第六話 兵站の島
応永三十年(一四二三)八月 伊予国 新居郡 別子山中
三度目に別子の山へ入ったのは、盆を過ぎてすぐのことだった。
金物の軸を積み、鍛冶の道具も一式運び込んだ。伊佐次たちは、道と索道の普請を、さらに奥へ進めるつもりでいた。だが、奥へ進めば進むほど、麓からの隔たりが大きくなる。担いで運べる飯の量には、おのずと限りがあった。
「十日も山に籠もれば、飯が尽きる」
伊佐次が、そう言った。
「かといって、幾度も麓と行き来しておっては、肝心の穴を掘る手間が減る。人手を割かねばならぬ」
わたしは、頷いた。これは、島門でも、明の陣屋でも、幾度も見てきた壁だった。人を働かせるには、まず、その人を食わせねばならない。食わせる算段が立たなければ、どれほど腕のある者を集めても、事は進まない。
弥九郎も、その話を、板間で聞いていた。
「兵站か」
「はい。戦の兵糧と、道理は同じにござります。腕の立つ者を幾人集めても、飯が届かねば、二日と保ちませぬ」
「島の蔵から、米を回すか」
「回せば、島の蔵が痩せまする。新居の浦で、いくらか買い付けられぬかを、まず当たってみとうござります」
弥九郎は、少し考えて、頷いた。
「浦の者との付き合いは、お前に任せる」
「中継の宿を、幾つか置きましょう」
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麓から谷の奥まで、一日で歩ける道のりを、幾つかに区切った。
区切りごとに、飯を溜め置く小屋を作る。麓で炊いた飯を運ぶ者、それを中継の小屋まで届ける者、そこから奥の穴掘りの場まで運ぶ者と、役目を分けた。一人が端から端まで運ぶより、区切って運ぶほうが、疲れが少なく、日に運べる量も増える。
「これは、島でやってきたことと、同じにござります」
わたしは、伊佐次と、他の者たちに、そう説いた。
「兵糧の勘定も、荷の割り振りも、道理は変わりませぬ。人が、どれだけ歩けば疲れるか。どれだけ担げば足が止まるか。それを数えて、区切りを決めるだけにて」
伊佐次は、感心したような顔をした。
「姐さんは、こういうことを、どこで身につけられたので」
「前に、似たようなことを、幾度もやったことがござります」
それ以上は、答えなかった。前の生のことだとは、口が裂けても言えない。伊佐次は、それ以上は問わず、ただ「なるほど」とだけ呟いた。
区切りは、三つに定めた。麓の浦に一つ、道の半ばに一つ、谷の入り口に一つ。それぞれに、粗末な小屋を建て、米と塩と、乾かした魚を溜め置いた。運び役は、日替わりで交代させ、一人が同じ道のりを続けて歩かぬようにした。
「なぜ、代わる代わるに」
三郎次が、そう訊ねた。
「同じ道のりを、毎日一人に担わせれば、その者の足腰が、先に潰れましょう。代わる代わるにすれば、誰も倒れず、荷は絶えず動きまする」
「人も、木と同じにござりますな。伐りすぎれば、いずれ禿げる」
三郎次の一言に、わたしは、少し驚いた。この男が、そこまで思い至るとは、思っていなかった。
「よい喩えだ」
「姐さんに教わったことにござります」
三郎次は、そう言って、少し照れたように笑った。
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米は、浦の村から買い付けることにした。
村の顔役は、漁師頭を兼ねた老人で、名を、太左衛門といった。権七の伯父にあたるという。歳の頃、六十を超えている。腰は曲がっているが、目つきはしっかりしていた。
「米を、分けてほしいと」
太左衛門は、そう言って、こちらの顔をじっと見た。
「この村は、漁で食うておる村にござります。米は、さほど余っておりませぬが」
「銭は、相応にお払いいたします。それに、要るのは、この村が食うぶんまで削るほどの量ではござりませぬ」
わたしは、そう言って、望む量を紙に書いて見せた。太左衛門は、それを見て、しばらく黙っていた。
「これだけなら、都度、都度で分けられましょう。じゃが、毎度この量となると、村の蔵からだけでは、いずれ足りのうなる」
「都度で構いませぬ。不作の年は、無理に求めませぬ。ただ、豊作の年には、多めに分けていただけますれば」
「豊作の年に多めに、と」
「はい。豊作の年に蓄え、不作の年に取り崩す。それだけのことにござります」
太左衛門は、それを聞いて、少し目を細めた。
「若い娘御が、村の蔵の勘定にまで、口を出されるか」
「出過ぎたことを申しました」
