第十八話 窯に、火
応永三十一年(一四二四)六月 伊予国 怒和島 下怒和
久蔵の甥たち、名は、太郎丸と次郎丸といった。二人が、窯の普請にかかって、ひと月が過ぎた。
隠れ里の外れ、木立に囲まれた平地に、連房式の登り窯が、少しずつ、形を成していった。斜面に沿って、幾つもの焼成室が段々に連なる、明で見た窯と、同じ型だった。
「これほどの窯を、この短い間に築けるとは、驚き入った」
わたしは、その様子を見て、素直に感嘆した。
太郎丸が、少し誇らしげな顔をした。
「宋の世より、我らの一族に伝わる技にて。窯そのものを築くことだけなら、幾度もやってまいり申した」
太郎丸と次郎丸は、年の頃、二十を幾つか超えたばかりの兄弟だった。二人とも、無口だが、手を動かしているときだけは、生き生きとした顔つきになる。隠れ里に紛れて生きてきた歳月の分だけ、外へ出て働くことに、いくらかの飢えを抱えているようにも見えた。
「土は、どこから運ぶ」
わたしは、そう訊ねた。
「窯の壁には、この山の土で十分にござる。じゃが、器を焼く土、陶石は、砥部から取り寄せねばなりませぬ」
次郎丸が、そう答えた。既に、砥部との商いの筋は、島の中で確立されていた。石を運ぶ手筈も、伊佐次の一党が、既に幾度も行き来した道を通じて、滞りなく整えられた。
---
窯の壁は、粘土と石を積み重ねて作られていた。焼成室ごとに、火を通す小さな穴が幾つも空けられ、下から上へ、火が段々に伝わる仕組みになっている。
「一度に、これほど多くの数を、焼けるのか」
弥九郎が、そう訊ねると、次郎丸が、頷いた。
「この窯なら、一度に、大きな甕から小さな皿まで、幾百とでも焼けましょう。ただし」
「ただし」
「初めのうちは、まだ、この窯の癖を、我らも掴みきれておりませぬ。火の通り方、温度の上がり方、窯によって、少しずつ違うものにて」
その言葉に、わたしは、しかと頷いた。何度も失敗を重ねなければ、正しく使えるようにはならない。それは、これまで、島でやってきたことと、まったく同じ道理だった。
---
窯がようやく完成し、初めて火を入れる日は、朝から、島の者たちが、幾人か集まってきた。
砥部から取り寄せた陶石を砕き、練り上げた土を、太郎丸と次郎丸が、丁寧に器の形に仕上げていく。その手つきは、慣れたものだった。窯を築く技と、器を成形する技とは、また別のものだと聞いていたが、二人は、どちらも、それなりに心得ているようだった。
「では、火を入れまする」
太郎丸が、そう告げると、最下段の焚き口に、薪がうずたかく積まれ、火が放たれた。
炎が、ゆっくりと、窯の奥へ、さらに奥へと這っていく。煙が、幾つもの穴から、細く、静かに立ち昇りはじめた。
わたしは、その様子を、じっと見つめていた。胸の奥で、期待と、それを上回る不安とが、同時に、静かに渦巻いていた。
---
火は、丸一日、絶やさず焚き続けられた。
太郎丸と次郎丸は、交代で、火の番についた。薪をくべる間合い、火の色を見て温度を推し量る目つき、そのどれもが、幾代もかけて体に染み込んだ技だった。
夜になっても、火は落とされなかった。わたしは、その様子を見に、隠れ里まで足を運んだ。
闇の中に、窯の焚き口から漏れる、赤い光だけが、ぼんやりと浮かんでいる。その光を見つめる太郎丸の横顔は、昼間よりも、いっそう真剣な色を帯びていた。
「眠らずともよいのか」
わたしが、そう声を掛けると、太郎丸は、目を離さぬまま、答えた。
「この炎から、目を離すわけには、まいりませぬ。少しでも、火の勢いが乱れれば、器がすべて、駄目になり申す」
その言葉に、わたしは、頷いた。一昼夜、絶やさず見守り続けるという仕事の重さを、あらためて思い知らされた。
「代わろうか」
「いえ。これは、我らの一族の仕事にござる」
太郎丸は、そう言って、微かに笑った。その笑みに、誇りのようなものが滲んでいた。
「まだか」
弥九郎が、幾度も、そう訊ねた。
「まだにござる。あと半日ほどは、このまま」
太郎丸が、そう答えるたびに、弥九郎は、落ち着かない様子で、窯の周りを歩き回った。この男が、こうまで待てぬ顔をするのは、珍しいことだった。
「殿も、案外、気の短いところが、おありにござりますね」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、少し照れたような顔をした。
