第十五話 約束
応永三十一年(一四二四)三月 伊予国 怒和島 下怒和
詮議の一件が過ぎ、島にも、ようやく落ち着きが戻ってきた頃、義重から、思いがけない使いが届いた。
「本家より、二神の当主様が、直々に、義重様の館へ、御出でになるとの由」
その報せに、わたしは、思わず、少し驚いた。
本家の当主が、庶流である義重の館まで、直々に足を運ぶというのは、これまでにないことだった。六島がまとまり、二神の名がこれほど重みを増したいま、本家の側にも、何か思惑があるのだろうと、頭の中で数を組みはじめた。
これまで、本家は、遠い存在だった。祝言の夜に姓を渡した義重でさえ、本家の当主とは、幾年も顔を合わせていないと聞いていた。その本家が、いま、みずから動こうとしている。この変化そのものが、六島を服属させたという出来事の重みを、何よりも雄弁に物語っていた。
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弥九郎に、その報せを伝えると、しばらく考え込んでいた。
「本家の当主が、みずから、な」
「はい。おそらくは、六島の一件を受けて、こちらとの繋がりを、直に確かめておきたいのでしょう」
「悪い話か」
「悪くはござりますまい。本家が、これほどの興味を示すというのは、こちらの重みを、認めておるということにござります」
弥九郎は、頷いた。
「お前も、同席するのか」
「側室の身で、正式な対面には出られませぬ。ただ、裏で、義重様と話をつけとうござります」
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それから数日後、二神本家の当主一行が、義重の館を訪れた。
わたしは、その対面には、出なかった。表向きの場では、弥九郎と義重が、当主を迎え、丁重な挨拶を交わしたという。
対面がすべて終わったあと、わたしは、義重の館の奥の一室で、義重と、あらためて向き合った。
「当主様は、いかなる御用向きにて」
わたしが、そう訊ねると、義重は、しばらく考えてから、答えた。
「六島の一件、そして、こちらの家の勢いを、直に見ておきたかったのだろう。それと」
「それと」
「本家の跡継ぎのことも、話に出た」
その一言に、わたしは、頭の中で、素早く、幾つもの筋道を組み直した。
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「本家の跡継ぎのことと、こちらと、どう関わりがござりましょう」
「当主様には、まだ幼い御子が、お一人しかおられぬ。他には、まだ、御子がおられぬ。万一のことがあれば、本家の血筋が、たちまち心許なくなる」
義重は、そう続けた。
「本家としては、庶流であるわしの家との縁を、これまで以上に、確かなものにしておきたいのだろうな」
その言葉に、わたしは、頭の中で、既に描いていた構想を、あらためて確かめた。綾と弥九郎の子を、いずれ、二神の一族として、正式に受け入れる約束。それを取り付けることができれば、いずれ来るかもしれない本家の代替わりに際して、こちらの側にも、確かな足場ができる。
この構想は、まだ、誰にも語ったことのないものだった。頭の奥底に、ずっと、燻り続けていた。本家の名を残したまま、いつか、その中身をこちらの血で満たす。そんな遠大な絵図を、いま、初めて、外へ出す機が訪れていた。
「義重様」
わたしは、そう切り出した。
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「一つ、御相談がござります」
「申せ」
「綾様と弥九郎様のあいだに、いずれ、御子が生まれましょう。その御子を、将来、二神の一族として、正式に受け入れていただくお約束を、いまのうちに、取り付けとうござります」
義重の目が、わずかに動いた。
「なぜ、いまでなければ、ならぬのだ」
「本家が、こちらとの縁を、確かなものにしたいと思うておられるいまこそが、好機にござります。当主様御自身が、跡継ぎのことを案じておられるいまなら、傍流の血筋を、あらかじめ確保しておくことに、異存は出にくうござりましょう」
義重は、しばらく黙って、こちらを見ていた。
「抜け目のない話だ」
「抜け目なくあらねば、この島は、これから先も、保てませぬ」
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「当主様は、いま健やかにおられる。跡継ぎのことは、まだ、遠い先の話ではないのか」
義重が、そう問うた。
「遠い先の話だからこそ、いまのうちに、種を蒔いておきとうござります。事が起きてから慌てて動いては、万事、遅うござります」
その答えに、義重は、少し笑った。
「お前は、いつも、遠い先を見ておる」