「いや」
太左衛門は、首を振った。
「悪い話ではない。むしろ、村としても、蓄えの目算がつきやすうなる。この話、乗ってみましょう」
そう言って、太左衛門は、深く、大きく頷いた。
その遣り取りを、権七が、少し離れた場所で見ていた。伯父と余所者の娘が、思いのほか話の合う様子を、意外そうな顔で眺めていた。
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米を買い付ける一方で、わたしは、別の算段も進めていた。塩と乾かした魚だけでは、幾日も山に籠もる者たちの体は、いずれ持たない。前の生で覚えていた、日持ちのする調味の法があった。
「大豆を、蒸して潰し、麹と塩を混ぜて寝かせれば、味噌になりまする。同じ仕込みから、絞れば、醤油も採れましょう」
伊佐次に、そう説くと、怪訝な顔をされた。
「豆を、寝かせるだけで」
「ひと月やそこらでは、できませぬ。半年、あるいは、一年。寝かせるほど、味が深うなりまする」
「そのように時が掛かるものを、いま、始める意味がござりますか」
「意味は、大いにござります。米と塩だけの膳に、味噌の一匙を加えるだけで、飯の進み方が違いまする。塩よりも、日持ちがいたしますし、少量で、味を確かに立てられまする。山に籠もる者たちの、飯の慰めにもなりましょう」
伊佐次は、それを聞いて、少し考え込んだ。
「それに」
わたしは、続けた。
「濁り酒に、灰を混ぜて漉せば、澄んだ酒になりまする。祝いの席にも使える、確かな酒を、この島でも作れるようになりましょう」
「灰を、酒に」
「木灰を、少量だけ。酸を和らげ、濁りを沈めまする。徳化で、似たような法を、目にしたことがござります」
半分は、本当のことだった。もう半分は、前の生の記憶だった。どちらとも、口にはしなかった。
「よう分かりませぬが、姐さんの言うことに、これまで、外れはござりませぬ」
伊佐次は、そう言って、頷いた。麓の村から大豆と麹を分けてもらい、蔵の隅に、味噌と醤油の仕込みを始めた。酒のほうは、まず、これまで通りの濁り酒を仕込み、灰を混ぜて漉す試しを、少しずつ重ねることにした。時のかかる仕事だった。だが、時のかかる仕事ほど、いずれ、確かな実りになる。この一年で、幾度も、そう学んできたことだった。
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寝かせて仕込む味噌とは別に、坑道の中まで持ち込める、その場で腹を満たせる食い物も要った。米を炊く火が使えぬ場所は、山の中には幾らでもある。
「麦を、炒ってから挽いてはどうか」
わたしは、伊佐次に、そう持ちかけた。
「炒った麦を、にござりますか」
「炒って、粉にしておく。水か湯で練るだけで、すぐに食える。火の使えぬ坑の奥でも、腹の足しになろう」
伊佐次は、それを聞いて、目を見開いた。
「それは、確かに、重宝しましょう。かさばりもせず、傷みもせぬ」
「葛の根も、使える。石垣や溝を掘るときに、邪魔だと言うて捨てておった、あの太い根じゃ。あれを砕いて、水に晒し、澱粉だけを取り出せば、麦の粉と合わせて、いっそう腹持ちがようなる」
「あの、捨てるだけの根が」
伊佐次は、しばらく、信じられぬという顔をしていたが、やがて、深く頷いた。
「試してみましょう。捨てるはずのものが役に立つなら、これほどよい話はござりませぬ」
魚を扱う女たちにも、別の思案を持ちかけた。小魚を骨ごと乾かして粉にし、味噌と練り合わせ、丸めて燻して乾かす。湯を注ぐだけで、汁の代わりになる。
「これなら、山の中でも、塩と滋養を、一度に摂れましょう」
女たちは、初めは半信半疑だったが、実際に湯を注いで口にすると、顔つきが変わった。
「これは、存外、悪うござりませぬ」
一人が、そう漏らすと、周りの女たちも、次々に頷いた。麦の粉、葛の粉、魚粉の味噌玉。かさばらず、火を使わず、日持ちのする食い物が、少しずつ、坑道へ運ばれる荷の中に加わっていった。
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牛馬の飼葉も、同じように算段した。
道が拓けたとはいえ、まだ荷車が通れる場所は限られている。牛を一頭、山に入れて、重い荷を曳かせることにしたが、その牛にも、飯ならぬ飼葉が要る。人と同じだけ、あるいはそれ以上に、餌の心配が付いて回った。
「牛の飯まで、算段せねばならぬとは」
三郎次が、そう零した。
