第十三話 木が尽きる
応永三十一年(一四二四)一月 伊予国 怒和島 下怒和
年が明けて、正月の祝いも一段落したころ、木こりの一人が、館に、困り顔で駆け込んできた。
「谷の奥の山、もう、伐れる木が、ほとんどござりませぬ」
その報せに、わたしは、手を止めた。手にしていた帳面が、膝の上で、静かに閉じた。正月気分の名残が、一瞬で消し飛んだ。
「ほとんど、とは」
「太い木は、大方伐り尽くしました。残っておるのは、まだ細い、育ちきっておらぬ木ばかりで、船の材にも、坑道の支柱にも、なかなか使えませぬ」
わたしは、頭の中で、数を組み直した。
塩を焼く薪。窯の火。船を造る材。坑道を支える支柱。この数年、島を富ませるために積み上げてきたことは、そのすべてが、木を食う仕事だった。富めば富むほど、木がなくなる。分かってはいたことだったが、それが、いま、はっきりと目の前に突きつけられていた。
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弥九郎に、その報せを伝えると、しばらく黙って聞いていた。
「これまで、植えてきた分は」
「植えた木が、実を結ぶには、まだ十年、二十年は掛かりましょう。いまの入用には、間に合いませぬ」
「では、いまは、どうする」
「新居の別子から、伐り出した木材を、こちらへも回しとうござります。あちらは、まだ木が余っておりますゆえ、当面の凌ぎにはなりましょう」
その答えに、弥九郎は、深く頷いた。
「別子の道が、こういうところで、活きてくるか」
「はい。もとはと言えば、木を求めて渡った地にござります。それが、あの赤い水のおかげで、銅を掘る地に変わり、木のことは、いつのまにか、頭の隅に追いやられておりました。その木に、いま、こうして、また助けられることになろうとは、思うておりませんでした」
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その足で、木こりと共に、谷の奥まで、実際に見に行った。
以前訪れたときには、幾重にも重なった緑が、山肌を覆っていた。だが、いま目にする山は、あちこちに、切り株の跡が、はっきりと残っていた。太い木は、大方姿を消し、残っているのは、まだ人の腰ほどの高さしかない、若い木ばかりだった。
「これでは」
言葉が、そこで止まった。頭では分かっていたつもりだった。だが、実際に目にすると、その痩せ方は、想像していたよりも、ずっと深刻だった。
木こりが、申し訳なさそうに、そう言った。
「儲けを急いだつもりは、ござりませなんだ。ただ、頼まれる仕事のたびに、少しずつ、少しずつ、伐ってまいりました。それが、いつのまにか、これほどになっておりました」
その言葉に、わたしは、何も言い返せなかった。一人一人の仕事は、それぞれ正しかった。だが、その正しさの積み重なりが、いま、こういう結果を生んでいた。誰か一人の落ち度ではない。だからこそ、誰か一人の力では、もう取り返しがつかなかった。島全体で、これから、この痩せた山と、向き合っていかねばならなかった。
その日の午後、館の縁側で、わたしは、これまでの木の使い道を、あらためて帳に書き出した。
塩浜の薪。窯の薪。造船の材。坑道の支柱。溜池と段畑の普請にも、杭や柵として、木が使われている。孤児たちの住む小屋にも。数えれば数えるほど、木を食わぬ仕事のほうが、少なかった。
「これでは、いずれ、島は禿げまする」
わたしは、独り言のように、そう呟いた。
そこへ、綾が通りかかった。
「何を、独りごちておられます」
「木のことにござります。この島だけでは、もう、賄いきれませぬ」
綾は、少し考えてから、縁側に腰を下ろした。
「わたくしが幼い頃、義重様の館の裏山も、いまよりずっと、木が茂っておりました」
「いまは」
「いまは、随分と、痩せております。誰も、気づかぬうちに、少しずつ、削られていったのでしょう」
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「気づかぬうちに、というのが、恐ろしゅうござります」
わたしは、そう答えた。
「一度に伐り尽くすなら、誰でも気づきましょう。だが、少しずつ、少しずつ削られていけば、どこかで気づいたときには、もう手遅れになっております」
綾は、それを聞いて、頷いた。
「千代殿は、それに、早う気づかれた。それだけでも、他の家とは違いましょう」
「気づいたところで、いまの入用を、すぐには賄えませぬ」
「気づかぬまま突き進むよりは、よほどましにござりましょう」
その言葉に、わたしは、少し救われる思いがした。綾のこういう物言いには、いつも、こちらの頭を、静かに整えてくれる力があった。
「鶴丸は、近ごろ、どうしておられます」
わたしは、ふと、話を変えた。
「大きゅうなりました。近ごろは、木登りに凝っておるようで」
「木登り、にござりますか」
「はい。裏山の、まだ細い木にばかり登っておるので、義重様に、幾度も叱られております」
