第十六話 北条の血
応永三十一年(一四二四)四月 伊予国 怒和島 下怒和
詮議の一件から、ひと月ほど経った頃、行然が、館を訪れ、隠れ里の中の、ある一家について、あらためて話を切り出してきた。
「久蔵殿の、あの一族のことにござる」
行然が、そう切り出した。わたしは、手を止めた。行然が、これほど改まった調子で話を切り出すのは、珍しいことだった。
「あの、楠木公の面影を見たと申された、御老人のことか」
わたしが、そう確かめると、行然は、頷いた。
「さよう。あの御仁の一族は、少々、他とは違う筋を持っており申す」
「違う筋、とは」
行然は、しばらく言葉を選ぶように、間を置いた。
「久蔵殿の一族は、代々、金堀りと、鍛冶と、陶工の技を継いでこられた家系にて。宋の世より伝わったと申す、古い技にござる」
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「宋より、とは」
わたしは、思わず、身を乗り出した。
「鎌倉の御代、得宗家が、宋・元との交易を盛んに行うておったと聞き及びます。建長寺を再建する費えのため、宋へ船を出したことも。その折に、大陸より渡ってきた職人が、この国に土着した——久蔵殿の一族は、その末にあたると申しておられる」
「では、久蔵殿の一族は」
わたしは、そこで、行然の目を見た。
「楠木党の一族では、ないのですか」
行然は、静かに首を振った。
「楠木党の一族ではござらぬ。久蔵殿の一族は、もとは、北条の血を引く家系にて」
その一言に、わたしは、しばらく、言葉を失った。
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北条。教科書の太字の一つだった。鎌倉幕府を、長く支えてきた家。だが、その先のことは、詳しくは知らない。いつ滅び、その後の一族がどうなったのかは、頭の中で霞んでいた。
前の生で覚えているのは、ほんの断片だった。鎌倉が滅びたこと。その後、京に新しい政の形ができたこと。だが、滅びたあとの一族が、どこへ散り、どう生き延びたのかという細部は、教科書の太字には載っていなかった。それは、島門という湊の運命が、どこにも記されていなかったのと、同じ種類の空白だった。
大きな家の滅亡でさえ、その先の枝葉は、歴史には残らない。目の前の久蔵の一族が、まさにその、記録に残らなかった枝葉の一つなのだと思うと、不思議な感慨があった。
「北条の血が、なぜ、いま、この隠れ里に」
「鎌倉が滅びたのち、北条の残党の一部は、あちこちに散り申した。中には、南朝に帰順し、足利討伐のために戦うた者もおったと聞き及びます」
「南朝に、帰順」
「はい。かつて敵であった者が、共通の敵——足利——を前に、手を結んだ例にござる。久蔵殿の一族も、その帰順した筋の末裔にて。以来、幾代にもわたって、それがしどもと、同じ隠れ里の連なりの中で、共に生きてまいりました」
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「もとは、敵同士だったと」
わたしが、そう繰り返すと、行然は、頷いた。
「さよう。楠木党にとって、北条は、そもそも討つべき相手にてござった。じゃが、それも、もう百年近く前の話。いまでは、同じ苦難を分かち合う者同士として、隠れ里の中で、暮らしを共にしており申す」
その言葉の中に、まだ、微かな緊張が滲んでいるのを、わたしは感じ取った。百年という歳月は、恨みを消すには十分に長い。だが、消えたのではなく、ただ、埋もれただけなのかもしれなかった。
「楠木党の方々の中には、いまも、北条の血を、快う思わぬ者は」
わたしは、そう訊ねた。踏み込みすぎた問いかもしれないと思いながらも、確かめずにはいられなかった。
行然は、少し間を置いてから、答えた。
「おらぬ、とは申せませぬ。年配の者の中には、いまだに、遠い先祖の因縁を、忘れきれぬ者もおり申す。ただ、日々の暮らしの中で、それを表に出す者は、まずおりませぬ。共に生き延びねばならぬという事実が、古い因縁より、重うござるゆえ」
「重さの順が、いつのまにか、変わったと」
「さよう。生き延びるという重さの前では、百年前の因縁も、少しずつ、確かに、力を失うてまいり申す」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。損得ではなく、生き延びるという、もっと切実な理由が、二つの一族を結びつけている。それは、こちらがこれまで積み上げてきた、得で結ぶやり方とは、また別の種類の結びつきだった。
「久蔵殿御自身は、その古い因縁を、いま、どう思うておられるのでしょうか」
「あの御仁は、多くを語られませぬ。ただ、時折、遠い目をして、こう申されることがござる。敵味方も、百年も経てば、同じ隠れ里で肩を並べる、と」
その一言に、わたしは、胸の奥で、何かが小さく震えるのを感じた。
