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潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


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第十四話 楠木公の面影

応永三十一年(一四二四)二月 伊予国 怒和島 下怒和


藤内の一件から、ふた月ほど過ぎた頃、行然が、これまでにない硬い顔で、館を訪れた。


「幕府より、南朝残党を厳しく詮議せよとの触れが、諸国の守護へ回され申した。伊予国内では、その触れを受け、河野方が、既に動きはじめており申す」


その一言に、わたしは、筆を止めた。


「河野方が、みずから」


「幕府が、島々の隅々まで、直に手を伸ばせるわけではござらぬ。ですが、守護たる河野方には、この国内を実際に検める力がござる。幕府の触れは、いつも、そうして、在地の力を借りて、初めて、根まで届き申す」


「堺で捕らわれた者が、拷問に耐えかね、いくつかの逃亡先を、白状したとの由。その中に、瀬戸内の島の名が、幾つか挙がっておるそうにて」


「怒和島の名も」


「そこまでは、まだ。ですが、忽那諸島という括りで、既に、河野方の目が向いております」


その報せに、館の中の空気が、これまでになく張り詰めた。


---


弥九郎が、すぐに、行然を、奥の一室へ通した。


「詮議の手は、いつ、この島へ伸びる」


「早ければ、十日のうちにも」


「隠れ里は、見つかるか」


行然は、しばらく黙っていた。


「分かり申さぬ。ただ、河野方の目は、まず、湊や、人の出入りの多い場所から、探りを入れてまいりましょう。隠れ里そのものが、すぐに見つかるとは、思いませぬ。だが」


「だが」


「河野方の詮議の使いが、この島へ渡り、あちこちを聞いて回れば、島の者の中に、うっかり口を滑らせる者が出ぬとも限りませぬ」


その言葉に、わたしは、頭の中で、素早く数を組みはじめた。


---


「島の者たちに、あらかじめ、口裏を合わせさせとうござります」


わたしは、そう言った。


「隠れ里のことを知っておる者は、限られております。その者たちに、河野方の使いが来たときの答え方を、いまのうちに決めておきましょう」


「答え方、とは」


「隠れ里そのものは、木こりや漁師が、一時、寝泊まりする小屋だと申し開きます。老人や女子供がおることについては、身寄りのない者を、島で拾うたのだと」


弥九郎が、頷いた。


「島の内で、孤児を拾うてきたのは、既に、これまでの話とも合う」


「はい。目新しい理屈は、かえって疑われましょう。これまでどおりの理屈で、押し通しとうござります」


---


策を固めているあいだにも、行然のもとには、次々に、新しい報せが届いた。


河野方の詮議の使いが、既に、伊予国の他の湊で、聞き込みを始めているという。忽那諸島にも、遠からず、その使いが渡ってくるだろう。


「もう一つ、案じておることが」


行然が、そう続けた。


「隠れ里の者の中に、一人、堺で、藤内と共に逃げた折、幕府方の間者に顔を見られたことのある者がおり申す。もし、その者が、河野方の詮議で見咎められれば」


「見咎められれば、どうなる」


「隠れ里そのものが、露見いたしましょう」


その答えに、わたしは、少し考えた。一人の顔が知られていることが、これほどの危うさに繋がる。命というものの脆さを、あらためて思い知らされた。


「その者を、しばらく、別の場所に移しとうござります」


わたしは、そう言った。


「移す先は」


「別子の山中が、よろしゅうござりましょう。あちらは、木こりの出入りが目立つだけで、余所者には、まず気づかれませぬ」


---


その女子——名を、お澄といった——は、隠れ里から、ひそかに、別子へ移された。追手に一度でも顔を見られたことのある者を、この島に留めておくわけにはいかなかった。


移す道中も、細心の注意を払った。夜のうちに舟を出し、いつもとは違う航路を辿り、途中、二度、船を乗り換えた。追手の目を、幾重にも欺くための手筈だった。


無事に別子へ着いたという報せが届いたのは、それから三日後のことだった。