その話に、わたしは、思わず笑った。鶴丸の無邪気な姿を想像すると、木の心配で強張っていた胸が、少しだけ緩んだ。
「あの子が、大きゅうなり、元服する頃には、木も、また育っておりましょうか」
わたしは、そう呟いた。
「育てねば、なりませぬね」
綾は、そう答えて、静かに立ち上がった。
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夜、弥九郎と、あらためて、この先の算段を話し合った。
「別子からの木材だけで、この先も、賄いきれるか」
「当座は、賄えましょう。ですが、それだけに頼れば、いずれ、あちらの山も、同じ道を辿りましょう」
「同じ道、とは、どういうことだ」
「伐り尽くし、禿げる道にござります。別子でも、木を伐った分は、植えるようにしております。ですが、植えた木が育つまでの長い間、伐り続ければ、いずれ、あちらの山も痩せてまいりましょう」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
「では、どうすればよいと申すのだ」
「木を求めて、さらに外へ出るしかござりますまい。ですが、いまは、まだ、その時ではござりませぬ」
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「時ではない、とは、どういう心づもりだ」
弥九郎が、そう訊ねた。
「六島がまとまったとはいえ、隠れ里の一件も、まだ落ち着いておりませぬ。この上、さらに大きく外へ出れば、手が回りかねませぬ。加えて、外へ出れば、必ず、他の勢力とぶつかりまする」
「他の勢力とは、いったい」
「芸予や塩飽の島々には、既に、在地の海の衆が根を張っております。そこへ手を伸ばせば、相応の摩擦が生じましょう。いまの一党の身の丈では、まだ、そこまでの構えを持てませぬ」
弥九郎は、腕を組んで、しばらく考えていた。
「お前らしい、慎重な物言いだ」
「慎重に過ぎるとお思いにござりますか」
「いや。焦って外へ出て、痛い目を見るよりは、よほどよい」
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「いずれは」
わたしは、そう続けて言った。
「いずれは、周りの島々へも、目を向けねばならぬ日が、必ず参りましょう。ですが、それは、いまではござりませぬ。いまは、六島と、別子と、隠れ里、この三つを、まず確かなものにする時にござります」
「その先は、いかがする」
「その先のことは、その時が来てから、また改めて、じっくりと考えとうござります。いまから先のことばかりを案じても、目の前の仕事が疎かになりましょう」
弥九郎は、それを聞いて、少し笑った。
「気の長い話を、また一つ増やすのだな」
「気の長い話しか、いまの手元には、もう、ござりませぬ」
その遣り取りに、二人とも、しばらく黙って、笑い合った。
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数日後、木こりたちを集めて、木の使い方を、あらためて見直す寄合を開いた。
「これからは、木を使う仕事の優先を、順に決めまする」
わたしは、そう告げた。
「塩を焼く薪は、これまでどおり。ただし、窯の焼き物は、数を絞りまする。船の材は、新居から回す分で賄い、島の木は、なるべく手をつけませぬ」
寄合の場には、十人ほどの木こりが集まっていた。木こりたちは、それぞれ、頷きながら聞いていた。中には、不満げな顔をする者もいた。窯の仕事を任されていた男が、そっと呟いた。
「焼き物の数を絞れば、こちらの実入りも、細りましょう」
その呟きに、わたしは、頷いた。
「分かっておる。だが、木が尽きれば、それこそ、何もかもが立ち行かなくなる。いましばらく、耐えていただきたい」
「いましばらく、とは、いつまで」
別の男が、そう訊ねた。声に、いくらか棘があった。
「はっきりとは、申せませぬ。植えた木が育つまでか、あるいは、別の道が見つかるまでか」
「見つからなんだら」
その問いに、わたしは、しばらく答えられなかった。見つからなかったときのことを、まだ、はっきりとは考えていなかった。
「見つけまする。かならず、見つけまする」
わたしは、そう言い切った。言い切ってから、自分でも、その言葉の強さに、少し驚いた。だが、ここで弱気を見せれば、木こりたちの不安が、そのまま島全体の不安に広がってしまう。強く言い切ることも、いまは、必要な仕事の一つだった。
木こりたちは、しばらく顔を見合わせていたが、やがて、それぞれに頷いた。完全に得心したわけではないだろう。だが、いまは、それで十分だった。得心は、いずれ、実際に木が育つ姿を見せることでしか、得られないのかもしれなかった。
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寄合の帰り際、段畑の普請を任せている老いた百姓が、杖をつきながら、こちらへ歩み寄ってきた。
