第十話 隠れ里
応永三十年(一四二三)十一月 伊予国 怒和島 下怒和
六島との取り決めが一段落したところで、わたしは、弥九郎に、行然への返答を切り出した。
「あの話、このまま、無下に断るのは、惜しゅうござります。ただし、無条件で、というわけにも、まいりませぬ」
「条件つきで、受けるということか」
弥九郎が、そう確かめた。
「はい。隠れ里に匿う者の数・素性は、こちらで把握し、場所も、こちらが定める。その代わり、行然殿の側にも、防諜や都市工作、牛骨の調達といった、こちらの役に立つものを担うていただく。そういう形で、話をまとめとうござります」
弥九郎は、しばらく考えてから、頷いた。
「危うい話だとは、分かっておる。だが、断って、あの僧が、どこか他所を頼るよりは、こちらの目の届く場所に置いておくほうが、まだ扱いやすかろう。お前の申す条件なら、なおのこと、都合がよかろう」
「では、その条件で、話を進めとうござります」
「よかろう。任せる」
「隠れ里、というのは、どこに作る」
わたしは、地図代わりの絵図を広げた。怒和島の周辺には、まだ表立って使っていない小さな入江が、幾つか残っている。人目につきにくく、それでいて、水と、多少の畑地が確保できる場所。前の生で、逃げ場を作るための村の作り方を、幾度か見た覚えがあった。
争いや災いに追われた人々を、一時、安全な場所に留め置く。その仕組みは、道具のない土地でも、幾度となく作られてきた。人目を避けること、水を絶やさぬこと、食い扶持を細く長く保つこと。どれも、これまで怒和島でやってきたことと、根は同じだった。
弥九郎は、絵図を覗き込みながら、少し呆れたような声を出した。
「六島との取り決めが片づいたばかりで、また新しい普請か」
「休む間もなくなりますが、いましかできぬことにござります」
「お前は、いつも、いましかできぬと言う」
「実際、そうにござりますゆえ」
弥九郎は、それ以上は言い返さず、絵図に目を落とした。
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行然が、再びこの島を訪れたのは、それから十日ほど後のことだった。
「お受けいただけると」
行然の声に、隠しきれない安堵が滲んでいた。
「ただし、条件がござります」
わたしは、そう続けた。
「一つ。この島に匿う者の数、名、素性は、こちらで把握させていただきます。二つ。隠れ里の場所は、こちらが定めます。三つ。表沙汰になれば、双方が咎を負う覚悟をお持ちいただきます」
わたしは、指を三本立てて、一つずつ数えながら、そう告げた。
行然は、一つ一つ、頷きながら聞いていた。
「それだけならば、十分に飲める話にて」
「頼みは、それだけではござりますまい」
わたしは、行然の目を見て、そう続けた。
「隠れ里を設けるには、地取り、水と食の手当て、見つからぬための立地の見極めが要ります。これらは、こちらが担いますが、その代わり、行然殿の側にも、担うていただきたいものがござります」
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「防諜と、都市工作」
わたしは、そう続けた。
「別子の山で進めておる仕事、そして今後こちらが手掛ける事業は、幕府や守護に知られてはならぬものが幾つもござります。それを守る役目を、行然殿の側で担うていただきたい」
行然の目に、初めて、興味の色が浮かんだ。
「山岳での身の隠し方、迎え撃ち方には、いささか心得がござる。それに、堺や京の情勢を探る伝手も、まだいくらか残っており申す」
「もう一つ」
わたしは、続けた。
「牛骨にござります」
その一言に、行然は、意外そうな顔をした。
「牛骨、と申されると」
「骨を焼いて、器に混ぜる技を、こちらは持っております。ただ、島で余る魚骨や獣骨だけでは、いずれ量が足りませぬ。もし、牛馬の骨を、まとまった量、都合していただけるならば」
行然は、しばらく考えたのち、ゆっくりと頷いた。
「それがしどもの縁の中に、牛馬の解体を生業とする者たちがおり申す。その筋を通じてであれば、都合できましょう」
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その言葉に、わたしは、頭の中で数を組んだ。
被差別の身分に置かれた者たちが、牛馬の解体を担う。その仕事は、この時代、忌み嫌われながらも、なくてはならないものだった。楠木党残党が、そうした者たちとの繋がりを持っているというのは、意外なようでいて、理に適っていた。日陰に生きる者同士は、互いを庇い合う縁を、自然と結んでいるのかもしれなかった。
「その筋を通じるとなれば、金剛山地の谷のような、脱脂や焼成のできる場所も」
「そちらも、心当たりがござる」
行然は、そう答えて、初めて、微かに笑った。