「牛も、飯を食わねば動かぬ。人と同じにござります」
わたしは、そう答えながら、麓の村で買い付けた干し草の束を数えた。荷車一台分の飼葉が、幾日で尽きるか。尽きる前に、次の分を届けられるか。頭の中の帳に、数を書き込んでいく。
牛は、伊佐次が新居の浦で見繕った、若い雄牛だった。おとなしい気性で、荷を曳かせるにはちょうどよいと、村の者が請け合ってくれた。慣れぬ山道に、はじめは幾度も足を止めたが、数日もすると、決まった道筋を、迷わず歩くようになった。
木の問題も、ここで、また顔を出した。
坑道を支える支柱に、木が要る。小屋を建てるにも、木が要る。索道の滑車を作るにも、木が要る。山には木があるはずなのに、掘れば掘るほど、木を食う。伐れば伐るほど、周りが禿げていく。
「木は、山ほどあるように見えて、無尽蔵ではござりませぬ」
わたしは、伊佐次に、そう告げた。
「伐った分だけ、次を植えねば、いずれ足りのうなります」
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「植えるとは、いつ実を結ぶ」
伊佐次が、そう訊ねた。
「木にもよりましょうが、十年、二十年は掛かりましょう」
「そんな先の話をされても、いまの穴を掘る手が止まりまする」
「止めよとは申しませぬ。ただ、いま伐った木の代わりを、いま植えておかねば、二十年後、伊佐次殿の子や孫が、木のない山を見ることになりましょう」
伊佐次は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
「……姐さんは、そういう、遠い先のことまで、考えておられるのですな」
「考えねば、いずれ困るのは、こちらにござりますゆえ」
その遣り取りを、少し離れた場所で、権七が聞いていた。何かを言いたそうな顔をしていたが、結局、口には出さなかった。わたしは、その様子に、少し気を留めた。だが、その日は、それ以上は問わなかった。山の仕事は、まだ幾らでも残っていた。
苗木のことも、その日のうちに、手配を進めた。麓の村に、椎や樫の苗を分けてもらえぬか訊ねると、太左衛門が、快く応じてくれた。
「木を伐るだけでのうて、植える話まで持ち込む余所者は、珍しゅうござる」
太左衛門は、そう言って、少し笑った。
「この村でも、昔は、木を伐るばかりで、植えることを忘れておりました。おかげで、裏山は、ずいぶんと痩せてしもうた」
「痩せた山は、戻りましょうか」
「戻りまする。時は掛かりますが」
その一言に、わたしは頷いた。時が掛かることを厭わず、いま手を打つ。それが、この仕事の要だった。焦って結果だけを求めれば、山も、人も、いずれ痩せ細っていく。それを、太左衛門は、経験で知っていた。
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夜、天幕の下で、飯の勘定を見直していると、権七が、湯を運んできた。
「千代様。少し、よろしいか」
「何だ」
「この山のこと、麓の者たちの間で、少し噂になっておりまする」
わたしは、手を止めた。
「どういう噂だ」
「怒和島の一党が、あの谷で、何かを探しておると。木を伐るだけにしては、あまりに念が入りすぎておると」
その言葉に、わたしは、頭の中で、素早く数を組んだ。木を伐りに来たにしては、道を拓き、索道を張り、幾度も山に籠もる。傍から見れば、確かに不自然に映るだろう。
「案じておるのか」
「案じてはおりませぬ。ただ、噂が広まれば、他所からも、人が来るやもしれませぬ。値打ちのあるものが眠っておるらしい、と聞けば、欲を出す者も、おりましょうほどに」
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その一言に、わたしは、初めて、自分の見落としに気づいた。
これまで、谷の秘密を守ることばかりを考えていた。だが、秘密は、こちらが黙っていても、外から見た者の目に、自然と映るものだった。人の出入りが多くなれば、それだけで、何かがあると知れる。
「よい話を聞かせてくれた」
「いえ」
権七は、そう言いながらも、まだ、こちらの顔色を窺うような目をしていた。何か、他にも言いたいことが残っている様子だったが、それ以上は続けなかった。
権七は、それだけ言って、湯を置いて下がっていった。