「初めての窯だ。気になるのは、当たり前だろう」
そう言いながらも、弥九郎は、窯から目を離さなかった。この男もまた、期待を抑えきれずにいるのだと、その横顔から、はっきりと分かった。
---
火を落としてから、窯が冷めるまで、さらに一日が要った。
その翌朝、窯の扉が、ようやく開かれた。
中から取り出されたのは、いくつもの器の数々だった。碗、皿、小さな甕。厚みがあり、色は、白磁と呼ぶには、まだほど遠い、鈍い灰色をしていた。
太郎丸が、その一つを手に取り、指で弾いた。乾いた、しっかりとした音がした。
「割れてはおりませぬ。焼き締まっており申す」
だが、窯の中でも、場所によって、焼け方に、はっきりとした差があった。焚き口に近いところは、しっかりと焼き締まっているが、奥のほうは、まだ、幾らか生焼けの色が残っている。
「これは」
わたしは、その器を、手に取ってみた。ずしりと重い。表面には、細かい凹凸が残っている。唐物の白磁のような、なめらかな艶は、どこにもなかった。
---
「これでは」
わたしは、思わず、そう漏らした。
太郎丸と次郎丸が、少し気まずそうな顔をした。
「窯という壁は、越えられ申した。じゃが、これでは、姐さんの望む、明の白磁のようなものには、まだ、遠うござる」
太郎丸が、そう言った。声に、悔しさが滲んでいた。
「陶石の練り方が、悪いのか」
「それもござりましょう。じゃが、それだけとも思えませぬ。我らの技は、あくまで、高火度の陶器までにて。これより先の、土の選び方、釉薬の掛け方は、我らの一族には、伝わっておらぬ技にござる」
その正直な答えに、わたしは、しばらく、言葉を失った。
だが、それだけではない。窯の奥のほうが、まだ生焼けだったこと。あれは、土や釉薬の話ではなく、火そのものの通り方の話だった。
「薪だけでは、窯の隅々まで、同じ火の強さを、行き渡らせるのは難しいのではないか」
わたしは、そう訊ねた。太郎丸が、頷いた。
「仰るとおりにて。薪は、火の勢いにむらが出やすうござる。焚き口の近くばかりが、先に焼け、奥へ届く頃には、火が幾らか弱っており申す」
その言葉に、わたしの頭の中で、前の生で読んだ、どこかの記事の記憶が、ふと蘇った。備長炭。海に近い、乾いた崖地に自生する、姥目樫という硬い木を、窯の中でじっくりと焼き締め、白い灰をまとわせて仕上げる、極めて硬く、火持ちのよい炭。薪よりも、はるかに高く、はるかに安定した熱を、長く保てる炭だった。まだ、この時代には、影も形もない技のはずだった。
「炭を使えば、火の強さを、もっと安定させられるのではないか」
わたしは、そう口にした。太郎丸が、怪訝な顔をした。
「炭は、確かに火持ちはよろしゅうござる。じゃが、これほどの窯を、丸一日焚き通すだけの炭を、どこから」
「作ればよい」
わたしは、そう答えた。頭の中には、姥目樫のような、硬く、乾いた土地に育つ木を、じっくりと蒸し焼きにし、白い灰をまぶして仕上げる工程が、朧げながら浮かんでいた。前の生で、幾度か、名だけは耳にしたことのある製法だった。手順のすべてを覚えているわけではない。だが、木を選び、窯の中で低い温度から時をかけて焼き、最後に一気に灰をかぶせて締める。その大筋だけは、確かに頭にあった。
「炭を焼く窯は、また、この窯とは、別に要るということか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「はい。ですが、いま作れば、次の窯焚きから、間に合いましょう」
太郎丸と次郎丸は、顔を見合わせた。窯を築く技には長けていても、これほど硬く火持ちのよい炭を焼く技は、二人の一族にも伝わっていないものだった。だが、その目には、新しい技への好奇の色が、確かに浮かんでいた。
手に取った器を、何度も、指でなぞった。粗い肌触りが、指先に、はっきりと伝わってくる。前の生で見た、なめらかな白磁の器とは、あまりに違う。だが、それでも、これは、土から人の手で作り出された、確かな器だった。
期待が大きかった分、落胆も、それだけ、深く重かった。だが、その落胆を、太郎丸と次郎丸の前で、露わにするわけにはいかなかった。二人は、既に、精一杯のことをやってのけていた。
---
窯という、これまで最大の壁だと思っていたものは、確かに越えた。連房式の登り窯は、実際に立ち、火も入り、器は割れずに焼き上がった。だが、その先に、もう一つ、別の壁があることが、いま、はっきりと見えていた。