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「その技を、いま、こちらでお借りしたく思うております」
わたしは、そう切り出した。
「別子の山で、金を含む石が出ることは、既に確かめております。ですが、掘り当てるのは、山に慣れた者の勘と経験がなければ、できませぬ」
行然は、少し考えて、頷いた。
「久蔵殿の一族には、金堀りの技を継ぐ者が、幾人か、おり申す」
「それだけではござりませぬ」
わたしは、続けた。
「窯を築く技も、お持ちだと伺いました。この島では、磁器を焼くことを、いま、進めております。窯を築ける者がおれば、大きな力になりましょう」
行然は、その申し出に、しばらく黙っていた。
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「久蔵殿御自身に、伺うてみましょう。あの御仁の一族が、どこまで、力を貸してくれるかは、それがしにも、確かなことは申せませぬ」
「無理強いは、いたしませぬ」
「いや」
行然は、そう言って、微かに笑った。
「久蔵殿の一族は、長く、日の当たる仕事から遠ざかっており申した。宋伝来の技を、ただ隠れ里の内で細々と使うだけの日々が、幾代も続いておった。もし、その技を、外で活かせる場が与えられるのなら、あの御仁も、喜ばれるやもしれませぬ」
その言葉に、わたしは、少し安堵した。
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数日後、久蔵が、みずから、館を訪れた。
歳の頃、六十を超えている。詮議の使いの前で見せた、あの動じない落ち着きは、この日も変わらなかった。
「行然殿より、話は伺うており申す」
久蔵は、そう切り出した。
「別子の山と、この島の窯にござるな」
「はい。久蔵殿の御一族の技を、ぜひとも、お借りできればと」
久蔵は、しばらく、こちらの顔を、静かに見ていた。
「一つ、申し上げておきたきことがござる」
「何なりと」
「我らの一族は、宋の世より、金堀りと、鍛冶と、陶工の技を継いでまいり申した。じゃが、その技は、あくまで、高火度の器を焼き、鉱を掘り当てるところまで。明で焼かれるような、精緻な磁器の技法までは、伝わっており申さぬ」
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「窯を築くことと、磁器そのものを焼くことは、また別だと」
わたしは、そう確かめた。
「さよう。窯は築けまする。火も入れられまする。じゃが、焼き上がるものが、千代様の望むほどのものになるかは、それがしにも、確かなことは申せませぬ」
久蔵の言葉は、誠実だった。過大な期待を持たせず、できることとできないことを、はっきりと分けて語る。その物言いに、わたしは、好感を抱いた。
「それで十分にござります。まずは、窯を築くところから、お願いしとうござります」
久蔵は、頷いた。
「承知いたした。金堀りのほうも、幾人か、別子へ向かわせましょう」
「見返りは、何を、お望みにござりますか」
わたしは、そう訊ねた。行然との取り決めと同じく、一方的な施しにはしたくなかった。
久蔵は、しばらく考えてから、答えた。
「見返り、とまでは申しませぬ。ただ、この技を、久しぶりに、日の当たる場所で使わせていただけるのなら、それだけで、十分にござる」
「十分、と申されましても」
「千代様」
久蔵は、そう言って、こちらの目を、まっすぐに見た。
「我らの一族は、幾代も、隠れ里の中でだけ、この技を伝えてまいり申した。誰に見られることもなく、誰の役に立つこともなく、ただ、消えぬように守るだけの技にて。それが、いま、初めて、外で使える。それだけで、我らにとっては、十分過ぎるほどの見返りにござる」
その言葉に、わたしは、しばらく、何も言えなかった。技そのものよりも、その技が「見られる」ことに、これほどの重みがあるとは、いままで考えたこともなかった。
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その日の夕方、弥九郎に、久蔵との遣り取りを伝えた。
「北条の血、か」
弥九郎は、しばらく考え込んでいた。
「敵味方も、百年経てば、同じ隠れ里で肩を並べる。久蔵殿の言葉にござります」
「妙な巡り合わせだな」
「はい」
わたしは、頷きながら、頭の中で、その言葉を、もう一度反芻した。敵味方も、百年経てば。いつか、こちらの一党も、そんな巡り合わせの中に、置かれる日が来るのだろうか。
いまは敵として斬り結んでいる中島の宗兵衛が、あるいは、いつか、こちらの側で肩を並べる日が来るかもしれない。既に、そうなった。抗った島が、いまでは、こちらの技を頼っている。百年を待たずとも、そういう巡り合わせは、既に、この島の中で幾度も起きていた。