わたしは、その背を見送りながら、噂が広まる前に、何か手を打たねばならないと考えはじめた。天幕の外では、虫の声が、途切れることなく続いていた。木を伐るという名目を、もっと確かなものにするか、あるいは、この山への出入りそのものを、もっと目立たぬ形にするか。
答えは、その夜のうちには出なかった。ただ、頭の帳に、新しい一行を書き加えた。
噂、既に広まりはじめる。手を打つべし。
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翌朝、伊佐次たちと、道の続きを検分しながら、わたしは弥九郎に、権七の話を伝えた。
「噂が広まっておるか」
「はい。木を伐るだけにしては、念が入りすぎておると」
弥九郎は、少し考えた。
「なら、本当に、木を伐ればよい」
「と、申されますと」
「この山で、実際に木を伐り出す。船に積んで、島へ運ぶ。誰の目にも、木を求めて来ておると分かるようにする。谷の奥の話は、その陰に隠す」
弥九郎の目には、迷いがなかった。こうと決めれば、あとは早い男だった。
その答えに、わたしは、頷いた。木を伐りに来たという名目を、嘘ではなく、実として作ってしまう。そうすれば、噂が広まっても、驚くには値しない話になる。
「よい策にござります」
「お前の得意な仕事だろう。飯と道の算段と、変わらぬ」
弥九郎は、そう言って、少し笑った。
「木を伐り出すとなれば、船の割り振りも要る。三郎次、伊佐次と話して、幾艘出せるか調べておけ」
「へい」
三郎次は、そう答えて、すぐに動きはじめた。話が決まれば、動くのは早い一党だった。その速さが、この一党の強みだと、わたしは改めて思った。
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山を発つ日、麓の集落に立ち寄って、伐り出した木材の一部を、実際に浦へ運び出した。丸太を積んだ船が、湊を出ていくのを、村の者たちが物珍しそうに眺めていた。
「これで、木を求めて来ておるという話が、村中に広まりましょう」
権七が、そう言った。声に、いくらか安堵の色があった。
「谷のことは」
「そちらは、木の陰に隠れましょう」
その答えに、権七は頷いた。だが、その顔には、まだ何か、拭いきれない翳りが残っているように見えた。
その翳りの正体を、わたしは、その日も、まだ突き止められなかった。祖父の死のことは、既に聞いた。だが、権七の心の中には、それとは別の、もっと近しい何かへの気がかりが、まだ残っているようだった。
船が沖へ出ると、山の緑が、少しずつ小さくなっていった。谷の奥にある赤い水も、いまはもう、遠く見えない場所に隠れている。
その静けさの中に、まだ何かが眠っているのだと、わたしは、袂の石を確かめながら、改めて思った。
弥九郎が、隣に立って、遠ざかる山を見ていた。
「今度は、うまく回りそうか」
「はい。飯の目算は立ちました。木も、伐った分を、植えはじめてござります」
「あとは」
「あとは、谷の奥に、何が眠っておるかにござります。それだけは、まだ、誰にも分かりませぬ」
弥九郎は、少し笑った。
「気の長い話は、二度目だな」
「二度目にござります」
そう答えながら、わたしは、太左衛門の顔を思い出していた。木を伐るだけの余所者ではないと、あの老人は、こちらの申し出を、意外そうに、それでいて温かく受け止めてくれた。飯の算段は、そうして、少しずつ形になっていく。
だが、権七の顔に残っていた翳りだけは、まだ形にならないまま、頭の帳の隅に、書かれずに残っていた。
船足が速まった。追い風が出ていた。夏の終わりの風だった。
島へ戻れば、その夜のうちに、弥九郎の渡りがあった。新居郡での三夜の埋め合わせのように、いつもより、いくらか早い時分に、板間の障子を開けた。渡りの数だけは、こうして、律儀に帳尻を合わせてくる。その律儀さに、わたしは、少し口元を緩めた。
翌朝、綾のもとへ、権七の顔に残っていた翳りのことを話した。祖父の死のことは伏せたまま、ただ、あの男には何か言えぬ事情があるようだと、それだけを伝えた。
「話したくなれば、いずれ、御自分から話されましょう。急いて聞き出すものではござりませぬ」
綾の答えは、いつも、こちらの勘定にはない速さで、人の間合いを言い当てる。その一言を、わたしは、頭の帳の隅に、そっと書き留めた。
浜では、幸松が、島の子らに交じって、荷揚げの手伝いをしていた。数を数える役目を、いつのまにか自分から買って出ている。教えたわけでもないのに、と思いながら、わたしは、その姿を、しばらく眺めていた。