「見ねば、いずれ、痛い目を見ますゆえ、それだけにござります」
義重は、それを聞いて、しばらく、じっと黙っていた。それから、静かに頷いた。
「よかろう。この話、当主様に、それとなく持ちかけてみよう。ただし」
「ただし」
「まだ生まれてもおらぬ子のことだ。正式な約定というよりは、内々の申し合わせに留めるのが、筋であろう」
「それで、十分にござります」
「一つ、訊ねてもよいか」
義重が、そう続けた。
「なぜ、わしに、この話を持ちかける。お前が、直に当主様へ願い出ることも、できように」
その問いに、わたしは、少し考えてから答えた。
「わたくしは、側室の身にて。本家に直に願い出れば、出過ぎたことと、かえって疑いを招きましょう。義重様の口からであれば、これは、義重様御自身の家の先々を思うての願いとして、自然に受け取っていただけましょう」
「わしを、うまく使うておるのだな」
義重は、そう言って、微かに笑った。咎める響きはなかった。
「使わせていただいております。義重様の御力添えなくしては、成らぬ話にござりますゆえ」
「正直な物言いだ」
義重は、そう言って、静かに頷いた。
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義重が、本家の当主に、この話を持ちかけたのは、それから数日後のことだった。
わたしは、その場に立ち会わなかった。だが、義重から、後日、その顛末を聞いた。
「当主様は、存外、あっさりと受け入れられた」
義重は、そう言った。
「六島の一件を見て、こちらの家の勢いを、既に認めておられたのだろう。傍流の血筋を、あらかじめ確保しておくことに、損はないと判じられたようだ」
「正式な文書は」
「取り交わさぬ。あくまで、口約束の域だ。だが、当主様御自身の口から、確かに、お約束いただいた」
その報せに、わたしは、頭の中で、静かに帳を書き足した。まだ生まれてもいない子の将来が、こうして、一つ、確かな形を得た。胸の奥で、小さな高揚のようなものが、静かに芽生えるのを感じた。
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「この約束、弥九郎様には」
わたしは、義重に、そう訊ねた。
「まだ、知らせておらぬ。知らせるべきか、いかがか」
「いましばらくは、伏せておきとうござります」
義重は、少し意外そうな顔をした。
「なぜだ。弥九郎殿御自身の子のことだぞ」
「弥九郎様は、まだ生まれてもおらぬ子の先々のことを、いまから思い煩う質ではござりませぬ。それは、これまでの日々で、よう分かっております。それに」
わたしは、少し言葉を選びながら、続けた。
「この約束は、いずれ、大きな意味を持ちましょう。いま明かせば、かえって、余計な気を回されるやもしれませぬ。それでは、話がこじれましょう」
義重は、それを聞いて、しばらくのあいだ、じっと、こちらの顔を見ていた。
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「お前は、いつも、そうして、一人で先を見ておる」
義重の声には、咎めるというより、感心に近い響きがあった。
「弥九郎様には、いずれ、しかるべき時が来たら、お伝えいたしまする」
「しかるべき時、とは、いつだ」
「まだ、分かりませぬ。ただ、いまではないことだけは、確かにござります」
義重は、それ以上は問わず、静かに頷いた。
「わしも、この話は、しばらくのあいだ、胸に納めておこう。綾にも、まだ明かさぬほうがよかろうな」
「はい。綾様にも、いましばらくは」
「又五郎にも、無論のこと、明かさぬ」
その名が出て、わたしは、少し身構えた。
「又五郎様には、殊更に、伏せておきとうござります」
「なぜだ」
「又五郎様は、この島の行く末に、まだまだ、割り切れぬ思いを抱えておられます。もし、この約束を知れば、それを、また一つ、新たな重荷として、抱え込まれるやもしれませぬ」
義重は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
「あれは、あれで、いろいろと思うところの多い息子だ」
その一言に、父としての義重の、複雑な胸の内が、静かに垣間見えた気がした。跡取りであった息子が、いまでは、庶流の余所者の力によって支えられている家の中で、居場所を探しあぐねている。その姿を、義重自身も、ずっと、案じ続けているのだろう。
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館への帰り道、船の上で、わたしは、頭の中で、今日取り付けた約束の重みを、あらためて数え直していた。