「それがしは、何も発明せぬ。既にある仕組みを、繋ぎ合わせるだけのこと。そういう仕事は、慣れており申す」
その言い草に、わたしは、思わず、自分自身と重なるものを感じた。前の生でやってきたことも、まさにそれだった。新しい何かを生み出すのではなく、既にあるものを、繋ぎ合わせ、使えるようにする。行然もまた、同じ性分の持ち主なのかもしれなかった。
「行然殿は、なぜ、そうまでして、この一党のために動かれる」
わたしは、そう訊ねた。
「一党のためではござらぬ」
行然は、静かに答えた。
「それがしどもが、生き延びるためにて。生き延びるためには、力ある者と手を結ばねばならぬ。ただ、それだけのこと」
「南朝の御方への忠義は」
「忠義は、忠義。それとこれとは、また別の話にて」
その割り切り方に、わたしは、少し意外な思いを抱いた。忠義に凝り固まった一途な男を、どこかで思い描いていたのかもしれない。だが、目の前の僧は、忠義と生存とを、はっきりと切り分けて考えていた。その冷静さが、かえって、この男への信を、いくらか厚くさせた。
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隠れ里の場所は、怒和島の北側、人目につきにくい小さな入江に定めた。
普請には、島の者の中から、口の堅い数人を選んで当たらせた。水を引く道筋を作り、畑を拓き、粗末だが雨露をしのげる小屋を、幾つか建てた。この手の仕事は、これまでの島の内政と、道理は変わらなかった。水を見て、土を見て、人が住める形を作る。
十二月に入って間もなく、最初の一団が、隠れ里に入った。
老人が三人、女が五人、子どもが四人。行然の言葉どおり、戦えぬ者たちばかりだった。
冬の冷たい風の中、一団は、舟から降り立った。誰の顔にも、旅の疲れが色濃く滲んでいた。わたしは、その一団を、遠目に見た。誰も、大きな声を上げなかった。ただ、疲れきった顔で、あてがわれた小屋の前に立ち、周りを見回していた。
案内の役目は、行然自身が担った。一人一人に、小屋の場所を教え、水の汲み方、薪の在り処を、丁寧に説いて回っている。その姿には、僧としての慈悲というより、もっと実務に近い、行き届いた気配りがあった。長年、こうした一団を、幾度も導いてきたのだろうと、その手際から察せられた。
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その中に、まだ幼い女の子が一人いた。歳の頃、五つか六つ。母親らしい女の袖を、しっかりと握りしめている。
その姿に、わたしは、鶴丸のことを思い出した。あの子も、あのくらいの歳だった。
わたしが近づくと、女の子は、母親の陰に、さっと身を隠した。恐れているというより、ただ、見慣れぬ者への警戒だった。母親のほうは、深く頭を下げて、何度も礼の言葉を口にした。
「お世話になりまする。お世話に……」
「無事に着かれて、何よりにござります」
わたしがそう答えると、母親は、また深く頭を下げた。その手が、小さく震えていた。指先まで、痩せ細っていた。長い逃避の果てに、ようやく落ち着ける場所を得た者の震えだった。
女の子が、母の陰から、少しだけ顔を覗かせた。頬がこけ、旅の疲れが色濃く出ていた。黒い瞳だけが、やけに大きく、こちらをじっと見つめている。わたしは、その目を見返しながら、何か言葉を掛けようとしたが、結局、何も思いつかなかった。ただ、小さく頷いただけだった。それだけで、十分だったのかどうかも、分からなかった。
「あの子らは、ここで、どう暮らしていくのでしょう」
わたしは、傍らにいた行然に、そう訊ねた。
「畑を耕し、機を織り、できることをして、日々を過ごしましょう。戦えぬ者にも、できることは、いくらでもござる」
「学ばせることは」
行然は、少し意外そうな顔をした。
「字か、算えか」
「はい」
「戦えぬ者にまで、そこまでの手をかけられるとは」
「戦えぬ者だからこそ、他に使える技を、身につけさせとうござります」
その言葉に、行然は、しばらく黙っていた。それから、深く頭を下げた。
「かたじけない仰せにて」
その姿を、わたしは、しばらく見つめていた。
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隠れ里の普請には、六郎太も手を貸していた。小屋の柱を組む手つきを見ていると、この男が、幾年か前、海戦で片足を失ってなお、この一党に残り続けていることを、改めて思い出させられた。
「六郎太、この仕事は、辛くはないか」
わたしが、そう訊ねると、六郎太は、手を止めずに答えた。
「辛くは、ござりませぬ。むしろ、逆にござります」
「逆、とは」
「己が、足を失うたころのことを、思い出しまする。あの頃、誰かがこうして、身の置き場を拵えてくれたら、どれほど楽だったかと」
