第十一話 これでよかったとは
応永三十年(一四二三)十一月 伊予国 怒和島 下怒和
六島がまとまったという報せは、義重の館にも、当然のように伝わっていた。
わたしは、隠れ里の普請の合間を縫って、義重への挨拶と、綾への文を届けに、館まで足を運んだ。用向きは、それだけのはずだった。
道すがら、船の上で、この半年ほどのことを、ぼんやりと振り返っていた。柱島の使者が来た日から、数えれば、もう幾月も経っている。中島との睨み合い、宗兵衛の来訪、三島の合流。一つ一つの出来事が、いまでは、遠い昔のことのようにも感じられた。
それだけ、目まぐるしく動いてきたということだった。振り返る間もなく、次の仕事へと、体が先に動いていく。そういう日々が、いつのまにか、当たり前になっていた。
館に着き、取り次ぎを待つあいだ、廊下で、思いがけず、又五郎と行き会った。
「又五郎様」
わたしは、頭を下げた。又五郎は、しばらくこちらを見ていたが、やがて、短く頷いた。
「六島の話、聞いた」
「はい。おかげさまで、無事にまとまりましてござります」
わたしは、そう答えながら、又五郎の顔色を、それとなく窺った。
「おかげ、か」
又五郎の声には、皮肉とも、諦めとも取れる響きがあった。
「わしは、何もしておらぬ。おかげと言われる筋合いはない」
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「柱島へ渡られたと、伺いました」
わたしは、そう続けた。ずっと、頭の隅に引っかかっていたことだった。
又五郎の目が、わずかに揺れた。
「……聞いておったか」
「六郎太より」
又五郎は、しばらく黙っていたが、やがて、口を開いた。
「父上の名代として、渡っただけのこと。深い意味はない」
「何を、話されました」
「柱島の乙名に、父上の見舞いを届けただけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
その答えに、わたしは、頷いた。だが、腑に落ちたわけではなかった。義重の名代として渡った先で、なぜ、柱島がその直後に、こちらへ加わる決心を固めたのか。その繋がりを、又五郎は、はっきりとは語らなかった。
深追いすべきかどうか、わたしは、しばらく迷った。柱島の使者、甚兵衛の、あの疲れた目を思い出す。長く何かに耐えてきた者の目だと、あのとき、そう見立てた。その耐えてきた何かに、又五郎が関わっていた可能性は、十分にあった。
だが、又五郎の目に、これ以上踏み込むなという色を見て、その場では、それ以上問わなかった。この島の内証には、こちらが土足で踏み込んではならぬ一線がある。それを、これまでの日々で、幾度も学んできた。
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「六島がまとまったこと、又五郎様は、どうお思いにござりますか」
わたしは、話を変えるように、そう訊ねた。
又五郎は、しばらく、廊下の向こうの庭を眺めていた。冬の初めの庭は、色を失いはじめている。
「よかったのだろう。島は富み、家は保たれる。それだけを見れば、よかったに違いない」
「それだけを見れば、と申されますと」
「妹は、政の道具として使われた。この島の何もかもが、少しずつ、そちらへ渡っていった。それを、よかったと、素直には言えぬ」
その言葉は、以前にも、聞いたことがあった。だが、いま、こうして改めて口にされると、その重みが、少し違って響いた。あのときより、いまのほうが、島は大きく富んでいる。富んだ分だけ、又五郎の胸の内にある痛みも、また大きくなっているのかもしれなかった。
「これでよかったのだ、とは、俺には言えぬ」
又五郎は、そう言って、こちらから目を逸らした。
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「又五郎様は、宗兵衛殿とも、御縁がおありと伺いました」
わたしは、話を変えるつもりで、そう続けた。だが、又五郎の顔が、わずかに強張った。
「……誰から、聞いた」
「六郎太が、調べておりました」
又五郎は、しばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「宗兵衛とは、若い頃、幾度か、共に舟に乗ったことがある。それだけの縁だ」
「柱島の話とは、関わりが」
「関わりは、ない」
その答え方は、あまりに早すぎた。わたしは、それに気づきながらも、それ以上は問わなかった。又五郎の顔に浮かんだ強張りが、これ以上踏み込めば、二度と口を開かせぬだろうという、はっきりとした拒絶を示していたからだった。
