第十九話 明の陶工
応永三十一年(一四二四)十一月 伊予国 怒和島 下怒和
半年ぶりに、阿蓮の船が、また戻ってきた。
湊に降り立った阿蓮は、いつもの飄々とした顔をしていたが、その後ろに、見覚えのある人影が、ひっそりと立っていた。
痩せた、六十に近い男だった。日灼けした顔には、深い皺が刻まれ、職人らしい、節くれ立った指をしている。だが、その顔立ちには、確かに、見覚えがあった。
「まさか」
わたしは、思わず、そう漏らした。
「呉徳全殿」
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その名を呼ぶと、呉徳全は、こちらをじっと見つめ、それから、ゆっくりと頷いた。
「久しゅうござるな。忘れられておらぬとは、思うてもみなんだ」
その言葉に、わたしは、胸の奥が、一気に熱くなるのを感じた。忘れるはずがなかった。徳化の窯場で、幾度も頭を下げ、日本へ来て、その腕を貸してほしいと頼み込んだ、あの日のことを。
「忘れるものにございましょうか。呉徳全殿には、あの折、はっきりとした言葉をいただきました。あんたには、焼く場所がない、と」
「言うた。あれは、嘘ではなかった」
呉徳全は、そう言って、微かに笑った。
「いまも、その言葉に、変わりはござりませぬ。ただ、こちらの事情が、変わりましてござります」
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「よう、承知してくださったな」
弥九郎が、そう訊ねた。呉徳全は、こちらの言葉が、まだ半分ほどしか分からぬ様子で、阿蓮のほうを見た。阿蓮が、それを、明の言葉で、手短に伝える。
「容易ではなかった。呉徳全殿は、徳化で、幾十年も、同じ窯場に根を張ってこられた御方だ。声を掛けても、初めは、けんもほろろに断られた」
阿蓮は、そう答えて、少し肩をすくめた。
「口説き落とすのに、幾月もかかった」
「なぜ、幾月も」
わたしは、そう訊ねた。
「呉徳全殿は、あんたの名を、よう覚えておられた。徳化まで来て、頭を下げた小娘がおったと。あのとき断ったのは、あんたに焼く場所がなかったからだと、はっきり申された。だから、俺は、まず、それを確かめに来た。焼く場所は、本当に、できたのかと」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「窯は、できましてござります。連房式の登り窯、この島に、この手で築きました。粗い陶器までは、既に焼けており申す」
阿蓮が、それを、呉徳全に伝えた。呉徳全は、しばらく黙っていたが、やがて、静かに口を開いた。明の言葉だった。
「窯があると聞いて、来た。それだけのことだ」
その言葉を、わたしは、そのまま、聞き取っていた。徳化で幾年も暮らした言葉は、まだ、しかと身の内に残っていた。だが、それを、いま、この場で明かす要はまだない。阿蓮の通詞に任せたまま、わたしは、黙って頷いた。
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館へ案内する道すがら、呉徳全は、ほとんど口を利かなかった。ただ、周りの景色を、注意深く見回している。その目には、警戒と、値踏みとが、同時に浮かんでいるように見えた。
明の言葉で、わたしは、そっと声を掛けた。
「長い船旅で、お疲れにござりましょう」
呉徳全は、少し驚いた顔をした。
「明の言葉、忘れておらなんだか」
「忘れるはずがござりませぬ。徳化での日々は、わたくしにとって、確かな学びの時にござりました」
その答えに、呉徳全は、初めて、はっきりと表情を緩めた。
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だが、島の者たちとのあいだには、なお、言葉の壁が立っていた。太郎丸や次郎丸、弥九郎とのやり取りには、通詞が要る。
「誰か、片言でも明の言葉を話せる者を、常に置いておきとうござります」
わたしは、阿蓮に、そう告げた。
「俺の船に、若い水手が一人おる。徳化の生まれで、日本語も、多少は解する。しばらく、島に留め置くことはできるが」
「それは、助かりまする」
若い水手、名は、林太といった。その日から、呉徳全の傍らに置かれることになった。
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館に着くと、呉徳全には、まず、風呂と、飯を用意した。
飯を出すと、呉徳全は、しばらくのあいだ、それをじっと見つめていた。それから、静かに、箸を手に取り、口へ運んだ。
「明の膳とは、また違うが」
わたしが、そう声を掛けると、呉徳全は、小さく頷いた。
「違う。だが、悪うはない」
その一言に、わたしは、微かに笑った。徳化で見た、あの寡黙な職人の物言いは、幾年経っても、変わっていなかった。
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翌日から、呉徳全を、窯へ案内した。
太郎丸と次郎丸が、既に築いていた連房式の登り窯を見せると、呉徳全の目つきが、明らかに変わった。職人としての目だった。窯の造りを、あちこち、丹念に確かめて回っている。