その気づきに、わたしは、少し胸の内が軽くなるのを感じた。久蔵の言葉は、遠い昔の話ではなく、いま、この島で、日々起きていることと、同じ根から出ているのかもしれなかった。時をかけて積み重ねてきたものが、いつか、こうして形を変えて実を結ぶ。
「久蔵殿の一族は、これで、うちの部下になるのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「部下、というより、縁を結んだ者、というのが、正しゅうござりましょう。表向きは、楠木党残党の一部として、隠れ里に留まりまする」
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「面倒な話だ」
弥九郎は、そう言って、少し笑った。
「面倒でも、使える技にござります」
「使える技は、どこから来ようと構わぬ、ということか」
「はい。北条の血であろうと、楠木党の縁であろうと、島にとって値打ちのあるものであれば、迎え入れぬ理由はござりませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「お前らしい割り切り方だ」
「割り切らねば、この島は、いつまでも小さいままにござります」
その言い切りに、弥九郎は、少し目を細めて、こちらを見た。何かを言いかけたが、結局、それ以上は続けなかった。
夜半、独り、帳を開き、この日のことを書き留めた。
久蔵殿、北条残党の末裔と判明。宋伝来の技、金堀り・鍛冶・陶工。窯は築けるが、磁器そのものは別。まずは窯普請と、別子の金堀りから。見返りは、日の当たる場所で技を使わせること、それだけで足れりと申す。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。もとは敵同士だった二つの一党が、いま、同じ島の下で、力を合わせようとしている。その巡り合わせの重みを、わたしは、まだ、正しく数えきれずにいた。
数として書けるものと、書けないものとが、この島には、いつも同時に積み重なっていく。窯の場所、金堀りの人数、技を託す段取り——それらは、帳に書ける。だが、久蔵の一族が、幾代にもわたって抱えてきた沈黙の重みや、いま初めて日の当たる場所に出る喜びは、どれほど数えようとしても、帳の上には収まらなかった。
窓の外で、春の夜風が、柔らかく吹いていた。
翌朝早く、隠れ里を見に行くと、久蔵が、既に、窯を築く場所を見立てていた。傍らには、若い男が二人、控えている。久蔵の一族の者だろう、道具を担いだ手つきに、既に慣れた様子が見て取れた。
「その若い者たちは」
わたしが訊ねると、久蔵は、二人を手で示した。
「甥にあたる者どもにて。窯の築き方は、幼い頃より、じっくりと仕込んでござる」
若い男の一人が、こちらへ、深々と頭を下げた。緊張した面持ちだったが、その目には、確かな熱のようなものが、静かに宿っていた。日の当たる場所で、初めて技を使える機を得た者の目だった。
「よろしゅう、頼みまする」
わたしが、二人に、そう声を掛けると、若者たちは、もう一度、深く頭を下げた。
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その日のうちに、窯の場所は、隠れ里の外れ、木立に囲まれた小さな平地に定まった。人目につかず、それでいて、水と土に恵まれた場所だった。久蔵の見立ては、迷いなく、確かなものだった。
「この土地を見立てるのも、技のうちにござるか」
わたしが、そう訊ねると、久蔵は、頷いた。
「土の質、風の通り、火を焚いたときの煙の流れ。すべて、幾代もかけて、体に染み込んだ勘にて。言葉では、なかなか説けませぬが、見れば、自ずと分かるものにござる」
その言葉に、わたしは、伊佐次たちが、山で道を拓くときに見せた、同じ種類の勘を思い出した。理屈では説けない、手が覚えているだけの技。この島には、そういう技を持つ者が、いつのまにか、幾人も、静かに集まっていた。
その夜、渡ってきた弥九郎に、久蔵の見立てのことを話した。窯の場所を、勘だけで定めたと聞くと、弥九郎は、少し愉快そうな顔をした。「お前の数と、あの老人の勘。どちらも、この島には要る」。その一言を、頭の帳の隅に、そっと書き留めた。
翌朝、綾に、太郎丸・次郎丸のことを話すと、綾は、少し考えてから、こう言った。
「北条の血を引く者と聞けば、島の年寄りの中には、まだ、良い顔をせぬ者もおりましょう。楠木党とは、もとは敵同士だったと聞きますゆえ」
「そこまでは、考えておりませんでした」
「わたくしから、それとなく、年寄り衆に話をしておきまする。血の縁より、いま何を為すかで人を見るようにと」
綾の目配りは、いつも、こちらの数の外側にある。北条も楠木も、この島では、もう名だけの隔たりに過ぎないはずだったが、島の外から来た者たちの記憶は、そう容易くは変わらないのだと、あらためて思い知らされた。