「千代様。段畑と溜池のことでも、木を惜しまねばなりませぬか」
その問いに、わたしは、少し考えてから、頷いた。
「これまで、杭や柵に、木を使うてまいりました。あれを、木を使わぬやり方に変えられぬか、思案しておる」
「木を使わずに、畦を支える、と申されますか」
百姓は、怪訝な顔をした。
「石で組む。木ではのうて、石で」
わたしは、そう続けた。前の生で見た、石垣だけで支える段々畑の姿が、頭の中に浮かんでいた。杭や柵で崩れを防ぐのではなく、石そのものの重みと組み方で支える。花崗岩の多いこの島には、材料はいくらでも転がっていた。
「畦の石なぞ、ただの邪魔者にござりますが」
「その邪魔者を、集めて積む。石の面を無理に揃えようとせず、重心を山側へ傾けて、隙間には小石を詰める。そうすれば、水はけを保ったまま、崩れにくい畦になろう」
百姓は、しばらく黙って、こちらの言葉を頭の中で組み立てているようだった。
「試しに、一区画だけ、やらせてみとうござります」
「頼む。うまくいけば、木を使う仕事が、一つ減る」
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塩浜のほうにも、同じ思案を巡らせていた。数日後、塩を焼く男たちを集め、あらためて問うた。
「薪を使わず、塩の濃さを上げる法はないか、考えてみたことはあるか」
男たちは、顔を見合わせた。
「日に晒すだけでは、濃くはなりますが、遅うござります」
「風は、どうだ。この島は、潮風が強い」
「風、にござりますか」
「竹や小枝を、幾重にも組んだ棚を、浜に立てる。そこへ、汲み上げた海水を、上から少しずつ滴らせる。風が、水気を吹き飛ばしてくれれば、薪を使わずとも、かん水が濃くなろう」
一人が、半信半疑の顔で、そう聞き返した。
「棚を伝わせるだけで、そこまで、変わりましょうか」
「それに、汲み上げるのも、桶で幾度も担ぐのは、いずれ手間になろう。軸に螺旋の板を巻きつけた道具を、回すだけで、下から上へ、水を送り続けられる仕掛けがある。それも、追って試させたい」
男たちは、顔を見合わせた。そのような道具は、誰も見たことがなかった。だが、これまで、こちらの思いつきが、幾度も、思わぬ形で実を結んできたのを、この一党の者たちは、よく知っていた。
「試してみねば、分からぬ。だが、薪を焚く前に、一手間かけるだけのこと。損はあるまい」
男たちは、なお納得しきらぬ顔をしていたが、やがて、一人が頷いた。
「やってみとうござります。薪が減るなら、それに越したことはござりませぬ」
わたしは、その返事に、小さく頷き返した。石垣の段畑も、風で濃くする塩も、まだ、絵に描いた話にすぎなかった。うまくいくかどうかは、これからだった。それでも、木を使わずに済む道を、一つでも多く見つけておかねば、この島は、いずれ本当に禿げてしまう。
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寄合が終わったあと、わたしは、独り、山の見える場所に立った。
冬枯れの山肌が、遠くまで続いている。まだ緑は残っているが、以前よりも、幾分か、薄くなっているように見えた。それとも、木の心配をするようになって初めて、そう見えるようになっただけなのかもしれなかった。
数を数えることに慣れていたはずのわたしが、この木の目減りにだけは、気づくのが遅れた。日々の勘定に追われるうちに、いちばん大きな数を、見落としていたのかもしれない。目先の実入りを数えることに気を取られ、山そのものの数を、数え忘れていた。
その見落としを、いま、こうして数え直している。遅すぎたわけではない、と、自分に言い聞かせた。手を打つのに、遅すぎるということはない。ただ、早ければ早いほど、痛みは少なくて済む。それだけのことだった。
風が、山肌を渡っていく。まだ若い木々が、その風に、頼りなく揺れていた。この細い木々が、いつか、太い幹となって、島を支えるようになるまで、どれほどの歳月が要るのだろうか。十年か、二十年か。その歳月のあいだ、この島は、木を求めて、外へ、外へと、手を伸ばし続けることになる。
その先に、何が待っているのか。周りの島々との摩擦か、それとも、もっと大きな何かか。いまはまだ、はっきりとは見えなかった。ただ、木が尽きるという、この一つの現実が、いずれ、島の行く末そのものを、大きく動かす力になるだろうという予感だけは、確かにあった。
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その帰り道、下怒和の外れに積んだままの、あの土のことを、ふと、思い出した。
三年ほど前、豚の糞を、田の肥やしとは別に、離れた場所に積ませたことがあった。古い厠の土と混ぜ、寝かせ、時折、切り返す。前の生で覚えていた、硝石を作る法だった。あのとき、百姓に、理由を明かせないまま、半分だけを積ませた。積んだきり、この一年あまり、頭の隅に追いやったままになっていた。