「悪うはない造りだ」
呉徳全は、そう言った。わたしが、それを、太郎丸たちに伝える。
「ただし、火の通り方に、幾らか偏りがある。この場所を、少し直せば、もっと均一に、火が通るはずだ」
その言葉に、太郎丸が、思わず、目を見開いた。
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「その差こそが、明の技と、我らの技の、違いにござろうか」
太郎丸が、そう訊ねた。わたしが、それを、明の言葉に直して伝えると、呉徳全は、少し考えてから、答えた。
「窯そのものの造りは、悪くない。ただ、火の通り方を読む、細かな勘所が、まだ足りぬ」
「その勘所を、教えていただけるか」
太郎丸が、そう問うと、呉徳全は、初めて、微かに笑った。頷きながら、何事かを、長く語った。
「教えると申しております。ただし、一朝一夕には、決して身につかぬとも」
呉徳全は、続けて、窯の内壁に使われている土煉瓦を、指の背で、軽く叩いた。
「この壁の土も、いずれ、もっと強い物に変えねばならぬ。いまの土では、白磁のような、繊細な焼きには、到底、耐えられぬ」
「強い物、とは」
太郎丸が、そう訊ねると、呉徳全は、しばらく、言葉を選ぶようにしていた。
「一度には、語り尽くせぬ。土に混ぜる物、練り方、焼き方。一段ずつ、上げていかねばならぬ道のりだ。焦らず、一つずつ、身につけていけ」
その言葉を、わたしが、太郎丸たちに伝えた。太郎丸は、まだ、はっきりとは飲み込めぬ様子だったが、深く頷いた。この一言が、いつか、どれほどの重みを持つことになるのか、その場の誰も、まだ、正しくは分かっていなかった。
その答えに、わたしは、少し安堵した。呉徳全が、少なくとも、この窯を、蔑ろにするつもりはないらしいと分かったからだった。
案内の途中、少し離れた場所に築かれかけの、もう一つの窯を、呉徳全は、目に留めた。太郎丸と次郎丸が、島の若い衆を幾人か使い、樫の木を積み上げているところだった。
「あれは、何を、焼く窯だ」
呉徳全が、そう訊ねた。わたしは、明の言葉で、備長炭のことを、かいつまんで説明した。硬く、火持ちがよく、薪よりも高く、安定した熱を保てる炭を、樫の木から焼き出す試みだと。
呉徳全は、しばらく、黙って、その普請を見つめていた。
「そのような炭が、本当に焼けるなら、窯の隅々まで、火の強さを揃えられよう。話には、聞いたことがない技だが」
「まだ、わたくしどもも、手探りにござります。呉徳全殿の目から見て、この普請、何か、直すべきところはござりましょうか」
わたしは、そう訊ねた。呉徳全は、少し歩み寄り、積まれた木の並びを、指で軽く叩いた。
「木を詰めすぎている。これでは、中まで、蒸し焼きにならぬうちに、外側だけ、灰になってしまう。もう少し、間を空けるべきだ」
その指摘に、太郎丸が、目を見開いた。窯そのものの技は違えど、火を読む目は、明と、この島の一族とで、確かに通じ合うものがあった。呉徳全は、まだ見ぬ技にも、職人としての勘だけで、的確に踏み込んでくる。その姿を見て、わたしは、阿蓮が幾月もかけて口説き落としてくれた、この縁の重みを、あらためて実感していた。
その日から、呉徳全は、毎朝、窯へ通うようになった。太郎丸・次郎丸と、林太の片言の通詞を頼りに、少しずつ、意思の疎通が図れるようになっていった。
「陶石の練り方から、教えていただこうと思うております」
太郎丸が、そう告げると、呉徳全は、実際に土を手に取り、水を加えながら、練りはじめた。その手つきは、これまで見てきた、太郎丸たちの手つきとは、また違う滑らかさがあった。同じ土を扱う仕事でも、明で培われた技には、独特の間合いがあるようだった。
次郎丸が、その手元を、食い入るように見つめていた。
「これが、明の技にござるか」
その呟きに、呉徳全は、何も答えなかった。ただ、黙々と、土を練り続けていた。
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数日後の夜、館の広間で、呉徳全と、あらためて、差し向かいで話す機会があった。林太も、その場に控えていたが、明の言葉が通じる分、多くは要らなかった。
「妻子は、明に、残しておられるのか」
わたしは、そう訊ねた。ずっと、気にかかっていたことだった。
呉徳全は、しばらく黙っていたが、やがて、頷いた。
「息子が、二人。上の息子には、窯場での、わしの居場所を、そのまま譲ってきた。あちらの暮らしは、案じずともよい」
その答えに、わたしは、少し安堵した。だが、続く言葉に、また、胸を突かれた。
「案じておるのは、わし自身のことだ。この歳で、幾十年も根を張った土地を捨て、異国の島へ渡る。二度と、故郷の土を踏めぬかもしれぬ。その覚悟だけは、しかと、持ってきた」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
「その覚悟に見合うだけの支えを、この島に、必ず、揃えてみせまする。窯を築く場所、薪を運ぶ道、売り先、窯を守る人手。呉徳全殿が、あの折、足りぬと仰った、そのすべてを」
呉徳全は、それを聞いて、静かに、深く頷いた。