頭の帳に、また一行、書き加えた。又五郎、柱島・中島、双方に何らかの縁。深く関わるを拒む。
その一行の裏に、まだ何かが隠れている。だが、その正体を暴くことよりも、いまは、目の前の関係を保つほうが、大事だった。
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館の奥で、綾と会った。
機の音は、その日は聞こえなかった。綾は、庭に面した縁側に座って、遠くを見ていた。
「千代殿」
「綾様。御機嫌を、伺いに参りました」
「六島のこと、聞きました。よろしゅうございましたね」
綾の声は、いつもと変わらぬ、静かな調子だった。だが、その目は、まだ庭のほうを向いたままだった。
「何を、御覧になっておられます」
「別に、何も。ただ、外を見ておりました」
その答えに、わたしは、少し違和を覚えた。綾らしくない、はっきりしない答え方だった。
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「又五郎兄上と、お会いになりましたか」
綾が、ふと、そう訊ねた。
「はい。廊下で、少し」
「兄上は、まだ、胸の内に、何か抱えておられるようです」
「表向きは、折れられたように見えましたが」
「表向きは、そうでしょう。ですが、あの人は、そう容易くは、割り切れぬ性分にて」
綾は、そう言って、初めて、こちらへ目を向けた。
「わたくしも、同じにござります」
その一言に、わたしは、少し身構えた。
綾の声には、責める色はなかった。ただ、静かに、事実を確かめるような調子だった。それだけに、かえって、聞く側の胸に、重く響いた。
「と、申されますと」
「六島が、こちらへ加わったこと。それによって、この家が、また一段、格を上げたこと。喜ぶべきことだと、頭では分かっております。ですが、心のどこかで、素直に喜べぬ自分がおります」
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「なぜにござりますか」
わたしは、そう訊ねた。
綾は、少し考えてから、答えた。
「わたくしが、猶子として本家に立てられ、こちらへ嫁いだことが、こうして六島の扱いにまで、繋がっておるのだと、あらためて思い知らされるからでしょう」
その言葉に、わたしは、何も言い返せなかった。
綾が、自分自身を「回収の道具」として使われたと感じていることは、以前にも、聞かされていた。だが、六島がまとまったいま、その感覚は、また新たに、綾の胸に呼び覚まされているようだった。
「祝言の日には、まだ、これほどのことになるとは、思うておりませんでした」
綾は、そう続けた。
「一つの縁組が、これほど多くの島の去就を動かすとは。あの日、白い被衣の下で、わたくしが思うておったのは、もっと小さなことでした。この家が保つかどうか、それだけにて」
「小さくは、ござりませなんだ」
「はい。いまになって、そう分かりました」
綾は、そう言って、微かに笑った。だが、その笑みには、これまでのような、静かな余裕は感じられなかった。もっと複雑な、諦めに近いものが、その奥に滲んでいた。
「詫びる言葉は、持ち合わせておりませぬ」
わたしは、そう言った。それが、正直な気持ちだった。詫びたところで、何かが変わるわけではない。
「詫びを、求めてはおりませぬ」
綾は、そう答えた。その声には、責めの色も、恨みの色もなかった。
「ただ、千代殿には、知っておいていただきとうござりました。この縁組が、どれほど大きなものを動かしたか。その重さを、わたくし自身が、いちばんよく分かっておりますので」
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「又五郎兄上のことも、どうか、頭の隅に留めておいてくださいませ」
綾は、続けてそう言った。その声には、兄を案じる響きと、それでいて、どこか諦めたような響きとが、両方混じっていた。
「兄上は、幼い頃から、そういう質にござりました。腹に何かを抱えても、易々とは口にせず、独りで抱え込む。父上に似たところがあるのやもしれませぬ」
「義重様も、そういう御方にござりますか」
「はい。表向きは穏やかに、内では、いろいろなことを、じっと堪えておられます。兄上も、その血を継いでおるのでしょう」
わたしは、その言葉を聞きながら、義重の顔を思い浮かべた。祝言の夜、姓だけを渡し、名は渡さなかった、あの静かな判断。あの判断の裏にも、堪えるという性根が、確かにあったのかもしれなかった。義重と又五郎、親子二人が、それぞれの形で、この島の行く末を、じっと見つめている。その視線の重さを、いまさらのように感じた。