だが、安堵する間もなく、次の報せが届いた。


「河野方の使いが、忽那諸島に上陸いたし申した」


行然の声には、これまでで最も強い緊張が滲んでいた。


---


河野方の使いは、まず、義重の館を訪ねたという。


義重は、丁重に応対し、忽那諸島には、そのような不審の者はおらぬと、はっきりと答えた。だが、使いは、それだけでは納得せず、島々を、実際に見て回りたいと言い出した。


その報せを受けて、わたしは、弥九郎と、あらためて策を練り直した。


「使いが、この島へ来るのは、いつ頃だ」


「三日のうちにも」


「隠れ里は」


「これまでどおりの構え。木こりと漁師の小屋。ただし、念のため、目立つ荷は、すべて片づけておきとうござります」


わたしは、そう答えながら、頭の中で、隠れ里の様子を、細かく思い描いた。老人たちの様子、子どもたちの様子、そして、もし詮議の使いが、鋭い目で見咎めれば、綻びが出そうな場所を、一つ一つ、洗い出していく。


---


三日後、河野方の使いが、実際に、怒和島の湊に降り立った。


案内には、弥九郎自身が立った。使いは、二人。歳の頃、四十がらみの、目つきの鋭い男と、その供の若い侍だった。物腰には、宗主の威を笠に着た者特有の、隠しきれない横柄さが滲んでいた。


「この館を預かる者は、そのほうか」


使いは、値踏みするような目で、弥九郎を見下ろしながら、そう言った。


「さよう」


弥九郎は、いつもの棟梁の顔で、そう応じた。当主の名乗りは、義重様のもの。ここで名乗るのは、あくまで、この館を差配する者としてのそれだった。


「この島に、不審な者を匿うておろう。洗いざらい、申すがよい」


問いというより、初めから決めつけてかかる物言いだった。


「不審な者、とは」


「南朝の残党にて。幕府に楯突く者どもだ。忽那ごとき小島の分際で、隠し立てすれば、ただでは済まぬと、しかと心得よ」


弥九郎は、少し首を傾げて見せた。


「聞き慣れぬ話にて。この島は、ただの漁師と、木こりばかりの、小さな島にござる」


その遣り取りを、少し離れた場所から見ながら、わたしは、頭の中で、一つのことを、静かに書き留めた。宗主の名を借りた者は、いつも、こうして、傘下の小さな家を、頭ごなしに扱う。この横柄さの根は、河野という家そのものの気質に、あるいは繋がっているのかもしれなかった。


---


使いは、それでも納得せず、島の中を、あちこち見て回ろうとした。


わたしは、その一行に、松吉を案内役としてつけた。松吉は、あらかじめ決めておいた道筋に沿って、使いを誘導した。塩浜、田畑、木こりの作業場。どこも、こちらが見せてよい場所ばかりだった。


隠れ里のある入江には、決して近づかせなかった。道が険しい、獣が出る、余所者には案内できぬと、幾つもの理由をつけて、遠回しに避けさせた。


だが、使いの一人が、ふと、こう言った。


「あの山向こうには、何がある」


その山向こうこそ、隠れ里のある入江だった。


---


松吉の顔に、一瞬、緊張が走った。だが、すぐに、いつもの飄々とした顔に戻った。


「あちらは、何もござりませぬ。ただの荒れ地にて。昔、山崩れがあってから、誰も寄りつきませぬ」


「山崩れ、か」


「はい。地の者は、皆、忌み地と呼んでおりまする」


その一言に、使いは、少し眉を寄せたが、それ以上は、深く追及しなかった。忌み地という言葉には、この時代、それなりの重みがあった。


わたしは、少し離れた場所から、その遣り取りを見ていた。松吉の機転に、胸の内で、静かに安堵した。だが、まだ、油断はできなかった。


---


使いは、その日のうちに、島を発とうとした。だが、出立の直前、思いがけないことが起きた。


隠れ里から、水と食を運んでいた島の者の一人が、道を間違え、使いの一行と、鉢合わせしてしまったのだ。


その者は、竹籠に、粟や干し魚を、幾つも背負っていた。明らかに、大人数ぶんの荷だった。


「その荷は、何じゃ。正直に申せ」


使いが、居丈高に、そう問い詰めた。


わたしは、その場に居合わせていた。頭の中で、瞬時に、幾つもの筋を組み立てた。ここで下手な言い訳をすれば、かえって怪しまれる。だが、何も言わなければ、もっと怪しまれる。


