまだ、誰にも分からなかった。
分からないことを、無理に急いで確かめようとはしなかった。ただ、頭の帳の隅に、静かに、その問いを書き留めておくだけだった。
外では、二月の冷たい風が、まだ、鋭く吹いていた。