まだ生まれてもいない子。まだ起きてもいない本家の代替わり。どちらも、いまはまだ、影も形もない話だった。それでも、この約束は、いずれ、大きな意味を持つはずだった。
本家の血が、いつか、こちらの血に置き換わっていく。そんな遠大な構想が、頭の隅に、以前から、ぼんやりと浮かんでいた。今日の約束は、その構想への、最初の、ごく小さな一歩に過ぎなかった。だが、一歩を踏み出さねば、その先には、決して辿り着けない。
館に戻ると、弥九郎が、板間で、次の指図の算段をしていた。
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「本家の当主殿とは、どうであった」
弥九郎が、そう訊ねた。
「丁重な対面にござりました。六島の一件を、大層お喜びのご様子で」
「それだけか」
その問いに、わたしは、一瞬、迷った。だが、いまはまだ、明かすべき時ではないと、あらためて判じた。
「それだけにござります」
弥九郎は、それを聞いて、特に疑う様子もなく、頷いた。この男は、こちらが明かさぬと決めたことを、無理に追及することはしない。その信頼が、いつも、こちらの動きやすさを支えていた。
「木のことは、進んでおるか」
「はい。別子からの木材、順調に届いております」
話は、そのまま、いつもの算段へと移っていった。木の割り振り、隠れ里の様子、村上一党とのこれからの間合い。日々の仕事は、今日もまた、いつもどおりに積み重なっていく。
その最中、館の奥から、綾の機の音が、微かに聞こえてきた。わたしは、その音に、しばらく耳を澄ませた。綾は、いま、自分の子が、いずれ本家の一族として受け入れられる約束が、既に交わされたことを、知らない。
いつか、その約束を、綾自身にも伝える日が来るだろう。だが、その日を、いま決めることはできなかった。伝えるべき時機を、これから、じっくりと見定めていかねばならない。
来る道すがら、女房衆の一人が、綾のもとへ、嫁ぎ先で揉めた娘を連れてきているのを見た。千代殿にではなく、綾様に。そう口にしていた声が、いまも耳の奥に残っていた。策を組むのは、いつも自分の役目だった。だが、困った者が真っ先に名を呼ぶのは、いつのまにか、綾になっていた。
その事実に、羨む気持ちがあるのかどうか、わたしには、まだ、よく分からなかった。ただ、今日この日、義重の館で交わされた約束——本家の血を、いずれこちらの血で満たすという、この島の行く末を左右するほどの一手は、誰の口の端にも上ることはなく、綾の名だけが、女房衆の口を、幾度も通っていく。その静かな非対称を、わたしは、数として、頭の帳に記さずにはいられなかった。
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夜、皆が寝静まったころ、帳を広げた。
だが、今日取り付けた約束のことは、そこには、書かなかった。あまりに重い話を、いつもの帳に書き留めれば、万一、誰かの目に触れたとき、取り返しのつかないことになる。この約束は、頭の中にだけ、しまっておくことにした。
代わりに、木のこと、六島のこと、隠れ里のこと、いつもどおりの数を、静かに、帳に書き連ねた。
書き終えて、しばらく、灯を見つめた。
今日の約束は、誰にも知られぬまま、静かに、この島の行く末の底に、沈められた。いつか、この約束が、日の目を見る日が来るのだろうか。その日が、どういう形でやってくるのかを、いまのわたしには、まだ、見通すことができなかった。
前の生で、遠い先のことを見据えて、いま何をすべきかを考える仕事を、幾度もしてきた。井戸を一つ掘るにも、十年先、二十年先、その村がどうなっているかを、頭のどこかで思い描きながら、手を動かした。いまの仕事も、根は同じだった。ただ、扱う年月の長さが、比べ物にならないほど大きい。
まだ生まれてもいない子。まだ起きてもいない代替わり。そのどちらもが、実を結ぶまでには、十年では足りぬかもしれない。二十年、三十年、あるいは、自分の目の黒いうちには、決着を見ないかもしれなかった。
それでも、種は、いま蒔かねばならなかった。蒔く時機を逃せば、二度と同じ好機は巡ってこない。本家の当主が、みずから動いた、この一瞬の隙間にこそ、意味があった。
その隙間を、見逃さずに、しっかりと掴んだことだけは、確かな手応えとして、胸の内に残っていた。だが、その手応えを、誰かと分かち合うことは、いまは、できなかった。この約束は、まだ、わたし一人だけの帳の中に、静かに、しまわれたままだった。
灯を吹き消すと、部屋は、すぐに闇に沈んだ。窓の外で、春の訪れを告げる、柔らかな夜風が、静かに吹いていた。
渡ってきたばかりの弥九郎の、寝息とも呼べぬ、低い呼吸の音が、微かに聞こえてくる。何も知らぬまま眠るこの男の隣で、わたしは、まだ、しばらくのあいだ、じっと、目を開けたままでいた。