「わたくしが、答えまする」


そう言って、前へ出た。


---


「その荷は、島の孤児たちへの、飯にござります」


わたしは、はっきりと、そう告げた。


「孤児、とな」


「はい。この島は、これまで、身寄りのない子らを、幾人も拾うてまいりました。近ごろは、大人の身寄りなき者も、幾人か置いております。皆、この島で、田畑の仕事を手伝わせております」


使いは、疑わしげな目で、こちらを見た。


「物好きな。なぜ、そこまでして、余所者などを置く」


「余所者ではのうて、いずれ、この島の民になる者たちにござります。手が要る仕事は、幾らでもござりますゆえ」


その答えに、使いは、しばらく黙っていた。


---


「その者たちを、見せよ」


使いが、そう言った。


わたしの胸に、冷たいものが走った。だが、顔には、決して出さなかった。


「よろしゅうござります。ご案内いたしましょう」


わたしは、そう答えながら、頭の中で、必死に策を組み直していた。隠れ里の者たちの中に、南朝の縁だと悟られる者はいないか。行然自身は、いま、どこにいるか。お澄は、既に別子へ移してある。だが、他にも、詮議の目に晒せば危うい者が、幾人かいるはずだった。


案内する道すがら、松吉に、目配せで、先に隠れ里へ走らせた。老人たちに、決められた答え方を、もう一度徹底させるためだった。


---


隠れ里に着くと、老人や女子供たちが、田畑の仕事をしている様子が、そこにあった。松吉が先んじて伝えたのだろう、皆、落ち着いた顔で、いつものように、水を汲み、畑を耕していた。


使いは、その様子を、しばらく、鋭い目で見回していた。


「これだけの者を、島で養う理由が、まことにあるのか」


「理由は、ただ一つ。人手が足りぬからにござります」


わたしは、そう答えた。


「島は、いま、塩を焼き、田を耕し、木を植えております。どれも、人手を要する仕事にござります。身寄りのない者を拾うことは、この島にとって、損な話ではござりませぬ」


その理屈に、使いは、なおも疑わしげな顔をしていた。だが、ふと、一人の老人と、目が合った。


---


その老人は、行然が、南朝の縁の者だと明かした、年配の一人だった。名を、久蔵といった。


久蔵は、使いの視線を受けても、まったく動じなかった。ただ、静かに、鍬を振るい続けている。その落ち着きぶりが、かえって、こちらの胸を、ひやりとさせた。


使いが、久蔵に、近づいた。


「爺、名は」


「久蔵にござります」


「どこから来た」


「伊予の内、いずこかの村にて。もう、忘れましてござります」


その答え方は、あまりにも自然だった。老いた身の上を、淡々と、何の気負いもなく語る。その姿に、使いは、少しずつ、興味を失っていくようだった。


---


「もうよい」


使いは、そう言って、踵を返した。


「他には、何もないか」


「何も、ござりませぬ」


わたしは、そう答えた。声が、震えていないことを、頭のどこかで確かめながら。


使いの一行は、それから間もなく、島を発っていった。舟が沖へ遠ざかっていくのを、わたしは、湊で見送った。


胸の内で、張り詰めていたものが、ようやく緩んでいくのを感じた。だが、まだ、安堵しきってはいなかった。この一件が、これで終わりだという保証は、どこにもなかった。


---


その夜、行然が、あらためて館を訪れた。


「此度は、まことに、危ういところでござった」


「はい。危うい一件にござりました」


「久蔵殿から、聞き申した。詮議の使いが、荷を怪しんだあの折、千代様が、真っ先に、御自身の身を、前へ出されたと」


その呼び方に、わたしは、少し驚いた。行然が、こちらを「様」を付けて呼んだのは、初めてのことだった。これまでは、名を呼ぶことすら避け、遠回しな物言いで通してきた僧だった。