見に行くと、積んだ土の色が、以前とは、明らかに違っていた。白く、粉を吹いたようになっている箇所が、幾つも見て取れた。
「これは」
案内してきた百姓が、その白い粉に、指を触れさせながら、そう漏らした。
「土から、白い粉が、噴いてまいりました。何の毒でもなかろうかと、実は、少し案じており申した」
わたしは、その粉を、少しだけ、指ですくい取り、傍らの炭火へ、そっと落とした。
粉は、触れた途端、ぱちぱちと小さく爆ぜ、紫がかった、鮮やかな炎を上げた。
「これは」
案内の百姓が、その炎の色に、思わず、後ずさった。
「毒ではない。案ずるな」
そう答えながら、胸の内では、静かな高揚が広がっていた。この爆ぜ方、この炎の色。前の生で、幾度も、書物で読んだとおりの性質だった。水に通し、煮詰めれば、この粉から、さらに純粋な白い結晶が採れるはずだった。硝石。前の生の記憶が、ようやく、この島の土から、確かな形を結びはじめていた。
「これで、何を」
百姓が、そう訊ねた。
「まだ、言えぬ。だが、いずれ、この島を守る力になる」
そう答えるのが、精一杯だった。硝石だけでは、まだ、何の役にも立たない。硫黄と、炭とを、正しい割で合わせて、初めて、火薬になる。炭は、島のあちこちの竈で、日々、焼かれている。硫黄は、まだ、当てがなかった。木のことと同じく、また一つ、頭の中の帳に、新しい欄が増えた。
だが、種は、確かに、芽吹きはじめていた。三年前、理由も明かせぬまま積ませたものが、いま、こうして、白い粉となって、こちらの手に戻ってきた。数えることを、途中で投げ出さなければ、いつか、必ず、実を結ぶ。そのことを、あらためて、噛みしめた。
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館に戻ると、弥九郎が、板間で、別子への次の便の手配をしていた。
「木材、幾らか多めに積ませる」
「助かりまする」
「お前が、木のことでこうまで案じるのは、珍しいな」
「珍しゅうはござりませぬ。ただ、これまでは、他のことに紛れて、後回しにしておりました」
弥九郎は、それを聞いて、少し笑った。
「後回しにできぬことが、この島には、次から次へと湧いて出る」
「はい」
「飽きぬか」
その問いには、いつもの軽さの裏に、こちらを気遣う響きが、微かに感じられた。わたしは、少し考えてから、答えた。
「飽きるほどの余裕は、ござりませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、声を立てて笑った。
「お前らしい返事だ」
「殿は、飽きられませぬか」
「飽きるも何も、俺は、お前の後をついていくだけで、精一杯だ」
その言い草に、わたしは、少し驚いた。
「殿が、ついていく側にござりますか」
「そうだとも。お前が数を組み、俺がそれを動かす。この一党は、いつのまにか、そういう形になっておる」
「殿が動かさねば、いくら数を組んでも、何も進みませぬ」
「数を組む者がおらねば、どちらへ向けて動かせばよいかも、分からぬ」
その遣り取りに、わたしたちは、しばらく、互いに顔を見合わせて、小さく笑った。木の心配で強張っていた胸の内が、その笑いで、いくらか和らいだ。
灯を消す前に、帳に、この日のことを書き留めた。木、いよいよ足りなくなる。別子より補う。周りの島々への拡大、いまはまだ時期にあらず。硝石、ようやく形になる。硫黄の当て、まだなし。段畑の畦、石組みへ切り替える試し、始める。塩浜、風でかん水を濃くする棚、試しに立てる。木を使わぬ道、まだ二つきりだが、確かに見つけはじめている。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。いまはまだ、という言葉の重みを、頭の中で、もう一度確かめた。いつか、その「いまはまだ」が「いま」に変わる日が来る。その日が、いつ訪れるのかを、まだ誰も知らなかった。
灯を吹き消す前に、窓の外を見た。冬の夜空に、星が、いつになく澄んで見えた。木々の梢の輪郭が、その星明かりに、うっすらと浮かび上がっている。若い木々が、静かに、寒さに耐えながら、育っていく様を、わたしは、しばらくのあいだ、思い描き続けていた。
星を見上げているうちに、廊下に、弥九郎の足音が聞こえた。渡りだった。「お前の後をついていくだけ」と言った男が、今夜も、迷いのない足取りで、こちらへ向かってくる。その足音の確かさだけは、木の心配とは関わりなく、いつも変わらなかった。
昼間、若い木々の苗を植える手伝いに、幸松が、年少の子らを連れてきていた。木を植えるという仕事の意味を、幸松なりの言葉で、幼い子らに説いていたらしい。「いま植えても、己が使う頃には、まだ育っておらぬ。それでも植える」。綾から、その話を伝え聞いたとき、わたしは、木の心配とは別のところで、少し胸が温かくなった。