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その言葉に、わたしは、何も言い返せなかった。
阿蓮を通じて、明の陶工を呼び戻す。その一言の裏に、これほど重い覚悟が隠れているとは、正しく見積もっていなかった。技術を運ぶことは、同時に、人の暮らしそのものを、根こそぎ動かすことでもあった。その重みを、自分は、あまりに軽く見ていた。
「二度とお戻りになれぬなどとは、決して申しませぬ。阿蓮の船は、これからも、幾度も、この島と明を行き来しまする。息子御たちの様子も、いずれ、お伝えできましょう」
わたしは、そう答えた。
呉徳全は、それを聞いて、静かに頷いた。
「それだけで、十分だ」
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その日の夕方、幸松を呼んで、呉徳全のことを話した。
「言葉は、わたくしと林太を介せば、なんとか通じる。だが、それだけでは、足りぬ日もあろう。ただ、傍におってくれるだけで、よい」
幸松は、少し考えてから、頷いた。
「それがしも、この島へ流れ着いたばかりの頃、誰も、言葉を交わしてくれる者がおりませんでした。ただ、傍に誰かがおるだけで、少し、気が楽になった覚えがござります」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「幸松にも、明の言葉を、少しずつ教えておきましょう。呉徳全殿とのあいだに、じかに言葉が通うようになれば、それだけ、支えになれる形も増えましょう」
幸松の目が、少し輝いた。
「習うても、よろしいのですか」
「よい。むしろ、この島には、明の言葉を話せる者が、もっと要る。阿蓮殿だけに、いつまでも頼るわけにもいかぬ」
わたしは、そう答えた。頭の中では、既に、幸松のほかにも、幾人かの若い衆に、少しずつ明の言葉を教える段取りが、静かに組み上がりはじめていた。技術だけでなく、言葉もまた、島に根を張らせるべき力の一つだった。
翌朝、幸松は、呉徳全の小屋を訪ね、傍に座った。何を話すでもなく、ただ、並んで、海を眺めていたという。言葉はほとんど通じずとも、その静かな時間が、呉徳全の心に、いくらかの安らぎをもたらしたのかどうか、わたしには、まだ、確かめる術がなかった。
その夜、灯を消す前に、帳に、この日のことを書き留めた。
明の陶工、呉徳全殿、来訪。徳化で断られたあの折の言葉、忘れておられなんだ。窯の技を見立て、悪くはないと。妻子は明に残すも、覚悟の上での渡来と判明。幸松を傍につける。
筆を置き、書きながら、徳化の窯場で頭を下げた、あの日のことを、もう一度、静かに思い浮かべた。あの頃は、ただ、断られたことしか覚えていなかった。だが、いま思えば、あの言葉は、拒絶ではなく、条件だった。焼く場所さえあれば、また会おう——そう言われていたのだと、いまになって、ようやく気づいた。
その気づきの重さを、わたしは、しばらく、噛みしめていた。人は、断られたことだけを覚え、その裏にある条件を、見落としてしまうことがある。あの日の自分も、まさに、そうだった。
外では、冬の初めの風が、冷たく吹きはじめていた。呉徳全は、いま、あてがわれた小屋で、どんな夜を過ごしているのだろうか。故郷に残した息子たちのことを、思い浮かべているのかもしれなかった。
翌日、綾のもとへ、この一件を伝えに行った。
「明から来た陶工が、二度と故郷の土を踏めぬかもしれぬ、と覚悟して参られたと」
綾は、機の手を止めて、しばらく黙っていた。
「その覚悟を、その方は、独りで抱えておられるのですね」
「はい。分からぬまま、案じさせております」
綾は、少し考えてから、続けた。
「言葉が通じずとも、傍におる者が要りましょう。独りにさせぬことが、いまは、何よりの支えにござります」
わたしは、その言葉を、頭の帳に、深く書き留めた。数では計れない支えを、綾は、いつも、こちらより先に見つけ出す。
「幸松に、既に頼んでおります」
「それは、よい人選にござります。あの子は、流れてきた者の心細さを、誰よりもよう知っておりましょう」
その見立てに、わたしは、頷いた。
「もう一つ、伝えておきたいことがござります」
わたしは、そう続けた。
「呉徳全殿が、あの折の言葉を、律儀に覚えておられたこと。あれは、わたくしにとって、思いがけぬことにござりました。断られた言葉ばかりを覚えて、その裏にある望みまでは、見ようとしておりませんでした」
綾は、それを聞いて、微かに笑った。
「人は、皆、そういうものにござりましょう。拒まれた痛みばかりが、まず、胸に残る。その奥にあるものまで見えるのは、時が経ってからのこと」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。綾の目は、いつも、こちらが見落としているものを、静かに拾い上げてくれる。呉徳全という一人の職人を、この島に迎え入れられたことの意味を、あらためて、しかと胸に刻んだ。
その夜は、渡りのない夜だった。弥九郎は、呉徳全の宿の普請を見に、まだ隠れ里に残っている。独りで書く帳の一行が、今夜は、いつもより、いくらか長くなった。