「あの人は、表向きは折れたように見えても、まだ、すべてを飲み込めてはおりませぬ。いつか、その胸の内が、何かのはずみで、外へこぼれ出ることがあるやもしれませぬ」
その言葉に、わたしは、頭の帳に、また一行、書き加えた。
又五郎、表向きの折れに留まる。まだ、内に何か抱える。
綾は、それきり、また庭のほうへ目を戻した。その横顔には、これ以上は語らぬという静かな意志が見えた。わたしは、それ以上、何も訊ねず、静かに、その場を辞した。
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館を辞し、湊へ向かう道すがら、頭の中で、又五郎と綾、二人の言葉を、何度も繰り返し反芻した。冬の日は短く、既に西の空が、薄く色づきはじめていた。
又五郎の、柱島・中島との縁。綾の、まだ割り切れぬ胸の内。どちらも、いまはまだ、形にならない不安だった。だが、この二つが、いつか、何かのきっかけで、結びつくことがあるのではないかという予感が、頭の隅に、静かに残っていた。
湊に着く頃には、日はすっかり傾いていた。館に戻ると、弥九郎が、板間で、次の指図の算段をしていた。
「どうだった」
「義重様への御挨拶は、済ませてまいりました」
「それだけか」
わたしは、少し迷ってから、又五郎と綾の言葉を、かいつまんで、正直に伝えた。
弥九郎は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
「あの二人には、まだ、しこりが残っておるか」
「はい。表には出さぬよう、努めておられますが」
「しこりは、いずれ、膿む」
その一言に、わたしは、少し驚いた。弥九郎らしからぬ、深い言い回しだった。この男の口から、こういう言葉が出てくるとは、思っていなかった。
「膿めば、どうなりましょう」
「切らねば、治らぬ。だが、いつ切るべきかは、まだ分からぬ」
「切るとは、どういうことにござりますか」
わたしは、そう訊ねた。
弥九郎は、しばらく黙っていた。
「分からぬ。だが、いつか、あの二人のどちらかが、胸の内を、はっきりと外へ出す日が来る。そのとき、こちらがどう受け止めるかで、先が変わる」
「受け止め方一つで」
「ああ。膿を、そのまま見過ごせば、いずれ、家そのものが腐る。切って出せば、痛むが、あとには残らぬ。膿んだまま蓋をするほうが、よほど恐ろしい」
その言い方に、わたしは、少し虚を突かれた。この男が、こうまで先のことを見通して語るのは、珍しかった。
「殿は、いつから、そのようなことをお考えに」
「いつから、というほどのことでもない。ただ、手下を束ねておれば、いずれ嫌でも分かるようになる。恨みも、妬みも、放っておけば、必ずどこかで噴き出す」
弥九郎は、そう言って、窓の外へ目をやった。
「お前の帳には、数しか書けぬだろう。だが、こういうことは、数では計れぬ」
その一言に、わたしは、何も言い返せなかった。数えることでしか、物事を捉えられない自分の癖を、この男に、また一つ、見透かされた気がした。喉の奥が、わずかに、詰まるような感じがした。
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その夜、灯を消す前に、帳を広げて、この日のことを書き留めた。
又五郎、柱島・中島との縁、なお不明。綾、六島の重みを噛みしめる。弥九郎の言、しこりはいずれ膿む。
書きながら、弥九郎の言葉を、もう一度、頭の中で繰り返した。数では計れぬこと。それが、この島で、これまで幾度も、こちらの見落としを作ってきた。市造の悔しさ、権七の翳り、そして、いま、又五郎と綾の胸の内。
数えられるものだけを数えていれば、それで足りると、以前は思っていた。だが、数えられないものが、いつも、こちらの見えないところで、静かに積み重なっている。
その積み重なりが、いつか、何かの拍子に、大きく形を成すのではないかという予感が、頭の隅に、消えずに残っていた。その予感の正体を、いまはまだ、はっきりと言葉にできなかった。
灯を消す前に、もう一度、その一行を見返した。しこりは、いずれ、膿む。その言葉の重さが、なぜか、いつまでも胸に残った。
その言葉を残したまま、弥九郎は、渡ってきた。数では計れぬことを口にした男が、それでも、いつもと変わらぬ時分に、変わらぬ足取りで渡ってくる。その矛盾めいた律儀さを、わたしは、うまく笑い飛ばせずにいた。