「これでも、使い道は、確かにござります」
わたしは、気を取り直して、そう言った。
「日用の器としてなら、十分に使えましょう。塩を運ぶ甕、水を汲む碗。何一つとして、無駄にはなりませぬ」
太郎丸は、それを聞いて、少し安堵した顔をした。
「されど、姐さんが望んでおられたものには、まだ、届いておりませぬ」
「届いておらぬ。それは、確かにござります」
わたしは、はっきりと、そう答えた。
---
その夜、弥九郎と、あらためて、この日の結果を話し合った。
「窯は立った。だが、まだ足りぬか」
弥九郎が、そう言った。
「はい。窯という壁は越えました。ですが、本物の磁器を焼くには、もう一段、別の技が要りまする」
「別の技とは」
「陶石の調合、釉薬の掛け方。これは、明の陶工でなければ、持たぬ技にござります」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく考え込んでいた。
「明の陶工を、連れてくるということか」
その一言に、わたしは、少し息を止めた。それは、これまで、頭の隅で、幾度も思い描いてきたことだった。だが、口にすれば、それだけの重みを持つ話になる。
頭に浮かんだのは、たった一人の顔だった。呉徳全。徳化の窯場で、幾度も頭を下げ、日本へ来て、その腕を貸してくれと頼み込んだ相手だった。あのとき、彼は、静かに、こう告げた。「あんたには、焼く場所がない」と。行く先に、焼く場所も、支えもないまま、人だけを呼ぼうとした。あれから、幾年も経った。いまなら、焼く場所は、確かにある。この窯が、それだった。
明の陶工を連れてくるということは、ただ技を運ぶだけでは済まない。言葉の通じぬ、この国を憎んでいるかもしれない一人の人間を、この島に留め、生きさせるということだった。そこには、これまで積み上げてきた技術の壁とは、また別の種類の難しさが待っている。
わたしの中には、既に、その難しさの輪郭が、朧げながら見えはじめていた。だが、それを口にする前に、まず、目の前の弥九郎に、しっかりと考えを伝えねばならなかった。
---
「明の陶工を連れてくるのは、容易なことではござりませぬ」
わたしは、そう答えた。
「言葉が通じませぬ。日本人を憎んでおるやもしれませぬ。連れてきたところで、この島に留まってくれる保証もござりませぬ」
「それでも、要ると」
「はい。窯という壁は越えました。この壁を越えた勢いを、無駄にはしとうござりませぬ」
弥九郎は、腕を組んで、しばらく黙っていた。
「お前が、そこまで言うなら、当てはあるのか」
「一人、心当たりが、ござります」
わたしは、そう答えた。
「徳化におりました頃、世話になった陶工にござります。名を、呉徳全と申しました。日本へ来て、その腕を貸してほしいと頼んだとき、その方には、断られましてござります。あんたには焼く場所がない、と」
「断られたのに、頼るのか」
弥九郎が、不思議そうな顔をした。
「あの時分は、確かに、場所がござりませんでした。いまは、違いまする。この窯が、その場所にござります」
「では、まず、阿蓮に、当たってみるか」
弥九郎が、そう言った。
「よい思いつきにござります。阿蓮なら、明の伝手を、幾らか持っておりましょう。呉徳全殿がいまどこにおられるか、次に来た折に、まず、探ってもらいとうござります」
「気長な話になりそうだな」
「気長な話にござります。ですが、いままでも、そうして、一つ一つ、形にしてまいりました」
弥九郎は、それを聞いて、頷いた。
---
灯を消す前に、帳に、この日のことを書き留めた。
窯、ようやく完成。火を入れ、器を焼く。焼き締まりはしたが、白磁には遠い、粗い陶器止まり。火の通りにむらがあると判明、炭窯を別に築くことを決す。次の壁は、明の陶工。心当たりは呉徳全殿。
書き終えて、しばらく、その一行を、じっと見つめた。太郎丸と次郎丸の悔しそうな顔を、もう一度、思い出した。あの二人は、幾代もかけて伝えてきた技を、初めて日の当たる場所で使い、それでも、望まれたものには届かなかった。その落胆の重さを、わたしは、勘定の外側で、静かに感じ取っていた。
窯という壁は越えた。だが、越えた先には、また新しい壁が立っている。それが、この島でずっと続いてきた道だった。一つ越えれば、次が見える。次を越えれば、また次が見える。その繰り返しに、疲れを覚えることは、もう、ほとんどなくなっていた。