その答えに、わたしは、しばらく黙っていた。六郎太が、こうして淡々と仕事を続けられるのは、単なる忠義や損得の勘定だけではなく、もっと個人的な、過去との重なりがあってのことなのだと、いまさらのように気づいた。人の動く理由は、いつも、勘定の外側に、もう一つ隠れている。
「お前も、殿に助けられた口だったな」
「はい。海戦で足を失い、もはや戦えぬ体になったとき、他の一党であれば、恐らく捨て置かれており申した。ですが、殿は、それがしを見捨てず、帳付けの役を与えてくださいました」
六郎太は、そう言って、柱に打ち込む釘を、また一つ、確かな手つきで打った。木槌の音が、静かな入江に、規則正しく響いていた。
夜、館に戻ってから、弥九郎に、隠れ里の様子を伝えた。
「思うたより、静かな一団だったな」
「はい。声を上げる者は、一人もおりませなんだ」
「怯えておるのか」
「怯えというより、諦めに近いものにござりましょう。長く逃げ続けてきた者の顔にござりました」
弥九郎は、それを聞いて、少し眉を寄せた。
「お前の顔にも、時折、似たものが浮かぶことがある」
その一言に、わたしは、少し驚いた。
「わたくしにも、にござりますか」
「うむ。生まれた在所を出た頃の話は、あまり聞かぬが……その頃のことを、思い出しておるような顔を、時折する」
わたしは、それに、何も答えなかった。答える言葉を、持っていなかったからだった。
弥九郎は、それ以上は追及せず、ただ、こちらの顔をしばらく見ていた。その視線に、いつもとは違う、何か柔らかいものが混じっているように感じた。
「案じずとも、よい」
弥九郎は、そう言った。
「案じてなど」
「顔に出ておる。隠れ里の者たちのことを、自分のことのように、思うておるだろう」
その指摘に、わたしは、少し虚を突かれた。自分でも、はっきりとは自覚していなかった感情を、弥九郎に言い当てられた気がした。
「案じたところで、何ができるわけでも」
「案じることそのものが、悪いわけではあるまい」
弥九郎は、そう言って、静かに笑った。
弥九郎の一言に、わたしは、それ以上、何も言い返せなかった。
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夜も更けたころ、帳を取り出し、この日のことを書き留めた。
隠れ里、最初の一団、入る。老人三、女五、子四。行然との取り決め、防諜・都市工作・牛骨の調達を担わせる。
書きながら、あの幼い女の子の顔を、もう一度思い浮かべた。母の袖を握りしめていた、あの小さな手。あの手が、この島で、どんな日々を送ることになるのか、いまはまだ、誰にも分からなかった。
その日の昼過ぎ、綾が、幸松を連れて、隠れ里の小屋を訪ねていた。綾自身の言葉によれば、着物と、握り飯を届けにいったのだという。幸松は、あの幼い女の子の傍らに座り、何も言わず、ただ、握り飯を一つ、そっと差し出したらしい。
「幸松は、あの子の目を見て、すぐに分かったようでした。何を、というよりも、どう接すればよいかを」
綾から、その話を聞いたとき、わたしは、少し胸を突かれた。数を数えることでしか、こちらは、あの子らを捉えられずにいた。だが、幸松には、流れてきた者どうしにしか分からない、何かがあるのだろう。
外では、冬の初めの風が、強く吹きはじめていた。板戸が、幾度も大きく鳴った。隠れ里の小屋は、この風に、耐えられるだろうか。そんなことを考えながら、わたしは、灯を吹き消した。
闇の中で、しばらく、あの子の握りしめた手の感触を、想像していた。触れたこともない手だった。それでも、なぜか、その温もりのようなものが、指先に残っている気がした。
行然は、その日の帰り際、こう言い残していった。
「これで終わりではござらぬ。散らばった者たちの中には、まだ、こうして匿われるべき者が、幾人も残っており申す」
その静かな一言を、わたしは、帳の最後に、もう一度書き加えた。
隠れ里、まだ始まったばかり。行然殿、次を仄めかす。
先の見えぬ話だった。まだ見ぬ者たちが、これから、どれほどの数、この島の隠れ里を頼ってくることになるのか。その先までは、いまはまだ、誰にも見通せなかった。だが、先が見えぬからといって、いま動くべきことを止める理由にはならなかった。目の前の一団を、まず、この冬、無事に越させること。それが、いまできる、唯一のことだった。一つずつ、目の前のことから片づけていく。それしか、いまのわたしにはできなかった。
風の音が、次第に強くなっていった。隠れ里の小屋を思い、わたしは、しばらく、眠りにつけずにいた。あの小さな女の子の黒い瞳が、瞼の裏に、まだ焼きついていた。
今宵は、渡りのない夜だった。弥九郎は、風に備え、湊の船の見回りに出ている。独りで聞く風の音は、渡りのある夜よりも、いくらか大きく響く気がした。