「まだ、この島の者ではござりませぬが」


わたしが、そう言うと、行然は、静かに首を振った。


「久蔵殿は、あの姿に、楠木公の面影を見たと、そう申しており申した」


---


「楠木公の、面影」


わたしは、その言葉を、繰り返した。


「戦えぬ者を、身を挺して庇う。それが、それがしどもの祖が、最後まで貫かれた生き方にござる。千早城に籠られたのも、帝という、御自身では戦えぬ御方をお守りするためにござった」


行然は、そこで、一度、言葉を切った。


「その務めは、楠木公お一人の代で、終わったわけではござらぬ。それがしどもは、いまも、同じ務めを、密かに負い続けており申す。詳しゅうは、まだ、お話しできませぬが」


「いまも、にござりますか」


わたしが、そう訊ねると、行然は、それ以上は語らず、ただ、静かに首肯しただけだった。その沈黙の重みに、わたしは、それ以上、踏み込むべきではないと悟った。


「此度、千代様が、荷を問い詰められたとき、隠れ里の老人や幼子ではのうて、真っ先に、御自身を、詮議の矢面に立たされた。その姿が、久蔵殿には、祖の生き方と、同じ根から出たものに見えたと、そう申しており申した」


その言葉に、わたしは、何も答えられなかった。あのとき、とっさに前へ出たのは、策として、いちばん怪しまれにくい答え方が、自分の口からしか出せぬと踏んだからだった。それだけの、いつもどおりの勘定のつもりだった。だが、久蔵の目には、それが、身を挺して弱き者を庇う姿として映ったのだという。教科書の太字でしか知らない、遠い昔の武将の生き方が、いま、自分でも気づかなかった行いと、結びつけられている。その重みを、どう受け止めればよいのか、すぐには分からなかった。


「それがしどもの一部は、これより、表向きは弥九郎殿の一党の者として、この島に留まりまする。ですが、その実、千代様の意のままに動く所存にて」


行然は、そう言って、深く頭を下げた。


---


「なぜ、そこまで」


わたしは、そう訊ねた。


「命を助けていただいた恩、それだけではござらぬ。戦えぬ者を守るために、御自身を矢面に立たせる。それがしどもが、幾代にもわたって、命を懸けて貫いてきた生き方と、同じものを、千代様に見申した。それゆえにござる」


その答えに、わたしは、しばらく黙っていた。


弥九郎の口を通してしか、これまで、こちらの策は世に出なかった。だが、いま、目の前の僧は、その口を通さず、直に、こちらへ頭を下げている。これまでとは違う種類の繋がりが、いま、静かに結ばれようとしていた。


「かたじけのう、受け取りまする」


わたしは、そう答えた。それ以外の言葉が、見つからなかった。


床に就く前、しばし、帳に向かい、この日のことを書き留めた。


詮議、切り抜ける。久蔵殿、楠木公の面影を見ると申す。行然殿、部の一部を、わたくし個人に付ける所存。


書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。弥九郎という一本の糸だけでは、もはや、この一党のすべてを繋ぎきれなくなっている。その予感が、いま、はっきりとした形を得た夜だった。


その夜、弥九郎の渡りはなかった。行然の申し出のことを、まだ独りで考えていたのかもしれない。渡りのない夜に、こうして一人で考え事をする癖は、いつのまにか、弥九郎にもうつっていた。


翌朝、詮議のことを、綾にも、かいつまんで伝えた。綾は、しばらく黙って聞いていたが、やがて、こう言った。


「久蔵殿が、千代殿に、亡き主の面影を重ねられたと。それは、喜ばしいことでもあり、いくらか、恐ろしいことでもござりましょう」


「恐ろしい、とは」


「面影を重ねられるということは、その方の中で、千代殿が、既に一人の主として立っておる、ということにござります。主として頼られる分だけ、責めも、重うなりましょう」


その一言に、わたしは、少し息を呑んだ。綾は、いつも、こちらが浮かれかけたところに、静かに、釘を刺してくる。

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