むしろ、壁が見えるたびに、次にすべきことが、はっきりと形になっていく。その感覚のほうが、いまは、疲れよりも、はるかに勝っていた。
外では、六月の夜風が、湿った土と、焼けた薪の匂いを、まだ微かに運んでいた。
翌朝、隠れ里を訪ねると、太郎丸と次郎丸が、まだ、窯の前に座り込んでいた。夜通し、悔しさを噛みしめていたのだろう、二人とも、目の下に、隈ができていた。
「昨夜は、眠れなんだか」
わたしが、そう声を掛けると、太郎丸が、顔を上げた。
「面目次第もござりませぬ。姐さんの御期待に、応えられず」
「詫びることはない」
わたしは、はっきりと、そう言った。
「そなたたちは、宋伝来の技を、確かに、この島で使うてみせた。窯という壁は、そなたたちがおらねば、越えられなんだ。その手柄を、忘れはせぬ」
次郎丸が、少し、驚いた顔をした。
「それでも、望まれたものには、届いておりませぬ」
「届かぬところは、次に埋める。それだけのことだ」
---
その日のうちに、焼き上がった器の幾つかを、島の日々の暮らしに回すことにした。塩を運ぶ甕、水を汲む碗、粟を炊く鍋敷き。台所を預かる女たちも、新しい器の到来を、それぞれに喜んでいた。粗い器も、使い道さえ選べば、無駄にはならなかった。
太郎丸と次郎丸は、その様子を見て、いくらか、表情を和らげた。
「これでも、役に立つのですな」
「立つ。むしろ、これからも、日用の器は、こちらで焼いていただきたい。本物の磁器とは、また別の値打ちがある」
わたしは、そう言って、二人に、これからも窯を使い続けてほしいと伝えた。無駄になった設備ではない。次の段への、確かな足場だった。
太郎丸が、少し考えてから、口を開いた。
「明の陶工が来られたなら、我らの技も、その方から、学ばせていただけましょうか」
その申し出に、わたしは、少し驚いた。
「学びたいのか」
「はい。我らの技は、窯を築くところで、止まっており申す。その先の技まで身につけられれば、いずれ、我らの一族だけで、本物の磁器を焼けるようになるやもしれませぬ」
その言葉に、わたしは、深く、静かに頷いた。
「よい心がけだ。明の陶工が来た暁には、必ず、そなたたちにも、学ぶ機を、しかと作ろう」
太郎丸と次郎丸は、それを聞いて、初めて、晴れやかな顔を見せた。悔しさの中から、次への意欲が、静かに、確かに、芽生えているのが見て取れた。その顔を見て、わたしも、いくらか、心が軽くなるのを、確かに感じた。
「炭窯のほうは、いつごろから、手をつけられそうか」
わたしは、そう訊ねた。太郎丸は、少し考えてから、答えた。
「木の伐り出しは、既に手配いたしました。あとは、窯の形を決めるだけにて。十日もあれば、普請にかかれましょう」
「頼む。これも、明の陶工を迎えるまでの、大事な下ごしらえだ」
「面白うござる。宋伝来の窯とはまた違う代物、やってみとうござります」
次郎丸が、そう言った。声に、久しぶりに、張りが戻っていた。
その夜、渡ってきた弥九郎に、備長炭の思いつきを話すと、少し呆れたような顔をされた。「また、聞いたこともない代物を、よう思いつく」。その呆れ方には、しかし、いつもの信の色が、はっきりと滲んでいた。
翌朝、綾のもとへも、窯のことを伝えに行った。粗い陶器しか焼けなかったと聞くと、綾は、少し考えてから、こう言った。
「日用に使えると仰っただけでは、太郎丸殿たちの気は、まだ晴れますまい。あの二人は、唐物という物差しでしか、己の腕を測れずにおるのでしょう。その物差しでは、いつまで経っても、届かぬ器でしかない」
「では、いかがすれば」
「唐物とは違う物差しを、まず、千代殿御自身が、お持ちになることにござります。同じ物差しで測る限り、あの二人は、いつまでも、己を負けたままだと思い続けましょう」
その一言に、わたしは、少し虚を突かれた。日用に使えるかどうかという、こちらの勘定は、あくまで、器の値打ちを測る物差しだった。だが、太郎丸たちが本当に欲しているのは、器の値打ちではなく、己の腕そのものへの、別の測り方だったのかもしれない。
台所のほうでは、幸松が、焼き上がったばかりの粗い甕を、大事そうに抱えて運んでいた。塩を入れるのだと、誰に頼まれたわけでもなく、自分で決めて動いていた。




